4手目. 陽動振り飛車
ヘチマ卿クリスが「ヴィンケル侯爵に会いに行く」と突然言い出したため、レイフェルス家の夕食は大騒ぎとなっていた。
「お兄様は何をお考えになっているのですか!ヴィンケル侯爵は敵なのですよ?」
「敵なのか?同じ王国の貴族ではないのか」
「ヴィンケル侯爵が我がレイフェルス家の領土を狙っているのは明白です。お父様とお母様も噂では・・・」
そこで言い淀むと、長女セシリアは嗚咽を漏らした。
「ふむ。僕の知識が足りなかったようだ。助かった」
これまでの人生で知識が足りたことなど無い長男は、少しばかり思案すると新たな案を告げる。
「では手紙を送るのは問題ないか?」
「手紙の内容によります」
「わかった。食べ終わったら書いてみる」
そうして完成した手紙には驚くべき内容が書いてあった。
一見恭しく礼を尽くしているが、論点を掻い摘むと「もしレイフェルス領に帝国が侵攻してきたらお前はどうする?」というものだった。
「お館様、この手紙のご意図は?」
セシリアに呼び出された代官のアドルフが訝しげに訊ねると、ヘンリエッテが口を挟む。
「・・・侵攻が・・あるのですか?」
「恐らくな」
すると小柄だが細く引き締まった体躯を持つ五女のイェッタが鼻息も荒く割り込んでくる。
「本当かよ兄貴!?腕が鳴るねぇ」
「イェッタ、戦うのか?」
「兄貴、僕は騎士だぞ?知ってるだろ?」
「ああ、そうか、済まない」
最近長男は、自分の無知をよく謝るようになった。
「私も戦場へ赴きますのよ?」
「そうなのか?」
表情に驚きを含む兄を見て、三女のリシェは自らの得意分野を話す。
次女のクラウディアはいつも通り、にこやかに微笑んでいた。
◆
ヴィンケル侯爵からの返事はこうだった。
「知らぬ」
返事が来ただけマシなのだろう。
やはりセシリアの懸念のとおり、ヴィンケル侯爵はレイフェルス家を見捨てるつもりのようだ。
「まあ僕でもそうするかな」
クリスは予想通りとばかり、二度三度頷きながら独りごちだ。
帝国がレイフェルス領を攻めている間は傍観し、結果がどうあれ漁夫の利を狙っていくのは自然な考え方だ。
そしてヴィンケルは侯爵だ。王都への報告などはどうとでもなると思っているのだろう。
見るからに気苦労の絶えなさそうな壮年の代官アドルフは、お館様からの命令で物資の調達と輸送の指示に奔走していた。
(お館様が突然領主のような気概を見せているのは大変嬉しいのだが・・・)
(・・・ご命令の意図を未だに計り兼ねる)
アドルフはクリスの私室へ報告に訪れる。
クリスはテーブルの上にレイフェルスを中心に描いた地図を広げ、ペンをくるくると回していた。
「お館様。ご命令のとおり、先程大型の投石機を4機、ご指定の場所へ運ばせました」
「ご苦労。油はどう?」
「はい、未精製の原油を100樽ほど運ばせております」
「樽で運べるのか。ふむ。あとは当日の騎士団の動きだな。指示内容を纏めたので団長に伝えてくれ」
「はい」
しかしアドルフの表情は冴えない。これまでのクリスからの注文に疑問があったのだ。
「投石機は帝国の進軍を迎え撃つものと存じますが」
「そうだ」
「しかし、弾となる石の予備が必要ないとはどのような・・・」
「撃たないから問題はない」
「は・・。あのような誰も来ない辺鄙な場所へ油を運ぶ意図は・・・」
「そこで使う。問題ない」
「仰せつかった特注の服が完成しております。後ほどご試着を」
「うむ。それが最も重要だ」
アドルフは(このお方はやはりヘチマなのだな)と改めて確信するのだった。
レイフェルス騎士団の団長ヘロルトはアドルフから説明を受け、騎士団全体に命令を通達していた。
エルベルト曰く彼は無能ではあるが、仕事をしない訳ではない。
「帝国が攻めてくるだと?世迷言を」
「まあまあ、お館様のご命令だ。従わない訳にはいかないだろう」
「はっ。我がヘチマ卿は戦争ごっこでもやろうってのか?」
「まあ適当にやろうぜ」
ヘロルト以下レイフェルス騎士団の幕僚たちは、揃って冷笑を浮かべながら酒を呷っていた。
◆
2日後、三女のリシェがクリスの命令から帰還した。
「お兄様、帝国兵の軍勢およそ5千、明日昼頃山道に差し掛かる模様です」
「ご苦労様、リシェ」
リシェの得意分野は偵察だった。
貴族としての未来を儚んだ彼女は士官学校へ通い、持ち前の勘の良さと身体能力を活かして技術を磨いていたのだ。
「よし、最終チェックを行う。明日の戦型は『陽動振り飛車』だ」
そしていよいよ帝国の侵攻当日朝。
レイフェルス騎士団は、クリスからの命令通りにレイフェルス領の西の外れ、小高い丘の上に本陣を敷いていた。
「こんなところ誰も来ねえよ。全くお館様はお優しいことだ」
(何故だ・・・戦わずにレイフェルスを帝国に明け渡すおつもりなのか・・・!)
従士エルベルトは自分の持ち場について、何も出来ない自分を顧みて無力感を募らせていた。
クリスは当日早朝に起きてすぐにシャワーを浴び、ほとんど生えていない髭をそる。
鏡の前でぱしっと両手で顔を叩き、気合を入れる。
部屋に置いてあるフルーツで少しだけ糖分を補給し、先日特別に誂えた服を着る。
『和服』であった。プロ棋士デビュー戦でも竜馬は和服を着ていたのだ。
「よし。戦闘態勢完了」
クリスは前世での対局当日のルーティーンをこなすと、同じく特注の扇子を手に取る。
鋭く怜悧な瞳は先の勝利を見据え、パチッと扇子を鳴らすと、屋敷を出て行くのだった。
程なく、帝国の軍勢の足音がレイフェルス領に迫る。




