記憶
少し寝すぎただろうか。
目を覚ますと時計の針は正午を指していた。
どうやらいつの間にか眠りについていたらしい。
「おはよう、レイチェル。」
美しい金髪の女性は、透き通った声で 私に会釈した。
その女性はどこかで会ったことのある人物であると悟った。
しかしどこで出会った人物か、名前すら思い出せない。
「…?」
状況が上手く把握出来ない。
暫くぼーっとしてしまった。
意識がゆっくりと明白になっていく。
すると自分が今いる場所に違和感を感じるようになったのだ。
ここはどこだ…?
学校の教室くらいの広さの部屋にいるのだ。
そこに6つのベッドがある。
向かいに3つずつ並べられ、私と金髪の女性のいるベッド、そして私の左側にもうひとつベッドがある。
病室のようだ。
しかし病院ではない。
洋風の作りの部屋だ。
一体…。
一番新しい記憶の中では、こんな場所にいた覚えはない。
自室のベッドで横たわった事は覚えている。
疲れ果ててしまった私は、深海に沈んで行くような感覚になった。
全身が何かに押さえつけられているような圧を感じた。
頭が歪むような狂いを感じた。
一体何なんだ。
ふと自分の手足に違和感を感じた。
ゆっくりと自分の左手に目をやる。
無理やり契った布切れでベッドの柵に縛りつけられていた。
右手両足も同様だ。
状況を把握出来ず困惑した。
「寝ぼけているの?」
金髪の女性は私に声を掛けた。
彼女は隣のベッドで上半身を起こしてこちらを見て微笑んでいた。
「え?」
思わず声が出てしまった。
私の声は少し掠れていた。
女性は表情を変えずに口を開いた。
「もしかして、何も覚えていないの?」
なんの事だ…?
全く分からず自分の両手を再び見てみる。
ぎゅっと縛られている。
「あなた、1ヶ月も眠っていたのよ。
フレッドやジャックに沢山殴られていたんだもの。
怪我はもう消えているけれども、記憶は曖昧みたいね…。」
フレッド?ジャック?
そんな友人は私にいただろうか?
目の前のベッドの天井に『FRED』と書かれている。
またその左のベッドの天井『JACK』と書かれている。
右斜め前のベッドの上を見ると、同様に天井には『DOROTHY』
左側のベッドの天井には『EMMA』
私の真上には『RACHEL』
私の名前が書かれている。
金髪の女性のいるベッドの天井には『ISABEL』
それぞれのベッドの真上に名前が書かれている。
誰が書いたのだろうか。
金髪の女性の名はどうやらイザベルと言うらしい。
「イザベル…さん?」
私は恐る恐る声を掛ける。
すると落ち着いた声で
「イザベルでいいわよ。」
と目を細めて言う。
「じゃあ…イザベル。」
「何?」
彼女はとても美しかった。
私はたどたどしい口調で質問する。
「あの、ここは一体どこですか?」
「ここはあなたの脳内よ。」
……?
私は更に困惑した。
何を言っているんだ。
「1から説明した方が良さそうね。」
イザベルはベッドからゆっくり床に降りた。
そして私の方に近づき、足に巻きついた布切れを解こうする。
結び目を解きながら彼女は言う。
「ここはね、あなたの脳内。
あなたの中には、あなたを含めて6人の人がいてね、それぞれ違う性格なの。」
話を要約すると、私はどうやら多重人格者らしい。
主人格である私以外の6人の性格はバラバラで、それぞれが今までは上手く共存していた。
ある日、フレッドとジャックがエマを虐めるようになった。
エマは幼く、抵抗できなかった為、ドロシーやイザベルが止めに入るが、止めることが出来ずにエマは2人の暴力によって死んでしまった。
主人格である私は、常に記憶の所有権を握っていた。
エマが死んでからはその矛先が私に向けられ、私が攻撃を受けるようになった。
記憶の所有権は2人の物になり、現実での私の行動は荒れ狂うようになった。
どうやら現実の私は、精神病棟に強制収容させられたらしい。
そして今、主人格以外の人格を1つずつ削除していく手術が行われているらしい。
エマの死体、ドロシーの体が消え、その次にフレッドとジャックは消えた。
フレッドとジャックが消えてから私が目覚めたらしい。
そして話し終わった頃には私の四肢の拘束は解けた。
手首足首に巻きついた布の跡が残っている。
「ありがとうございます。」
一通り話を聞いて理解した私は、イザベルに礼をする。
イザベルは首を横に振る。
「もうすぐ私も消えてしまうわ。」
そんな事をいう彼女は、寂しそうな表情で私の右手を両手で握った。
「そんな、私はどうすれば…。」
「また元の生活に戻るだけよ、心配しないで。」
「私は1人になるんですか?」
「そうよ、でもみんな1人で生きているの。」
「怖いです。」
「怖くなんてないわ。」
「手術が失敗したらどうなるんでしょうか?」
「わからない。
でもあなたなら上手くやって行けるわ。」
「そんな…。」
「もうさよならをしなきゃいけないみたい。」
「行かないで!」
まだ聞きたい事があるのに。
まだ色々な話を聞きたいのに。
まだ私は不安なのに。
「さようなら。
あなたならやっていけるわ。」
「嫌だ!」
何故か私に恐怖心が募る。
「ドロシーがね、あなたが目覚めたら言って欲しいことがあるって言っていた事があるの。
あなたの事が大好きだって。」
私の不安に塗れた表情とは全く違い、穏やかな表情のイザベルは私の手を離した。
瞬きをした一瞬で、彼女は居なくなった。
私は暫く自分の右手を眺めた。
ゆっくりとベッドから起き上がる。
立ちくらみでふらつきながら部屋を見渡す。
6人分のベッド。
窓の外を見ると草原が広がっていた。
青い空に白い雲が浮かび、暖かい春の日差しが部屋に射し込んでいる。
これが私の脳内。
私は窓を開ける。
風がふわりと頬を撫でる。
私の髪が揺れて、優しい花の香りに包まれる。
最後にイザベルが言っていた言葉を思い出す。
ドロシーの「大好きだ。」は何を意図しているのか。
会ったことも無い他人に大好きだなんて。
いや、他人ではなく自分なのかもしれない。
イザベルも他人ではなく自分。
先程話に聞いたエマ、フレッド、ジャックも、恐らく紛れもない自分自身なのだ。
会ったことも無いのに不思議だ。
すると私の視界は草原とは一転、真っ白な天井に突然変わった。
「レイチェルさん目覚めました。」
女性の声が聞こえた。
イザベルではない。
すると視界に医者の格好をした男性が現れる。
「自分の名前を言えますか?」
男性に問われて私は答える。
「私は…。」
答えようとしたが上手く言葉が出ない。
私は…誰だ?
そのまま私は全身の力が抜けていくのを感じた。
死んだ。
そう理解した。
私は死んだ。
上手くいくとイザベルに言われたのに、申し訳ないな。
次の記憶は、赤々とした生暖かい空間で目を覚ました時だ。
恐らくここは…子宮の中だ。
あなたの中にもあなた以外のあなたが居るかもしれませんね。
初めての短編小説でしたが、いかがだったでしょうか。
感想等を教えてくれるとありがたいです。