2手目. ヘチマ卿
「本当に不愉快ですわ!何故毎回起きてしまうのでしょう」
レイフェルス家の長女セシリアは荒れていた。
あの無能な兄の所為で、自分の人生はお先真っ暗になってしまったのだ。
兄が起きるたび、今は亡き父母のことを思い出し嗚咽を漏らす。
「寡黙で厳しくも心根がお優しいお父様、美しく聡明なお母様はもういらっしゃらない・・・」
セシリアの父、先代のレイフェルス伯爵は2年前、王都の用事より帰還中にヴィンケル侯爵領内にて、馬車が盗賊に襲撃された。
夫人と共に乗っていた馬車は谷底へ突き落とされ、還らぬ人となったのだ。
レイフェルス伯爵には長男が1人、その下に娘が5人いた。
伯爵の死後は当然長男が家督を継ぎ、現在に至っている。
「お兄様さえいなければ・・・」
レイフェルス家を継いだ兄は無能だった。
「無能」という言葉では余りに軽く、「虚仮」であった。
昼間は殆ど何もせず、空などを眺めながらぼーっと無為に過ごしている。
夕食を食べると部屋に籠り、朝まで出てこない。
そして極めつけは、月に1度は長い眠りに入ることである。
短くても1週間、長いと3週間も眠り続けていることもある。
兄は寝ながらやせ細っていくのだが、不思議と病気にもならず、何事もなかったかのように起きてくるのだ。
その度記憶が不確かになることも珍しくなく、家中に迷惑を振りまく。
そして誰が呼んだか、付いた蔑称は「ヘチマ卿」
普段はヘチマのように愚鈍にぼーっとぶら下がっており、肝心の中身はスカスカ、という意味らしい。
実に的確な表現である。
「かと言って、お兄様を死なせるわけにもいかない・・・」
もし今、兄が暗殺なり病死なりで家督を継ぐ者が不在となれば、家が取り潰されることは明白だった。
レイフェルス家存続のために国王陛下を説得する材料などない。
それどころか、隣の領主であるヴィンケル侯爵などは、自らの領土拡大のため、兄の死を手ぐすねを引いて待っているだろう。
先代のレイフェルス伯爵の馬車を襲わせたのはヴィンケル侯爵である、などという噂が実しやかに広がっているのだ。
そしてそんな危うい家と関係を結びたいなどという奇特な貴族は当然おらず、5人の娘には1件の婚約話すら巡ってこないのだった。
「ヘチマ卿が・・・!」
実は兄の所為ではないのだが、先の見えぬ現状を悲観し、セシリアは先ほどと同じ言葉で何度も悪態をつくのだ。
◆
「ええと、君がセシリア、だね」
「はいお兄様、よく覚えておいでで」
「それで、クラウディア」「はい」
「リシェ」「はい、お兄様」
「ヘンリエッテ」「・・・」
「イェッタ」「はーい」
「もう忘れないよ、今まで済まなかった」
夕食の場にて愚鈍なヘチマ卿は、今回も妹たちの名前の確認をしていた。
今までとは言い方が少し違うようではあるが、基本変わらないのだろう。
「忘れない」などという言葉を鵜呑みにする者はその場にはいなかった。
セシリアなどは既に兄に興味を失い、明日の予定と着ていく服について考えていた。
「ああそうだ、『将棋』というものはこの家にはあるのだろうか?」
「・・・ショウギ?聞いたことはございませんが」
三女のリシェが答える。
「うーん。盤と駒を使ってやるゲームのことなんだが」
「ショウギとは違うかもしれませんが、駒を使う遊戯はお父様が持ってらっしゃったと思います」
「そうか、探してみるよ」
そう言って、ヘチマ卿は満足そうに微笑むのだった。
◆
今日もヘチマ卿は以前と変わらず、庭園に備え付けられた椅子に腰掛けてぼーっと空を眺めていた。
(ちっ・・・ヘチマが・・・)
メイドのステラは心の中で毒づくと、近付いて話しかけることを決める。
ヘチマ卿に何かあれば、仕事が無くなってしまうのだ。
「クリス様、何をしておいでですか?」
「ん?矢倉は終わっていないと思ってね」
「はい?」
「雁木相手にも不利ではない。充分やれるんだよ」
「5手目に7七銀は、6八に引ける余地もあるし、有力だと思っている」
「・・・」
「後手の急戦策にどう対応するかを少し掘り下げているんだが」
「・・・」
「7三に銀でも桂でも、どの変化も意外と先手の利は手放してない」
ステラは、ヘチマ卿が何を言っているのかさっぱり理解できないが、どうせ空想の話だろう、と気にしない。
「ああそうだ、『将棋』は見つかったかい?」
「いえ、まだそれらしきものは見つかっておりません」
「そうか。よろしく頼むよ」
そしてヘチマ卿は、また空に向き直ってぼーっと過ごすのであった




