閑話:ユミアの初めてのデート
ユミアは、女子寮の自室にて二人の少女と共に、作戦へと向けた準備を進めていた。昨日刺された恐怖は、きっと忘れることは無いだろう。目を閉じれば、その時の光景が、痛みが、力が抜けていく感覚がフラッシュバックしそうになる。
それでも、自分でやると決めたことだ。ユミアはそっと、両の拳に力を籠める。今日は皆が居る。きっと大丈夫。
それに、囮とはいえ、先輩とのデートである。感情がごちゃ混ぜになって、最早よく分からない。けれど、恐怖とは別の感情も確かにあったのだ。本好きの彼女は、日頃から恋物語を愛読していた。未だに、恋を知らないユミアではあったが、こんな風に男性と出かけるのは人生初である。
(そうです! 折角なら、楽しまないと勿体ないんです……怖いですけど! ヤンバルディ先輩って強そうですし、大丈夫ですよね……)
とはいえ、問題は姉妹の幼馴染らしいラルゴは身体も大きいし、顔つきも精悍で少し怖い。ただでさえ、男の人と話すのは苦手なのに。
それに加え――――
「あの、二人とも……。本当にこんな格好しなくちゃいけないんでしょうか?」
ユミアは、化粧台の鏡に映る自分の姿を見て思わず赤面してしまう。生まれてから一度も着たことのないような、上質な生地の可愛らしい服装だ。柔らかい色合いで、少女らしい可愛らしさもありながら、大きく開いた肩と背中に大人っぽさの同居する、正に都会の町娘のような恰好だ。
その露出の多さに、恥ずかしさと不安を感じながら、ユミアはああでもないこうでもないと言いながら、自分の髪の毛をいじっている二人に声を掛けた。
「大丈夫、ユミアちゃん。とっても可愛いよ? ラル君も惚れちゃうかもね」
魔術でユミアの髪を巻きながら、エリスがこちらを見て微笑んだ。正直、エリスに可愛いと言われても嫌味にしか聞こえないが、彼女がそんな子ではないと知っているユミアはキリカの方を見た。
キリカも優し気に微笑んで、ユミアを褒めてくれた。そんな話をしながらも、二人の手は止まらない。キリカが買って来てくれた化粧を施されながら、服も化粧品も高そうだなとユミアは不安になる。そんなユミアの表情に気付いたのか、キリカが小さく笑った。
「心配しないで? 全部、リタからのプレゼントよ。いつも、ユミアさんに協力してもらってるからだって。……でも今度、何してるのか聞かせてくれるわよね?」
目を細めるキリカに、何故だか恐怖を感じてしまったユミアは誤魔化すように頷いた。
「それにしても、ユミアさんの眼鏡って飾りだったのね?」
化粧台に置かれた、黒い縁取りの眼鏡に視線を向けながら、キリカがそんな事を言った。一瞬どう答えるか迷ったユミアではあったが、正直に話すことにした。
自分のために、ここまでしてくれる友人に嘘をつきたくなかったのもある。それにきっとキリカは、自分よりずっとリタのことを知っている、そんな気がしたのだ。
「えっと、その。内緒だって言われてたんですけど、実はリタちゃんが前に私の目を治療してくれたんです。でも、視力が戻ってるのが皆にばれると、面倒なことになるからって、そのままで」
「ふふ。そう……、全く。――それにしても、眼鏡を外して前髪を上げただけで、こんなに雰囲気が変わるものなのね? とっても素敵よ?」
(きっと、キリカ様にとってのリタちゃんは本当に特別なんですね。そんな表情で素敵だって言われても、困っちゃいます。だって、今のキリカ様の方が、ずっとずっと素敵じゃないですか……)
キリカからそっと目を逸らしたユミアは、こちらも美しい装飾のガラスの小瓶を手に取った。これで準備は完了だ。仕上げに甘い香りのするオーデコロンを纏い、ユミアは椅子から立ち上がる。
そうして、姿鏡に映る自分の姿を見て、思わず呟いた。
「わぁ……。まるで、私じゃないみたいです……」
これは、どこからどう見ても、良家で育った町娘であろう。ほんの少しラフに仕上げられた髪型がこなれ感を演出している。エリス曰く、若干の隙を見せるのがポイントだそうだ。
少し、身体のラインが出過ぎている気もするが、なんだか大人になった気分だった。
「本当、羨ましい」
「本当ね……」
エリスとキリカが、そんな事を呟く。微妙に、視線が顔より下を向いている気がするが、気のせいに違いない。
「……すっごく、緊張してきました」
心臓が痛いくらいに鼓動を伝えてくる。これは、また襲われるかもしれない恐怖からだろうか、それとも別の感情だろうか。
今は分からない。けれど――――。
脳裏に過ったルームメイトのラキの顔に、ユミアは気を取り直す。やると決めたのだ。友人たちが、協力してくれる。きっと大丈夫に違いない。
「ユミアちゃん? 分かってるよね?」
思わず思考の渦に溺れそうになるユミアに、エリスが声を掛けた。ユミアは驚きつつも、エリスの言葉の意味を正確に理解していた。
「は、はひぃ!? ……えっと。分かってます、いざとなったらこの指輪に魔力を込めるだけですよね?」
エリスは、ユミアの返答に頷いた。よく分からないが、そうすれば身を守ることが出来ると言われていたのだ。この指輪もリタが準備してくれたらしい。以前からリタの頼みで色々な物を作っているが、彼女は本当に何者なのだろうかと思う。
転移魔術を簡単に使いこなし、魔道具の作成スキルも一流で、近接戦闘でも敵う者がいない少女。そんなリタの笑顔を思い出しながら、ユミアは頭を振った。
(何者かなんて、最初から知ってました。……お菓子作りが最高に上手な、私の大事なお友達の一人です)
「それじゃ二人とも、行きましょう!」
きっと自分が下を向いていれば、この優しい二人は心配するだろう。ユミアは、とびきりの笑顔で二人にそう告げて、三人は集合場所である空き教室に向かった。
そうして、集合場所である空き教室に到着した三人を迎えたのは、リタとラキとミハイルであった。ラルゴは、作戦通り先に校門前の広場に向かったようだ。
作戦内容の最終的な打ち合わせを終え、着飾ったユミアを満足げに眺めたリタが口を開く。
「それじゃ、ユミアは出発していいよ? ま、相手がラルゴで申し訳ないけど、折角だし美味しい物でも食べさせてもらって、楽しんできてね」
「はい、皆さんも、本当に気をつけてくださいね? いってきます!」
ユミアは気合を入れるように、いつもより大きな声でそう告げて教室を出た。一人になった途端、恐怖が胸の内側からせり上がってきそうになる。ユミアは、それを振り切るように急ぎ足で校門へと急いだ。
いつもより着飾っているからだろうか、すれ違う生徒達からの視線が気になる。誰もが自分の噂話をしているように感じたユミアは、出来るだけ視線を下げながら集合場所へと向かった。
集合場所には、既にラルゴが待っていた。ベンチに腰掛け、手持無沙汰に周囲を見渡している。どうやらこちらに気付いたようで、驚いたような顔で立ち上がるのが見えた。ユミアは、ラルゴに駆け寄る。今はまだ、昨日のような気持ち悪い視線は感じない。
「お、お待たせしました!」
「お、おう。……確か、こうだったな? 俺も今来たところだ?」
疑問形で言われても困るのだが。そう思いつつ、ユミアは笑う。もしかしたら、自分の緊張をほぐそうとしてくれているのかもしれない。
ラルゴは、かっちりとした上着を羽織り、綺麗目な印象で統一された服を着ていた。短髪も整っている。簡単ではあるが、整髪料で整えたのであろう。
「あの、ヤンバルディ先輩? す、凄く、似合って、ます……」
物語の知識しかないユミアではあるが、デートの相手が作戦とはいえ、形式上は自分の為に着飾ってくれているのだ。それを褒めるのは礼儀だと知っていた。
「そうか? ユミアも、うん、き、綺麗だ。すまん……慣れてなくてな。でも言っちゃ悪いが、見違えたぜ? あと、俺のことはラルゴで構わない」
頬を掻きながら、そう話すラルゴの表情は何だか子供のようで面白かった。思ったより、上手くやれるかもしれない。ユミアはそんな事を思いながら、笑顔で作戦通りの台詞を口にする。
「ありがとうございます! それじゃ、ラルゴ先輩? 今日は何処に連れて行ってくれるんですかぁ?」
「そうだな、こういうのはどうだ――――?」
そうして、偽物の恋人同士のデートが始まった。