10手目. 王国の飛車と僻地の王将の邂逅
レイフェルス家には王弟ベルンハルトからクリス宛の手紙が届いていた。
「相談がある。旧ヴィンケル領、フロートの街まで来られたし」
という内容だ。
無論貴族らしく美辞麗句を飾った丁寧で真摯な手紙であった。
ブルクハウセン王国は、王都を中心に、東西南北それぞれの領地を有力な貴族に任せ安定を図っている。
南を統括するのは王弟ベルンハルト。その南には、比較的平和主義のリーフェフット神聖皇国が広がっている。
そして西、旧ヴィンケル領とその更に西のレイフェルス領の南西側には、侵略による領土拡大を続けるハウトヴァスト帝国があった。
フロートの街は、王都とレイフェルス領の中間地点ではあるが、好戦的な帝国の目と鼻の先にある要衝でもある。
「王弟ベルンハルト殿下か。謁見の間で僕を値踏みしていたお方だな」
手紙を届けにきたアドルフは心配そうに主の言葉を聞いている。
「恐らく、帝国を攻撃する、とでも言ってくるのだろう。王国としても攻められたまま黙っている訳にはいかないからな」
「・・・しかしお館様・・・」
「うん、レイフェルス騎士団も3千まで増やしたが、当然練度不足だ」
「そして依然旧道からのレイフェルス再侵攻の可能性も残っている。兵は出せない」
「はっ」
ここのところ、クリスの様子はいつもと少しだけ変わってきていた。
以前のように空を眺めてぼーっとしていることも勿論あるのだが、騎士団の様子を見たり武器工房に入り浸っていたり、何やら忙しく動いていることが増えていた。
そして、毎月恒例の長期間の睡眠は長らく影を潜めていた。
「クリスさん」
兄に優しく語りかけるのは2歳年下の妹クラウディアだ。
「最近は眠れていますか?」
「大丈夫だ。ありがとうクラウディア」
以前の長い睡眠のことなのか、戦いの後の眠れぬ夜のことを蒸し返しているのか、二人にしか分からない問答を交わす。
そして二人とも心の底からの笑顔を浮かべた。
「王弟殿下に会いに行かれるのですか?」
「ああ、手紙は本物だ。王国の飛車と話してくる」
「お気を付けてくださいませ」
「大丈夫だろう。軍はヘンリエッテに任せる。内政はクラウディアもいるしね」
「クリスさん?そういうことを言っているのではありませんよ?」
「・・・はい。気を付けます」
まるで母親のような次女の一見優しくも威圧的な笑顔は、国王を前にしても怯まないクリスが唯一逆らえないものでもあった。
◆
クリスは近衛騎士団を引き連れて旧ヴィンケル領、フロートの街までやって来ていた。
近衛騎士団は、エルベルトを団長に据え、猛将イェッタを始めとした旧遊撃隊の面々を中心に構成された総勢30名のクリス直轄部隊だ。
ふらふらと頼りなく領内をうろつくクリスを見兼ねた、四女ヘンリエッテの案で結成されていたのだ。
「名前を付けます!『愛と正義の騎士団』などはどうでしょうか!?」
「・・・おいエル団長、それだけは無いぞ」
などと、当初エルベルトは団長の重い責任感からぎこちなく空回りし、イェッタを始め団員に呆れられていたが、ようやく落ち着いてきた頃だった。
雑踏を通り抜け、指定にあった街外れの古い館に到着すると、既に王弟の側近と思われる騎士団がぐるりと館を取り囲んでいた。
エルベルトとイェッタのみを連れた若草色の和服を着た銀髪の男は、館の玄関の左右に立っている王弟の騎士団の装備を興味深そうに眺めながらも堂々と入っていく。
(やはりおかしな男だ)
よく鍛えられた巨躯を誇る王弟ベルンハルトは、目の前で礼を尽くす不思議な恰好をした青年をまじまじと見つめる。
「王弟殿下、どうやら僕は少々世間知らずのようで、もし無礼がありましたらお許しください」
「ああ、卿は伯爵だ。多少の無作法は問題ない」
ベルンハルトは公爵ではあるが、将軍であり武人であった。
時には貴族の下らぬ風習も重要であることは認めているが、その程度の認識なのだ。
(だがこの男の真贋を見極めねばならぬ)
「そうだ、王弟殿下。お土産がございます」
「気遣いは要らぬ」
「いえ、帝国の情報です」
クリスはそう言って、斥候部隊に継続して集めさせている帝国の最新情報を伝える。
帝国軍の補充と編制の方針、将の異動、神聖皇国とのいざこざ、レイフェルス領付近での斥候同士の小競り合いなど、微に入り細を穿った調査内容だった。
そして、「レイフェルス領への侵攻はまだ無いでしょう。恐らく何かを慎重に見極めている模様です」と補足した。
「成程・・・卿は本日の会談の目的をどう見ている?」
「はい殿下、帝国を攻める相談、でしょうか?」
ベルンハルトはニヤリと口を曲げる。
「まず謝罪しよう。先日より卿の動静を探っていた。許せ」
「それは全く気付きませんでした。僕もまだまだですね」
「卿は正直な男だな」
「貴族としては欠点のようです」
「うむ。では単刀直入に言おう。帝国の城塞都市ファルカシュを攻める」
ファルカシュはフロートの街から200km程離れた、対王国の要衝だ。
およそ10メートルの城壁を2重に張り巡らせた難攻不落の街である。
今後帝国を攻めるに当たっては、王国に近いファルカシュの攻略は必須となる。
「敵の守備隊はおよそ1万。こちらの兵力は3万を予定する」
「お言葉ですが、殿下」
「なんだ」
「我がレイフェルスからは兵が出せません」
「わかっている」
「はい?」
「帝国に攻められ、道は潰れたが今でも山脈沿いに接しているのだ。卿が他に兵を回す余裕が無いことは調査済みだ」
「恐れ入ります。では?」
「卿の頭脳を借りたい」
クリスはその殿下の言葉に困った顔を浮かべるが、王弟は言葉を続ける。
「ファルカシュの壁、崩せると思うか?」
「・・・」
クリスは暫く思案すると、エルベルトやイェッタが見つめる中、口を開く。
「壁を崩し力攻めをするのであれば、恐らく5万は必要でしょう」
「あの城塞都市は高い2重壁で単純な破壊は困難です」
「壁を登るのも難しいので、破城槌での城門の破壊となりますが、当然狙い撃ちされます」
ベルンハルトは大きく頷く。
「うむ。私もそう考えていた。因って包囲か、奇襲か、誘い出しか、それらを組み合わせた妙案を考えておるのだが」
「大軍を動かすのです。もう既に帝国には気付かれていると考えます」
「敵将は智謀に長けた有能な者と聞いています。奇襲は常に警戒されているでしょう」
「そして、他の都市からの援軍は早そうです。包囲しての長期戦も難しいでしょうね」
「それにあの自慢の城壁があるのです。敵は誘い出しには引っ掛かりません」
「では、卿であればどう攻める?」
「穴熊崩しは、セオリーでは下段と2筋ですか」
などと理解不能な単語を吐きつつ、クリスは続けた。
「殿下、馬、たくさん用意できますかね?」