【敗北】内乱予備の罪
大学生の岡田怜於と本田光は,内乱予備罪で逮捕された。政府を批判するビラを学校前で配ったためである。
当時,政府批判は重大な罪であった。ビラを配る程度なら数年の懲役で済むが,デモに至ったら死刑もあり得たのだ。
彼らは警察署に連行され,拷問室に入れられた。
殴られ,蹴られ,暴言を吐かれ電気ショックをかけられ,しまいにはバーナで皮膚をあぶられた。そして,彼らは眠ることも許されずに翌朝を迎えた。
ようやく一般職員が登庁する時間になると,彼らは審問官から取り調べを受けることになった。
「こんなのってないよ」
岡田怜於は開口一番に言った。
「仕方がない。今回は非を認めろ」
審問官が冷たく返した。「今回は」といったのは,岡田怜於が以前にも政府批判のかどで逮捕されたことがあるからである。高校生のとき,同級生に首相の悪口を言ったのだ。そのときは殴られるだけで済んだ。
「俺は自分の誠実っぷりを主張する」
「そうだ,我々は正しい。正義に対してなんて仕打ちだ。あいつよりカラスの方が賢い」
岡田怜於は,懲りずに首相を非難した。
「じゃあお前はニワトリ以下だな」
審問官があざ笑うように言う。岡田怜於は悔しそうに歯ぎしりをし,絶対に革命してやる,とつぶやいた。
「八つ当たりは見苦しいぞ。お前がいちばんへこんでいるのは分かっている」
本田光が岡田怜於をいさめた。本当のことをいえば,彼も岡田怜於と同じ思いだった。しかしながら,これ以上岡田怜於が反抗をつづけると,ひどい拷問を受けかねないと考えたのだ。
「負けを認めない方が愚かだ」
岡田怜於が反駁した。
「おいおい,ここで貶し合ってどうする。無益な争いこそが愚の骨頂だ」
審問官が二人分の玉子丼を置いた。かつては取り調べのときにカツ丼を出す習わしがあったが,内覧予備罪の逮捕者が続出してカツが品切れになり,玉子丼を出すことになったのだ。
本田光が言った。
「ああ,玉子丼だけは俺を裏切らない。」
そして玉子丼を見て,
「信じられるのは神の使いである君だけだ」
と言った。
「大袈裟な」
「では玉子丼が不味かったことがあるか」「たった今がそうだ。こんな気持ちで食べて美味しいものか。お前は浅薄なんだ」岡田怜於はいらだったようすで言った。
「仲間になんて物言いだ。俺が泣いちゃうぞ」
「お前の涙に何の価値がある」
「そういうお前が泣いているではないか」
本田光の指摘を受けて,岡田怜於は自分が涙を流していたことに気づいた。政府批判が許されないことへの悔しさ,拷問への恐怖と怒りが涙となって彼の目からあふれた。
「泣いてなどいない」岡田怜於は言った。自分が悲しくて泣いていると思われるのが,恥ずかしかったからである。
「玉子丼が塩辛くなるぞ」本田光が冗談半分で言った。
「それくらいがちょうど良いんだ」
「存分に泣くがいい。お前の涙は美しい」
「お前こそ目を擦るな。明日まぶたが腫れるぞ」
二人は玉子丼を口に運んだ。
本田光が言った。
「玉子丼が美味い」
岡田怜於が言った。
「玉子丼が美味い」