夜更けのアステライト邸 1
クロード・アステライトは夜道を急ぐ。
昔であれば、このまま仲間と酒を飲みに町に繰り出していただろう時間であるが、今は家族が家で待っている。日に日に成長を見せる姉妹は、彼にとって正に生きがいであった。
他の人に話せば親バカと笑われるかもしれないが、あの双子は本当に聡くてとにかく可愛い。
最近特に姉のリタは冒険者時代の話をせがんでくる。今日はどんな話を聞かせてあげようか。そんなことを思いながらクロードは家族の待つ自宅へと帰り着く。
「ただいまー」
「「おかえりー!!」」
とてとてと可愛い足音を響かせて、自慢の子供たちが玄関まで迎えに来てくれる。
あぁ、父親とはなんと素晴らしいものなのだ。と彼は猛烈に感動していた。
クロードは途端に溶けたようなだらしない笑みを浮かべる。
この父にしてあの姉あり、か。エリスはそう思った。
「ねえねえ、パパー。ママがね、パパの書斎の本棚に隠してあった新しい剣を見つけてたよ? 今日の夜お話しするって言ってたー! とても笑顔だったよ! ママが喜んでくれて良かったね!」
リタの発言を聞いて、クロードの表情は凍る。
そうだよ、父さん? あまり母さんを困らせてはいけないよ?
隠し事をしないのがいい夫婦なんだって、昔ネットで見たからね。
ふふふ、と小さくリタは笑う。
――なんということだ。
クロードの先ほどまでの幸福感は一変していた。
リビングで妻の顔を見るのが怖い。
クロードは見た目は男気溢れる偉丈夫であるが、幼いころからリィナにだけは頭が上がらなかった。
「そ、そうか……」
「パパは剣が大好きだもんね? 今度リタにも剣術教えてくれるー?」
「あ、あぁ……そうだな」
力なく頷く彼を見て、リタは悪い笑みを浮かべた。言質は取ったぞ、と。
そう、彼女はそろそろこの身体の使い方を覚えないといけないと思っていた。
シンだったころには、本で得た知識しか無かった。修行のうち300年程度は、色々な敵を作り出してはひたすら殺し合っていたため、ある程度の戦闘勘はあると思いたいが、ちゃんとした剣術も学んでいた方がいいだろう。
以前家を訪ねてきた元パーティーメンバーが、クロードは剣の達人だと自慢げに話していた。
「エリスにも教えてね? パパ?」
「うん、勿論だ」
双子の笑顔にちょっとだけ復活したクロードであった。
夕食時にはいつも通り他愛もない話が食卓を彩り、穏やかな時間が過ぎていった。
この家に風呂があったのは、リタにとって幸福なことのひとつだ。
中々、一般家庭には普及していないようであるが、リィナが魔術で簡単に沸かせるため取り付けたという。いつも通りリィナと姉妹、3人でお風呂に入る。
クロードも一緒に入りたそうな目をしているが、あまりこの国では異性の親は子供と一緒に風呂に入らないらしい。
そうして姉妹の一日は過ぎていくのであった。
「ねぇ、クロード。少し、話があるの」
夜も深まったころ、リビングで晩酌を楽しむクロードにリィナが声をかける。
既に姉妹は部屋で寝息を立てていることであろう。
ついに来たか。
妻の神妙な声に、クロードは説教を聞く体制に入る。無論、正座である。
「……何をしているの?」
リィナの冷たい視線に、クロードは立ち上がって椅子に掛ける。
「すまない。つい、説教かと」
これには苦笑いで返すしかない。
「違うわ。……いえ、それもあるけれど、今は別の話。リタとエリスのことよ」
「うん? あの二人がどうかしたのか?」
「単刀直入に答えて。リタとエリスのことをどう思う?」
「そう、あの娘たちは……正に、天使! 天使天使!! 天使ィィィィィィイ!!!」
次の瞬間クロードの視界に星が舞った。
視界が戻るとひしゃげたフライパンを振りぬいた姿のリィナがいた。
どうやらあのフライパンで思い切り殴られたようだ。見えなかった。
「確かにあの娘たちはとっても可愛いし、あなたのそれが病気なのは知っているけれど、いい加減治さないとあの娘たちにも嫌われるわよ?」
「すまない、取り乱したようだ。――質問の意味が分からないのだが?」
「あの娘たちって、ちょっと頭が良すぎるというか、成長が早すぎるというかそんな気がしない?」
「あぁ、それは思っていた。他人に言うと親バカだって言われそうだが、天才だよな。特にエリスは」
「他の家の子供たちと比べても、言葉の発達も理解力も異常な速度で成長しているわ。そして、前にも話したと思うけれど、彼女たちは恐らく莫大な魔力と魔術の才能を持っている」
「それが? いいことじゃないか?」
「正直、きちんと魔術を学べば十歳にも満たずに私の領域を超えることは間違いないと思う。だからあの才能を育て、真に開花させることは、残念だけど私たちには出来ないわ」
「それはさすがに大げさじゃないか?」
「いいえ、決して大げさじゃないわ。小さい頃から憧れてずっと魔術を志してきた私には分かる。それと、さっきあなたは、エリスの方が天才だって言ったわよね?」
「あぁ、何か勝負すればいつもエリスが勝っているからな。リタってほら……言いにくいが、ちょっとおバカというか、アホの子というか、抜けてる所あるし」
「……誰に似たのか、あの娘がちょっと変わっているのは認めるわ。けれど時々、リタはわざと妹より劣った自分を演じているんじゃないかって感じる時があるの。気のせいかもしれないけど、時々あの子からとても大人びた視線を感じるようなことがあるし。それに、魔力が全く見えない。恐らく魔術が使えるのにも関わらずよ?」
「それはまだ魔力が見えないくらい小さいだけだろう? いや、待て――」
ここでクロードは、何かひっかかるものを感じ顎に手をあて考えこむ。
だが、その続きを待たずにリィナは続ける。
「リタってエリスより活発よね? 子供らしくよく走り回っているし」
「あぁ、そうだな」
「じゃあ、あなた? リタが一度でも怪我をしているところを見たことがある?」
「いや、そんなハズは……おい、嘘だろ?」
「事実よ。エリスも最近は無いけれど、以前は転んですりむいていたりしたわ。けれど、リタは生まれてから一度も、恐らくかすり傷さえ負ったところを見たことが無い。子供が一度も怪我をせずに成長することなんてあるかしら?」
そしてクロードは思い出した。
彼女が生まれた時のことを。
「そういえば、俺も忘れていたし、君には話していなかったんだが……リタのあの真っ赤な右眼だが、もしかすると魔眼かもしれない。当時は気のせいかと思っていたし、今の話と全く関係ないことかもしれない。だが、彼女が生まれたとき俺でも君のでもない色の瞳だから、珍しいなと思って見ていたんだ。その時に一瞬だけ、右眼に何か光る模様のようなものが見えた気がしたんだ……」