3手目. 異端の片鱗
レイフェルス騎士団の朝は、ヘロルト団長のお説教から始まる。
本日のお説教は「上官の靴が汚れていたら直ぐに跪いて磨くこと」だった。
従士エルベルトは辟易し、所属する部隊の詰所に辿り着くとがっくりと肩を落とす。
(何故この領土のお偉方はこうも無能ばかりなんだ・・・)
彼の信念では、騎士たるもの、領民の幸福のために全力を尽くすことが第一であり、貴族でもあるまいし靴の汚れなどどうでもいいのだ。
だがそんなことを上官の騎士に言ったところで「騎士ですらないお前が知ったような口を叩くな」などと言われて懲罰でも食らうのが落ちだ。
そもそも、「レイフェルス騎士団」などという名前が烏滸がましいのだ。
先代領主様のお陰で装備などはそれなりに揃ってはいるが、今のお館様に移譲されてからというもの、騎士連中は訓練もせず日々だらだらと、のうのうと生きている。
エルベルトの価値観では唾棄すべき存在であった。
「おいエルベルト!任務だ!」
彼が詰所にて首を垂れ独り憤悶していると突然、上官の騎士が入ってきた。
「はい・・・お館様・・・!」」
その騎士の背後で詰所の中の様子を窺っていたのは、エルベルトが「無能ばかり」と評するお偉方の中でも最大の無能。
最も軽蔑して止まない人物、領主であるレイフェルス伯爵その人であった。
「お館様に騎士団の各施設をご案内差し上げろ!」
(成程、体よく厄介ごとを押し付けられた、という訳か)
「よろしく頼む」
目の前の愚物が何やら人間の言葉を喋っているので、エルベルトは仕方なく返事をする。
「はっ。お館様。私は従士のエルベルトと申します。どうぞこちらへ」
(御芳名はクリストフェル=ヴィッテリンク=フォン=レイフェルス伯爵)
(ご立派であった先代領主様の跡を継がれ、我がレイフェルス騎士団が全力で守るべき存在だ)
(だが聞いた話では、この愚物は常に呆けているか寝ているか、どちらかだという)
(別名は「ヘチマ卿」。こんな屑が我が主とは・・・情けない)
エルベルトはそんなことを考えながら、恭しく騎士団の施設を案内する。
「ここが物見砦でございます」
「ふーん」
ヘチマ卿は興味無さげに相槌を打つのみ。
そしてエルベルトが態々説明をしている際も、聞いているかと思えば突然宙を眺めていたりと、心ここに在らずだ。
(くっ!私はこんなことをするために騎士団にいる訳ではない!)
エルベルトが切歯扼腕していると、この愚者は
「最近気になっていることはあるかい?」
などと抜かすのだ。
「そうですね、まずこの騎士団の在り方に疑問を感じます」
雇い主たる領主への言葉とは思えない、歯に衣着せぬ言い方になってしまったが、エルベルトは言葉を続ける。
どうせ聞いていないのだ。普段腹に据えかねていることを洗い浚い吐き出そうと思ったのだ。
「騎士団は腐敗しております。訓練もせず使命感も向上心もありません」
「無能な人間が上に立っており求心力もなく、私を始め下の人間は忠誠心を失いつつあります」
「加えて、我がレイフェルス領の現状に危機感も持っていないようです」
流石に目の前の領主の悪口は直接言わなかったが、言葉の端々に「領主であるお前のせいだ」と散りばめた。
「ふむふむ、なるほど」
(本当に分かっているのか?)と鼻で笑いそうになると、目の前の領主は言葉を続けた。
「では、レイフェルス領の現状の危機について教えてくれないか」
・3日前にハウトヴァスト帝国との国境付近の山間にて、小規模な野営の痕跡を発見したこと
・野営の跡は1ヵ月前にも見つかったこと
・上官騎士へ報告したが、特に対策を検討している素振りはないこと
エルベルトは以上の懸念事項を吐き出し、帝国から攻め込まれてもおかしくない、と補足した。
説明を聞いている間、領主の瞳に一瞬だけ鋭い眼光が宿ったのだが、エルベルトは気付いていなかった。
◆
四女、ヘンリエッテは僅かに高揚していた。
腰まで真っ直ぐに伸びた黒い髪、漆黒に彩られた双眸、無表情で儚げな表情。
その外見からは、気持ちが高ぶっていることなど誰にも悟られないのではあるが。
トントン、トントン。
四女はその細い片腕に細長い箱を抱えて、兄の部屋のドアを優しく叩く。
「どうぞ」
部屋の中からその部屋の主の優しい声が響くと、彼女はドアをゆっくり開けた。
「ヘチマ卿」と呼ばれている部屋の主は椅子に座り、斜め上を眺めている。
「やあ、ヘンリエッテ」
物覚えの悪い兄から直ぐに自分の名前が出てくると、四女はごく僅かに、間違い探しの題材にすると難題と思われる程度に、微笑む。
「・・・クリス兄様・・・これ」
「ん?もしかして、将棋?」
四女は返答を省略して、兄の向かいの椅子に座り、持ってきた箱をテーブルに置いて開封する。
「これは・・・軍人将棋・・・みたいなものか?」
「・・・シャトラン・・・といいます」
「へえ、やってみようか」
「・・・はい」
二人は盤を開き、駒を並べていく。
盤には9x7の升目が書いてあり、自陣、敵陣で色が異なっている。
駒にはそれぞれ役目があるようで、「領主」「将軍」「騎士」「弓兵」「密偵」「罠」などの文字が書いてある。
初めに盤の中央に衝立を置き、相手に見えないようそれぞれ好きな配置に駒を並べて裏返しておく。
兄は、同梱されている手書きのルールブックを眺め、ふむふむ、などと言いながら駒を並べている。
二人とも並べ終わったらゲーム開始だ。
ヘンリエッテはこのゲームが好きだった。
以前は寡黙で厳格な父と、夜遅くまで何度も対戦を繰り返した。
父は四女に劣らず負けず嫌いで、自分の娘に何度も敗戦しながらも「もう一度だ」などと言い、いつの間にか外が白んでいることも間々あった。
「完成。始めようか」
兄の言葉を皮切りに、駒と駒がぶつかり、盤上の戦争が過熱してゆく。
ヘンリエッテは、何故か思い通りに事が運ばないことを不思議に思いながら、表情を崩さず黙々と駒を進めていく。
「僕の勝ちだね」
兄は右手で、ヘンリエッテの「領主」の駒を持ってひらひらと横に振った。
「・・・もう一度」
「いいよ」
それから10戦はしただろうか。
ヘンリエッテは愚鈍であるはずの兄に、一度も勝てなかった。
それでも彼女は、ごく僅かに紅潮した顔も隠さず、満足そうに微笑みながら、
「・・・クリス兄様、また、お相手をお願いいたします」
ぺこりとお辞儀をして、部屋を出ていった。
「これは将棋とは違うけど、面白かったな」
クリスはそう呟いて、また斜め上に視線を移動し、ぼんやりと考え事を再開する。
「ここで飛車の引きどころが難しいな。五段目か六段目・・・七段目という奇策はあり得るのか?」
彼は頭の中の将棋盤を忙しく動かしながら、この世界では誰にも理解されない深い悩みに沈んでいくのだった。




