黄金の剣姫は負けず嫌い 3
気絶したキリカを抱きかかえながら、訓練場の隅でアルベルトにひたすら謝罪するリタ。
観戦していた団員達は既に訓練に戻っている。時折彼らから感じる畏怖の視線に、少しだけやりすぎたなと反省していた。
いつも模擬戦になると気合が入りすぎてやりすぎてしまう。
そんなリタに対し、アルベルトは笑う。
「構わないとも、リタ君。……キリカは、普段あまり感情的な方ではないんだ。だから今日、あの子のあんな顔が見れて満足している。きっと、君の前だからかもしれないね」
「お心遣い、感謝申し上げます」
「それにしても、いきなりキリカが見たことの無い魔術を使ったのには驚いたな。だが、当たり前のようにそれが使える君も、本当に面白い」
そう言うアルベルトの目には好戦的な笑みが浮かんでいる。
(やっぱり父娘だな……って、もしかして、私と父さんも周囲からそう思われてるんだろうか……)
「え、えぇ~っと、あれは、その……」
「済まない、手の内を詮索するつもりは無いんだ。――そんなことをしたら、私の楽しみが減ってしまうだろう?」
そう笑うアルベルトの顔は、無邪気な少年のようであった。
アルベルトはそれから少しの間、キリカの寝顔を見ていたが、執務があると去って行った。取り残されたリタは、流石に居心地が悪い。昨日キリカの護衛をしていた男、ブルーノが途中で気を遣って話しかけてくれる場面もあったが、早くキリカには目を覚ましてもらいたいものだ。
リタは、優しくキリカの頭を撫でる。よく手入れされているであろう髪の毛は、指通りも滑らかでとても心地よい。砂埃に塗れてしまったその髪から、砂粒を取り除くように指で梳いていく。
そんな思いが届いたのか分からないが、リタの膝枕で眠る少女は、身をよじると薄っすらとその瞼を開けた。長い睫毛の隙間から、真っ赤な瞳が覗く。
「そっか……私、また負けたんだね……」
キリカはそう零すと、右手で目を隠す。彼女の頬を伝う涙に、リタはどう声を掛けていいのか分からなかった。時刻は間もなく昼を迎えようとしている。高く上った太陽が、気温を上昇させていく時間帯だ。
少しの沈黙の後、キリカは急に恥ずかしくなったのか、目元を拭うと身体を起こして女の子座りで横に座った。
「ごめん、ありがと」
そう小さな声で呟き、赤い顔を伏せた彼女に、リタは優しく笑う。
「とりあえずさ、そろそろ着替えよっか?」
「うん……」
リタは立ち上がると、右手を差し出した。その手を強く握ったキリカを引き寄せるように立ち上がらせる。キリカは、そのままリタの肩に頭をもたげ、胸に収まるように寄り添う。リタはそっと、その肩を抱いた。
「もう大丈夫、行きましょう」
少し腫れぼったい目で、キリカは笑う。リタも微笑みを返すと、少女たちは手を取り合って歩いていく。初夏の木漏れ日は、彼女たちを優しく照らしていた。
更衣室に戻り荷物を持った彼女たちは、屋敷への道を歩いていた。思いのほか汗と砂埃に汚れていた彼女たちは、流石に小綺麗な服を着る気にはなれなかったため、汗を拭うだけに留めていた。
「とりあえず、お風呂入る?」
キリカのその問いかけに、リタは硬直した。急に鼓動が早くなったような気がする。
「……い、一緒に?」
「え、えっと……うん、そう思ってたけど……嫌?」
急に立ち止まったリタを振り返って、そう答えるキリカ。リタは頬を赤く染めて、視線を右往左往させている。
「い、嫌じゃない! むしろ大歓迎なんだけど、その……ちょっと、心の準備的な? いやでも、うん、なんかやらかしそう、私」
急に挙動不審になったリタの姿に、キリカは不審げな眼差しを向ける。
「やっぱり、やめとく?」
「いや、絶対に入る」
(これは、私自身との戦いだ。浴室を戦場と思え――)
リタは自身にそう言い聞かせる。
急に鼻息を荒くしている親友の発する気配に、気圧されたキリカであったが、ふと何かに気付いたような表情をする。
「あ、まず……そろそろだった、そういえば。――やっぱりごめん、今日は別々に入ろ……?」
「どうして?」
突如、一転したキリカの言葉にリタは首を傾げる。
「えっと、その、アレが来そう……」
そう言ってキリカは下を向いて更に顔を赤くしている。
「アレ……?」
「だから、その、分かるでしょ? 女の子なんだからっ!」
「うん? 全然分かんない――って、まさか?」
「……うん」
「くっ……キリカにまた先を越されるなんて……私まだ来てないのに……」
「こんなもの来なくていいのよ、本当に……」
「ちょっと自慢げな顔してません?」
「してません!」
彼女たちは、笑い合うと屋敷への歩みを再開した。
(これは、セーフだったと考えるべき? でも、残念だったな)
リタの胸中は自分でもよく分からないほどに複雑であった。
二人はそれぞれに手早く湯浴みを済ませ、食堂で食事をしていた(因みに浴室は凄まじい大きさであった)。大きく重厚なテーブルに高い天井から吊り下げられたシャンデリア。確かに、屋敷の内部は豪奢ではあるが、思っていたよりは落ち着いた様子である。きっとアルベルトの性格なのであろう。あまりに豪華絢爛であれば、きっとリタは気後れしていたであろうから、ある意味で好ましいと言えた。
そんな暗色の木材で作られた上品なテーブルで、二人の少女は向かい合って昼食を楽しんでいた。アルベルトはどうやら先に済ませたようで、二人だけの昼食となった。もしかしたら、アルベルトは気を利かせてくれたのかもしれない。
最低限のテーブルマナーを学んでいてよかったと、リタは心から妹に感謝した。しかしながら、キリカの洗練された所作には遥かに及ばなかったのであるが。
振る舞われた料理の一品一品に目を輝かせ、感嘆の声を漏らしながら食べるリタの様子をキリカは笑いながら見守る。
屋敷の使用人たちは、そんな笑顔のキリカを見て一様に驚きを隠せないでいた。彼女が友人を招待する、そう聞いただけでも驚いていた使用人たちであったが、その心からの笑顔に安堵を覚えたのは間違いない。中には、思わず涙を浮かべてしまう人間も居たほどだ。それほどまでに、母を亡くしてからのキリカの表情は、いつも追い詰められているような、もしくは何も感じていないかのような、何処か遠いものであったのだ。
食後には、冷やしておいてもらった、クリシェからの手土産の果物が運ばれてきた。リタは、テーブルに運んできた妙齢の女性が纏う本物のメイド服に興奮しつつも、それを悟られないようにするのに必死である。だが、キリカのジトっとした視線を鑑みるに隠蔽は失敗したと言ってもいいであろう。
因みに、キリカは果物を非常に喜んでくれた。王都では、こんな新鮮な状態で出てくることはまずないとのことだ。
キリカの喜ぶ顔を見たからか、使用人からしつこく運搬方法について聞かれたリタであったが、曖昧に誤魔化すことしか出来なかった。