学院生活の始まり 2
リタはようやく大きな講堂の前に立っていた。数か月ぶりに見てもやはり大きい。
それにしても学園の敷地は広すぎる。こんなに大きい講堂が隠れるほどの建物がいくつも建ち並んでいる光景は、何処か懐かしさを覚えずにはいられなかった。
地球のそれらに比べれば遥かに背が低いのは間違いない。それでも、クリシェに比べれば遥かに高い建造物たちがリタの胸を高鳴らせていたのは事実だった。
リタは横で荒い息を整えるラキとアレクを見やる。護衛のエドガーは重装備で疾走したにもかかわらず、余裕そうな顔をしている。流石と言うべきか、彼はかなりデキるとリタは踏んでいた。
「ア、アレク王子殿下!? いかがなさいましたか?」
肩で息をしているアレクを見て、驚いた顔の男性教師が走ってくる。
意外にも空気を読んだアレクは、適当な言い訳で教師の質問を流した。そのまま、教師に連れられて、講堂に入っていく四人。式は既に始まっていたが、アレクのおかげで、お咎め無しだったのは素直にラッキーとリタはほくそ笑んでいた。
勿論、新入生用の席はほぼ埋まっている。後方の空いている席に着くラキとリタ。アレクはどうやら別の席が用意されているようだ。リタは周囲の訝し気な視線を苦笑いで躱し、暫くの間、退屈な偉い人の挨拶を聞き流していた。
そうして、エリスが登壇する時間がやってきた。彼女がステージに上がった途端、いくつもの息を飲む気配が周囲から伝わる。それほどまでに、ステージの照明に照らされるエリスは、輝いているようにリタは思った。
(エリスの絶対領域も完璧なバランス! 私の計算通り!!)
エリスはゆっくりと歩みを進める。なびく銀の髪は、昨日入念に手入れしたこともあって、艶やかに光の線を描く。一礼をして、ステージの中央にある演台に置かれた拡声の魔道具に、エリスの声が吹き込まれる。その瞬間に、講堂にはまるで爽やかな朝の空気が広がったかのようにリタは感じた。
時間で言えば、数分程度だっただろう。エリスの代表挨拶は、つつがなく終わった。エリスなら大丈夫だろうと信頼していたが、気付けば手に汗を握ってしまうのは、姉心というものだ。その声に若干の緊張を滲ませつつも、流暢に小難しい言葉で話すエリスの姿にリタは深い感慨を覚えていた。
(まぁ、前世含めると七百年以上生きてる私より、エリスの方がしっかりしてるのはちょっと複雑なんだけど……)
挨拶を終えてステージを降りるエリスが、こちらを見たのを確認してリタはウインクで返す。
周囲を見渡せば、多くの男子生徒が熱い眼差しをエリスに向けて、感嘆の溜息を漏らしていた。リタは少しだけ誇らしくなる。
だが、無謀にもエリスに手を出した男は父に約束した通り、八つ裂きにしなければならない。せめて、私くらい強くて、エリスが心から信頼できる、前世の私のような男で無ければならない――――いや、ダメだ。自分で言うのもアレだが、前世の私みたいな男がエリスの隣に居たら気が狂いそうだ。
ラキは、隣で何かを呟きながら頭を抱えている銀髪の少女の奇行から目を逸らし、深いため息をつく。そんなルームメイトの様子に、リタは全く気付かずに、とにかく今夜は沢山褒めてあげようと誓うのであった。
次の登壇者はロゼッタ・ウォルト・メルカヴァルであった。彼女の纏う空気に、講堂が静まり返る。信じていない訳では無かったが、本当に学院長だったんだなとリタは思わず頬が引き攣る。
相変わらず、胸元の空いた丈の長いドレスのようなものを着ている。青少年の教育に悪いだろうとリタが周囲を見渡せば、案の定鼻息を荒くした少年達の表情が目に入った。
確かに、何故だか視線が吸い寄せられるような独特の雰囲気であることには違いない。前世とはまた違う感覚で、ロゼッタの胸元を凝視しながらリタは彼女が口を開くのを待つ。
「――――諸君、まずは入学おめでとうと言っておこう。とはいえ、知っているものも多いだろうが全員が学院に残れるわけでは無い」
尊大な態度で、初っ端からギリギリで合格した少年少女の心を全力で折りに行くロゼッタに、リタはいっそ清々しさを覚えるしかなかった。淡々と、だが強い言葉で、ロゼッタは新入生にその覚悟を問うように、話を続けていく。
涙の月、六の日。今日から数えて約二か月後。学院では恒例行事でもある、新入生の武闘大会が行われる。これは、新入生をふるいにかけるために開催されるものだ。以前までは大会の戦績だけで退学者を決めていたらしいが、現在は研究職を目指す生徒もそれなりに多いとあって、全てが大会の戦績だけで決まるわけでは無い。
ただ一つ言えるのは、二か月後にはここに居る新入生のうち、二十パーセントはこの学院を去るということだ。
とはいえ、貴族令嬢にあるまじき考えではあるのだが、暴力で物事を解決するのはリタの数少ない特技のひとつだ。思わず口元が吊り上がる。その様子を隣で見ていたラキもまた、静かに拳を握りしめていた。
「――――それから、もうひとつ。今年の新入生は中々面白い人間が揃ったようだ。……我も久々に、教壇に立とうかと考えている」
ロゼッタの言葉に、講堂にざわめきが広がる。生きる伝説、“始源の魔女”から直接教えを受ける、その言葉の意味が分からない者は、この場には一人を除いて居なかったからだ。
最早、騒然としている少年少女たちの様子に、少しだけ満足そうな顔で頷いたロゼッタは続ける。一瞬、リタの方に視線を向けた気がするのは気のせいだろうか。
「そうだ。実に百四十年ぶりか……。かの英雄ミグルが在籍していた時以来となる、特戦クラスを開設することにした。詳細は別途発表するが、武闘大会以降に対象生徒を発表する。――――所属を希望する者は、その実力を示せ」
彼女は一度言葉を切ると、手を挙げて講堂が静寂を取り戻すのを待つ。
「今、この時点を以って、貴様らの入学を認める。在学中は、身分や年齢は勿論、出身、性別、宗教も関係ない。ただ、貴様らの望む未来を掴み取るためだけに、全力を捧げよ。――――以上だ」
講堂に熱気に満ちた拍手の音が響き渡る。リタはただ静かに、エリスやキリカと同じクラスになる簡単な方法が見つかったと、安堵の息を漏らすのであった。
その後も講堂では、武闘大会の終了までは仮のクラス分けとなることや、授業の選択や進級条件となる単位数などについて長々と説明が続いている。後でエリスに聞けばいいやと開き直ったリタは、ラキの肩に頭を持たれて寝息を立てていた。
そしてラキが、リタの様子に自分も寝ようかなと思っていた頃。
金髪赤眼の少女が、少し前方の座席から振り返ってこちらを見ていることに気付いた。あの容姿は間違いない。また有名人に目を付けられたかのか、と一瞬心配になるが、よく見れば隣のリタを見ているようで安堵する。だが、王子に続き、かの剣姫とも知り合いなのか? 何者だ? と、ラキはルームメイトの正体に疑問を覚えずにはいられない。
とりあえず、考えても仕方無いな、と開き直った彼女は欠伸を隠しもせずその瞳を閉じた。
キリカは、とっくに頭に入っている話を繰り返す教師に呆れかえっていた。周囲は相変わらず自分に媚びを売ろうとする少女たちに囲まれており、息苦しさを覚える。
(その話、さっきもしてたじゃない……あ、そういえば、リタは間に合ったのかしら?)
キリカは、式の開始前に親友の姿を講堂で探していたが、どこにも姿が無かった。まさか、初日から遅刻したのだろうかと不安になる。
この教師の話は聞く価値も無いなと、キリカは諦めて振り返る。そこで見つけた入学式から眠りこけるリタの様子に安堵を覚えた。どうやら、間に合ったかは知らないが、ちゃんと講堂に来ているようだ。エリスの視線を辿れば、きっとリタの居場所は分かるだろうと踏んでいたが、予想通りだ。
リタのひとつ前に座る男子生徒が、キリカの眼差しを自分が受け止めていると勘違いして、顔を赤くしているようだが、キリカの眼中にはない。
隣に座っている子は、友人だろうか。黒髪の少女の肩に頭を預けるリタの様子に、よく分からないモヤモヤとした感情を感じた気がして、キリカは視線を戻した。
式が終わると、新入生たちは教師たちの指示に従い講堂を退出していく。講堂のロビーに張り出されたクラス分けを見て、リタは項垂れていた。妹とも親友とも別のクラスだったからだ。
幸運だったのは、ラキと同じクラスだったことだろうか。知り合いが一人いるだけでも気持ちは違う。昨日知り合ったばかりなのだが、ルームメイトと同じクラスであれば、色々楽になるだろうと思う。
人混みの流れに身を任せるようにして、リタは校舎の一室、これから教室として学びを得る部屋に到着した。仮クラスは四十名強となる。それなりの大きさの部屋だ。
とはいえ、授業は選択科目も多いため、この教室で授業を受ける時間はそこまで多くは無い。リタは全部エリスと一緒にしようと思いながら、割り当てられた席に着く。机は新しくはないが、個人で使えるだけいいだろう。硬く座り心地の悪い椅子に、リタはクッション買いに行こうと誓うのであった。
周囲を見渡せば、教室の後方に、明らかに他とは違う豪奢な席が設けられている。リタは思わずため息をついた。案の定、その席には見知った顔が着席したからだ。
他の生徒たちの目があるからだろうか、アレクは尊大な態度で座ったままリタを手招きしている。流石に教室まではエドガーも同行していないようだ。
仕方ないな、とリタは立ち上がる。その様子に、周囲の注目が集まる。何せ、殆どの人間が関りを持つことなどない王族と、入学試験で先輩生徒を蹂躙した“狂犬”の会話だ。誰もが耳をそばだてるというものだ。
「リタ・アステライト。久しいな――――息災であったか?」
「何言ってんの? さっき会ったじゃん」
リタの発言に、教室の空気が凍り付く。
「き、貴様、余に向かってその態度――――」
「アレクさぁ? 学院長の話聞いてた? 身分とか関係ないって言ってたじゃん?」
リタの自信あふれる微笑みに、アレクはそう言えばこの少女はそういう奴だったと思い出す。
「お、おい、ちょっと――!」
アレクはリタの耳に口元を近づけると、手で口の動きを隠しながら小声で続ける。
「い、いや、俺も、聞いてたけども。言っとくけどな、あの言葉を額面通りに受け取ってるのはお前だけだぞ!?」
「え!? 嘘!?」
「周り見ろ! 周り!!」
周囲から突き刺さる、畏怖や拒絶の視線に、リタは笑顔を向けると瞬時に跪く。そしてそのまま、何事も無かったかのように続けた。
「ご無沙汰しております、殿下。――――殿下もご息災のようで何よりでございます。王子殿下のご高名は、我が故郷にも轟いております。国王陛下のご慈悲もあり、クリシェの街も徐々に発展しており――――」
「え? 無かったことにする感じ? 無理でしょ? 頭大丈夫!?」