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7手目. 禁じ手

 「おりゃああ!」

 レイフェルス騎士団の訓練所では、剣術の訓練が行われていた。

 未成年にも拘らず「騎士」として叙任されている五女イェッタは、馬術や槍術にも秀でているが、こと剣術に関しては騎士団の中に敵はいない。


 「どうした?もう終わりかい?」

 汗ひとつかかず、その細腕のどこからそんな膂力が出てくるか不思議に思うほどの大剣を背負うイェッタが見下ろす先、地面には「近衛騎士」になったばかりのエルベルトが這い蹲っていた。


 「はぁはぁ・・・イェッタ様、強すぎますよ」

 「エル!そんなことじゃいつまで経っても兄貴の腹心にはなれねえぞ?」


 この訓練は、イェッタから持ち掛けられたものだった。

 エルベルトより遥かに小柄な少女は、「お前を一人前にしてやる!ついてこい!」などと、もし同じ台詞を酒場で聞いたら卒倒しそうな言葉と共に、エルベルトを日々連れまわしているのだ。

 イェッタとの激しい戦闘訓練に辟易していた騎士団の連中は、安心から胸を撫で下ろしつつも、突然出世したエルベルトに嫉妬をするでもなく心の中で手を合わせていた。



 クリスは今日も空を眺めていた。

 空というよりも、空に行き交う雲を眺めていた。


 「うーん。ちょっと良くないな」


 帝国との戦いが終わってから既に4回目の報告に来ていたリシェを傍目に、クリスは顎に手を当てて何かを思案している。


 (将棋のこと、帝国のこと、或いは違う何か。お兄様のお心の中は私如きではとても)

 リシェはそんなことを思いながら、今や全幅の信頼を寄せる常に沈着冷静な兄に見入っていた。


 「お兄様、5万の軍勢とどう戦うのでしょうか?」

 彼女は静寂に耐え切れず気になっていることを問いかけるも、クリスは首を捻りながら

 「え?戦わないよ?負けるからね」

 などと嘯くのだ。


 「よし。そうしよう。多分足りるはずだ」

 クリスは独りで悩み、勝手に独りで解決して、「ご苦労様、リシェ。引き続き頼む」と言って屋敷の中に消えていった。



 クリスの自室には、四女ヘンリエッテ、五女の騎士イェッタ、代官アドルフ、騎士団長ヘロルト、近衛騎士エルベルトが呼ばれていた。


 「帝国から5万の大軍が攻めてくる」

 衝撃的なクリスの言葉に、皆一様に目を見開き動揺を隠せない。


 「そこで、やって欲しいことがあるのだが」

 「ヘロルト、遊撃隊の精鋭を10名程借りる。そこにエルベルトも入れてくれ」

 「は・・・何をさせればよろしいでしょうか」

 「帝国の行軍を1日だけ遅らせる。策は用意してある」

 「はっ。直ぐにでもご用意いたします」

 「助かる。念のためだが、恐らく2日じゃ駄目だ。行軍を遅らせるのは1日だけだ」


 騎士の面々が去ったのち、ここ数日忙しく働いている代官アドルフが難しそうな顔をしてクリスに訊ねる。

 「しかし何故、イェッタ様を含む我が軍最強の部隊を差し向けるのでしょうか?」

 「飛車は敵陣深くに打ち込むものだ。まあ今回は三段目くらいだがな」

 全く理解できない返答に言葉を無くしたアドルフを余所に、事前に作戦を聞いていた四女は似合わずくすくすと笑うのだった。


 そしてイェッタとエルベルトを含む11名の遊撃隊は、アドルフに用意された大きな荷物を運びながら新道を帝国に向かって南へ進んでいった。



 帝国軍5万は、王国との国境付近の街を経由しながら、順調に行軍を続けていた。

 「将軍、物資の補給と積み込みが完了しました」

 「うむご苦労。出発だ。本日中に新道を通り抜け、山を越える」


 歴戦の兵ミュルデル将軍に妥協は無い。

 彼にとって戦闘とは、事前の準備のみで勝敗が決する、というものであった。

 予想外の長期戦や奇襲、レイフェルス領での滞在も考慮し、充分な物資を用意した。大群の兵力に疲労や疾病もない。

 戦力の集中と確実な行軍。負ける要素など微塵も存在しなかった。



 「エル、本当にこんなもので敵の行軍が止まるのか?」


 レイフェルス騎士団の遊撃隊の一員、レネが木々に隠れながら逃げ惑う帝国の斥候を次々と矢で射止める。

 レネは遊撃隊の中では華奢な体躯をしているが、弓の腕では並ぶ者がいない達人であった。

 矢傷を受け逃げ切れない斥候を切り伏せながら、イェッタは今回の遊撃作戦の効果に疑問を呈する。


 「準備は万端です。お館様を信じましょう」

 エルベルトの瞳には、絶望的な大軍を目の前にしているというのに、これまでにない充実感が宿っていた。

 斥候の存在にいち早く気付いたのはエルベルトだった。急拵えな作戦に適した地形選択と的確な状況判断、そして作戦遂行能力。

 「そろそろ来ます。配置につきますよ、イェッタ様」

 イェッタは、目の前の頼りない青年に対する評価を少しだけ見直すのだった。



 気配を殺し、山の中に潜む。

 エルベルトが手を挙げる。

 レネは火矢を番えて、遠く帝国の先発部隊が進んでくる平原に向けて矢を放った。


 火矢はゆっくりと弧を描き、帝国兵には当たらず地面に落ちた。

 刹那、地面一帯が爆発したのだ。

 帝国軍は何が起こったのか理解ができない。混乱し右往左往する。

 引いていた馬は逃げ、爆発に巻き込まれた者たちは宙を舞ったのちに黒焦げになり倒れ伏していた。


 「敵襲だ!」

 ある程度冷静な帝国兵が叫ぶと、レイフェルスの遊撃隊は予定通りに姿を見せる。

 帝国軍は混乱しながらも素早く戦闘態勢へ移行するが、遊撃隊は新道へと消えていった。



 「地面が爆発した?訳の分からないことを申すな」

 「は、恐れながら、敵の何かしらの兵器かと・・・」

 理解不能な部下の報告に、ミュルデル将軍は苛立ち、忌々しげに膝を叩くと、直ぐに深く息を吐き出す。

 如何なる時も冷静であること。それが彼の常勝を支えてきた。


 「追うな。罠の可能性が高い。斥候部隊を増援し、新道への経路一帯を調査せよ」

 「問題ない。兵力は減っていない。敵は2千。物資も充分。急ぐ必要は無い。着実に進み、圧し潰す」


 有能なミュルデル将軍の判断は至極適切で、全く間違ってはいなかった。

 果たして、帝国軍はその場で待機することとなり、行軍は予定より1日遅れるのだった。



 「作戦通り、遊撃隊が地面に埋めた火薬を爆発させ、帝国の行軍は新道の向こう側で止まっております」

 「人選は合っていたようだ。難しい作戦だったがよくやってくれた」

 リシェの報告を聞き、ふむふむと満足そうに頷きながら、クリスは空を眺めている。


 クリスはここ数日、暇さえあれば空を眺めていた。

 以前の呆けた感じではない。かと言って、脳内で将棋をしている風でも無かった。

 (お兄様を信じております)

 リシェは一抹の不安を胸の中で払拭し、自らの任務を果たすべく再び山へ戻っていった。



 翌日、朝。昨夜から生憎の雨だった。

 そしてクリスはこの雨を待っていたのだった。


 クリスはシャワーを浴び、ほとんど生えていない髭をそる。

 鏡の前でぱしっと両手で顔を叩き、気合を入れる。

 部屋に置いてあるフルーツで少しだけ糖分を補給し、丁寧に和服を着る。


 「戦闘態勢完了」


 今日もパチッと扇子を鳴らすと、屋敷を出て行くのであった。



 「予想通り、およそ3時間後に目的の地点を通ります」

 「よし。ではそろそろ仕掛けの仕上げをして、総員退避だ」


 クリスの言う「仕掛け」はおよそ1週間をかけて行われ、当初3日間はクリスも現地へ訪れていた。

 昨夜も遅くまで山の中、アドルフの指示のもと入念に準備がなされていた。

 新たな武器、黒色火薬による岩肌の爆破を伴う事前工作も大変だったが、準備当初から「仕掛けが絶対に雨に濡れないように」との難しい注文も遂行を困難にしていた。


 三女リシェの報告を代官アドルフと確認しながら、雨は勢いを増しクリスの足元を濡らす。

 アドルフはクリスの命令を忠実に遂行していたが、心の中ではこの作戦の効果について未だ半信半疑だった。

 「和傘が欲しいな」

 これから5万の大軍が押し寄せてくるというのに、目の前の領主様はそんな心配などどこ吹く風なのであった。



 「そろそろかな。始めてくれ」

 クリスの合図を受け、伝令が走る。

 山の中で次々に火矢が放たれると、30箇所を超える場所から連続して爆音が鳴り響いた。


 雨の中、鳥たちの鳴き声を残して再び静寂が訪れるが、暫くすると「ゴゴゴゴッ」という低い地鳴りが響き始める。

 無理に山を切り崩した新道、その崖の上方至る所から、雨で重さを増した地面が滑り落ち始める。

 土砂崩れであった。


 道の左右の崖から崩れ落ちる土砂は土石流となり、坂となっている新道に沿い南を向かって凄まじい速度で流れ落ちていく。

 その行く先には、雨の中でも意気揚々と進む帝国軍。

 山の異変を認識した時には、もう遅かった。

 5万の大軍は大自然の驚異に成す術もなく、残らず飲み込まれていった。



 「兄貴、バッチリやってきたぜ」

 「イェッタ様、敵に気付かれましたし、かなり危なかったですよ」

 遊撃隊、つまり前日の地面爆破組は、帝国側の平原付近に残って次の作戦を実行し、西の旧道から戻ってきていた。


 「幌付きの輸送物資に混ぜたので大丈夫かと存じます」

 エルベルトは主人にそう報告しつつも、

 「そんなことよりお館様、なんですかあれは。私たちも巻き込まれるかとヒヤヒヤいたしました」

 「旧道には土砂は流れないはずだからな。そうなって良かったよ」

 「はず・・・ですか」

 事と次第によれば巻き添えになり得た、と聞こえたエルベルトは、安堵の息を漏らす。


 「しかしお館様、今回も将棋の作戦を使うと仰っていましたが、このような作戦が?」

 「今回のは禁じ手だな。将棋では決して使うな」

 「・・・と仰いますと?」

 「将棋盤をひっくり返す」

 「・・・」

 エルベルトが言葉を失っていると、参謀としてクリスの傍に控えていた四女ヘンリエッテは、彼女にしては楽しそうにくすくす笑った。



 ミュルデル将軍は突然起こった天変地異を目の前に、ようやく冷静になりつつあった。

 「撤退だ」

 全軍5万のうち一瞬にして4万の兵を失った猛将の瞳の中に戦意は残っていなかった。

 (山の方向から複数の爆音が聞こえた。作戦か)

 (しかし理解ができぬ。敵には魔術を使う者でもいるのか)

 ミュルデルは今回の完敗を悟り、残った兵と物資を纏めて退却していった。


 帝国の敗残兵は国境付近の街に戻り、積んだ物資の確認を行っていた。

 「おい、この樽はなんだ?防水加工か?随分厳重だが・・・」

 「見たことないな。怪しいぞ。確かめるか」

 帝国軍の兵站を担当している兵は、斧を持ち出すと樽に向かって一閃。

 間もなく、物資の保管庫は火の海と化した。



 「今頃は火薬と原油に火がついてるんじゃないかな。怪しげな荷物、槍で刺したり斧で割るだろうからな。火花が散る」

 「兄貴もえげつないこと考えるよなぁ」

 「無理攻めは竹箆返しが痛いって帝国に分からせないとな」

 「・・・はい、ヘンリエッテ様に将棋で何度も思い知らされております」


 そしてクリスは「これでやっと静かに将棋が指せる」などと言って、雲の隙間から差し込む光を眩しそうに見上げるのだった。

感想を頂きました。とても励みに、そして参考になります。ありがとうございます!

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