初めての慈善学校 1
木々は青く茂り、少しずつ日差しの強さも増してきたある日のこと。
今日はリタとエリスが初めて子供だけで家の敷地を出る日であり、初めて慈善学校に通う日でもあった。
アステライト邸の子供部屋では、慌しく準備をするリタと既に準備が終わりベッドに腰掛け寛ぐエリスの姿があった。
「お姉ちゃん、そろそろラル君迎えに来るんじゃない?」
「ラルゴ? 待たせとけばいいの!」
「大体、何をそんなに持っていくものがあるの?」
「えーっと、木剣でしょ? 包帯でしょ? 消毒薬に薬草、あとはパパの書斎から拝借したポーションとかナイフとか?」
「今日は、教会の慈善学校に行くんだよ? それってお勉強に必要なのかな?」
「だって初めてだから分からないじゃん。それに家の外は何があるか分からないってパパ言ってたよ?」
「そんな魔境だったら、毎週通ってるラル君死んでるよ……」
「確かに……ラルゴってクソ雑魚だもんね」
「お姉ちゃん、ラル君が私たち女の子にいつも負けてる虚弱体質なのは否定しないけど、そんな言葉遣いしてるとまたママに怒られるよ?」
剣の稽古を開始して、数ヶ月。彼らは多少は仲良くなったようである。ただ、この会話をラルゴが聞いていたなら声を大にして否定したであろう。おかしいのはお前たちだ! と。
「リター! エリスー! もう準備出来たー? 降りておいで!」
一階からリィナが呼ぶ声がする。
「はーい!」
エリスは小さく纏めた荷物を手にさっさと部屋を出て行く。
「ちょっと待ってー!」
慌ててリタも閉まらない大きな鞄を手に階段を駆け下りるのであった。
リタは案の定リィナに荷物を減らされ、やがて約束の時間になった。
「さ、あなたたち、頑張っていらっしゃい! 気を付けてね!」
リィナに見送られ、リタとエリスが鞄片手に玄関から飛び出してくる。濃い赤のチュニックにクリーム色のスカート、茶色の皮のブーツ。少しだけよそ行きの服装である。
門の前では既にラルゴが待っていたようだ。もう日差しも大分強くなっている。彼の顔が赤い理由が暑さによるものかは分からないが。
「もしかしてお待たせ?」
リタは全く悪びれた様子も無く問いかける。
「……ちょっとな」
ラルゴはそれに対し、少し目を逸らしながら答えた。
「そこは嘘でも今来たところだ。が定石でしょ? 全く」
リタの理不尽な物言いにラルゴはため息を吐きつつも、もう慣れたやり取りである。
「はいはい、分かりました。そろそろ行きますよ、お嬢様方?」
「相変わらずラル君は、お姉ちゃんの僕みたいだね。年上なのに」
このやり取りで彼らの大体の関係性が分かるというものだ。実際、彼女達にとってラルゴは貧弱で情け無い男の子という印象だった。ラルゴ少年は五歳にして苦労人という称号を得そうである。そうして三人はゆっくりと西の教会に向けて歩き始めた。
――慈善学校。それは、この国ではありふれた教育形式の一つである。基本的には無料で実施され、特に貧困層の子供たちに簡単な読み書きや計算を教えることを目的としている。
クリシェの街にはあいにく学校という存在が無いため、一般家庭では自宅で読み書きを教えることが多いが、共働きの家庭や、両親が読み書きができない場合などはこの学校で学ぶことになる。
そのため、本来であればリタやエリスは通う必要は無いのだが、わざわざ両親が教会に寄付までして通わせるのには意味がある。同年代の子供たちと触れ、常識と自重を学ばせるためだ。
あわせて、将来の可能性を広げるためという名目で、悪ガキだったラルゴも両親に通わせられていた。
そもそも教会という存在であるが、アルトヘイブンでは女神アルトリシアを信仰する一神教の統一教会が大きな勢力を誇っており、クリシェの街にある教会も例に漏れず統一教会の教会である。ただ、国により異なるが、グランヴィル王国の統一教会は比較的寛容であり、広く門戸の開かれた場所となっている。また、孤児院が併設されていることも多くそれなりに大きな町には必ず教会があるといった程度には人々に広く浸透しているようだ。
三人は活気のある中央生鮮市場を抜け、さらに道を西に向かう。道すがら、多くの人々から注目されているのを感じていた。日光を浴びて輝く白銀の髪に、真っ白な肌。美しい顔立ちに輝く瞳の双子。人々が思わず振り返って見てしまうのも仕方がないと言えよう。この規模の街では、中々舗装された道路などない。時折吹く風で巻き上げられた砂埃を浴びながらも、美しい姿勢でその歩みを進める。リタはその視線を当然と感じ、エリスは少し恥ずかしく感じ、ラルゴはちょっぴり得意げであった。
比較的、中央市場の西側は農業地帯が多くなっている。クリシェの街自体、基本的には農畜産業をメインの産業として成り立っている街である。そして目的地の教会は、少し小高い丘の上にあった。ラルゴは汗ばむ身体で、懸命に姉妹をリードしていた。姉妹は涼しい顔をしている。
「ねぇ、ラルゴ? ちょっと体力なさすぎじゃない? もうちょっと体力つけないと」
「うっせ……、ハァ……ハァ……」
ラルゴはいつも三十分程度かけて歩くが、今日は二十分前後で歩いていた。
余談であるが、アルトヘイブンの一日も二四時間で、一時間は六十分だ。だが、一秒の長さが地球と同じであるかどうかは定かではない、とはリタ談である。
「よし、じゃあ競争でもしよっか?」
「さんせー!」
リタは子供らしい提案をし、すでに走り始めている。エリスもそれに追随して坂道をグングン登っていく。
「負けた人は、帰りは荷物持ちねー! あ、エリスが負けたら私が持つけど!」
笑顔で走り去る双子と、置いてけぼりのラルゴ。
「どうして俺はあの姉妹を天使だと思ってたんだろう……」
その呟きは風に乗って消えていく。見た目だけは可愛いんだけどな……とラルゴは思いながら意地になって坂道を駆け上っていった。
クリシェの教会は、素朴な建物であった。併設された孤児院も含めて、素朴で清廉な印象を受けた。リタは勝手にもっと成金なイメージもしくはボロボロのイメージを持っていたため、いい意味で拍子抜けであった。息も絶え絶えのラルゴに案内されながら、まずは教師兼シスターに挨拶に伺うことにする。教会の正面の扉を潜ると、百人程度が収容できそうな聖堂であった。そこの正面の壁にはステンドグラスに描かれた女神らしき存在と、天使たちが日光を浴びて神々しく輝いている。
恐らく神父が説教でもするかもしれない教壇の付近に、目的の人物を見つけたようだ。
「ヘレナ先生!」
そうラルゴが声を掛けたシスターは、肩のあたりで切りそろえられた金髪に、少し垂れた大きな両目。そして豊満な胸部と対照的に細い腰のくびれが特徴的な、修道服を纏う二十代前半くらいの見目麗しい女性であった。
「こんにちは。あら、あなたたちが領主様自慢の姉妹ですね?」
ヘレナは優しく微笑む。口元のほくろがセクシーだなとリタはどうでもいいことを思う。
「「こんにちは!」」
「初めまして、私はリタ。リタ・アステライトです! よろしくお願いします」
リタは笑顔で頭を下げた。
「同じく、エリス・アステライトです。よろしくお願いいたします」
エリスはどこで覚えたのか上品なカーテシーで応える。意外と様になってるな、流石エリス。とリタは思う。
「あらあら、本当に天使と見まごうばかりに可愛らしいお嬢様方ね。他の子供たちに貴族の子はいないから、失礼があったらごめんなさいね」
「はい、それは全く構いません」
そう答えたのはラルゴだった。お前が言うなと言いたいリタであったが、リィナは以前ラルゴに姉妹のことをお願いすると言っていた。仕方がないから、我慢してあげよう。リタは笑顔を保つ。
「それじゃ、早速だけれど。そろそろ時間だし、教室に向かいましょうか?」
「「「はい」」」
三人の返事を聞いたヘレナは笑顔で頷き、歩き始めた。
聖堂の東側にある扉を潜ると、木の床板が張られた歴史を感じさせる廊下が続いていた。石造りの壁をキョロキョロと見ながらリタは歩いていく。掃除はよく行き届いているようである。リタの中ではこの教会の印象は悪くなかった。人の形をした神を信じるつもりは相変わらず無かったが。
「こんなに可愛い娘たちが来て、みんなビックリするんじゃないかしら?」
教室の扉に手を掛けながら、ちょっとだけ悪戯っぽく微笑むヘレナ。
「すぐに化けの皮が剥がれますよ……」
遠い目で呟くラルゴと、次の稽古の時にまたボコボコにしてやると睨みつけるリタ。
そして一行は教室の扉を開き、ヘレナ、ラルゴ、双子の順番で潜っていった。