17手目. 陰謀
「このお方は・・・無理・・・」
国王陛下から紹介された婚約者は、王都の北方を預かるコーネイン侯爵の三女であった。
そしてコーネイン侯爵夫人は、国王の妹である。
つまり、クリスの婚約者は国王の姪にあたる娘だ。
それだけでもクリスは気が遠くなりそうであったが、その三女はまだ12歳だった。
そしてクリスは残念ながら一般的な性癖の持ち主だ。草食であるとも言えるが。
クリスの混乱を余所に、コーネイン侯爵と三女との面会の予定は王都にて1週間後と決まった。
クリスが「どうやって断ろうか」などと考えていると、王弟ベルンハルトが「神聖皇国との交渉内容の相談」という名目でフロートの街を訪れた。
「クリスよ、アメリアはいい子だ。将来美人になるぞ?」
王弟は他人事のように茶化してくる。
アメリアと呼ばれた侯爵令嬢は、当然ベルンハルトにとっても姪であるのだ。
ベルンハルトはこの縁談が公になって以降、クリスを名前で呼ぶようになっていた。
王族とはいえ伯爵に対する態度としては砕けすぎではあるが、彼なりの信頼の証である。
「はい、陛下直々の有難きお話、謹んでお受けしようかと考えております」
「む?やけに素直ではないか」
「もちろん貴族として、当然のことでございます」
「嘘をつけ。断りたいとはっきりと顔に書いてある」
王弟は親戚になるクリスを彼流のやり方で祝いに来ていたのだった。
「ぐっ・・・そういえば殿下、我が妹のイェッタがお伝えしたいことがあると」
「む?あの勇猛な妹君か」
「はい、是非話を聞いてやってください」
ベルンハルトを訓練場に案内すると、イェッタは少年のようにキラキラとした目を王弟に向けた。
「王弟殿下!僕とお手合わせお願いします!」
「おお!お相手しよう!」
ベルンハルトは強い。王国最強とまで言われている猛将である。
クリスも騎士団の面々も、大剣を持って押されるイェッタを見るのは初めてであった。
「こんなものか!妹君!」
「まだまだこれから!」
しかしその後30分も打ち合いを続けると、徐々にイェッタが押し始めた。
「妹君、そろそろ・・・」
「殿下!まだまだこれから!」
それからベルンハルトが音を上げるまでに時間は掛からなかった。
(殿下、先程のお返しです)
クリスは楽しそうに、体力が切れた王弟の情けない姿を眺めていた。
◆
クリスは王都に来ていた。
用事は二つ。神聖皇国との交渉の同席と、コーネイン侯爵および侯爵令嬢との面会だ。
まずは国王立ち合いのもと、コーネイン侯爵、三女のアメリアとの面会である。
国王はコーネイン侯爵に対し、「レイフェルス伯爵は王国に無くてはならない傑出した人物」などとべた褒めした。
王弟ベルンハルトからの後押しもあるのだろう。
侯爵令嬢アメリアは、年齢相応に流石にあどけなさは残っているが、美しい栗色の髪に整った目鼻立ち、ぷるんとした桃色の唇。
王弟殿下の言う通り、将来美人になることは間違いないと思われる美少女であった。
「レイフェルス卿、娘をよろしく頼む」
コーネイン侯爵も国王の勧めとあって、もはや婚約は既成事実であるかのように振舞っていた。
クリスは言葉少なに面会を堅苦しくも無事に終わらせ、安堵したのも束の間。
次は侯爵令嬢とのデートであった。
デートとは言っても、両家の執事たちが大量に付き添うため、万が一にも間違いは起こらないのだが。
そして長女のセシリアやコーネイン家の執事などが勝手にデートプランを固めていく中、クリスは絶望していく。
彼は前世も含め、女性とデートをしたことなどは無い。
この世界への転生当初も、突然知らない妹5人と暮らすことになり、兄として不自然にならないよう飄々と振舞ってはいたが、陰では独りで勝手に気を遣い、独りで勝手に大変だったのだ。
(デート・・・僕は何をしたらいいんだ・・・)
王都の中心部、貴族街の表通りを歩き出した二人だったが、そこには戦場での「魔術師」などという頼もしい軍師の面影はなく、ただおろおろしながら流されるままに歩くクリスの姿があった。
だが、そんな頼りない彼に幻滅することもなく、
「クリス様、これ美味しいですよ!」
12歳のアメリアは侯爵令嬢として少しだけ背伸びをしながらも、明るく笑顔で、楽し気に将来の旦那様であるクリスに接してきた。
「えっと・・・アメリア、僕はこういうの慣れてなくて」
「はい!私も慣れてませんので大丈夫です!」
お茶が終わり、次は貴族御用達と思われる豪華な洋服店で買い物だ。
何故か窓から店の中を覗いているセシリアの「それを買え!」という視線に従い、アメリアに似合いそうな服をお買い上げ。
「アメリア、僕みたいな旦那で大丈夫か?」
「クリス様は素敵な方だと思いますよ?」
アメリアはどこまでも笑顔でクリスを立てる。
(いい子だな。こんな僕にも明るく接し、裏表も無い。爽やかな春風のような子だ)
「クリス様はお召し物も独特ですが、私はとても綺麗だと思います」
「!!・・・ありがとう」
他人に一度も和服を褒められたことのないクリスは、この縁談を断ることなどいつの間にかすっかり忘れていた。
(この子は守らなければならない)
夕刻になり別れる際には、自然とそう思えるようになっていた。
◆
アメリアとのデートから三日後、今日は王国とリーフェフット神聖皇国との交渉の日であった。
これまでの交渉では揉めに揉めてしまい、打開策の妙案はないかと王弟ベルンハルトはクリスを同席させるべく呼んでいたのだ。
しかし、その日の朝、王都の役人より突然の訃報が入った。
「レイフェルス卿、アメリア様が昨日お亡くなりになりました」
クリスは固まる。この役人が何を言っているのかわからなかった。
何をするでもなく放心していると、王弟ベルンハルトが宿を訪れてきた。
「クリス、聞いたか。アメリアが・・・」
「・・・はい」
「殺された」
「・・・は?」
「犯人はまだ確実ではないが、恐らく神聖皇国だ」
ベルンハルトは泣いていた。
クリスは不思議と涙が出ない。現実味が無さすぎるのだ。
「何故・・・殿下、僕のせい、なのですか?」
「違う!・・・何故アメリアが・・・」
しばらくすると、クリスの目から涙が溢れた。
そして神聖皇国との交渉の時間を迎えた。
「これは、高名な魔術師殿もいらっしゃるとは」
神聖皇国の使者である偉そうな聖職者は、厭味ったらしくクリスを挑発する。
しかしクリスの心はここには無い。
「ああ、そうでしたね。何でも婚約者様が殺されたとか?」
「貴様!」
立ち上がるベルンハルトだが、その時既にクリスは聖職者の胸ぐらを掴んでいた。
「ひぃっ!」
「・・・許さない」
「くっ!汚い手を放せ!邪教徒が!」
「絶対に許さないぞ貴様ら」
その優しい瞳は、憎悪に満ちあふれていた。