9手目. 棋士の鏡
訓練が行き届いているであろう屈強な衛士たちの鋭い視線が集まり、重い空気を漂わせる古城の謁見の間。
ブルクハウセン王国の国王、コルネリウス=エッセリンク=フォン=ブルクハウセンの前にはヘチマ卿と呼ばれる伯爵が跪いていた。
(この男が噂のヘチマ卿か。なんとも奇怪な)
そう国王が思うのも当然、クリスは浅葱色の鮮やかな和服を纏っていたからだ。
この世界に和服は存在していない。前世からの拘りを貫く、クリス自慢の特注品なのだ。
「よく来てくれた、レイフェルス卿よ。面を上げてくれ」
国王は初対面の貴族を威圧する素振りも見せず、優しく言葉をかける。
この王は陰では「風見王」などと呼ばれていた。
風を見る王などなかなか恰好いい別名だが、その実、風見鶏のようにくるくると周りに合わせて態度を変えることで悪評が立っていた。
とは言え、国の為に魑魅魍魎の跋扈する王族・貴族の間に立ち、意見を聞き、調整して丸く収める、という点ではある意味有能ではあった。
国王と一介の貴族を比較するのも烏滸がましいが、「ヘチマ卿」などより百倍マシであることは明らかだ。
そしてクリスは安堵していた。
彼は国王陛下に対する礼儀作法など知らなかった。
もし会って間もなく威圧されたら堪らない。正しい対処方法が分からないのだ。
屋敷にて四女から、馬車で移動中には長女から口酸っぱく教えられてはいたが、興味のないことは大して頭に入らない。
まさしく「棋士の鏡」であった。
「この度、ハウトヴァスト帝国の侵攻を二度に渡り退けたと聞いておる」
「はい、国王陛下。幸運にも恵まれ、何とかなりました」
ヘチマ卿の人を食ったような言葉に、控える衛士は俄かに色めき立つ。
「よい」
周りの者を諌めながら、国王は言葉を続ける。
「して、帝国との戦、其方はどう見た」
「はい、私見となりますが謹んで申し上げます」
クリスは国王に、帝国軍の兵力と練度、将軍の器量、皇帝の思惑、といったリシェからの情報を分析した結果を惜しげもなく語った。
二度に渡る迎撃作戦についても隠し事なく、淡々と言の葉を紡いでいく。
緒戦、陽動が失敗した際の敵軍後方からの奇襲作戦や、二戦目、雨が降らなかった際の第二次爆破による封鎖分断作戦など、二の矢三の矢についても詳細に語る。
国王は難しい顔をしながら聞き入っているが、玉座の左手に控える四十前後の男は目の前の珍妙な存在に釘付けとなっていた。
男の名は、王弟ベルンハルト=エッセリンク。
王都より南の領土を統括する公爵にして、王国最強の将軍と名高い男であった。
(詐術や魔術のような類の作戦で追い返した、などとは聞いていたが・・・)
(5万の大軍を僅か2千で撃退、だと?そして黒色火薬の改良とは・・・)
(少なくとも噂になるような愚かな男では決してない。そして誠実に、陛下の信を得ようとしている怜悧な目だ)
「陛下、一つお願いがあるのですが」
突然クリスは、国王に向かって無礼に申し出る。
続く言葉に対し、国王は頷く王弟を見て、許可を出した。
「大儀であった」
国王のこの台詞を聞いたら退席してもよいとセシリアから聞いていたクリスは、教えられた礼儀を一通り尽くして退席していった。
その晩、クリスは晩餐会へ出席していた。
王妃殿下からのお誘いである。華やかな場が苦手だからといって断れる訳がない。
五女のイェッタは「僕はパス」などと言ってエルベルトや他の遊撃隊の面々と護衛の配置に回っていった。
「行きますわよ、お兄様」
長女セシリアに連れられ、クリスは虚ろな表情で晩餐会が行われる広間に入っていくのだった。
初めて会う王妃殿下はお優しく、「舞踏会にしてもよかったのですが」などと未だ婚約者のいないレイフェルス兄妹をからかう。
そしてセシリアは水を得た魚のように生き生きと、元伯爵令嬢の立ち回りで次々と王都の貴族たちと会話を楽しみながら、自慢の兄を紹介していくのだった。
この長女の貴族としての処世術は、後にクリスを大いに助けることとなる。
そしてクリスは、このような場は言わずもがな前世から生粋の苦手分野だったが、将棋のタイトル戦の前夜祭で見たスポンサー企業に応対する先輩棋士を思い浮かべ、無理に笑顔を作って対応していた。
帝国との戦での活躍は王都にも広がっており、その洗練された容姿も相俟ってクリスの元には次々と麗しい令嬢が訪れるのだが、その奇妙な恰好と不自然な笑顔、また話題も理解不能なためやはり不審がられてしまうのだった。
◆
「順位戦一局よりも疲れた」
セシリアに昨夜の感想を聞かれたクリスは「もう勘弁してほしい」という顔で意味不明な感想を漏らしていた。
「問題ございませんわ。このわたくしがお兄様の伯爵としての責務をお手伝いさせていただきます」
「本当に助かるよ、セシリア」
昨夜、セシリアの立ち振る舞いを茫然と眺めながら、これからの貴族としての人生に絶望していたクリスは、心の底から安堵するのだった。
クリス一行の馬車は王都を離れ、故郷に向かってヴィンケル侯爵領へと入ってゆく。
ヴィンケル侯爵領内、街と街の間の馬車道は草原に囲まれ、普段は行商人や旅人が行き交っている安全な道であったが、今日は静寂に包まれていた。
往路よりも護衛の騎士が10名増えたクリス一行を除き、誰も通っていないのである。
そして一行の馬車と護衛の騎馬たちはそのまま道に沿って林道に進む。
「リシェの話だとここだね」
実は先程の街にて三女のリシェと密かに合流していたのだ。
「はい、お兄様。この林の先です」
イェッタとエルベルトはクリスの乗る馬車の近くへ騎馬を付け、弓の名手レネを含む遊撃隊の4名は馬を降り、林の中へ静かに消えていった。
「卿、な、何が起こるのだ?」
ただならぬ気配を感じ、馬車の中で心配そうにクリスの向かいの席に座っているのは、王都より同行しているフランセン宮中伯だ。
クリスは国王への謁見の際に一つお願いがある、と言って、
「ヴィンケル侯爵の名誉と尊厳に関わる重大な事柄です」と続けた。
王が信頼のできる者にレイフェルス領まで同行してもらうよう求めていたのだった。
「フランセン卿、問題ございません。少し騒がしくなりますが」
林の中、程なく近くを通過するであろうクリスの乗る馬車を弓で狙っていた者たちは、まさか自分が遠目から弓で狙われているなどと思わなかった。
何が起こったのか気付く間もなく、頭に矢を受け絶命していく。
笛の音が2回短く鳴ったのを合図に、イェッタを含む4名の騎士は、残りの護衛役3名と宮中伯の護衛10名を残して道の先に向かって騎馬で走りだした。
「レネが全部やりやがった」
周囲の警戒を終えたイェッタは不満そうに、大剣についた血を拭っていた。
「お疲れ様、イェッタ」
「兄貴、あいつらかなり訓練されていたぜ。漁ったが所属は不明。17名討伐。確認した範囲で4名逃がした。こっちは3名軽傷だ」
「上出来だ。遠見の角に好手有り、だな」
「兄貴、その例えいつもわかんねえよ」
馬車の護衛役で出番の無かったエルベルトは、そのことに安心したように大きく息を吐いたのだった。
そして馬車は無事林を抜け、レイフェルス領へ入る。
そこへ、リシェの斥候部隊の一員が追いついた。
「・・・遅くなった」
全身を暗い色の軽装で統一している男は、低く小さい声で、馬車から出てきたリシェに報告する。
「お疲れ様です、ヨハン。首尾はどうでしたか?」
「・・・問題ない。が、邪魔な5名を始末した。追手はいない」
普段は暗殺担当のヨハンと呼ばれた細身の男は、偵察担当であり伯爵家のリシェに封書を渡す。
彼女は中身を確認すると、直ぐにクリスに見せる。
「お兄様。こちらを」
「・・・うん、これで完璧だな」
「さてフランセン卿、今の襲撃の事実の報告と、こちらを国王陛下へお届けください」
クリスは未だに僅かに震える宮中伯に向けて、2通の書面を渡す。
「ヴィンケル侯爵が帝国と内通している証拠です」
1つ目は、ヨハンがヴィンケル侯爵家の屋敷にて奪った文書。
帝国のハルトマン少将と取り交わした、レイフェルス領の統治権分配に関する覚書。
2つ目は、帝国からの侵攻より前、クリスからヴィンケル侯爵に宛てた手紙の写しと、「知らぬ」との返信の手紙。
侯爵との敵対の可能性を考えていたクリスは、敢えて表向きは恭しく増援の協力を願いでる形で手紙を書いていたのだった。
そしてヴィンケル領での先代レイフェルス伯爵夫妻の襲撃と、帝国のレイフェルス侵攻、そして今回のクリス襲撃。
全てが線で繋がり、フランセン宮中伯から先程までの情けない表情が瞬時に消える。
「レイフェルス卿、この私フランセンが必ずや陛下にご報告する」
「ありがとうございます、フランセン卿」
宮中伯はレイフェルス領での一泊は危険と判断し、馬車を借りるとその足で直ぐに王都へ帰還していった。
◆
王弟ベルンハルトは、王都中心部にある自身の屋敷の一室にて、今回の事件の事後対応について考えていた。
(過ぎた野心を持つヴィンケルが消えたことは国にとっては歓迎だ)
(だが・・・)
ヴィンケル侯爵は、今回フランセン宮中伯によって齎された報告により、国家への反逆行為として爵位の剥奪、領地と財産の没収、そして斬首刑が執行された。
(旧ヴィンケル領は暫くは陛下の直轄地とするが・・・)
(帝国に接する要衝、西方の統治を誰に任せるか)
(あの男はどうなのか。あの佇まいと眼力。そして今回の功績。未だ底が知れぬ)
果たして敵となるのか味方となるのか。
そして王弟は静かに筆を走らせた。




