天変地異
「副長」
斎藤に、うしろからささやかれる。
相貌を、わずかに傾けるってだけでも大仰だ。
情けねぇが、体躯がつかれきっちまってる。
これが一人だったら、とっくの昔にへばってた。
「なにものかが・・・」
夜目がきく上に、気配にさとい斎藤の指が、前方の木々の間をさす。
なけなしの集中力をよせあつめ、双眸を細めて指さすほうをみる。
たしかに、なにかが動いてる。
人間の気配か。
反射的に掌をあげ、うしろの連中に合図を送る。
うしろで、全員が気配をたつのが感じられる。
同時に、姿勢を低くする。
もっとも、ここはひらけてる。あっちからはこちらがまるみえだ。姿勢を低くしようが寝っころがろうが、身を隠しようもない。
案の定、気がつきやがった。途端に駆けだす。
「任せろ」
指図するまでもねぇ。
身の軽い新八が、うしろから飛びだし追う。それに、左之がつづく。
信頼する二人だ。任せときゃ間違いねぇ。
ゆっくり、あとを追おうとする。
が、さすがはあいつらだ。
「土方さん、捕えたぞ」、という新八の声がきこえてきた。
声のしたほうへとあゆむ。
「おかしいな・・・」
山崎が横で頸をひねってる。
「どうした、山崎?」
「いえ、ここにかような門はなかった・・・」
そこまでつぶやくと、口唇をとじて考えこむ。
ちいさいが頑丈なつくりの門をくぐったところで、長身の左之がこっちを向き、手招きしているのがみえた。
ながい廊下か?
柱のところどころに、松明がくくりつけられている。
山崎がまたなにかいいかけたが、それよりも左之ほうが気になった。
ゆえに、肩をぽんと叩いてうながし、駆けだす。
山崎もついてくる。
「どうした?」
ちかづくと、新八と左之が振り返る。
その表情に、めずらしく困惑が浮かんでる。
その理由は、すぐにわかった。
二人が捕えたのは、野郎と女子である。
いや、野郎はどうでもいい。
新八と左之同様困惑したのは、女子のことである。
野郎は、旗本だであろう。
ずいぶんと仕立てのいい着物に、袴姿である。きっちりと髷を結っている。
おれほどじゃねぇが、相貌もまあまあである。
腰には大小が。だが、慣れていないのか、違和感がある。
そして、女子であろう。
美人だ。すっきりした顔立ち。地元でも京でも、これほどの顔立ちはそうそうお目にかかれねぇ。
髷を潰し島田に結い、着物はさしていいものじゃねぇが、おれごのみの地味な色合い。
あわせからみえる肌は、色がよく、つやつやしている。
腰まわりは、ほっそりしてる。
なにもかも、このみじゃねぇか。
「まぁ歳さんっ、歳さんじゃないの?」
周囲で、みなが息を呑む。
またかって表情で、おれをみてやがる。
正直、おれはもてる。ゆえに、そこかしかにおれをしってる女子はいる。もっとも、おれは、いちいちおぼえちゃいねぇが。
一夜かぎりの逢瀬。その場かぎりの、お愉しみってやつ。
誤解のないようにいっておくが、それはまだ日野にいた時分の話だ。
京でも、もてることにかわりはねぇが、遊びは島原か祇園だけにしてる。
後腐れねぇ。なにより、いまは、逢瀬を愉しむような時間はねぇ。
「まさか、わたしのことわすれたっていうんじゃないでしょうね?」
ぽんぽんと飛ばしてくる、言の葉。
それは、まぎれもなく東の言の葉。
「おおっ、お芳さんか?まさか、お芳さん?」
やっと思いだす。
右の口許にあるほくろが、やけに艶っぽいってことまで。
「やっと思いだしたようね、歳さん。だったら、この人たちをどうにかしてちょうだいよ」
お芳は、掌をひらひらさせてる。
その掌のさきに、新八と左之がいる。
無論、、二人はおれをみてる。
(またかよ、土方さん?つぎは、いったいどこのだれだ?)
二人の心中の声が、きこえてくる。
「それでお芳さん、なんであんたがこんなところに?そいつは?そいつはだれだ?」
おれの女子癖の悪さはひとまずおいとくとして、お芳の傍でこっちを睨みつけてる野郎を指さす。
「この人は・・・」
「幕臣だ」
お芳が口唇をひらくよりもはやく、野郎がいう。
視線を、はずそうとしねぇ。
おれの視線は、たいていの漢を震え上がらせる。そして、女子はしびれさせる。
その視線をうけても、平気でいやがるこいつは・・・。
「名は?かような刻限に、かようなところでなにをして・・・」
そのとき、揺れた。
脚の底から突き上げるような、おおきな揺れ。
それが一度、二度・・・。
「うわっ」
「ぎゃっ」
悲鳴があがる。
地震か・・・。
が、それだけだ。おさまたってのか・・・。
地震にしては、妙な揺れだ。
揺れというよりかは、ここだけもちあがってどっかにどん、と置かれたような感じだ。
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