15手目. シラル平原の会戦
「逃げましょう」
兵力は帝国のほうが多い。兵士の練度も上。神聖皇国の参戦も期待できない。
そして何より、士気に差があり過ぎた。王国兵にはそもそも積極的に戦う意思が無いのだ。
帝国軍の前進を見たクリスは即座に王弟ベルンハルトに撤退を提案するが、王弟は眉間に皺を寄せながら首を横に振った。
「今撤退はできない」
「ここで逃げては、約束を違えて神聖皇国を見捨て、帝国に怯えて敵前逃亡したと見なされる」
「その後の王国の立場が厳しくなる」
クリスには納得できる部分もあるが、王弟の武人としての矜持が撤退の邪魔をしているようにも見えた。
(政治も武人も不自由なものだな)
前世では棋士として個人事業主であったクリスはそんなことを思いながらも、逃げたくないことは同じ想いであると感じていた。
棋士というのは例外なく生来の負けず嫌いなのだ。
「撤退するにせよ、少しは持ちこたえ、神聖皇国の助けが無かったという事実をつくらねばならぬ」
「仕方ないですね。多少予定変更ですが、迎え撃ちましょう」
王国軍はそこから暫くじりじりと後退を続けると、前進を続ける帝国軍に向かって布陣を開始した。
「鉄砲三段撃ち」の布陣である。
前列の鉄砲隊が一斉に射撃、直ぐに後列の鉄砲隊と交代し、また一斉射撃。その間に後列へ下がった部隊は再度弾を充填する。
それを繰り返すことで、途切れなく銃撃を継続することが可能となる作戦だ。
鉄砲隊の横を重厚な歩兵部隊が固め、その更に外側に機動力のある騎馬隊を配置する。
未だ歩兵中心のこの世界に、歩兵・騎兵・砲兵の三兵戦術の基礎を持ち込んだのだ。
クリスは竜馬であった前世で、将棋の新戦法の研究のために、合戦物を好んで読んでいた時期があった。
結果大して将棋の役には立たなかったが、諸葛亮や徳川家康が用いた「空城計」に感銘を受け、(居玉戦法での盤外戦術として活用できないか)などと試行錯誤したこともあった。
そして戦国時代の長篠の戦いで有名な鉄砲三段撃ちは、弾を前から込めるタイプの王国の銃にぴったりの作戦だったのだ。
この共闘作戦を受諾してから一ヵ月の間、王弟ベルンハルトの部隊は、会戦に巻き込まれる可能性を予測したクリスからの発案を受け、鉄砲隊布陣の練習を繰り返していた。
「撃て!」
襲い掛かる帝国軍に向け、まず前列の鉄砲隊が一斉に射撃を行う。
「前列交代!撃て!」
そして中列、後列も次々と前列へ移動し、射撃を続ける。
未だ遠くを進む帝国軍は面白いように銃の的となり、次々と倒れていく。
しかし、帝国軍の数は余りにも多すぎた。
「押し潰せ!」
まだ見ぬ武器と作戦の威力に驚きつつも、前線の敵将は味方を鼓舞し力攻めを選択。
平原であり野戦築城も無いため、行軍を邪魔をする地形は存在しない。
兵力と機動力で押し潰そうと帝国軍が進軍速度を上げ、王国軍に迫ってきた刹那。
地面が爆発した。
近くにいた帝国兵たちは、肢体がバラバラに弾け飛び、空中へ投げ出され、或いは黒焦げとなっていく。
王国軍がじりじりと後退する際に仕掛けていた地雷であった。
クリスは、以前武器工房へ籠っていた際、黒色火薬の新たな使い道として簡素な地雷を開発していた。
帝国軍が進む地面には怪しく平たい装置がばらばらと置かれており、先頭の部隊は回避するが、続々と押し寄せる後続の部隊は躓き、あるいは踏んでしまう。
爆発が連鎖し、俄かに進軍が止まりつつあるところに、鉄砲隊の銃弾や弓兵からの矢が降り注いだ。
そして本隊と別れ、いつの間にか帝国軍の横に回り込んだ近衛騎士団率いるレイフェルス軍5千は、火薬が詰まった小さい樽付きの爆裂火矢を浴びせる。
弓の名手レネは、踏まれていない地雷に器用に矢を的中させ、爆発を起こしていた。
「香は下段から打て、だな」
いつものクリスの意味不明な言葉は、将棋を学ぶ腹心エルベルトには今や通じるものとなっている。
「はい、この鉄砲隊はロケットですね」
「うむ。三段ロケットだ」
「そして、軍人将棋だと地雷は最強なんだ。飛行機には効かないけどな」
「・・・ヒコウキ?」
やはりクリスの理解不能な語録に全て付いていくのはまだ難しかった。
三段ロケットと地雷の組み合わせは帝国軍に思うような前進を許さない。
帝国軍の兵力はじりじりと削られ、現在は4万と言ったところか。
しかし、王国軍は内部から突然崩壊した。
王国軍の騎馬の一個小隊が、突然味方に対し攻撃を開始したのだ。
裏切りの行為を始めたのはおよそ1千名。
「殿下!お下がりください!」
王弟ベルンハルトを庇う騎士団の近く、布陣の中心である鉄砲隊の後ろで槍を振り回し、茫然とする鉄砲隊や味方兵を惨殺する。
取り押さえられ、最後に自分諸共、地雷を爆発させた者もいた。
それまで整然としていた用兵は乱れ、制圧力を喪失し、眼前に迫る帝国軍と交戦状態に突入していく。
裏切った部隊は、城塞都市ファルカシュで逃げ遅れ、王国に投降した元帝国軍の兵士だった。
「これ以上皇帝の糞野郎に使われるのは御免だ。王国で雇ってくれ」
帝国皇帝にそんな暴言を吐き、国王に忠誠を誓い、その後は南部の神聖皇国に対する王弟軍の一員として仕えていた者たちだ。
「ふ。ハウゼンも只では転ばぬ、か」
帝国皇帝の言葉通り、裏切りの部隊は智将ハウゼンがファルカシュ敗走前に仕掛けた最後の策略であった。
騒然とする王国軍3万に襲い掛かるは、士気を取り戻した帝国軍4万。
剣と槍、馬と矢が飛び交う交戦状態の戦場に現れたのは、「戦神」皇帝マクシミリアンだった。
漆黒の巨大な馬を駆り、柱のような巨大な槍を振り回して、恐れおののく王国兵を次から次へと屠っていく。
馬への攻撃も許さず、レネが放った矢をも叩き落とし、一騎当千、獅子奮迅とはこのことを言うのであろう。
「ウオオォォ!!」
戦場を支配する戦神の雄叫びは帝国軍を奮い立たせ、一層士気が高まっていく。
「自ら前に出るのか。そして強い」
その間にも前進する帝国軍の脇腹を突き、横から切り裂いていたレイフェルス軍であるが、クリスは敗北を悟った。
「考えることは同じ。だが一手先を行かれてしまったな」
その頃、突然帝国軍の中で小競り合いが始まっていた。
「貴様の部隊は王国軍のスパイだと聞いた!」
「何を言っている!貴様こそ陛下を裏切るつもりではないのか!」
クリスの仕掛けた離間工作であった。
レイフェルス軍が横から突撃しつつ、偽の裏切りの情報を流していたのだ。
「もうすぐあの部隊が寝返る!もう少しで我々の勝利だ!」などと。
唐突に帝国軍同士で戦闘が始まり、戦場全体に混沌が伝播していく中、王弟が叫ぶ。
「撤退だ!」
帝国軍の僅かな混乱に乗じて、王国軍は一気に後退を始める。
しかし帝国軍は直ぐに状況が把握できず、対応が遅れる。
「ウオオォォ!!」
混乱する戦場を一喝するように、再び獅子のような雄叫びが響いた。
「裏切りはない!踊らされるな!追撃だ!」
皇帝マクシミリアンはクリスの離間工作の虚報を即座に看破し、王国軍を追撃せんと布陣を整える。
そして北から来たはずの王弟率いる王国軍は、東に向けて撤退を始めた。
それは神聖皇国が布陣し見物をしている場所だ。
「何故こちらに来る!」
神聖皇国アッセル第二神殿騎士団長は狼狽する。
突然の展開に足が止まったままの神聖皇国軍を脇目に、王国軍は更に東へ全速力で撤退していく。
「神聖皇国よ、申し訳ない。現場に作戦の趣旨が行き届いていないようだ」
王弟は聞こえぬと知りながら、これから戦場となるであろう場所にお返しとばかり言葉を残した。
近衛騎士団と共に、王弟率いる本隊とは別行動をとっていたクリスは北へ撤退を始める。
「あの皇帝は凄いな。だが、僕も只では負けない」
配下を使い、「ここから少し南の丘陵の陰に帝国兵に扮した王国の伏兵がいる」との虚報を流した。
果たして、目前の勝利に勢いづく帝国兵の部隊は丘陵に向かい、伏兵を発見する。
だがそこにいたのは、王国軍を待ち構えていた本物の帝国軍の伏兵であった。
「伏兵を蹴散らせ!」
「待て!俺たちは味方だ!」
「世迷言を!既にバレている!残らず討ち取れ!」
伏兵たちは止む無く応戦するも壊滅。同士討ちとなった攻撃側の部隊にも大きな被害が出たのだった。
そして狼狽え混乱し、帝国軍に次々と倒され崩壊していく神聖皇国軍を尻目に、王弟率いる王国軍は戦場から姿を消した。
「やってくれたな魔術師め。覚えておれ」
勝利しながらも、鉄砲隊、地雷、同士討ちなど予想外の痛手を被った「戦神」皇帝マクシミリアンは、夕焼けに染まり始めた雲一つない空を見上げていた。
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