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祗園橋  作者: 後藤章倫
2/7

 学校では本当に何も出来ないボケナスの俺は周りに流される毎日だった。学校での一日が終わり、下校となったことで気が軽くなったのかどうかは分からないけど、何故かああいう事をやってしまっていた。

 その日の帰宅途中、通学路に沿って流れ滞っているドブ川へ俺は浸かっていた。特にそうしようという意識もなく、注目を集めたかったわけでもないのに、結果的にはそうなってしまっていた。諏訪神社の方から流れてくる溝と合流するところは少しばかり深くなっていって、そこへどっかりと腰を下ろしていた。ドブ川へと降り始めた時は、偶々居合わせた下校途中の小学生達が面白がっていた。そういう、人から注目をあびるなんてリアクションを感じたことがない俺は、何だか心地良いものみたいに思えて、それがどんどん俺をドブ川へと導いていった。そのうち通行人の大人たちもドブ川へ浸かる俺を好奇心の目で眺めていた。

「いい湯だな」

そんな事も口にしていた。合流して少しだけ大きくなったドブ川は、その先に流れる町山口川へと注いでいる。

 人の目がだんだんと冷たいものへと変わってきたのを感じた。面白半分に何かゲラゲラと騒いでいた小学生達や見世物小屋でも覗いているような感覚の大人達の視線が冷ややかなものとして俺に刺さるのが分かった。

「なんばしょっとか、早よ上がらんね、そがんとこに浸かってから」

何処から聞きつけてきたのか母ちゃんが通学路から俺を見下ろしていて、怒っていた。

「早よ上がらんね、馬鹿んごたるこばしてから、あんた何処に浸かっとるとか」

「ここね、風呂ばい」

俺はドブ川で胡座をかいていて、ドブ水はお腹の上にまで達していた。立ち上がると、その汚水は制服の半ズボンの中をドロドロとドブ川へ垂れ落ちた。母ちゃんが来たことでギャラリーたちは散っていったしまった。

 靴をグボグボといわせながら母ちゃんのあとを歩いた。ドブ川の異臭が辺りに漂う。

「父ちゃんに言うけんね」

母ちゃんの言葉で、やってしまった事の重大さにようやく気が付いた。絶対に只では済まない。なんでこんな事をやってしまったのだろう。家が近付くにつれ、靴のグボグボという音は小さくなっていったけど、それと反比例するようにお腹のチクチクとした痛みが大きくなってきた。

 家に着くと急いで風呂に入った。風呂場は直ぐにドブ臭くなったから風呂掃除もした。ご飯も食べて正座してあの人の帰りを待っていたけどなかなか帰ってこなかった。もう寝る時間になって、歯を磨いている時だった。路地を入ってくる車の音が聞こえて、お腹がキューンとなった。

「今日はもう寝なっせ」

母ちゃんの言葉に俺は素直に従った。布団に入ったものの緊張して眠ることができなかった。あの人は遅い夕飯の前に風呂へ入った。風呂から上がると、おかずが並ぶ低いテーブルの前に座ってテレビを点けた。

「風呂場が、何か匂いのしたばってんなんかしたとか?」

襖一枚隔てた寝室ではっきりと聞こえた。隣で弟はもうぐっすりだった。食器をテーブルに置く音が何度かしたあとで、母ちゃんはドブ川事件の事をあの人へ話してしまった。寝室の襖が勢い良く開けられ、布団を剝ぎ取られ、叩かれる。

「ガハハハッ、なんや、そがんことがあったとか」

母ちゃんの話を聞いたあの人は笑っていた。俺は変な夢でも見ているんじゃないかと思いながらも意識がふわふわになってきて、いつの間にか眠りに落ちていた。


 ドブ川事件は、あの人にとって愉快なものだったのだろうか。


 一九八八年 秋

 さすがに一位の座からは落ちていたけど、俺たちのあのシングル盤はまだチャートに居座っていた。三店舗どの店のチャートでもまだ上位にあった。ただ、その頃になると無理が出ていた。面白がって作ったシングル盤が自主制作盤の売り上げチャートとはいえ一位になるなんて考えもしていなかった。そしてそれは自分たちの音に向き合えば向き合うほどズレが生じていた。

「あのレコードと、今のライブの感じ違うよな」

下北沢の居酒屋でKがそう切り出した。俺たちはあのスタイルをやらなくなっていた。いくら受けが良くても、それはコミック的というか色物扱いというか、そういうものにカテゴライズされているような気がして、かと言ってちゃんと曲を作っても二人だけのバンドでは表現に限りがあった。ライブのモチベーションも大分下がってきていて、ひとつひとつのライブがやっつけ仕事みたいな情熱の無いライブパフォーマンスが続いていた。レコードによってちょっとだけ増えた客も、どんどんと減っていった。その日もスカスカのライブハウスで俺たちは空回っていた。次の曲は俺が作った〔デヴィル〕というタイトルの曲だ。

「この世の全ての邪悪をぶちのめせ!そこに眠っている悪魔を呼び覚ませ!」

そんな歌詞が聞き取れるのかどうか分からないような絶叫で曲は進んでいた。それはギターソロとは言い難いのだけど、そのパートへ入るための一瞬のブレイクだった。時間にして一秒かそこら。絶妙なタイミングで客席からヤジが飛んできた。

「へたくそ」

俺の指はもう最初の音を出すフレットを押さえていた。突然ビートが止まった。スカスカのフロアでそれを言った奴は直ぐに特定出来た。

「じゃ、お前が叩いてみ」

Kはそう言って持っていたステックをそいつに向かって投げつけた。ステックはステージ上でワンバウンドして照明に飲み込まれていった。そいつはしれっとした顔でドラムセットへ近づきKと一触即発になったけど、Kは睨みながらもドラムを譲った。ライブハウス全体が変な空気になりつつあった。俺が奴を見るとカウントを刻み始め、そして本日二回目のデヴィルが始まった。


 石井ボンクラの事は、あの人にも母ちゃんにも言っていない。


 通っている小学校には制服がある。それなのにあの兄弟は私服で学校へ来ていた。五年生と六年生の兄弟で、誰が名付けたのか通称石井ボンクラと呼ばれていた。

 石井ボンクラは絶対的な存在で、いつの間にか君臨していた。全てが石井ボンクラの思いのままだった。その噂は強烈なものばかりで、祭りの時に的屋から金を盗る、高校生を相手に喧嘩して重傷を負わせる、派出所の机から拳銃を盗み出す、そんな類の悪い事ばかりで皆に恐れられていた。

 この街には銀天街というアーケードに覆われた商店街があって毎日賑わっていた。銀天街の中ほどにある山野楽器店でレコードを買って貰った。人気のタイ焼きの曲も収録されたオムニバス盤だ。毎日の給食時に生徒が持ち込んだレコードをかけてくれるコーナーがあって、俺はそれのために買って貰ったばかりのレコードを手に登校していた。

「それレコードやろ?」

うしろから声がして振り返ると大柄な二人組が目に飛び込んできた。石井ボンクラだ。俺は怖くて固まった。

「おいて、レコードやろがて」

石井ボンクラが目の前にいて、どう対応していいのか全く分からなかった。

「レコードやろて、兄ちゃんが言うとるやろがて」

町山口川の両岸も通学路になっていて、通りの一本向こうを流れ澱むあのドブ川と平行にある。あっちから行けばよかったと今更思っても遅く、町山口川の右岸途中で俺は立ち尽くしていた。突然、石井ボンクラの兄が左岸を通学していた何人かの生徒へ大声をあげた。

「今からこいつがレコードば投げるけん、誰かキャッチしなっせ」

そんな事をするなんて一言も言っていない。まして向こう側までは三十メートルくらい距離がある。持っていたレコードをひったくられ、ジャケットからレコードを出された。レコードがこんな姿になるのはターンテーブルに乗る時だけなのに、俺のレコードは通学路で裸にされてしまった。石井ボンクラはレコードを雑に扱い、そのまま俺に手渡した。石井ボンクラはニヤニヤしながら催促してきた。

「はよ投げえて、ほら、円盤のごつ投げえて」

俺は言われるままに従うしかなかった。フリスビーのように投げ放ったレコードは途中まで勢いがあったけど直ぐに失速して、川幅半分も行かないくらいで川中から頭を出していた岩へあたり、欠けて水の中へと沈んでしまった。

「あーあレコード勿体な」

そう笑いながら石井兄弟は何事もなかったかのように学校の方へ歩いて行った。俺は悔しさと悲しさと恥ずかしさと恐怖が入り混じって涙が出た。川下に祗園橋が見えた。


 あの人から買って貰ったレコードだった。


 それはⅮビートと呼ばれるもので、曲にピッタリ合っていた。さっきまでのKのドラムとは比べ物にならないくらいにタイトでヘヴィなリズムだ。〔デヴィル〕が初めて理想に近い形で演奏された。

 そいつの苗字はSといって、ちょっと前に捕まった連続殺人事件の犯人と同じだった。名はTで普通のそこいらに居る連中と変わらない見た目の奴で、なんでこんなパンクのライブに居たのか不思議だった。でもこいつだった。後日、俺はベースギターを買い、Kはドラムから解放された。モンゲモンゲはスリーピースのバンド編成となった。リハーサルを重ねる度に演奏力は高まっていき、次第に曲も増えて、ライブパフォーマンスも板についてきた。バンドは勢いを取り戻した。

 そのバンドとは久しぶりの対バンだった。前に対バンした時は、まだ二人でやっていた時で滅茶苦茶だった。そのライブの最後にKは客席のフロアへダイブして、そのまま床へ身体を打ちつけ動かなくなった。おそるおそる顔見知りの奴が二人近付いて身体をゆすると、ビクッと起き上がりヘラヘラ笑いながら同時に放尿していた。

「なんか前と随分変わったねえ」

ライブのあとに話しかけてきたのは、ヴォーカルの奴だった。背が高くて顔立ちも良い。短い金髪を立て、こざっぱりした服装は大凡バンドマンには見えない。ただ、こいつのバンドには固定客も付いていて割と人気がある。残念なのは音楽性に個性が無く、どこかで聞いたことのあるようなメロディーに、聞いているこっちが恥ずかしくなるような歌詞で、俺らとは正反対だ。そんなバンドの客たちは、俺たちを見に来るガラの悪い知り合いとは違い、ちょっと落ち着いているというか気取っているというか、ライブ中も腕を組んだまま突っ立っているような感じで、先のライブでKがダイブした時もサッと逃げて、それでKはそのまま床へ落下する羽目となった。

「凄く良かったよ」

そう言われて、最初はちょっと嬉しかったけどあとでモヤモヤしてきた。Tがバンドへ入ってから演奏力は格段に上がった。二人でやっていた頃の曲も見違えるほどだ。最初のうちKはTの事をあまり良く思ってなかったけど、今では二人だけで飲みに行く事もある。

「なぁんか、違うんだよな」

リハーサルスタジオを出た帰り道で、俺は二人にそう切り出した。

「どういう事?」

Tが振り返った。Kが俺を見ている。すぐ先には小さな公園が見える。

「ちょっといい?」

俺は公園を指さして二人を誘った。

 砂場の脇に腰を下ろして雑談している二人に近付き、道の向こうの自販機で買ったビールを渡した。

「おっ、サンキュー」Kは直ぐにプシュッとやって喉を鳴らしたあと「クーっ」っと顔をしかめた。Tもそれに続いた。

「で、なに?」

Tが聞いてきた。Kも一旦口からビールを離した。ああ言ったものの俺は全く考えが纏まって無かった。

「なんか感じない?」

俺の問いに二人は顔を見合わせた。俺は続けた。

「Tが入ってから、なんつーか良くなったじゃん。こう、演奏力とか曲もさ。なんだけど最近なんだかスッキリしないというか、この前のライブの時もあの訳の分からないバンドのヴォーカルに、良かったよなんて言われて」

「良かったって言われたんなら良かったじゃんか」

Kが口を尖らせながら言った。Kも俺もすっかりこっちの言葉になっている。Tは黙ったままだ。

「そうなんだけど何かが無くなったような、それが何かは分からないんだけど、そこんとこどう思ってるかなって」

俺は上手くは言えなかったけど、なんとなく要点は話せたかなと思った。黙っていたTが残りのビールを飲み干して立ち上がった。

「じゃ、俺が抜ければ良いってことか。わかった。辞めるわ」

「ちょい待てって、そやん事やないとよ」

俺は焦ったり、なんか咄嗟の事が起こると不意に熊本弁が顔を出す。Kも慌てて、事態を落ち着かせようとしていた。

「こん話は、またっちゅう事で、なぁ、なぁ、今日はもう帰らんね」

Kが言い終わらないうちに、Tはもう駅へと歩き出していた。俺は要らん事を言ってしまったと、ここで初めて気付いた。このまま駅に向かうとTと会ってしまい気まずくなると思い、俺たちは暫く公園に居座る事にした。

「どがん話かと思えば、お前は、もう。ほれもう一本ビール」

Kに催促され、言われるままにビールを自販機で買い、Kに手渡した。

「で、実際はどう思っとるとや?」Kに聞いてみた。

「あんまり考えたことなかったわ。ドラムが入って、お前がベースになって、こん中では俺が一番初心者っつーか、やけんギターば頑張らんといけんち思っとって、他の事には頭が回らんかった」

「そっか、そうよな、なんかTに悪いこと言うてしもたな」

「いくら何でもそがん直ぐは辞めんやろ。次のリハん時に謝れば良いったい」


 何となく、あの人の声が聞きたくなった。


 銀天街の中程にはお菓子屋があって、店先にはチョコレートやキャンディー、袋菓子、ガムから和菓子やケーキまでが並んでいた。四角いガラス張りの冷蔵ケースの中には飲み物もあって牛乳、コーヒー牛乳、コーラ、オレンジジュースなんかが入っている。この店はちょっと変わっていて表向きはお菓子屋なのだけど、店の中を奥に進むと何故か食堂が現れる。食堂と言ってもラーメンや丼ものを提供する軽めの食堂で、そんなに客は居ない。その店に小学生達が屯していた。

 食堂へ入ると、向かって右側の壁際に六台のゲーム機が設置されている。定番のピンボールともぐら叩き以外の四台はコインゲームだ。

 パチンコ台のようなものに、これまたパチンコを弾くレバーみたいなのが両サイドに三本づつ付いていて、上部のコイン投入口へ十円玉を入れるとゲームを始める事ができる。上の端から絶妙な力加減で十円玉を弾いていく。六本あるレーンを下へ下へと誘う。弾く力が強すぎたり弱すぎたりすると、各レーンに設けられている穴に落下してしまう。十円玉が穴へ落ちるとそこでゲームオーバーとなる。運良く最後のレーンに辿り着いても油断は出来ない。最後のレーンの先には穴が三個開いていて、ゴールである当たりの穴は真ん中のひとつだけ。弾く力が強いと奥の穴へ、弱いと手前の穴へと十円玉は落ちてしまう。こんなリスクを負ってまでこのゲームに挑む理由は、この店による独特のルールがあるからだ。奇跡的に真ん中の当たりの穴へ十円玉を入れる事が出来たなら、ガコンという音と共にゲーム機の下の方にある取り出し口から白いプラスチック製の札が出てくる。その札に記載されている数字の枚数分のコインがお店から貰える。この店の恐ろしいところは、コイン一枚が十円として使えるという事で、上手くいけば十円が百円に化ける事もある。そんな賭博性に小学生達は馬鹿になっていた。

 俺も少ない小遣いを握りしめて毎日のように通っていた。上から下へ十円玉を運ぶ新幹線ゲーム、下から上に弾いていく登山を模したゲームがあったけど、その勝率の悪さに嫌気がさしてきていた。そんな時期だった。食堂で食事を済ませた中年のおじさんが新幹線ゲームの隣にあるゲーム機の前に立ち、ポケットから十円玉を取り出しルーレット式のゲーム機へ投入した。

 最初、何が起こったのかわからなかった。ルーレット上を光が進んでいて、そのうちに止まったみたいだった。。俺は新幹線ゲームの最後から二つ目のレーンに集中していた。突然、隣のルーレットのゲーム機からガコンガコンガコンガコンという連続した音が聞こえてきて、レバーを弾く寸前だった俺は手元が狂って、十円玉は手前の穴へ落ちてしまった。ようやくガコンガコンが止まって、俺はそのおじさんを見た。

 ルーレットには数字が書かれていて、光は三十のところにあった。おじさんは俺に気付いてとんでもないことを言った。

「これやるぞ」

「へ?」

「仕事に戻らんといけん。そんならな」

そう言って食堂を出ていくおじさんの背中を見ることしか出来なかった。ルーレットのゲーム機を振り返ると、コイン取り出し口にコインが溢れていた。俺は突然、億万長者になった。やった、やった、なんやあのおじさん?神様やなかろうか?

 学校での時間や、子ども会なんかの中では何もできないウスラトンカチな俺は、おとなしく引っ込み思案で覇気がない印象を醸し出している。学校から帰宅して、制服を私服へと着替えると、俺は俺になる。そのまま家を飛び出して銀天街を目指す。途中、ちょっと面白いことを思いついて、おもちゃのかわうちへ寄る。お小遣いが減ってしまうのは惜しいけど、俺にはあの店に預けてある大金がある。かわうちで一袋十円のかんしゃく玉を三袋買う。おもちゃのかわうちの前の通りは交通量が多い。銀天街へ向かいしな信号待ちをしている時に、それを思いついた。かんしゃく玉は一袋に六個入っていて、アスファルトやコンクリートへ思い切り投げつけると、パンっ!という結構大きな音がして弾ける。かわうちを出ると歩道にある立て看板の元にしゃがみ込む。それからかんしゃく玉を袋から全て取り出して前の道路へ投げた。信号は赤で、車は停車している時だった。十八個のかんしゃく玉は、向かいの車線へ転がるのもあれば近くに留まるものもあって、バラバラになったけどある程度いい具合に散った。信号が青へと変わり車が動き出す。最初にかんしゃく玉を踏んだのは向こうの車線を走り始めた白のセダンだった。パパパンという音に運転手は車を停め窓を開けてタイヤを見ている。続けざまに数箇所からかんしゃく玉の破裂音が聞こえる。俺は慌ててブレーキを踏んだり、窓を開けたりする運転手達の事が面白くて仕方がなかった。暫くすると、かんしゃく玉は鳴らなくなったけど、俺は立て看板の脇でケタケタと笑っていた。かわうちのおじさんが店の中から出てきて俺を睨んだ。俺は走って銀天街へと逃げ込んだ。

 店に着くと直ぐに引換券をおばちゃんに渡し、コインがザクザクと入った袋を受け取る。さっきかんしゃく玉を買ったから二十円に減ってしまったお小遣いも気にならないくらいの重量感だ。今までルーレットのゲーム機を避けていたのは、それが何となく大人のもののような気がしてたからだけど、昨日少しだけやってみたら簡単だった。今まで苦労して新幹線ゲームなんかでコインを弾いていたのが馬鹿馬鹿しく思えた。

 ルーレットには数字が並んでいて、ニ、四、六、十、と三十で、一番多く記載されているのはニ、最も少ないのは三十で、三十は何と一箇所だけしか存在しなかった。十円で一回どこへ賭けてもいい。賭けた数字と同じ数字上にルーレットを走る光が止まれば、その数字分のコインが出てくる。このゲーム機の特徴は同じ数字に五倍まで賭けられるという事で、確実にニで止まると思えば五十円を投じて倍率を五倍に、取り分を百円にすることができる。

 また二だった。さっきから二にしか止まらない。三十枚あったコインは確実に減っていった。負け分を取り返そうと六や十に張ってもニに止まってしまう。そんならと、ニの倍率を五倍にした。当然コインも五枚使った。するとルーレットの野郎は見透かしたように十で止まった。いったいどうなっとるん?昨日のあのおじさんは、あの神様は十円を三十に張って当たってしまったって事やよな?そうこうしているうちにコインは全てルーレットゲーム機の中へと吸い込まれていった。こんな事ならコインでお菓子の一つでも買っておけば良かった。結局、お小遣いの残り二十円もルーレットにやられてしまって、仕方なく家路についた。

 木原のおばちゃんちを過ぎてブロック塀が終わり、そこを曲がると家だったけど、なんか変な感じがした。家の前にはもう車が停まっている。まだ夕方五時前だ。車を見た時からお腹がキリキリと痛みだした。

「ただいま」

家へ上がると、母ちゃんは夕飯の準備に取り掛かっていた。弟が嬉しそうに近付いてきて何やら言い始めた。

「父ちゃん、今日はもう帰って来らした。今、風呂に入っとらす。兄ちゃん今日何か要らん事ばしたやろ?」

手を洗いに台所へ行くと、母ちゃんが怒っていた。

「あがんこつばしてから、父ちゃんに言うたけんね」

俺には何のことだかさっぱり分からなかった。

「買い物に行く時にかわうちの前におじさんが出とりやったけん挨拶ばしたら、あがん事ばしてからぁ、あんたはもう」

俺は、かんしゃく玉の事をすっかり忘れてた。弟が後ろで笑っている。風呂場の戸が開く音がして、あの人の声が聞こえた。

「おーい、上がったぞ。お前たちも入らんか」

恐る恐る風呂場へ向かった。脱衣場でステテコ姿のあの人と目が合い「ただいま」そう小さく言って服を脱ぎ始めると、あの人から話しかけられた。

「お前、今日、面白かこつばしたてな。まぁ良か、早よ風呂入り」

弟は当てが外れたような感じで風呂場の中に入ってきた。

「父ちゃん、怒っとらっさんね、なんでやろ?兄ちゃん今日かわうちの前でかんしゃく玉ばまいたやろ?」


 そう言えば、ドブ川へ浸かった時も怒られなかった。


            つづく

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