昼下がりのアステライト邸 1
シンが、リタ・アステライトとして転生してから三回目の夏を迎えたある日。
クリシェの街にあるアステライト邸では、今日も双子の姉妹の声が響いている。
それは小洒落たレンガ造りの洋館に綺麗な芝生の庭、リタ曰く異世界とはまさにコレと言わしめる建物だ。
正直、歴史のことはよく分からないが、中世から近世あたりの欧州を彷彿させるこの街の街並みはリタの心を躍らせていた。
リタは白銀のストレートヘアを腰まで伸ばし、真紅の右眼と蒼穹のように澄んだ青の左眼をしている。
雪のように白い肌ではあるが、生気が無いという訳ではなく、コロコロ変わる表情に強すぎる好奇心を持ち、快活な女の子に成長している。
対して、彼女の双子の妹であるエリス・アステライトは同じく白銀の長髪に、琥珀色の両眼をしている。
少し人見知りであるが、年齢を考えると非常に落ち着いており表情もどこかクールだ。
いつもお揃いの服を来て、顔つきも非常に似ている二人であるが、親バカのクロードをして太陽と月と呼ぶように、纏う雰囲気には違いがあった。
――――正に、天使!!
リタは悶絶していた。
はっきり言おう、可愛すぎるだろ私たち姉妹!
特に妹のエリス! お前に至ってはマジでヤバい。
その顔で「お姉ちゃん」は無理! お姉ちゃんは萌え死にします!
こりゃ、父がデレデレしてるのも分かりますね、ええ。と、リタはおじさん臭い笑みを浮かべて考える。
既にある程度吹っ切れたリタは美幼女ライフを満喫していた。選択肢がある訳でもないし、それが許される立場でもないのだ。
決してノルエルタージュの事を忘れている訳では無い。前世から続く直感は、確かに彼女が転生していることを告げている。合わせて、今は安全で幸せな暮らしをしているであろう事を。
とにかく子供の身体では行ける場所も出来る事も限られる。まずは成長して自分の力で生きていけるようにならなければならない。
それまではひたすらに妹を愛で、彼女を立派なレディに仕立て上げなくては。
リタはニヤニヤしながら、成長していく妹の姿を妄想し鼻息を荒くしていた。
「はぁ、またお姉ちゃんの病気が始まった……」
エリスは、下品な笑みを浮かべる姉の姿を眺めながら、ため息と共に呟く。時々、ああして姉はおかしくなることがあるのだ。そうかと思えば、時折大人びた表情を見せることもある。
狭いコミュニティしか知らない自分でも、きっと姉が変わり者なんだということは分かる。そんな年齢に見合わないことを考えるエリスの視線に、リタが気付くことはついに無かった。
街に正午を告げる鐘が鳴り響く。
「リター、エリスー、そろそろ降りておいで!」
姉妹の母が階下から呼ぶ声がする。
そろそろ昼食の時間だろう。いい香りが漂っている。
「「はーい!」」
双子は同時に元気な返事をして階段を駆け降りていく。リタは、自分の思考が割と身体の年齢に引っ張られているなと感じていた。
しかし、それは決して嫌な感覚では無い。
家族と共に過ごすことのできる幸福を、今は噛み締めていたかった。
母であるリィナは非常に若々しく、下手すると十代に見える。
双子と同じ白銀のロングヘアをいつも後ろで結んでいる。
優しそうな琥珀色の瞳であるが、怒ると一番怖いのをリタは知っている。
そして、すらっとした体躯に平坦な胸。正直に言うと少女体型だ。
受け入れなければならないのなら、楽しんだ方がいい。それに、彼女がくれたこの人生を否定することなんて出来ない。リタはそう思って生きている。
いつしか自分も、胸の事を気にする日が来るのだろうか。……私たち姉妹に望みは薄いけれど。
そういえばノエルもぺたん娘だったなと可笑しくなる。ちょっとした共通点だ。後は右眼の色くらいだろうか? まあ、今世で彼女がどんな容姿をしているのかは分からないが。
いや、待って。私が女の子になったくらいだから……。
流石にゴリラみたいな男には転生して……ませんよね? そうなったらゴリエルタージュとでも呼ぼうか。
いきなり一人で頭を抱えて悶絶するリタを見て、エリスはまたため息をついた。
オーク材に似た木材の温かみのあるダイニングテーブルには、既にいくつかの皿が並んでいる。双子がいつもの席につくと、リィナがよそってくれる。
父のクロードは仕事に出ているし、この家には使用人もいない。母の手料理を、三人で囲むのがいつもの昼の光景だ。
「はい、今日はシチューよ。召し上がれ」
「「いただきまーす!」」
姉妹がおおよそ三歳とは思えない行儀の良さで食事を取っているのを、リィナは優しい笑みで見つめている。
やっぱり、この世界のご飯は美味しい。
リタは地球で生きていた時にはほとんどまともな食材を食べたことがなかった。
口にするものは乾燥して固めた栄養素か、まずいゼリーくらいだったからだ。
ああ、異世界は今日も最高です。
「リタは本当に美味しそうに食べるわね。美味しい?」
「うん!」
笑顔でうんうんと頷きながら食べるリタ。
これもいつもの光景だ。
「エリスも美味しい?」
「うん、美味しい!」
これまた笑顔の双子を見て、リィナも満足そうに笑うとようやく自分の食事に手をつけるのであった。
食事を終えると、お勉強の時間である。
お勉強と言っても、本を読んでもらったり簡単な数や文字について習うだけなのだが。
こういう時は、双子で良かったと思っている。
童貞には子供が居ようはずも無く、どの程度のスピードで子供が発育するのか、普通が分からなかったのだ。だからリタはとにかくエリスの真似をして、エリスより少しできない子を装った。
そこに誤算があったとすれば、エリスが稀代の天才児だった事だろう。胎内にいる時にリタの魔力の影響を受け過ぎてしまったのかもしれない。
そもそも、リタは気付いていないのだが、アルトヘイヴンの人間は心身の発達速度が速い。それだけ人類が苛酷な環境を生き延び適応してきた、と言い換えることもできるであろう。
だが、そうであったとしても、彼女たちはとびっきり特別だったのだ。リィナは以前より、何故自分たちからこんなに優秀な子達が産まれてきたのだろうと不思議に思っていた。
クロードもリィナも、元は一流の冒険者であった。
クロードは前衛、リィナは魔術師として同じパーティーで多くの修羅場を潜った。結婚しても、あの事件を機に引退するまでは、第一線で戦っていた。
そんな自分たちの子供だ。ある程度の才能があるんじゃないかって期待は勿論持っていた。現に姉妹の才能は素晴らしい。それはとても誇らしいし、嬉しい。
だが、はっきり言うと異常だ。
リィナが初めて魔術に触れたのは六歳の時だった。簡単な文字がようやく読めるようになったのもそれくらいだったと記憶している。
だが、姉妹は違った。
三歳にして既にある程度の文字が読める。……そして恐らく、もう魔術が使える。意識していないとしても。
以前見かけたとき、彼女たちは不思議な遊びをしていた。手も足も使わずにボールを投げあって遊んでいたのだ。
とても楽しそうに、自然な様子で遊ぶ彼女たちの様子を見てリィナは悟った。
ああ、彼女たちは違うんだと。
彼女たちが望むなら、間違いなくこの国の宮廷魔術師、いやこの世界のトップクラスの魔術師となれるだけの才能がある。私たちが、そんな才能を持つ彼女たちにしてやれることは何だろうか。
そんなことを思いながらも、目の前の二人を見ていると自然と笑みが零れる。
「そういえば、まだ話したことのないおとぎ話をしましょうか。邪神にとらわれたお姫様と、彼女を救った異界の魔法使いの話――――」