ステゴロは得意分野です 3
視界には、丸く切り取られた青い空。
ラキ・ミズールは、訓練場の地面に仰向けに寝転がっていた。そのドーム状の天井から覗く青が、心を満たしていくような、そんな気分だ。
――――いい戦いだった。
これほどまでに、心躍る瞬間を味わわせてくれる同年代が居るとは。この学院を選んで本当に良かった。
「やっぱ、世界は広いな……!」
それは彼女の本音だった。狭く、閉じたコミュニティでただひたすらに、戦いの術を磨き続けた少女の、初めて感じた感情であった。
眩しく輝く太陽を遮る影に、ラキは笑みを漏らす。
「立てる?」
かがみ込んで、こちらに手を伸ばすルームメイト。ラキは頷いて、その手を取った。そして立ち上がると、自分の視線よりも低い位置にある銀髪を撫でる。
「こんなにちっさいのに、スゲーな」
「ちっさいは余計」
そんな言葉を発しながら唇を尖らせるリタに、ラキは思わず吹き出す。本当に、先ほどまで戦っていた人間と同一人物とは思えない。
「言われ飽きてるだろうけどよ、お前滅茶苦茶強いな」
「ふふん」
そう言って、目の前の少女は無い胸を張っている。汚れ一つ無い服に、汗一つ掻いていない肌。ラキは最早嫉妬すら覚えなかった。
だが、それは決して後ろ向きな感情では無い。ただ、相手を認め、自らが進むための儀式である。
ラキが右手を差し出すと、リタは満面の笑みで握り返した。
「ありがとな、リタ」
「うん、ラキもね」
観客席で資料と向き合っていたセシルは、大きな影が紙束に落ちたのに気付いて顔を上げた。そこには、大剣を担いだ、剣術専門の指導教員、ロンバスが立っていた。
「あら? ロンバス先生、どうされました?」
「すまない、あそこの二人の資料はあるか?」
「リタ・アステライトと、ラキ・ミズールですね? はい、こちらです」
セシルは、隣に置いていた紙束から該当の生徒の資料をロンバスに手渡した。ロンバスは、適当な客席に座り込むと資料に目を落とす。無造作に伸ばされた黒髪の奥にある表情は読めない。だが、無精髭をさすりながら小さく唸っているようにセシルは感じた。
「あの……? 二人が何か?」
ロンバスは基本的に人とあまり積極的に関わる人間ではない。そしてうら若き女性からすれば、顔も怖い。セシルは恐る恐る声を掛けた。
「いや……先ほどの二人の模擬戦、先生は見ていたか?」
ロンバスは、どこか歯切れの悪い口ぶりでそう返した。
「すいません、見ていませんでした」
だが、セシルは次の授業の資料を纏めるのに必死で全く見ていなかった。正直にそう返す。
「そうか。少し、興味が湧いただけだ。深い意味は無い」
そんなセシルの返答に、特に興味も無いとばかりにロンバスは言う。
「そうですか」
セシルもまた、基本的に仲のいい教員などはいない。相手がロンバスのような大男であれば尚更だ。微妙な沈黙が流れる。
だが、あの二人は何かと目立つ生徒であるのは事実。仮クラスとはいえ、自らが受け持ったクラスの生徒達だ。見ていなかったのも悪いが、気にならない訳ではない。
そんなセシルの願いが通じたわけでは無いだろうが、ロンバスが口を開いた。
「あの銀髪が、魔人殺しの娘か」
「ええ。双子の妹さんが今年の首席ですね」
「黒髪の方は、恐らくあの傭兵団の関係者だろうな」
「恐らく、そうだと思われます。何故この学院に入学したのかは分かりませんが……」
そんな会話をしながら、訓練場の方に目を向けたセシル。話題の二人はにこやかに笑い合っている。
それはきっと年代相応の表情で、今の職を得るために青春の全てを投げ打ったセシルには、とても眩しいものであった。
午後の授業は、つつがなく終わった。
リタとしては、多少の消化不良はあるものの、色々な武術や武器を見ることが出来て、それなりに楽しい時間であった。一度も剣を振るうことは無かったが。
「使ってあげられなくてごめんね、ミストルティン……」
その日の夜、リタは自室の壁に美しい長剣を飾ると、その鞘を撫でながらそう呟く。
「お姉ちゃん? 剣は喋らないよ?」
隣では、姉が部屋を散らかしていないか、ルームメイトに迷惑を掛けていないか、経過観察に来たエリスが呆れた視線を投げかけている。
だが、ここは異世界。きっといつの日か、この剣が喋るようになる日が来るのかもしれない。
「そのうち喋るかもよ?」
「はいはい……で、何これ?」
エリスの視線は壁に出来た大きな窪みに向けられている。
「それはちょっと、どっかの腹ペコ脳筋が……ねえ、ラキ?」
リタはそのエリスの視線に耐え切れず、ルームメイトに視線を向けた。これは、ラキがリタが折角作った――この世界では高級な材料を使った――プリンを勝手に食べた際に、勢い余って彼女を放り投げてしまい出来た窪みだ。
「いやいや、オレも悪かったけどよ! それはお前があんな勢いでぶん投げたからだろ!? そこらの女子なら死んでるぞ!? つーか、お前に腹ペコ脳筋とか言われる筋合いは――――」
途端に騒ぎ始める姉とそのルームメイトの様子にエリスは溜息をつきつつも、この様子なら仲良くやれるだろうと胸を撫でおろす。
エリスは意味不明な言い争いの果てに、何故か取っ組み合いを始めた二人を尻目に、異常に散らかっている姉のベッドの周りの片付けを始めるのであった。
「――――ごめんね、ラキちゃん? お姉ちゃんって、ちょっとおかしい所があるから」
片付けを終え、何とか部屋の惨状を回復したエリスはラキに告げる。つい先ほど、もう一つ窪みが追加された部屋の壁に至っては、杭も打ち込まれていることだ。諦めるほか無いであろう。
「い、いや、それはいいんだけどよ……」
ラキは冷や汗を掻きながら、簀巻きにされ転がされているリタに視線を向ける。騒いで暴れまわった挙句、その頭でもう一つ壁に窪みを作ってしまった少女の成れの果てである。リタは涙目でラキに助けを求めているが、あいにくラキはそれに応えられる勇気は持てなかった。
「じゃ、ちょっとお姉ちゃん借りていくから。おやすみ、ラキちゃん?」
にこやかにそう告げたエリスは、リタを引き摺って扉の向こうに消えていった。
――――間もなく時刻は消灯時間を迎えようとしていた頃。
死んだ目のリタが、ふらつきながら戻ってきた。
「よく出来た妹だな?」
ラキは苦笑いでリタに告げる。
「ソウデスネ」
リタは虚ろな目でそう答えると、力なく自分のベッドに倒れ込んだ。
(聞きてえ……。何があったのか聞きてえ……)
昼間自分を完膚なきまでに叩きのめした少女の変わり果てた様子に、ラキは強い興味を抱く。だが、それが藪蛇にならないとも限らない。
きっとそのうち知ることになるだろうと諦めると、ラキは部屋の照明を落とし自分のベッドに横たわった。
暗闇に目が慣れても、昼間の興奮が残っているのか、ラキは中々寝付けなかった。それはどうやらリタも同じようで、しきりに寝返りを繰り返すルームメイトにラキは声を掛けた。
「なあ、リタ。どうやったら、あんなに強くなれるんだ?」
「分かんないけど、頑張ったらじゃない?」
その言葉には、どこか誤魔化すような雰囲気が混じっていたのをラキは感じ取っていた。
「適当だな。秘密ってか?」
「ま、そんなところ」
「じゃ、質問を変えるぜ? 何で、貴族の令嬢のお前が、あれ程の強さを求めた? 本気はあんなもんじゃ無いんだろ?」
「そうだね……何があろうと、絶対に果たすと誓った約束のためだよ」
顔は見えないが、静かに呟いたリタの言葉に灯る、覚悟の息吹は確かにラキにも感じられた。
「――――ありがとよ、勉強になったぜ」
ラキはそっと目を閉じる。
自分にも強くならなければならないという覚悟が、強い意志があると思っていた。
だが、隣のベッドに横たわる少女に比べれば、きっと遥かに足りて無かったのだ。だから、あんなに簡単に負かされたに違いない。
ラキはいつか、貴族令嬢がそれほどまでに苛烈な覚悟を抱いた理由を聞きたいと思った。
そのためには、自分ももっと強くならなければならない。
(明日から、放課後は特訓だな)
それぞれの覚悟を胸に、少女たちはやがて深い眠りに落ちていった。