月夜を駆ける執行者
王都グランヴィリア。そこは、数十万もの人間が暮らす、グランヴィル王国の首都にして大陸有数の大都市である。リタ曰く、王都はまるで文明レベルが何世代も先と言わしめる程、王国の他の街とは一線を画す。比較的治安は良く、美しい街並みや城塞都市としての機能も有名であるが、それは極めて表面的なものだ。
増え続ける人口に対して、人々は建物の高層化を進めながら暮らしていたが、限界が近いことを国の上層部は悟っていた。そろそろ第五次都市拡張計画を実行に移すべきか、と議論に多くの時間を割いているくらいだ。
実際に、貴族街や大通り沿いは変わらず賑やかで活発な印象であったが、少し中央から離れれば職にあぶれた者も多く、貧富の格差も徐々に拡大しつつあった。王国は農耕も盛んであったが、王都には最早そんな土地は残っていないのである。だが、壁の再拡大には多くの費用と労力を必要とする。労力に関しては雇用の創出に繋がるものではあるものの、職人だけではなく多くの優秀な冒険者や魔術師を動員する必要がある。また、巨大な壁を建設する費用やその後に生まれる利権を巡って、議会はいつも紛糾するのであった。
もうすぐ夏を迎える王都は、田舎町とは異なり夜も通りは明るく、多くの飲食店から賑やかな声が響いている。そんな様子を建物の屋根から眺める小柄な人物がいた。
王国ではまず見ることの無いデザインの、真っ黒な服に身を包んでいるその人物は、外套のフードを目深に被り、右眼には眼帯をしている。そう、リタ・アステライトである。
「――少佐。状況を聞こうか」
リタは、建物の屋根を音も無く駆け、時計塔の陰に身を潜めると小声でそう話した。耳から口元まで小型のヘッドセット型魔道具が伸びている。勿論、こんなものは必要ないのだが、カッコいいから作ったのだ。
「はっ! フォックストロット小隊が、六号標的と接敵。交戦の末、壊滅しました」
「そうか。私が直接叩く! 道案内を頼む!」
そう話すと、リタは夜闇に紛れ疾走を開始した。怪しく輝く二つの月を背に、屋根から屋根を渡る。魔力を注ぎ、身に纏うコートに刻まれた魔法陣を起動することで、更に光と音を吸収し闇そのものと化していく。
「大佐、二十メートル先を北へ。大通りを迂回しつつ、耕作地区方面へ!」
時折月明りを遮る小柄な影に、上を見上げる人間も居たが誰一人として彼女を視認できるものはいなかった。
「少佐、標的を視認した。そちらも危険だ、撤退せよ」
「はっ! 撤退行動を開始します。……大佐、ご武運を」
「言われるまでも無い。――――リタ・アステライト、推して参る!」
そうしてリタは足音を殺して耕作地帯を駆け抜けていく。先日作成した装備の性能は上々だ。静穏性も伸縮性も抜群で、リタは思わず笑みを零す。だが、何もかもが計画通りに運ぶほど、この世の中は上手く出来ていない。
「リタちゃーん。まだ、これ続けるんですかぁ? 私、原稿読むの飽きちゃいました~」
「ユ、ユミア少佐!? わ、分かった。プリン一個追加するから! もうちょっと付き合って! お願い!!」
「イエス・マム! ってまずいですぅ~。大佐、最重要標的の接近を確認!!」
「承知! 即時帰還する! 準備を!!」
「は、はひっ!」
ヘッドセットの奥でドタバタと準備をする音が聞こえる。リタはそのまま、耕作地帯に建てられた小屋の陰に入ると、転移魔法で帰還した。
途端に明るい部屋の照明が出迎えた。ここは、女子寮のユミアの部屋である。残念ながらルームメイトは退学者となったようで、彼女は昨夜から一人で暮らしている。リタは、作戦遂行のため、ユミアには転移が使えることを話していた。
周囲を見渡せば、丁度ユミアが慌てて部屋の鍵を閉めている後姿が目に入った。
『夜明けだ』
リタが魔力を込めてそう呟くと、全身を覆っていた漆黒の装備に切れ目が入り、分裂していく。そのままブーツ以外の装備は、ひとつに集まって固まると直方体を形成し表面が硬化された。
下着姿になってしまったリタに、ユミアが服を着せる。リタは、アニメで見たことのあるスーツケース型に変形した漆黒の装備を蹴飛ばして、ベッドの下に押しやる。その時、タイミングを計ったかのようにノックの音が響いた。
「は、はぁ~い!」
ユミアは、リタの方を見て一度頷くと、扉の方に向かっていく。だが、机の上に広げられた新作装備性能試験概要と最重要標的追跡装置が目に入った。慌ててリタはそれらをまとめてベッドの下に押し込む。
そして、ゆっくりと開かれた部屋の扉の向こうには、最重要標的ことエリスの姿があった。
(ふぅ。バレずに済んだ……)
「あ、やっぱりこっち来てたんだ。お姉ちゃん?」
「う、うん」
エリスの微笑みに、リタは頷いた。
「リタちゃんは、私が寂しがってると思って、遊びに来てくれたんですよ?」
続くユミアの笑顔に、リタはたじろぐ。それもまた、事実であったことには違いないからだ。少し顔が熱くなったのをリタは自覚していた。
「それで? お姉ちゃんとユミアちゃんは何をして遊んでたのかな? わざわざ、魔力遮断の結界まで部屋に張ってさ?」
エリスは周囲を見渡すと、目を細めてリタを見る。
「ちょっと、ユミアに魔術の指南をね。それにしても、エリスもよく分かるようになったね~」
エリスの笑顔の圧力に、リタは微妙に視線をずらしながら答える。ユミアは引き攣った笑みを浮かべていた。エリスは、そんなユミアの微妙な表情を見た後、リタの方を見て笑みを深める。
「へぇ? 例えば、どんな?」
「そ、それは……。えっと、何だっけ、アレ! ね、ユミア?」
リタは、状況を打破する術が思い浮かばず、とりあえずユミアにぶん投げた。後でプリンもう一個と言えば許してくれるだろう。
「え、えぇ~! えっと、その……。水属性の、中級魔術についてちょっと?」
頬を掻きながら話すユミアの表情に、リタは思わず頭を抱えたくなった。彼女は普段から、少しおっとりとしていて、教会出身だからなのかは分からないが人を騙すなんてこととは無縁の性格だ。
「ユミアちゃんがそう言うなら、そういうことにしといてあげる。でもね、ユミアちゃん。ちゃんとお姉ちゃんが変な事を強要させようとしても、断らないとダメだよ? よく分からないことをしようとしてるときは、大体悪い結果に終わるからね? もし、お姉ちゃんに脅されたりしたら私に言ってね?」
エリスは心配そうな顔でユミアの両手を握ってそう話す。
「姉に対する信頼が皆無な件――――」
「えっと、エリスちゃん? 色々新鮮で楽しかったから、いいんです」
そう言って笑顔を見せるユミアに、安心したような様子のエリスは、リタの方を見る。
「お姉ちゃん、あんまりユミアちゃんを困らせたらだめだよ?」
そう言って肩をすくめたエリスに、リタは苦笑いを返す。とりあえずバレなかったが、エリスは訝しんでいるだろう。次からはもっと気を付けないといけないな、とリタは思うのであった。
エリスを加えて三人になったユミアの部屋は、和やかな空気に満たされる。リタが作った色々なお菓子と、エリスが淹れた紅茶を楽しみながら、夜は更けていく。
いよいよ明日から、新しい学級での授業が始まる。案の定と言えば聞こえはいいが、正直準決勝を棄権したため、どうなるか不安なところもあったリタだが、無事に特戦クラスへの配属が言い渡されていた。
「そう言えばエリスちゃん。特戦クラスってそもそも何ですか? 私には関係ないと思ってたから、あんまり知らなくて」
そんなユミアの疑問に答えるように、エリスは解説を始める。リタに聞かなかったのは間違いなく正解だとは思うが、最初から眼中にないといった態度のユミアに、リタはちょっとだけ複雑であった。
エリス曰く、特別魔導戦術クラス――通称特戦クラス――の創設は、王国黎明期において、まだ学院が士官学校だったころに専門課程として開設されたことに遡る。当時、王国において異端であった魔術を本格的に組み込んだ大規模軍事行動を実施することを目標に、その指揮官を育成するための特別課程として始まったという。
そして実際に、このクラス出身の当時の指揮官たちは、類稀なる戦術を以って王国軍を指揮した。群雄割拠の時代に、破竹の勢いで快進撃を続けた王国軍の活躍もあり、王都ひとつから始まったこの国も、広大な領土を獲得するに至ったらしい。
実は現在も王国は、ダルヴァン帝国との戦争状態にある。この戦争は、帝国による領土侵犯への報復戦である西方戦役に端を発したものだ。とはいえ、十年以上停戦状態が続いている状況で、最後となる前回の小競り合いでも大規模戦闘に発展しなかったこともあり、国民にその意識は薄い。
だから、今年の特戦クラスの開設に関する噂には、様々な憶測が付帯していたが、真相はロゼッタのみが知ると言ったところであろう。
ユミアに解説しながら、エリスの脳裏には訓練場の上空で涙を流していたロゼッタの姿が過っていた。姉は長話に飽きたのか、うつらうつらと船を漕いでいる。
(本当に、入学式で語っていた理由だけで教壇に立つ気になったんだったら、それはそれでいいんだけど)
「ま、そのうち分かるか……」
エリスの口から洩れた呟きに、眠そうな顔のユミアが答える。
「何か言いました? エリスちゃん」
「ううん。そろそろお暇するね、おやすみ」
「はい、おやすみなさい!」
そうしてエリスは間抜け面の姉を引き摺って、ユミアの部屋を出た。そして、姉を部屋に送り届けたエリスは、自室でロゼッタに渡された魔導書の続きを読む。
恐らくこれも非常に貴重なものであることには違い無いだろう。神聖文字で書かれたその魔導書には、魂と魔力についての考察が記されている。当たり前のように、神聖文字の本を手渡したロゼッタには苦笑いを返すしかなかった。
これが、ロゼッタの言うとっておきの魔法に必要な知識なのだろうか。今は分からない。だが、もしそれで姉の役に立てる可能性があるのなら、必ず自分のものにしなければならない。
エリスは変わらない決意を胸に、深夜までその解読に勤しんでいた。