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夜は涙の溜まる場所

作者: 伏籠 洋介

、 全ての夜を払うような強い光が、暗いスタンド裏から出てきた私を照らした。

 二千二十一年八月十五日夜二十時、東京オリンピック開会式。

 神輿を模した、山車が、私の前に止まった。

 おばあちゃんがデザインした、満ち欠けする新月に流星を散らした模様の、シルクのドレスを着て、そのてっぺんに私は登った。

 すると、見聞きした事のない光と歓声を私は受けた。

 私は「無明」に問いかけた。

 「私は神のごとき光に包まれている」

 「どう、今日でお前はこの光によって、私の中から消え去るのだよ」

 だが、無明は新月の空の様に何時もの通り、何も答えず、暗闇の中で沈黙を保っているだけだった。

 私と無明の出会いは何時だったろう。

 確か、小さい頃、お婆ちゃんに添寝してもらっている時、妹が何時の間にか二人の間に割り込んでいるのに気づいた瞬間だと思う。

 私が心に初めて無明を感じのは。

 その時私は涙を流したと思う。

 けれど無明はすぐにお婆ちゃんと妹と私の暖かい体温に溶け、それきり新月の如き闇の中に消えて行った。

 だがその次に無明が現れたのは、音楽大学の声楽科に入学してからだった。

 授業中、私が歌うと、先生は私を

 「素晴らしい、そのソプラノの伸びを、もっと活かして」と褒めた。

 しかし、私の後に指された女の子が歌うと、先生はこう言った。

   「素晴らしい、今この学年で一番のソプラノです」

   隣の子が私に囁いた。 

   「あの子、ママとパパがイタリアの楽団に所属していて、両方とも歌手なんだって」

   「あの子の声はイタリア仕込みらしいよ」

   途端何年かぶりに無明は私の中に現れた。

   それは私の心を夜の闇に落とし、苛んだ。

   ママは女優をしている、この間の映画でも賞を取った。

   ママの周りは何時も金色の柔らかい光に満たされているみたいで、男女問わず夢中だった。

   ママは何時もにっこり微笑んでいた。

   パパはニュースキャスター、毎日テレビでて報道番組をしている。

   「夜眠るという事は、死んでいるのと同じだ」と彼は事あることに私に言った。

   それが彼のポリシーだっだ。

   このパパとママに私が全てを与えられて育てられた。その贈与品に、煙る様な影は何と一つない。

   けれど、イタリア仕込みのその子に負けた日、私は部屋で無明を胸に抱いてベットに横たわっていた。

   その時も私は涙を流していたと思う。

   気が付くと、何時の間にか部屋に入って来たパパが私のおでこを撫でてこう言った。

   「どうしたの」

   私は頭を振った。

   あの子に負けた事をパパには言わなかった。

   「パパの娘だったらわかるだろう」

   「眠らず努力して、何時も皆さんを照らす光とおなり」

  そこから私はずうっと努力を続けた。光となれるよう、夜も眠らず、寸暇を惜しんで。

 そして卒業の時、私は代表で、アリアを歌った。そうすると今まで小さな意地悪をしてきたイタリア仕込みのその子が、私に視線をくれ無かったのを私は見逃さなかった。

 やがて親許を離れた私は、一人の男性と付き合い始めた。

 その人は笑顔の美しい人で、性格も穏やかだった。私達は怠惰な恋愛をし、やがて、結婚した。 披露宴の夜、私はおばあちゃんがデザインした、満月のイブニングドレスを着ていた。満月が太陽の光を受ける様に、私は結婚式で輝いた。


 それから私達は結婚式の満月の様な輝きから落ち着きを取り戻し普通の結婚生活を送ったが、一つだけ違ったのは、夫はF1レーサーだった事だった。 

 私はセレブになった。 そして月はハーフムーンとなり、私は夫のベターハーフとなった。

 そして時が経ち、私は、女の子を産んだ。

 金色に光る和毛を揺らして眠るわが子を見つめていると、夫が後ろから抱きしめて私を求めた。

   私達は朝日の差し込むまぶしいベットでセックスした。体液さえも輝くこの寝室で。

 私はもう夜眠らなかった。我が子の為に、夫の為に完璧な世界を用意しなけばならない。

 輝き続けなければならない、太陽も月も。

 だから最低限必要な時、日の光の中で瞼を閉じた。

 直ぐに眠りという死から覚められるよう。 

 眠りの中でも月も太陽も輝き続けていた。

 いつか行った北欧の白夜の様、夜という闇等無くなって仕舞えば、と私は思った。

 私は歌手のキャリアを積んで、東京オリンピックの国歌斉唱のオーディションに進んだ。

 公開のオーディションには沢山の歌手が応募していた。

 勿論私は最終選考まで残った。

 観客の入った最終選考会の場で一際私は輝かしく歌った。

 けれど、ただ一人、観客の喝采を浴びている若い歌手が居た。彼女はとても美しく歌った。とても。とても。

 しかし、最終選考は、パパが参加している選考委員会の組織票がモノを言い、東京オリンピックの国家斉唱の大役は私に決まった。 

 大輪の薔薇の花束を抱え、その最も美しく歌った女の子が私にお目出とうと近づき、首筋にキスをした。その瞬間、ちくっと首に痛みが走った。その娘が私の首に犬歯を立てていた。ゆっくりとその娘が首筋から唇を離すと、血が一筋流れた。涙のような潤いを感じて、その子が自身の中に無明を産んだのを私は察した。その時私は月が欠け始めるデザインのドレスを着ていた。

 開会式の日、わずかな間私は眠った。

 そして夢を見た。

 夢の中で私は、暗い森の中、彷徨っていた。白いシュミーズを揺らし、下草が私の足を切り裂く。

 私は子供なのか、大人なのか分からない、とにかく明るい方を目指して森を迷う。

 すると森の中に井戸があった。その井戸を覗くと闇を払う様な光が見えた。私は石をその中へ投げ入れた。カランと音がした。空井戸だった。私は空井戸の中を覗いていると、やがて落ちる様な気持ちになってものすごく怖くなった。落ちる。

 そこで目が覚めた。そこは何時もの光のベットだった。喉が渇いた。私は我慢できずにベッドサイドテーブルの上にあった花瓶の水をごくごく飲んだ。

 腐っていた。

 そして今、この山車の上、世界中で一番輝く場所で、私は光る、私の歌で、世界を照らす。例え世界殺人オリンピックが行われている中東にも、私の声と光が届くだろう。そして私の娘を含めた全ての人に光明を。私は無明に囁いた。

 今にして思えば本当は私は気づいていたのだろう、

 光と無明、渇きと潤い、すべてが片方だけで存在するわけではない。互いに対為す陰と陽の様に。月が満ち欠けを繰り返す様に。

 だがすべての事象が流転していることに気が付いていながら、私は新月に流星の飛ぶ柄のドレスを着て、歌手として世界最高の舞台に上った。

「もう、お前に居場所はない」

 楽隊の前に立ち、すうっと息を吸う。そして歌いだす。

 「き、」声が出ない。

 「み、」喉が掠れる、唇がひび割れる。

 そこで私の開会式での記憶がなくなった。

 気が付くと暗い場所に寝かされていた。私が忌む夜の暗い部屋で。私は思った、夜とは何の為に有るのか、全ては光の中にあるべきだ。

  私は無明に問うた、夜は何の為に有るのか。 

 無明は、生まれて、初めて、答えた。

「夜は、涙の、溜まる、場所」

 その声が聞こえた瞬間、無明から涙がとくとくと溢れて、ひび割れた私を、潤していった。


  

  了

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