表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/19

8手目. 竜馬としてクリスとして

 僕は将棋を指している時間が一番幸せだ。

 世の中に溢れている余計な雑音や雑念から解放され、純粋に将棋の最善を探し続ける。

 恐らくこの世で最も贅沢な時間の過ごし方だと思えるのだ。


 今日は自室で四女のヘンリエッテと将棋盤を挟んで向かい合っていた。

 彼女は隙あらば僕に将棋を挑んでくるのだ。

 この異世界に、またこんな身近に僕と同類(と思える人間)がいたことは僥倖と言ってよかった。


 妹のヘンリエッテは感情をほとんど表情に出さない。

 それは将棋指しとして、大事な才能のひとつだ。

 通い慣れた序盤であれば表情などどうでもよいのだが、中終盤になると違ってくる。

 対戦相手が自分の形勢を良いと思っているのか悪いと思っているのか、自信があるのか困っているのか、それを見極めながら手を作っていくことになるのだ。

 特に、相手に自信がありそうな局面では、こちらは基本最善手を指し続けるのも勿論大事だが、敢えて相手が読んでいない手を指し、局面を複雑にして相手が間違えやすくすることも戦略として重要になる。


 それ故、自分の形勢が悪そうな時などでもポーカーフェイスを気取りながら、対戦相手が気分転換やトイレなどで席を外している際に頭を抱え「いやぁ」「マジか」などと相手に聞こえないように愚痴るのだ。

 将棋は人対人だ。人であれば間違いは必ず起こる。

 見えている盤面が情報の全てではあるのだが、そんな盤外の駆け引きもある競技なのだ。


 (この子は凄いな)

 ヘンリエッテは居飛車党だ。

 初心者には四間飛車から教えると分かりやすくて良い、などと言われているため振り飛車から教えた。

 そしてエルとの将棋では、器用に四間飛車を指していたりもする。

 じっくり駒組みを進め、焦れたエルに無理に攻めさせて、的確にカウンターを取っていく。

 かと思えば、教えてもいないのに「ポンポン桂」などの奇抜な駒損含みの対四間飛車急戦策を自ら考え付き、幻惑したりもする。


 そして僕との将棋では、伝統的で重厚な矢倉を好んで指してくる。

 矢倉の変化は膨大だ。古い戦型のため研究はかなり進んでいるが、現代でも端歩をいつ突くかなどは極めて難しい課題だ。

 しかしヘンリエッテの研究は深い。彼女が将棋にどれだけの時間を費やしているのか、指してみると実感するのだ。


 (覚えたてでここまで強くなるのか。末恐ろしいな)

 などと感想を持つのだが、素人の研究がプロ棋士相手に通用する訳もなく、僕はヘンリエッテの工夫を毎回簡単に跳ね返す。

 矢倉は純文学である、とは偉い先生のお言葉であるが、この黒髪の美少女の凛とした佇まいを見ると、然りと思えてくるのだった。



 僕は将棋を指しながら、ふと前世のことを思い出す。

 僕が「鳳条竜馬」だった頃の話だ。

 (僕は行方不明ということになっているのか。それとも死亡しているのだろうか)

 (あのコスプレ娘に聞いておけば良かったな)

 (両親は心配しているのかもしれない。親孝行出来なかったな)

 (帰る方法など全くわからないしな)


 竜馬はこれまで、自分の状況を冷静に振り返る暇すらなかったのだった。

 突然異世界に転生し、メイドを始め周りにいた知らない人間たちからの突然の侮蔑。

 そして突然の戦争。

 脳内将棋の時間は置いておいて、その場その場で最善手を指してきたつもりだが、自分を取り巻く環境は変化し続けた。


 こちらの世界に来た当初は、将棋が指せるならそれでいい、と思っていた。

 取り組む将棋の課題はいくらでもあったし、人の一生如きでは時間も全く足りなかった。

 前世でも子供の頃から「竜馬は将棋馬鹿だ」などと言われてすらいた。それ程他の事全てを犠牲にしていたのだ。

 棋士なんて奇特で変な人間は、みんなそんなものだと思う。


 しかしクリスとして転生し、生活し、家族、騎士、様々な人々との関係を持った今、竜馬の生きる目的は変化し始めていた。

 「静かに将棋が指せればそれでいい」という言葉に嘘はないが、自分の心に違う感情が芽生えていることも自覚しつつあった。



 クリスはヘンリエッテの自陣深く、大変に厳しい4一銀を打ち込みながら、更に振り返る。

 こちらの世界に来てから、一度だけ泣いたことを思い出したのだ。


 帝国の一度目の侵攻を防ぎ、5千の兵を全滅させた日。

 その日の深夜、クリスは眠れなかった。

 (倒した敵は、持ち駒にならず、当然死ぬ)


 部屋に訪れてきたのは、次女のクラウディアだった。

 クラウディアは何も言わずに兄をそっと抱き締めた。

 クリスは溢れてくる様々な感情を抑えきれず、優しい妹の胸の中でいつまでも泣き続けた。

 異世界で独りきりだと思っていた自分には、味方でいてくれる人々がいた。それを始めて実感したのだった。


 以前は軽蔑の眼差しを向けてきていた他の妹たちも、その日を境にどうやら評価が変わってきたらしい。

 家族の目線などどうでもいい、と思っていたのだが、存外嬉しいものだった。


 「『将棋』というものはどこの国の遊戯ですの?」

 「お兄様は不思議な知識を身に着けてらっしゃいますが・・・」

 などと関心を向けられるようになったのだ。


 「長く眠っていた夢の中で、僕は違う世界に生きていたんだ」

 などと嘯いているのだが、実は間違っていないんじゃないか、とも思えてくる。

 そしてこれからも、僕は彼女たちの兄でありたいと思うのだ。



 「お館様、国王陛下より書簡が」

 アドルフが持ってきた書簡には、国王陛下からの王都召喚命令が書いてあった。


 実はクリスは国王に会ったことがない。

 呆け、眠り続ける伯爵令息への爵位継承に、国王は勅許状を送り付けただけだったのだ。

 表向きは冷遇とも取れるが、しかしその裏には、西方を治めるヴィンケル侯爵の野心や疑惑を表沙汰にしたくない、という王族側の思惑もあった。


 クリスは当然国王に謁見すべく、出立の準備を整えていく。

 「これも仕事だしな。盤外戦術も必要だからね」

 などとやはりよく分からない台詞を吐きながら、代官アドルフにてきぱきと指示を出していく。


 この世界の知識が絶望的に足りない兄の参謀として不可欠になりつつある四女ヘンリエッテは、御供として長女セシリアと、護衛として五女イェッタの部隊を連れていくよう進言していた。

 クリスは大人しくそれに従いつつ、不在時の内政はアドルフを中心に、次女クラウディアを補佐として任命する。

 そしていざという時の軍の指揮官として、四女ヘンリエッテを返す刀で得意気に指名するのだった。


 そして、

 「正式な場には普通和服だよな」

 などという理解不能な拘りも見せ、気苦労の絶えないアドルフやセシリアを困らせていた。


 三女リシェは、帝国の調査から戻りクリスへ報告を行っていた。

 二度の遠征失敗、4万5千の兵の損失。

 責任論や兵の補充などで内政は厳しく、とても直ぐに再侵攻が出来る状態ではないだろう。

 しかしこのままでは強国としての面子が潰れるどころか、帝国の民心の乖離も懸念される状態のはずだ。


 「僕だったらレイフェルスに忍び込んで暗殺や破壊工作を成功させて、お茶を濁す」

 そんな言葉を受けて、リシェを含む斥候部隊は帝国の動きを調査していたのだ。


 直ぐに動きは無さそうである、という報告を受けたクリスは、帝国への斥候部隊を維持しながら規模を縮小させると共に、リシェに別の命令を下した。

 リシェは翌日、ヴィンケル侯爵領へ発っていった。



 ヴィンケル侯爵は腹に蓄えきったその立派な贅肉に負けず、野心の強い男だった。

 王国の実権を握る、などの大それた野心は抱けない程度の小物ではあったが、領地拡大の為には平気で帝国と手を結ぶような輩だ。


 そんな彼は、「ぐぬぬ」などという声が聞こえてきそうな程に、臍を噛む思いをしていた。

 「帝国め。大きな口を叩くだけの使えぬ奴らよ」


 領地拡大の好機と思われた先日の帝国との取引。

 帝国がレイフェルス領を荒した後、ヴィンケル領より「王国を守る」との正当な理由を持って挙兵する。

 取引に油断し疲弊した帝国兵を一掃、レイフェルス領を平定し、そのまま領地を我が物とする計画だったのだ。


 しかし、二度の帝国の侵攻を受けたレイフェルス家は、全くの無傷に見えた。

 密偵曰く「二度共にレイフェルス伯爵が指揮をとり、何やら奇策を用い、荒天にも恵まれて撃退した」とのことだった。


 「あり得ぬ。帝国の指揮官が愚物であっただけであろう。あの腐ったヘチマ卿になにが出来るというのだ」

 呷ったワイングラスをテーブルに叩きつけながら、2年前と同様、目の前に跪く顔を黒い布で覆った怪しげな男に命令する。


 「王都より西方は全て我が領土だ。あのヘチマを帰路で襲え」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ