読みかけの本
今日は貴族社会学と世界史の授業がある。
講師はユリウスさん、ルイーゼ、それにリュカさんだ。特別講師としてウメユキさんも来る。
先生役が多すぎて私の頭が追いつくかが心配だ。
リュカさんは今、王宮にある特務部隊の棟に任務の完了報告や事務処理をしに行っている。ウメユキさんと一緒にお昼過ぎには帰ってくる予定だ。彼らが帰ってくるまでの間、私はユリウスさんに貴族社会学、主にマナーについて教えてもらう事になっている。
大福を肩に乗せ、抱っことせがむ文二を抱えてユリウスさんが待っている図書館へと向かう。
もちろんルイーゼも一緒だ。
図書館へ着くとユリウスさんに出迎えられ、ルイーゼは飲み物を準備しますねと言って下がった。
いつもの席に行くと机の上に読みかけの古びた本が開きっぱなしで置いてあり、それを見てユリウスさんが「あぁ」と呟く。
どんな本なのか内容が気になった私は、中身をちらっと見る。しかしそこには魔法陣と見た事もない文字がびっしりと書かれてあった。
「今日は誰かがこの席を使ってるんですかね?」
「いいえ、それはございません。昨夜若様が古竜について調べものをしていたので、その時使用された本でしょう。読みかけのまま退席されたみたいですね」
ユリウスさんは椅子を引き、私を座らせてからこの本についての説明を始める。抱っこをしていた文二はそのまま私の膝の上に座っている。
この本は天空古代語で書かれてあり、どんな書物かは現在リュカさんが調べ中らしい。
表紙が古竜の絵なので古竜の事について書かれてあるんじゃないかと推測し翻訳に励んでいるそうだ。
そういえばリュカさんの趣味は文字の調査だった。
これが天空古代語の文字なのかと本に触れようとした瞬間、急に空が陰った。
天窓を見てみると空は黒一色で、グォオオオオッという唸り声まで聞こえてくる。
誰も慌てていない様子を見るとルシェールではよくある事なのかもしれない。
「こういう天気なんですか?」
「ふふっいいえ、違います。以前コハル様に名前を付けて欲しいとせがんでいたヴァンプールの腹と鳴き声です」
「おお」
「神獣のグリフォン、テオ様もご一緒のようです。コハル様に会いたがっておられますので窓を開けますね」
ユリウスさんが天窓に向かって手を翳す。すると窓が徐々に開き始めた。
そこから漆黒竜のヴァンプールと、久々に見るグリフォンのテオが図書館の中へと入っくる。
二匹が入っても余裕なほどこの図書館は広い。
『ヴァンプールが泣いておったため連れて来た』
「グォッグォオオオ!」
「コハル様に触れて欲しいそうです」
ヴァンプールの言葉をユリウスさんが訳し、その言葉通り私はヴァンプールの鼻先を撫でる。
この子は会う度に大きくなっている気がする。
テオがこの子と出会ったのは10日前で、空を散歩している時に泣き叫んでいるヴァンプールと出会ったそうだ。泣いている理由を聞きくとその内容が自分の知っている人物だった為、この邸に連れて来たと言う。
『娘よ、我の時のように子竜に名を付けてやっておくれ』
「グォー」
「格好良くて強い名前が良いと言っています」
「グオグオ!」
「天空古代語から名付けて欲しいそうです」
「結構注文多いですね。でも、私は天空古代語が読めません」
「私も得意分野ではないので困りましたね。若様が帰られましたら相談してみましょうか」
「にゃ!」
『文二読めるって!』
大福が文二の言葉を通訳し、ユリウスさんが驚きの声をあげる。
それほどまでに天空古代語が読めるというのは凄い事なのだろう。いや、でもユリウスさんはリュカさんの耳飾りがないから大福の声が鳴き声にしか聞こえないはず。
という事は何に驚いたんだろう。
もしかして文二が勢いよく挙手をしたからかな。
文二が読みやすいよう本を持ち上げると、テオとヴァンプールも顔を近づけてきた。
凄い密集率だ。
ユリウスさんは気を使ってか一方後ろに下がっている。
「にゃ」
文二が指し示す文字の読み方と意味を大福に教えてもらおうと本の中身に触れると、魔法陣が勝手に発動し文字が動き出した。そしてユリウスさんが慌てた様子で私の名前を叫ぶ。だがそれに答える間も無く私は強い力で本の中へと引き込まれた。
目を開け辺りを見回してみると黄色い熊がハチミツを舐めながら「やぁ」と言ってきそうな森の中に居た。地面には背の低い草が生えており、木々は少なく、一本の砂利道がある。そしてそこら中をふよふよと色とりどりの精霊たちが遊ぶようにして飛んでいる。
此処は何処なんだろう。
ダンジョン…ではなさそう。
空は快晴で、テオとヴァンプールは優雅に飛んでいる。私の肩には大福、膝の上には文二が座っている。だけどユリウスさんは居ない。
空の一部に本が開かれた様な形の空洞があるので、きっとあそこに行けばこの本の中から出られるかもしれない。私はテオにその場所まで連れて行ってほしいと頼んでみた。だが考えるそぶりも見せずに却下された。何で。
『子竜と先ほど試した。空洞に近づこうとすればする程穴が遠ざかって行く』
「なるほど。じゃあどうしたら良いんだろう」
「にゃにゃにゃ」
『文二が魔法陣を作った人をやっつけろだって』
「どうやって?」
「んにゃ」
『思念体が何処かに居るらしいよ』
という事で私と文二、大福、テオ、ヴァンプールでこの仕掛けを作った思念体さんを探すアドベンチャーが始まった。不安しかない。
まずは思念体をどうやって探すかだ。
手始めにテオとヴァンプールが空から偵察し、私と大福と文二で思念体のやっつけ方を考える。そして待つこと5分。テオからは精霊以外何も見えないと返事がきた。
「にゃーん」
『コーは精霊から沢山祝福されてるから』
「にゃにゃ」
『精霊に思念体を探してってお願いしたら良いって』
「ん~…」
『言わぬのか?』
「どう伝えたら良いか分からなくて」
『どんな時にも使える簡単な祝詞を授けよう。ただし必ず清らかな心で唱えるように』
「はい!」
私はテオが教えてくれた通り、集中して祈る様に手を合わせて祝詞を唱える。
「我に祝福せし聖霊よ、我が心に共鳴し、我の願いを叶え給え」
するとふよふよと自由に飛んでいた精霊たちが一気に神々しく光りだし、付いて来いというように森の中へと飛んで行く。
精霊の飛ぶスピードはかなり速い。だからヴァンプールが先行して猛スピードで追いかけている。文二と大福、テオは私が逸れないように並走してくれている。でも話しかけてくるのでちょっと息がしんどい。まるで全力疾走で終わりの見えないマラソンをしているかのような気分だ。
道が補正されている訳ではないので、私は何度も足を躓かせて転んでいる。お陰で手の平と膝が血だらけだ。おまけに横腹も痛い。
文二とテオが治癒魔法をと声を掛けてくれたが、この先何が起こるのか分からないので私はその申し出を断った。テオと文二の魔力は有事の際に備えて温存しておきたい。
それを伝えると二匹は相談し始め、最終的に私を文二の背に乗せる事で話は落ち着いた。そう、テオではなく文二の背にだ。世話師猫は体の大きさも変える事ができるらしい。
文二は巨大化する際に『化け猫モード!にゃん!』と腰に前足を当てて変身した。まるで戦隊モノの変身シーンのようだ。
巨大化した文二は私が乗りやすいようにしゃがみ、テオがぐりぐりと私のお尻を頭で持ち上げて乗せる。
無事に跨ると、文二は勢いよく走り出した。
背中が暖かくてふかふかとしていて気持ち良い。だが巨大化している為ゴロゴロ音も大きく、そこだけがちょっと雷の音に似ていて怖かった。
「私の血で毛が汚れちゃってごめんね文二」
「気にするにゃ」
『コーの血舐めたーい!』
「大福はリュカさんに感化されすぎ」
空を飛んでいるヴァンプールは低空飛行をはじめ、ひと鳴きしてから地面へと降りた。
そして精霊達も動きをピタっと止める。
どうやら目的地に着いたようだ。
でも相変わらず何もないただの森の中だ。違うと言えば最初に居た地点よりも木が少なく、見渡しが良い程度だ。
文二の背から降り、私はきょろきょろと辺りを見回す。
文二も元の大きさに戻り、テオが一枚のヒラヒラと落ちてくる葉に向かって口から攻撃魔法を放った。するとその葉からゆらゆらと人影が現れ、徐々に姿を成していく。
「わ、綺麗な人」
「ふふっ嬉しいな。だが私はヒトではない」
そう綺麗にほほ笑んで喋ったのはリュカさんと同じくドラゴンの角が生えた男性で、落ち着いた雰囲気を纏っている。見た目は30代半ばから後半くらいだろうか。
「おや?昨晩本を開いていた子とは違うようだな」
「リュカさんの事ですか?」
「リュカ…リュシアン?かな」
「はい。そうです」
「そう、天空古代語を名にするとは…。良い時代になったのだね」
「???」
「天空古代語とはその文字自体に魔力が宿っている口頭魔術の一種だ。使い方を間違えると世界を簡単に滅ぼす事ができる古い言の葉だよ」
「そうなんですね。ん?そんな凄い事を私に教えても大丈夫なんですか?」
「だってキミだろう?古の御業の使い手は」
「えっ」
「良い反応だね。そのままできるだけ隠し続けていなさい。ワタシはただ懐かしい気配を本の外から感じ取ったから、会ってみたかったんだ。何億年も封印されていた“古の御業”を授かった子が、どんな子なのか。キミ、名は?」
「東郷小春です。姓が東郷で名が小春です」
「そう、良いな名だね。それにしてもコハルは沢山の守護魔法で守られているね。その刻印は…デルヴァンクール家の者か。だがアイツは私と一緒に滅びの歌で朽ちているから…ん~アイツの玄孫あたりか?流石に仍孫、雲孫ではないだろう…」
名も知らぬ彼は顎に手を当ててうんうんと唸り始める。
この方は一体誰なんだろう。
文二は誰なのか気づいているらしく、戦闘モードを解除し寛いでいる。
「文二知ってるの?」
「にゃおあー」
「おお、世話師猫や。久しいな。今はブンジと呼ばれておるのか」
「んにゃ」
「そうか、そうか。猫生を楽しんでいるようで何よりだ。コハル、ワタシに一度古の御業を使っておくれ」
「えっ」
「ただ発動させるだけで良い。またあの暖かい温もりに包まれたい」
「…分かりました。やってみます」
言われた通り、私は古の御業を発動させる。
でも“ただ発動させる”というのはやり方が分からなかったので、初めて古の御業を使った時みたいに沼が綺麗な湖になるのを想像をして発動させてみた。
男性の胸元から淡い金色の光が溢れ、全身が輝いていく。
私が祈り終えるとその輝きも消え、ふぅと息を吐いてから彼はにっこりとほほ笑んだ。
「うん、心地良いね。ありがとう。さぁそろそろキミを外の世界に帰そうかな。コハルをこの本から出そうと必死になっている者が居る。この者がリュシアンだな?」
「にゃー」
「そうか、彼がデルヴァンクール家の者か。ククッ話せて楽しかったよ。また、遊びにおいで」
「またって」
「私は思念体だ。肉体は当の昔に朽ちている。異界の子よ、龍族の子を愛してくれてありがとう。久々に刺激的で楽しい思いができたよ。ワタシはルシェール・ティア・ディフィリート。この国の祖だ」
彼がそう言うと体が空に向かって強力な力で吸い上げられる。
私は怖くなって目をぎゅっと瞑った。
引っ張られる感覚が消えたので目を開けようとすると、それよりも先に誰かに抱きしめられた。
匂いだけで分かる。この安心する香りはリュカさんだ。
私は本から出られたのか。
安堵の息を吐き、リュカさんの背中をぽんぽんと叩く。すると抱きしめる力がゆるゆると抜けていき、心配そうに瞳を潤ませて美しい顔を歪ませた。
「ただいま帰りました」
「心配した。中で何があった。何故あの力を使った」
「えっどうして私が力を使ったって」
「コハル様、ご無事で何よりです。私達はコハル様や皆様が本の中でどのように行動されていたのかを浮かんでくる文字と絵で見守っていました」
「ぎょうさん転んではったな。せやからコハルはんが転ぶたんびにリュカ君膝から崩れ落ちてたんやで」
「そうなんですか。何だかすみません」
本の外では私達のアドベンチャーが動く絵本の様に見えていたらしい。
そういえば掌が痛くない。膝もだ。
自分の掌と膝を見てみると、傷が消えていた。
しかし私を抱きしめているリュカさんの手がボロボロの血まみれになっている。
「りゅっリュカさん手が重傷!」
「私は大丈夫だ。それよりも中で何があった」
「いや全然大丈夫じゃないですよ!それこそこの手どうしたんですか!早く治療をっ」
「コハルはん、その怪我はな、本の中にリュカ君も飛び込もうとして出来てん。せやけど強力な魔法でロックされとってなぁ。無理矢理開錠しようとしたもんやから肉千切れてもうてん」
「ヒィッそんな無茶しないでください!リュカさん早く治療しましょう!それともっと自分の体を大切にしてください!!」
「それは無理かと」
「ああ、無理だ。で、何があった」
リュカさんは人の傷には敏感なのに自分の傷には鈍感だ。執事頭のユリウスさんも諦めているから昔からなのだろう。だから私が根負けして本の中であった事を先に話し始めた。
だけどあの男性の名前がどうしても思い出せない。
ルシェ…てぃーなんだったかな。
名前を思い出すのに苦労している私を見て、察しの良い文二とテオがフォローに入る。
「んにゃにゃ、にゃにゃにゃーん」
『コハルをこの中に引きずり込んだのはルシェール・ティア・ディフィリートである』
「「「ルシェール・ティア・ディフィリート!?」」」
「超有名人なんですか?」
「ルシェールを建国された方です。つまり初代国王です」
「え?」
「そらリュカ君でも開錠できへんで当たり前やな」
「悔しいが、そうだな」
◇◆◇
おまけ-小春とリュシアンとウメユキ-
「名前が国名になってるんですね」
「家名が国名になっているのはヒト族と獣人族の国のほんの一部だ」
「へぇー、驚きです」
「永久不滅の恋と愛~ウンパカドンドン~が家名とか嫌すぎますやろ」
「確かに」
イイネやブクマ、高評価よろしくお願いします!!




