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19手目. ただいま

 先日のレイフェルス軍による神聖皇国ドラークの街への侵攻失敗は、王国内にも広まっていた。

 そして単に「失敗」と片付けるには余りにもお粗末であった。

 レイフェルス伯爵は一時の感情に流され、こちらから策を仕掛けたつもりが罠にまんまと引っ掛かり、敢え無く多数の味方兵を失ったのだ。

 「策士策に溺れる」とはこのことを言うのであろう。


 そして国王や王弟からの支持、部下からの信頼、国民からの名声、その他クリス本人が気にしていないことまで含めると、その悪影響は計り知れなかった。



 フロートの街に戻ったクリスは、依然として神聖皇国での敗走のこと、そしてアメリアのことを引き摺っていた。

 普段は穏やかな夕食時でも、偵察任務中のリシェを除く4人の妹たちが見守る中、兄は目の下に青黒い隈を宿したやつれた顔に厳しい表情を浮かべて考え事をしている。


 (首都メイズリークを落とす。全軍で攻めるか。元老院を全て殺す。毒を流すか。教皇を殺す。火計はどの程度有効か。住民を殺す。或いは・・・)


 それは神算鬼謀を誇る智将とは思えない、余りにも俗物的な思考であった。


 「・・・帝国に攻めさせるか。皇帝の家族を殺して・・・」


 思わず声に出てしまった言葉は、次女クラウディアの表情を変えるのには充分だった。


 「クリスさん。こちらにいらっしゃい」


 次女は我に返ったクリスの右手を取ると、食事中にも関わらずクリスの私室へ向かった。

 残された3人の妹たちは、変わり果てた兄の姿を目で追い、皆泣きそうな顔をしていた。



 次女はクリスをベッドへ座らせるとその横に座り、兄の頭の後ろに手を回してその豊かな胸で優しく抱きしめた。


 「クリスさん、貴方は誰ですか?」

 「・・・クリストフェル=ヴィッテリンク=フォン=レイフェルスだ」

 少し息が苦しいながらもクリスは答える。


 「はい。では、将棋が好きな貴方は誰ですか?」

 「・・・鳳条・・竜馬」


 「貴方は今、何をしておいでなのですか、ホウジョウリョウマさん」

 「僕は・・・」


 続く言葉が出てこなかった。

 クリスとして。妹たちの兄でありたいこと。大事な人を守りたい。アメリアを殺した敵は許せない。

 そんな想いが頭の中をぐるぐると回っているが、上手く言葉にならない。

 クラウディアはそんな兄の様子を優しく見守る。


 「この世界に来た時は・・・将棋がしたかった」

 「でも今は・・・クリスにならなければ。君たちの自慢の兄として・・・レイフェルス伯爵として・・・」


 「お馬鹿さん」

 クラウディアはそう言って、クリスの頭を撫でる。


 「貴方は最初からクリスさんでしたよ。あの日お目覚めになった時。貴方は驚きながらも、私たちを受け入れ、境遇を受け入れ、運命を受け入れました」

 「そのままでいいではありませんか。私たちは将棋が好きで優しいホウジョウさんが好きですよ」


 「・・・ホウジョウは姓です」

 「あら。ではリョウマさん」


 「リョウマさんが今一番大切なものは何ですか?」

 「妹たち。エルや騎士や家の人たち。街のみんな。あと、将棋」


 クラウディアはふふっと優しく笑うと、もう一度クリスの頭を撫でる。

 「よく出来ました」


 クリスははにかむように笑った。



 「済まなかった!」

 次の日の朝。

 クリスは報告に戻ったリシェを含む5人の妹たちに向かって、突然頭を下げた。


 最近の気難しい兄からの余りの変化に、妹たちは何のことやらわからない。

 いつもの慈愛の笑顔を浮かべる次女を除いて。


 「今日から僕は、クリストフェル=リョウマ=ホウジョウ=ヴィッテリンク=フォン=レイフェルスと名乗る」


 「リョウマ?ホウジョウ?」

 イェッタが首を傾げる。


 「とても大事な名前なんだ。でもあまり気にしないでくれ」

 そう言って、クリスは優しく笑った。

 将棋が大好きで、空を眺めては意味不明な言葉を言う、以前の優しい笑顔だった。


 「おかえりなさい、クリスさん」

 次女の言葉を聞いて、妹たちの顔には久しぶりに笑顔が戻った。


 「ただいま」



 クリスは再び王都へ向かっていた。

 目的は、今回の失態についての国王陛下への謁見、そしてアメリアの父、コーネイン侯爵との会談だ。


 王都の街を馬車で通ると、アメリアとの淡い思い出が蘇る。

 僅か数時間だけの出会い。


 (もし僕が婚約者では無かったら、あの子は)


 そんな考えをぐっと胸にしまい込み、クリスは毅然と国王の元へ向かっていった。



 「陛下、此度の失態、申し開きもございません」

 クリスは国王に跪き、頭を下げる。


 「レイフェルス卿、面を上げてくれ」

 今や憔悴し見る影もないと聞いていたレイフェルス伯爵は、国王が会っていた奇妙な男のままであった。

 困ったような口調の国王の傍では、恰幅の良いコーネイン侯爵が目を瞑り、様々な感情に耐えていた。


 「レイフェルスよ、何故攻めを急いだのだ」

 「・・・激情に駆られ、安い挑発に乗り、復讐しか見えておらず。誠に申し訳ございません」


 そこに「陛下、発言してもよろしいでしょうか」とコーネイン侯爵が割り込んできた。


 「レイフェルス伯爵、卿の心意気には感謝している」

 「コーネイン卿、大切なご息女をお守りできず・・・」

 「いや、卿の所為ではない。全ては神聖皇国の非道によるものだ」


 侯爵の声は怒りや悲しみの感情に打ち震え、未だ愛娘の死を受け入れられていなかった。


 「陛下。もう一度だけ、私に機会をお与えください」


 クリスは、もはや言葉遣いが失礼などとは言っていられなかった。


 (次こそは。必ず)


 冷静な心を取り戻したクリスだったが、復讐の炎が消えたわけではなかった。



 クリスは王都にも屋敷を持つことにした。

 当面の敵、神聖皇国に相対するには、国王や王弟ベルンハルトとの調整事項が多かったのだ。


 そして国王や王弟との面会時間の合間に、クリスは国王の許可を得て、王宮の書庫に入り浸っていた。


 「これ、借りていっていいですか?」

 そして毎日書庫が閉まる間際に、読み切れなかった大量の本を持って来て、司書の女性を困らせていた。


 クリスが読み漁っているのは、主に神聖皇国の成り立ちや地理、経済に関する書籍、そして彼らが信奉しているリーフェフット神についての本だ。

 そして最近は、物理学から化学や地学、天文学に至るまで、様々な学者の書いた本も読んでいた。


 (前世から知識として持って来られれば良かったんだが)

 クリスがそんなことを思うのは、残念ながら前世では将棋しかしていなかったためだ。


 「お兄様、いつまで起きていらっしゃるのですか?」


 王都の屋敷には、長女のセシリアも同居していた。

 王都では何をするにも貴族との折衝が多く、それを見越したセシリアが「仕方ないですわね」と言って付いてきたのだ。

 その時の顔が何やら嬉しそうだったのだが、触れると面倒なのでクリスは見ていないことにしたのだが。


 「ああ、もうこんな時間か、すまない」

 「明日は王弟殿下との打ち合わせですわよ?」

 「うん、こいつのお陰でいい作戦が思い付いたよ」


 クリスは机にうず高く積まれた本をパンパンと叩くと、満足そうに笑った。


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