統一原理とそれを信仰する人々
昨年の夏に起きた元首相の白昼堂々とした銃撃事件が記憶にまだ焼き付いている方は多いと思われるのだが、その後から旧統一教会、現世界平和統一家庭連合の話題が度々出てくるようになり現在でも関係している政治家、芸能人などが疑惑の目にさらされている
今回話題に出したことからわかると思うのだが私が住んでいる街にも存在するのだ。何なら私は事件のちょっと前から、かの宗教のセミナーに足を運んでいた身である。さらにいうならいたではなく現在も足を運んでいる
ここで勘違いしないでいてほしいのだが私は別に信者というわけではないし、そもそもキリスト教信者というわけでもなく、神道を信仰している。信仰していると聞くと宗教臭がして嫌だという方は日本人にありがちな普段祈ってもないくせに初詣とかのイベントの時にだけ神様に頼みごとをするような人を想像すればよいと思う。日本人、無宗教気取る癖に他の文化圏を侵略しすぎだと思う
話を戻すと、ことの発端は昨年の春休みに入った時のことだった
私は家で休みを噛みしめながら大学生活時に見ることが出来ていなかった録画を一気見していたのだが、宗教との接点のスタンダード、訪問によるセミナー勧誘を受けた
普通の人なら話も聞かずに断る、優しい人なら概要程度は聞いて興味がない等の断りを入れてお帰りいただくのではないだろうかと思う。しかしその時の自分は何を思ったのか「暇なので大丈夫です」等と了承してしまったのである。そろそろ通い続けて1年ほど経過するが私も、そして彼らが信仰している統一原理を私に教えてくれる方も毎回のように何故通うのだろうかと話題に上がるほどの不思議である
そろそろ本題に入るとしよう。統一原理とは教祖である文鮮明を救世主とする韓国発祥のキリスト系宗教である旧統一教会が掲げる教本及びその内容である
この世界は唯一神による創造物であり、本来は平和な世が築かれているはずだったのだが、人類を手助けする存在であったはずの3大天使長の一人「ルシファー」またの名を「サタン」による裏切り、アダムとイブの堕落を皮切りにして現在に至るまで救世主とサタンとの戦いは続いている。アダム・イブ~キリストまでの話は聖書を調べてもらうとして何故文鮮明は救世主とあがめられるのかというところから話していきたいと思う
先ず前提として理解していただきたいのだがこの世界では何年か周期で同様の内容が繰り返されているとのことである。アダム・イブの堕落からカイン・アベルの抗争、ノアの箱舟、アブラハム・イサク・ヤコブの3代によるサタンからの勝利を得るまでがアニメで言う1クールなのだとしたら2クール目も登場人物こそ違えど似たような軌跡を辿っている
2クール目の最終話がキリストによる世界の救済であったのだが、ここではサタンから完全な勝利を得ることが出来なかったのだ。で、ここからがより宗教色が強くなってくるのだが人には霊体と肉体の二つの要素で構成されているのだそうで、キリストは完全には勝利しておらず肉体はサタンの所有のままなのだが、霊的には救いをもたらすことが出来たのだという。ここまでは何処でも基本的に解釈が一致しており、だからこそ今後救世主が生まれるということを信じ、その救世主を待つというのがキリスト教の基本理念である
で、先程も言った様な2クール目までは同じような歴史を繰り返しているわけであり、キリストが十字架にかけられてしまった以上3クール目があることは確定的である。ではキリストの十字架後からが3クール目のスタートとして、次のキリスト、救世主が生まれるのはいつごろかというと大体1900年代だということである。
次に救世主が生まれ出るところがどこかと言えば歴史的に迫害を受けていた地域であるとしている
そしてキリストが当時元々の当時の宗教家たちに弾圧されていたことから新たな救世主が生まれた時も何かしらの弾圧を受け、世間に簡単に受け入れられないこともあるだろうとしている
これに当てはまるのが1920年に生誕し、歴史的に世界大戦時日本によって植民地化されていた北朝鮮・韓国で暮らし、統一教会発足時から度々政府から妨害を受けた文鮮明だということである
正直この辺りに関しては私もうろ覚えなところであるのでご容赦いただきたい。極論いえば、世界平和統一家庭連合が文鮮明を救世主としてあがめる要因の一つとして上記のことがあるのだなと覚えておけばよい
では救世主が少なくとも旧統一教会内ではかの人だということに一度納得してもらったところで教義の内容に入ろうかと思う
そもそもこの世界が唯一神の作成物であるならば、唯一神に間違いなどないのであるから、私たち人間は完璧であり、平和に生き続けられるはずである。しかし事実として我々は様々な理由からいがみ合い、憎み、争っている。それはアダムとイブの堕落でもあるように外部の要因による故障であると考えられる
では故障の原因とは何処にあるのであろうか。まず世界の争いは国家間の戦争であり、戦争の原因は国家にある。国家に原因があるということはそれは政治家たちに原因があるのだから、つまりはその政治家を選んだ国民に原因があり、では国民における故障の原因とはつまりは家族間の不和にあるのではないかということになる。私としては個人の部分にも問題はあるのではと考えたのだが人は人とのつながりが社会性を作っており、この社会の最小単位が家族だそうだ。そして家族という単位で世間を見渡してみればDV、ネグレクト、果ては親ガチャに至るまで家族同士の不和は溢れている。またそもそも家族を作ろうともしない独身貴族のような人々も増えてきている
従って彼らはそんな人々の故障を正すため、地道な布教活動や或いは合同結婚式のように家族を増やしていくことを目指している
現在元信者や2世信者による告発によって様々な不正、闇が暴かれつつあるところではあるものの、私があっている人々は非常に話しやすいし、下手な人よりは友好的な雰囲気であるように感じる
やはり、トップと末端の関係が薄いように、不正を行っている人々と地方で自身の信仰を布教している人とでは意識の違いが出るのか
まぁ、そうはいっても私の個人の感想の域は出ないので、くれぐれも怪しげな宗教には嵌らないことをお勧めする