11手目. 穴熊崩し
クリスは王弟ベルンハルトとの会談を終えると一旦レイフェルス領に帰還した。
代官のアドルフや心配性のクラウディア、相変わらず無口な参謀ヘンリエッテに不在時の指示をすると、数日後には大きな荷物を纏めて再びフロートの街に戻った。
「レイフェルス卿、3万の軍は小部隊に分け既に散っている。馬も指定の場所に2千用意した」
「ありがとうございます、殿下」
「『凶変の魔術師』の腕、しかと見せてもらうぞ」
「・・・なんですかその呼び名は?」
「帝国内では卿のことをそう呼んでいるそうだ」
「・・・はあ、頑張ります」
「ハッハッハッ」と白い歯を出し爽やかに笑いながら、王弟ベルンハルトはお付きの騎士たちと共にフロートの街を去っていった。
その様子を見ながら珍しく憮然とした表情を浮かべるクリスに、エルベルトが馬を寄せる。
「おやか・・・クリス様!」
クリスの近衛騎士団長となった際に何故か「名前で呼べ」と言われたエルベルトは、やや興奮しながら主に自らの想いを伝える。
「『凶変の魔術師』とは!なんと力強く素晴らしい二つ名でしょうか!」
「・・・エル、お前に言われると余計落ち込む」
(「ヘチマ」から「魔術師」は悪くないか。前世には「終盤の魔術師」なんて呼ばれる大先生もいたしな)
主からの容赦ない言葉に呆然とするエルベルトを余所に、クリスは帝国の城塞都市ファルカシュ攻めの最終チェックを始めるのだった。
そして穴熊崩しの当日朝。
クリスはシャワーを浴び、ほとんど生えていない髭をそる。
宿にある鏡の前でぱしっと両手で顔を叩き、気合を入れる。
宿泊した上等な部屋にわざわざ運ばせたフルーツで少しだけ糖分を補給し、新作の葡萄茶色の和服を着る。
「戦闘態勢完了」
今日もパチッと扇子を鳴らすと、颯爽と宿を出て行くのであった。
◆
城塞都市ファルカシュの城壁は、今日も泰然と朝日を浴びて薄墨色に威容を誇っている。
智将とも呼ばれる城主ハウゼン大佐は、王国の動きについての報告を受けながら、遅めの朝食を摂っていた。
「恐らく今日か。若しくは明日か。何れにせよお見通しだ」
城壁の強度と兵士の練度に絶対の自信を持つハウゼンは、ややもすれば暇になりがちな日常からの僅かな逃避を喜び、微笑を浮かべていた。
ファルカシュの街では穏やかに太陽が傾き始め、徐々に黄昏の時を迎えようとしている。
(夜襲か?明日か?)などと不謹慎にも王国の攻めを待望しているハウゼンの元に、伝令が飛び込んだ。
「報告!毒です!」
執務室に大慌てでノックも雑に部屋に飛び込んできた側近は、息を切らしながら主に伝えた。
「毒?」
「はっ!南門の付近、井戸に毒が入れられたという情報が飛び交い、街は混乱しております」
「門より逃げ出そうと荷物を抱えた商人たちも多数。現在、東西の部隊も現場へ急行しております」
「・・・王国か・・・毒とは卑劣な・・・」
ハウゼンは少しだけ考え、側近に素早く指示を出す。
「南の井戸を調査せよ。虚報である可能性が充分にある。住民を落ち着けよ」
「はっ」
「対応は南の部隊のみで行え。他の兵士は持ち場を離れるな」
「はっ」
小走りで出ていく側近を見ながら、ハウゼンは考える。
(十中八九虚報であろう。毒などを用いて街を攻め落とすなど、奴らの王の恥となる)
(証拠は掴めぬが、ここ数日怪しい行商が街に出入りしていると聞く。恐らく王国の斥候だ)
(そして奴らの狙いは、一時的に手薄となるであろう他の城門)
「小賢しい」
ハウゼンはそう吐き捨て、自ら指揮を執るべく作戦室へ向かっていった。
ハウゼン大佐の考察は的を射ている。
毒は商人に偽装した王国の斥候部隊が流した虚報であった。
そして南門での毒騒動から僅か30分後、東門の方角から「オオオオッ」という叫び声と共に王国軍が襲い掛かった。
城門に向けて、或いは高い城壁を越えて火矢を打ち込んでくる。
しかもその火矢には小さな樽が括り付けられており、矢の落下と共に小さな爆発を起こしていた。
城壁の上の弓兵には通常の矢を、火矢は東門の城門や弧を描いて内側に陣取る部隊を狙い、城門を破る為の破城槌も遠目に見えている。
外はだいぶ暗くなってきたが、王国軍の様子は見て取れる。
軍勢はおよそ2千といったところだ。
「成程。少しは頭が回る」
東門の突破の可能性に慌てふためき、城門を開けて全軍で掃討すべき、と主張する部下に対しハウゼンは一喝する。
「愚か者。これも陽動だ。攻城軍が2千の訳が無いだろう」
「奴らは東門を突破する気は無い。城壁からの迎撃を維持せよ」
東門の攻防は続く。
東門守備隊による城壁上部からの弩弓や投石の攻撃は、中距離を保つ王国軍の勢いを思うように削ぐことができないが、逆に王国の爆裂する火矢も堅固な東門に決定的な効果を齎せない。
「大佐!このままでは東門は破られます!他の部隊から増援を!」
「馬鹿者が。陽動だと言ったであろう。耐えよ」
やがて陽が落ち、辺りが闇に包まれた頃。
「伝令!北門の外に大軍が出現!」
「来たか。東を除く全軍を北門に集中!」
「門を破ってくるはずだ。城壁の上から狙い撃て!隙があっても決して追うな!」
北門の外、暗闇の奥には一面に無数に揺らめく篝火と馬の嘶き、蹄の音。
(ふん、小癪な真似を。北に布陣する敵兵は2万8千。こちらにも被害は出るが問題はない)
しかし、王国軍は動かない。
(何故だ?何故動かない?北門の守備の手厚さを見て気後れでもしたか)
(それとも本命は東門か?いや、あの篝火の数はこちらが多い・・・)
ハウゼンは自ら城壁に上り、敵軍を見据える。
「・・・!篝火が動いていない!」
「は?」
「篝火が先程から全く動いていない!貴様は見たのか?大軍を?」
「はい・・・先頭の部隊はこの目で。そして背後に火と音が」
「全軍!北門ではない!・・・どこだ・・・!」
ハウゼン大佐が気付いた時にはもう手遅れだった。
王国軍の主力部隊は暗闇の中、篝火を使わず小部隊に分かれて徐々に南門へ接近。
商人に扮した斥候部隊が南門内側から、主力部隊が南門外側からの奇襲を以って手薄となった南門を突破。
2万を超える兵が既に街の中心部へなだれ込んでいた。
「兵士のみ叩き切れ!容赦はするな!西門へ逃走する者には慈悲を与えよ!」
王弟ベルンハルトが号令を掛け、ファルカシュの街は瞬く間に王国軍の手に落ちていった。
「・・・『凶変の魔術師』か。負けだ」
状況と数の不利から即座に敗北を悟ったハウゼン大佐は、残る部隊を纏めて、敵から逃げ道として用意された西門より脱出していった。
「兄貴、こんなんで本当に騙せるのか?」
北門の外、イェッタはそれぞれが縄で繋がれた馬の群れを率いて走り回っていた。
「ああ、今頃は王弟殿下が上手くやっているはずだ」
「クリス様、城壁の上から敵兵が退いていきます」
「よし、そろそろ北門に向かうか」
「因みにクリス様、今回の作戦は・・・」
「穴熊崩しだ」
「成程、堅い守りには同時攻めですか」
「将棋が分かってきたな、エル」
(有能な者ほど、自らの読みが的中したと思った瞬間に脆くなる。これは自戒せねば)
クリスは誰にも気付かれないまま、頭の中で孤独な感想戦に突入していった。
更新の時間がバラバラで誠に申し訳ございません・・・