初めての慈善学校 2
――――教室は沈黙に包まれている。
そうだろうそうだろう、エリスは可愛いだろう。リタはそんなことを考えていたが、実際にはリタを含めた二人を皆は見ていた。慈善学校に通う生徒たちは事前にラルゴから評判は聞いていた。見た目だけは、とても可愛い双子の姉妹が来ると。絶対に見た目に騙されてはいけない、と。それでも、あまりに想像以上であったのは事実であった。
「はーい、みなさん! 今日から一緒に勉強することになる子たちを紹介します。この街の領主様のお嬢様方です。もうすぐ四歳の双子の姉妹だそうです。毎週通うわけではありませんが、仲良くしてくださいね!」
ヘレナは、手を叩いて自分に注目を集めると姉妹のことを他の生徒たちに紹介した。
ラルゴはいそいそと、恐らく自分の席だと思われる後方の机に荷物をおいて着席している。生徒は大体二十人くらいだろうか。ほとんどが四歳~十歳程度の子供たちのようだ。肌や髪、瞳の色はバラバラだが、一人だけ異彩を放つ獣人族らしき少女も見える。かわいらしいその姿に、モフッ娘もいいなとリタはにやけそうになるのを堪えた。他は基本的に人間種だろうか。
幸いにもグランヴィル王国は多くの人種が特に差別も無く暮らしている。一部の国では、人間以外の排斥運動があったりするようだが目の前の獣人族の少女はとても自然に溶け込んでいるように見えてリタは安堵する。よく子供の集団の中では、異なる容姿をもつ者はいじめの対象になりやすいもんね……と、前世のことを少し思い出した。
教壇に立つヘレナに促され、姉妹は簡単に自己紹介をする。
「初めまして。私はリタ。リタ・アステライトです。みんなと友達になれると嬉しいです。よろしくお願いします!」
リタは元気よく、笑顔で挨拶をする。人間やはり、第一印象が大切だからだ。その点で美少女(幼女)はお得だ。今生では友達をちゃんと作りたい! そう思った。
「私は妹のエリスです。……よろしくお願いします」
エリスは大勢に注目されて少し緊張気味のようだ。だが、そんな姿も庇護欲を掻き立て、非常にそそるとリタは完全におっさん思考で見守っていた。
「はーい、じゃ誰か質問ある人はー?」
ヘレナの声に、いくつかの手が挙がるのが見える。
「二人は貴族なんですかー?」
最初は九歳くらいの男の子の質問だ。
「いいえ、貴族なのは私たちの両親だけです。以前、国王陛下に功績を認められ男爵位に封ぜられたと聞き及んでいますが、名誉男爵なので一代限りの予定です。ですから、私たちは正確には貴族ではありません。気軽に話しかけてくださいね?」
リタは、完璧な余所行きモードでハキハキと答えた。少し、教室の反応がおかしい……何かおかしかったかな? とリタは思っていたが、普通の四歳児はそんな受け答えはしないのだ。生徒たちは逆に彼女たちの家柄や教育レベルが高いのだと勘違いして距離を感じてしまう結果となったようだ。
そしてこれにはラルゴも正直驚いていた。妹のエリスはしっかりしているが、姉のリタは正直に言えば抜けているところが多い印象であった。しかし、彼女にもまたこのような一面があることを知り、近所では徐々に神童と呼ばれつつある姉妹について再認識したのであった。
そうしていくつか、他愛のない質問に淀みなく答えた姉妹は、教室の後ろの席に案内され着席した。
それから暫くは、エリスにとっては正直退屈な時間が、リタにとっては新鮮で憧れていた学び舎の空気を感じる時間が過ぎていった。この日の授業の内容自体は、本当に基礎的な読み書きであったため姉妹にとって新たな学びとなることでは無かったが、別の意味での学びを得ることになった。
それは午後の授業までの休憩時間のこと、エリスが神妙な面持ちで口を開く。
「ねぇ、お姉ちゃん……? もしかしてだけど、私たち浮いてない?」
「エリス? それは間違ってないよ? 非常に残念だけど、正真正銘、完全に浮きまくってるよ」
「お姉ちゃんにも最低限の周囲を見る目が備わっていて安心したけど、どうする?」
「エリス? 後で今の発言についてお話ししましょうね? うーん……ねぇ、ラルゴ!? ちょっと来て」
教室の後方で男の子たちが固まって会話をしている中にラルゴはいた。リタは手招きして呼び出す。
教室の視線がラルゴに集中する。ラルゴはおっかなびっくり、リタに近づいていく。
リタはラルゴに顔を近づけると、耳元で内緒話を始めた。非常に整った顔立ちの女の子と内緒話をするドキドキと、教室の男子生徒達の怨念の視線が突き刺さるのをラルゴは感じ、とても居心地が悪い。
「ねぇ、なんか私たち浮いてない?」
石鹸の香りがラルゴの鼻腔をくすぐる。
「し、知らねぇよ……」
「ふぅん……次の稽古の時、二十回くらい模擬戦しよっか?」
「あ、いや、ごめん! 知ってる、知ってました。すいません」
「よろしい。……で?」
リタの視線の冷たさにラルゴは必死で答える。
「言っとくけど、俺が仕組んだ訳じゃないからな。あと、予想だから外れてても知らないからな! ……多分、お前たちがあんまり子供っぽくなくて、上品だから皆話しかけづらいんだよ! ……後は……か、可愛いし……」
最後の方はよく聞き取れなかったが、リタは絶句した。普通の子供の成長がよく分からないが、どうやら本当にエリスは優秀のようだ。誇らしい気持ちと、これまでエリスに合わせて生きてきたので、どう振舞えばいいかイマイチ分からない。
「分かった。ありがと……模擬戦は十五回にしといてあげるね!」
「そ、そんな〜」
ちょっと涙目のモヤシをさっさと追っ払うと、リタは早速エリスと作戦会議に入る。
「早速だがエリス軍曹、話がある」
エリスは頷く。
「どうやら、敵は我々のあまり子供らしくない言動と、上品な所作に気後れしている様子。所見を述べよ」
「……よくわからない。少なくともお姉ちゃんに上品さを感じる要素ある?」
「エリス軍曹……主観で物を話すのはよしたまえ。わ、私とて、客観的に見ればお嬢様然とした、じ、上品さくらい……」
「欠片もないよね? 少なくとも服装以外では」
「最近、更に辛辣じゃありません? エリスさん?」
「で、お姉ちゃんはこれからどうするの? 子供っぽく振る舞ってみるの?」
「うーん、子供っぽいこと……鼻くそほじってから、丸めてデコピンで飛ばす? 本気で飛ばしたらあの黒板くらい叩き割れそうじゃない? これなら、笑い取れそうだし」
「その発想力には悪い意味で驚かされるね。……お姉ちゃんなら本当に出来そうなのが怖いけど。もし、それやったら縁を切るからね?」
「勿論冗談だよ? 一応私にも可憐な幼女という自覚はあるからね!」
「……黙ってれば、ね……」
双子がそんな事を話している頃。
しょんぼりした顔で戻ってきたラルゴに、集まっていた男子生徒たちは心配そうに声を掛けた。
「どうかしたの?」
「いや、何でもない」
恐らく何かあったのは明白であろう。彼らのグループは四〜七歳の男の子達が集まっているが、ラルゴはいつもそのリーダー然とした、所謂ガキ大将であったからだ。同年代と比べて、身体も頭も発育が良く年上グループと喧嘩になっても負けずに向かっていく。勿論同年代で彼に敵うものなどいない。そんなラルゴにこんな顔をさせる、あのリタという女の子はどんな子だろう。もしかして、ラルゴの弱味を握っているんじゃ無いか。そんな事を口々に話す。
「なあ、ラルゴ? 何があったんだ? 今から俺があのリタとかいう女、泣かせてきてやろうか?」
そう声を掛けるのは、これまた如何にもヤンチャそうな七歳の少年、ジャックである。浅黒いそばかすのある肌に長めの茶髪。少し吊り上がった目で、よく喧嘩をするクラス一の問題児だ。だが昔ラルゴにコテンパンにされてからはラルゴの前では大人しい。
「いや、ジャック。それは、やめておいた方がいいと思う。ああ見えて、中身はゴリ――」
そう言いかけた所で、恐ろしい気配を感じて顔を上げると、口の端を吊り上げたリタの顔が見えた。ああ、次の稽古サボろっかな。ラルゴは思わず天を仰いだ。
「はいはーい、そろそろ午後の授業始めますよ!」
そう言いながら教室に入ってきた、ヘレナの声で子供達は席に着く。そうして、午後もゆっくりと時間が流れていく。やはりエリスは退屈そうにしつつもしっかりと受け答えをし、リタは相変わらず目を輝かせて取り組む。
その後、授業はつつがなく終わりを迎えた。生徒たちはしばらく思い思いの時間を過ごす。
問題はその後に起きた。帰宅しようとして席を立ったエリスの足を引っ掛けようと、ジャックが足を出してきたのだ。あまりに古典的な悪戯であるが、エリスはどう対応したらいいのか正解が分からない。リタはラルゴとまた訳の分からない話をしているようで、気付いていない。
「あの、退けてくれますか……?」
仕方なく、エリスは意地悪そうな表情の少年に声を掛ける。無論、この学校の生徒たちの精神年齢の低さは折り紙付きだと感じていたため、幼い女の子然とした表情を忘れない。
ジャックはニヤニヤしながら、言葉を発さずにエリスを見ている。ああ、こいつは言葉も通じないアホだと認識したエリスは、無表情に戻るとさっさと踵を返し別の所を通って帰ろうとした。しかし、その冷たい視線に激昂したのはジャックである。立ち上がると道を塞ぎ、エリスに手を伸ばそうとする。
「おい待てよ。お前ちょっと可愛いからって――イタタ! ギィヤァァァァアア!」
だが、ジャックの右手はエリスに触れる前に笑顔のリタに捻りあげられていた。あまりの痛みに思わず声を上げる。掴まれた手首からは、何かが軋む音がしていた。
「ねぇ、モヤシ二号? 汚い手で私の妹に触れようとするな。あと静かにしろ。次はないからね? 分かった?」
続く激痛にジャックは涙ながらに首を縦に振る。エリスは既にジャックに興味すら示していない。
「それにしてもラルゴといい、あなたといい、ちょっと貧弱過ぎない? ご飯ちゃんと食べてる? 全く情け無い。とにかく、エリスに謝りなさい」
「ご、ごめんなさい」
「声が小さい!」
「ごめんなさい!!」
「誠意を込めて!」
「ごめんなさいっ!!」
「頭が高い!」
――その後もしばらくそんなやり取りが続いた。
「ごめんなざい……もう、許じで……ください……」
最終的に土下座の姿勢になり泣きながら謝るジャックを見て、ラルゴはだから言ったのに。と遠い目で呟いた。
――慈善学校から帰宅した姉妹を迎えたのは、笑顔の母であった。
「おかえり! 二人とも!」
「「ただいまー!」」
「リタ? あなた、ちゃんといい子にしてた? 物壊したりしてない? 問題起こして無い?」
「うん、大丈夫! 今日は下僕が一人増えたんだ! ジャックっていうこれまたモヤシ野郎なんだけどね」
リィナは頭を抱えた。
「……ごめんなさい。エリス? 通訳頼めるかしら?」
「はぁ……。お姉ちゃんがね――――」
それから姉妹は月に一回から二回程度通いながら、徐々に世間の常識を学んでいくことになる。
時には学校帰りに友人と遊んだり、時にはヘレナに大目玉を食らったりしながら、掛け替えの無い日々を過ごしていくのであった。