波乱の入学試験 2
王都の遥か上空には、白い吐息を吐く二人の少女の姿があった。
高高度の気温は地上に比べて遥かに低い。凍えるように身を寄せ合う姉妹。
エリスは歯噛みしている。自分が空間座標をトレースしたのに、二十メートル以上のズレがある。姉の魔力の乱れもあるかもしれないが、全く情けない。
だが、そんな事よりも、だ。
「はぁ……はぁ……」
転移した瞬間に、下に位置する市井に向かって盛大に吐瀉物をまき散らしたリタは、目も虚ろに荒い呼吸を繰り返している。どうか、せめて人にかかりませんようにとエリスは心からの祈りを捧げた。
突然二人の身体がぐらついた。リタが飛行魔法を制御出来ていないようだ。リタの腕を持つ両手に痺れが走る。リタの身体から溢れ出した魔力が周囲を帯電させている。
「お姉ちゃん、姿勢制御は私がするから、南東に二、三キロ、飛ぶよ?」
エリスは痺れる腕もお構いなしに、より強く姉を支えると、魔法の一部の制御を奪う。
「うっぷ……はい……」
口元を抑えながら頷く姉に、エリスは不安を感じながらも、ふらふらと姉妹は飛んで行った。
それから、普段の何倍もの時間をかけて飛行した後、王都の隣町の裏路地、その人目が無い場所に短距離転移で無事に到着した二人であったが、リタの様子が非常によろしくない。
「仕方ない、お姉ちゃん、私に回復魔術かけてくれる? その後は寝てていいから」
リタはふらつきながら、エリスに向かって回復魔術を数回行使すると、そのまま倒れ込んだ。
(確かに、多少は楽になるみたい……)
倒れ込む姉を抱きとめたエリスは、荷物ごと姉を背負う。
これでも、生半可な鍛え方はしていない。私は、お姉ちゃんとの学生生活を、必ず掴み取ってみせる。そのためにはこれくらいの痛みもだるさも、なんてことはない。お母さんの言ってた通り、魔力量で影響が強まるなら、お姉ちゃんは凄くきついはず……。
そうしてエリスは、周囲の奇異の視線に負けずに、強く足を踏み出した。
(それにしても下着がゴワゴワして歩きにくい!)
暫く歩いて、ようやく馬車乗り場に到着したエリスは、荷物と姉を先に客室に押し込み、御者に銀貨を手渡した。苦笑いの御者と顔を出来るだけ合わせないようにしながら、客室に入ると、これまた周囲の乗客からの視線が突き刺さる。苦笑いを浮かべながら、軽く他の乗客に会釈をするとリタの隣に座り、すぐに寝たふりを始めるエリスであった。
その後も、エリスにとっては苦痛の時間がしばらく続いたのち、姉妹は王都へ到着した。ほんの数時間ではあるが、睡眠を取ったリタは少しだけ復活したようだ。二人はお互いに身体を支え合いながら、何とか露咲き亭のロビーに到着すると、手早く手続きを済ませ、部屋のベッドに倒れ込んだ。
部屋は前回とは異なり、ツインベッドの小さめの客室だ。だが、決して安っぽくは無く穏やかな照明の明かりが照らす室内は落ち着きをもたらした。
「まじ無理……死ぬ……」
リタは、身体の中に蠢く不快感を絞り出すように声に変えた。
そんな姉を横目に、エリスも深く溜息をつく。
「お姉ちゃん? 誰かさんを背負ってここまで連れてきた私もきついんですけど?」
先ほどから、リタの頭には忙しなくアホ毛が何度も立ち上がっている。だが、彼女たちはその呼びかけに応える元気が無かった。
(キリカちゃん、心配してるだろうな……)
そんな思考をしているうちに、エリスは気だるさに負け外套も脱がずに微睡の中に落ちていった。
それから、どれくらいの時間が経っただろうか。部屋の扉が叩かれる音にエリスは目を覚ます。部屋は夕日が差し込んでいる。思いのほか眠っていたようだ。リタは起き上がる気配も見せない。エリスは目をこすりながら入口に向かって歩くと、外にいる人物に当たらないようゆっくりと扉を開く。
其処に居たのは、少し乱れた金髪を手でいじりながら、肩で息をしている少女だった。
「え、えっと……来ちゃった」
キリカは少し頬を赤く染めて、目を逸らしながらそう言った。着信を何度も無視されて心配になったのだろう。
「キリカちゃん? よく部屋が分かったね?」
「受付に訊いたらすぐに分かったわよ? 銀髪の双子だってね」
「とりあえず、どうぞ」
そう言いながらエリスは部屋に招き入れる。
睡眠を取ったからか、幾分か気分も落ち着いている。少しずつ頭がクリアになっていくにつれて、疑問が頭の中を過る。
「一人で来たの?」
「ええ、そうよ? 走ってきたわ。話しかけても応答ないし――し、心配したんだから……あら? リタは、寝てるの?」
キリカはあっけからんと答える。エリスは思わず頭痛が再発したような錯覚を覚えた。今日は割と落ち着いた服装はしているものの、公爵令嬢という自覚はあるんだろうか……。確かに腕は立つが、もうすぐ日も暮れる。流石に大貴族の娘が一人で歩くのにはあまり好ましくない状況である。
(はぁ、帰りは送るか、馬車手配しないと……)
「そう、お姉ちゃん、初めてのアレが来ちゃって。ほら、魔力量凄いから、体調悪いの」
「あらそう? ふふ。そういえば何年か前に私のことをからかってくれたわよね……ようやく、私の番が来たわ!」
ウキウキした様子で話すキリカは忍び足でリタに近づいて行く。
「キリカちゃん? あんまり近づくとお姉ちゃんの魔力、かなり暴走してるから――――」
「――ッ! いったーい!」
「――痺れるよ……って遅かったね」
キリカは涙目で右手を勢いよく振りながら、エリスに抗議の視線を向けている。
(はぁ、どうしてこの人たちは、こうも人の話を聞かないのか……)
隣で騒いでいるキリカの声に、リタは気だるそうにその瞼を開く。
「キ、キリカ……?」
リタは目の前にいる少女を胡乱気な視線で見つめている。
「あらリタ、お目覚めね? 調子はどう?」
そんなリタの視線に、キリカは満面の笑みで答える。
「最悪……」
リタは吐き捨てるようにそう言った。
「ふふ、そうでしょうとも」
キリカはリタの横で勝ち誇った笑みを浮かべている。
それから暫く、彼女はリタの横でああだこうだと騒いでいたが、どうやら護衛のブルーノが迎えに来てくれたらしく、冷や汗を流しながら帰って行った。最低限、行先を告げてから飛び出す冷静さがキリカにあったことに、エリスは安堵した。きっと彼女は屋敷に帰って説教されるに違いない。
その虚しい姿に、数年前に彼女をからかったことを少しだけ反省した姉妹であった。
姉妹は、夕食をどうにか食べきった。エリスはあまり食欲を見せない姉の姿に、これは重症だなと思った。明日、これ以上体調が悪化していれば、最悪の事態も有り得る。
午前中は学科試験、午後は自分の得意なことでアピールする実技試験だ。少なくともエリスは、現状維持もしくは多少の悪化があったとしても、受かる自信はあった。
姉に関しては学科試験は諦めざるを得ないだろう。最悪名前だけ書いて座っていればいい。だが、頼みの綱の実技試験もまともに実力を発揮できないとなると、話が違ってくる。
実技試験に関しては、姉は上級生相手の実戦試験を選ぶだろう。最悪、魔術が使えなくとも、一発拳を当てられれば、相手は沈むはずだ……恐らく。だが、腐っても王国一の学院だ。相手が化け物級の可能性も否定できないし、そもそもリタがまともに身体を動かせるのかが分からない。
「お姉ちゃん、早くお風呂入って、とにかく早く寝て?」
「そうする……」
覚束ない足取りで浴室に向かう姉の姿を見送るエリス。何か、対処法は無いだろうか。もっと母に話を聞いておくべきだったと、頭を抱えるエリスであった。
とにかく身体を温めてゆっくり眠れば、多少回復するはずだ。
逆に今は、それに賭けるしかない――。
(うん? 遅いし、もしかして、浴槽に浸かってる? もう、私入れないじゃん……いいけど)
エリスは、案の定浴槽で溺れかけていたリタを引きずり出し、身体を拭くと無理やりパジャマに着替えさせ、ベッドに放り込んだ。
「お休み、お姉ちゃん」
はぁ、これが母親の気持ちかもしれない。そんなことを考えながらエリスは自分の風呂を済ませ、荷物を整理すると、二人分の明日の準備をして眠りについた。
――――翌朝。
「エ、エリス……? 私……お家に、帰っても……いいかな?」
げっそりした顔で床を這っている姉の姿に、エリスは賭けに負けたことを知った。