果てしなく伝わらない想い
今は食事も終わり、泉から出て宿屋に戻る途中だ。
道中に大衆浴場を見つけた私は「温泉に入ってから戻るので先に宿屋に戻っていて下さい」とリュカさんに伝え、一人進路を変えて歩く。はずだった。なのに何故か手を痛いくらい握られている。その痛みの先に目を向けると笑ってもいない最恐に怖い御顔をしたリュカさんが立っていた。
「絶っ対にダメだ」
「温泉入りたいです」
「この温泉がどういう所か知って言ってるのか?」
「肩こり、疲労回復、神経痛、筋肉痛に効きます」
「詳しいな。いや、そういう事を聞いてるんじゃない」
「えーと、無色透明無味無臭でお湯が柔らかいです」
「そういう意味でもない。というか何でそんな事を知っている。ここは」
「あっ!岩風呂じゃないからダメなんですね?」
「違う。良いから私の話を聞きなさいコハル」
温泉と言う懐かしいワードに興奮していた私は一度深呼吸して精神を落ち着かせ、リュカさんの説明を聞く。
話をまとめるとこうだ。まず、この世界の公衆浴場は夜の相手を探す場所で混浴しかない。温泉につかり体調を整える人はおらず、体調を整えたければポーションを飲めば良いという認識らしい。リュカさんはこの世界の知識に疎い私を心配して必死に止めてくれていたそうだ。
止めて下さってありがとうございます。危うく貞操の危機でした。喪失フラグばんばん立つ所でしたよ。ギリギリセーフ。
せっかく目の前に温泉があるのに入れないのは悔しいが、そういう事情なら仕方ない。逆に私の世界にある温泉事情を話すとリュカさんは驚いていた。
宿屋に戻ると布団が4組敷いてあり、今日この大部屋に泊まる人数が四人であるという事が分かった。先にお風呂を済ませてからリュカさんと合流し、一緒に大部屋に入る。
敷いてある布団は何故かくっついており、二組ずつが向かい合うようにして並べられてあった。いよいよ修学旅行みたいだ。
宿屋のお風呂に入った時、私は誰ともすれ違わなかった。だから此処に敷いてあるもう二組の布団に寝る人達は男性だろう。
「どんな方なんでしょうね」
「私は今すぐコハルに認識阻害の魔法を掛けたい」
「遠慮させてくだい」
リュカさんと攻防戦を繰り広げていると、大部屋のドアが開いた。
入って来たのは40代くらいのヒョウ柄耳の男性と、似たような耳を生やした子供だ。
「今日の相部屋はあなた達ですか。ウチの子供が五月蠅いかもしれませんがすみません、よろしくお願いします」
「女の人だ!可愛いねパパ!結婚しちゃいなよ」
「コハル。今からでも遅くはない、この宿を出よう」
「え!?リュカさん待って、ステイ!」
「はははっ子供の冗談ですよお兄さん。大丈夫です、私は妻一筋ですから」
この親子は先月亡くなった祖母に、新しく小さな命が芽生えた事を歌で伝えにこの村にやって来たそうだ。子供は7歳くらいで、ちょっとおませな男の子。
この親子がこの村に来た理由を聞いたリュカさんは何とかこの宿屋に踏みとどまってくれた。そして私は薄い布団の上に身体を寝転がす。
「ねぇお姉ちゃん何か歌ってよ」
「ん~どんな歌が良い?」
「赤ちゃんが生まれて来るような歌!ママのお腹の中に二年もいるのに出てこないんだ」
「大丈夫なの?」
「んーわかんない」
「お医者さんが言うには怖がっているだけで、母子ともに健康だそうです。私達の種族には稀にある事なんですよ」
子どもの父親から母子の健康状態を聞き、私はほっと胸をなでおろす。
この世界で私の常識は通用しない。
お腹の中に二年も赤子を身籠る事はざらにあるそうだ。理由は様々だが、この親子の赤ちゃんは何かに怯えてお母さんのお腹に中に籠っているらしい。そうお医者さんから診断を受けたそうだ。
いったい何に怯えているんだろう。
私は歌う曲を決め、静かに歌い出す。
歌詞に隠された想いが遠くにいる赤ちゃんに届けば良い、そんな想いを込めながら歌う。
この歌は私が社畜時代に会社を辞めようか続けようかと悩んでいた時によく聞いていた曲だ。人生とは何か、生きるとは何かを謳った曲で、第一章から三章まである。
第一章は先の見えない人生、綺麗ごとだけでは生きていけない世界、絶望してしまう事が少なからずある事、生きていると嫌な事や楽しい事、色んな事がある。内に隠した想いと現実のズレに葛藤しながらも必死に生きていく、生きようとしている人達の事が謳ってある。
第二章は誰でも初めてやる事は怖い、昔はそうじゃなかったのになんて思わなくて良い、その感情が芽生えた事こそが成長の証。考えて行動する事、行動した結果、自分にとってどんなリスクやメリットがあるのかをきっと無意識に選んでいる事。
恐怖心が悪いものではなく、また自分にとって取捨選択した物が悪いものではないと励ましてくれる、そんな歌詞になっている。私にとって第二章は狡い人間になっていないか不安だった時、困難から逃げているんじゃないかと悩んでいた時に助けられた曲だ。
きっとお腹の中に二年もいる赤ちゃんは聡いんだろう。生まれてくる事を怖がらないでなんて言わない。だって怖いもんは怖い。あなたの感情はあなただけのもので、誰もその感情を支配してはいけないと思う。
でもね、あなたを心から待ってくれている人達がいる。きっとその人たちはあなたが悩んだり苦しんだり、何かに挫折したり、楽しい事や嬉しい事があって話を聞いてほしい時、耳を傾てくれる。
生きていると色んな困難にぶち当たるけど、時間が解決してくれたり、誰かが手を差し伸べてくれたり、ほんの小さな目に見えない奇跡があなたを助けてくれる。全てではないけど。でも、一番大事で大切なのは誰かが背中を押してくれた時に踏み出せる一歩の勇気。
私は三章まである歌を想いを込め、赤ちゃんにも自分にも言い聞かせるように歌った。
この曲は長いので子供は眠ってしまっており、代わりに男の子のお父さんからお礼を言われ、お返しに今日この村で歌った歌を披露してくれる事になった。今から彼が歌う歌は天国にいる祖母に届くよう、毎日子供と歌っている歌だそうだ。
壁に立てかけてあるギターを取り、彼は弾き始める。
「突然の別れ
もう会えはしない
でも僕らは生きていく
新たな命と大地
寂しいけど悲しくはない
思い出と一緒に駆けていく」
短い。
長々と歌ってしまった事に申し訳なくなる。
この歌詞にもとても共感できる所が多く、もう会えないかもしれない両親や兄、弟を思い浮かべながら私は歌を聴いた。読んでいた漫画の続きが気になるなとか、友達は元気にしているかなとか、頑張って貯めたお金はどうなるんだろうとか色んな事が頭の中を駆け巡る。でも今はまだ深く考えたくない。だって考え始めてしまうと深みに嵌って抜け出せなくなりそうだから。
「いや~すみません。何だかしんみりしてしまいましたね。盛り上がる曲でも行きますか!」
「そうですね。せっかくだからハイテンションでいきましょう!」
「私は寝たい」
いつも通りリュカさんの湯たんぽになり、成長や進化できそうな歌、勇気が漲ってくる歌、色んな歌を朝まで歌い明かした。リュカさんも振られれば歌ってくれるのでノリは良い。だけど踊ってはくれなかった。
***
夜通し歌ったせいか物凄く喉が痛い。
親子とは宿屋で別れ、私達は門を出る前にシレーナさんと出会い「また来てね」と歌で伝えられた。
次の国へ向けて村を出発し、しばらく歩き続けると平原を越え森の中に入る。すると世話師猫の文二が何処からともなく現れて私達に向かって手を振って走ってきた。
「にゃ!」
「キュー!」
今回は茶トラ模様だ。
森の中を進んで行くと一部だけが物凄く木や葉が枯れている場所があった。リュカさんは私を背に隠して慎重に進んで行く。そこには小さなドラゴンが息を荒げて倒れていた。小さいといってもドラゴンなので馬くらいのサイズはある。
「ヴァンプールか」
「ばんぷーる?」
「説明は後でする。コハル、力を貸して欲しい」
「はい」
弱っている真っ黒色で小さなドラゴンにリュカさんが近づく。暴れる様子がない事を確認してから私に近づいても良い許可を出し、文二や大福と一緒にその子の側に膝を着いた。
目立った外傷はない。
毒性の物を食べたか盛られたのかもしれない。
私はドラゴンの鱗に触れ、大福を助けた時みたいに自分の魔力をこの子に流す。カーバンクルよりもあきらかに体重が重いドラゴンは浮きはしなかったが、体から深く濃い緑色とドス黒いモヤが大量に出てきた。モヤが出なくなるのを確認してから古の御業を止め、リュカさんにドラゴンの様子を見てもらう。
この子は四つ足で翼があり、ツノが二本あるドラゴン。
瞳は閉じられているので色は確認できないが、とても美しい。私は初めてドラゴンの全貌を見る。とても神秘的で力強さを感じる。
リュカさんが触診を終え、この小さいドラゴンが今は眠っているだけだという事が分かり私は文二とハイタッチした。
この辺りの草木が枯れているのはこの子が必死に生きようと植物から生命エネルギーを吸い取った証らしい。親竜と逸れて誤って毒物を食べたのか、密猟者に狙われて毒を盛られたのか、そこまでは分からなかった。
私は地面に手をつき枯れた草木に感謝する。
≪あなた達のお陰でこの小さな竜は助かりました。ありがとうございます≫
そう祈りながら地面に触れると、一気に植物が芽吹き始めた。
「コハルの“古の御業”が強くなっている…」
「凄いですね…」
辺り一面が青々とした草木に覆われ、枯れている木には緑で元気いっぱいの蔦が巻き付き花が咲く。今までは傷を治したり瀕死状態からの回復と治療に近かった魔法が、今度は新たな命を生み出す魔法へと進化した。そしてこの真っ黒いドラゴンが起きるまで間、リュカさんのドラゴン講座が始まった。
「私の名前を覚えているか?」
「…りゅ、リュシアン・ばっはー・ばんばんじー…でしたっけ?」
「…」
「すみません」
無言で頬っぺたをぐいーっと引っ張られてしまった。自分に非がありすぎるので罰は甘んじて受け入れます。
リュカさんの気が済んだ所でフルネームをもう一度教えてもらい、何度も復唱する。リュシアン・ヴァンディファ・デルヴァンクール。長い。
リュシアンとは天空古代語で光を与える者という意味があり、ヴァンディファは龍の種類や色を表し、デルヴァンクールが家名。復習をしながらも講義はどんどん進んで行く。
「厳密に言うとヴァンはドラゴンの種類を示している。私や今眠っているその子のように四つ足で翼が有り、ツノが二本あるドラゴンはヴァン。そして色彩や色数に当たるのがディファだ。私は二色持ちで光沢があるのでディファとなる。このドラゴンは黒一色だからプールだ」
「だからこの子の事をヴァンプールと呼んだんですね」
「そうだ」
「そういえば、この子は人の姿になりませんね」
「龍族ではないからな。野生のドラゴンだろう」
「見分け方が分かりません」
「ふふっ。流石にそれは龍族の瞳を持っていないと判別がつかないよ」
前に出会った執事頭のユリウス・フルーレ・ヴェルツェランさんは希少種で、体がドラゴンの中でも一番長い東洋龍らしい。まさかの神龍タイプだ。他にも手と翼が合体しているタイプのワイバーンや、一つの身体から頭が二つ、八つと様々なタイプのドラゴンがいる。龍の国ルシェールに行けば毎日色んな種類のドラゴンが見られるそうだ。
お昼にローリエで香り付けしたワイルドベアーのサンドウィッチを食べていると、ドラゴンが目を覚ました。瞳は濃い青色で、リュカさんとはまた違った美しさを持っている。グルグルと大きな音を鳴らしたのでお腹が空いているのかと思った私は、余っているサンドウィッチをドラゴンの開いた口の中に入れた。すると大きな頭を擦り付けて来た。ツノは触っちゃダメだったはず。でも当たりそう。
「リュカさんどうしましょう!ツノに触れそうで怖いです!」
「怖がる所はそこなのか」
「ドラゴンは格好良いです!」
野生のドラゴンのツノは触っても良いらしい。触っちゃダメなのは龍族のツノのみ。
ん~…。その違いは何なんだろう。
どうしても理由が気になった私はリュカさんに教えてくださいと頼み込んだ。
「私が失態をさらす前にお願いします」
「深い意味を聞いてこないのなら…」
「約束します!」
龍族のツノを触る行為は夫婦であれば今夜一緒に暖をとりましょうと言う意味になり、未婚の場合だと襲っても良いですよとなるらしい。
全然意味が分からない。
暖を取るって何?寒いの?こたつくらい自由に入れば良いと思う。
だがしかし!リュカさんは抽象的に物事を発言する節があるので、学習能力のある私は深読みする事にした。貴族事情に疎い私は自分の知識の中にある平安時代の貴族に置き換えて先ほどリュカさんが発した言葉の意味を考える。暖をとりましょうと言うくらいだからきっと寒いはず、平安時代は直接暖をとる器具に炭を使う木製の炭櫃すびつと火桶を用いていた。
取り扱いには注意点が多く、炭が燃える際に一酸化炭素が発生し中毒で死亡事故が起こる可能性があったり、炭がはじけて火の粉や炭の欠片が飛ぶことがあった。他にも密室で点火したまま眠ってしまうと中毒死してしまう恐れがある。そのことから推測するに夫婦間でツノを触る=死をも覚悟した暖取り合戦、じゃないかと思われる。
次に未婚の場合だ。つまり今の私達に該当する。
リュカさんは説明してくれる時にヒントを与えてくれた。それは結婚をしている者としていない者とではツノに触れた時の意味合いが若干違うという事だ。
襲っても良いという事は挑発しているんだろう。という事は喧嘩か…。でもそれだと同じ意味になってしまうから、きっとこちらはタイマンだろう。夫婦だとお互いの家同士の暖取り合戦で、そうでなければタイマン勝負。といったところか。分かったような分からないような。
「なんとなく分かりました」
「…そうか」
「タイマン勝負だと私がリュカさんに勝てるのはあまりないですね」
「ん?」
「夫婦だと御家同士の暖取り合戦で、それ以外だとタイマン勝負なんですよね?」
「私の話をちゃんと聞いていたか?」
「はい。裏の裏まで考えましたよ」
私が頑張って導き出した答えは違うようで、その答えに至った経緯を説明するとリュカさんは酷く項垂れ頭を抱えこんだ。
とりあえず龍族のツノは触るなと再度注意を受け、真っ黒いドラゴンと戯れる。文二や大福はドラゴンの尻尾で滑り台をして遊んでいる。
先ほどのグルグルはドラゴンのお腹が鳴った音ではなく、私に甘えて喉元を鳴らしていた音らしい。この子は助けてくれたのが私だと分かっているみたいで、ずっと喉を鳴らしながら甘えている。
ドラゴンが元気になった事で休憩も終わり歩き始めようとするが、子竜が私を離さない。ため息をついたリュカさんは仕方ないと呟き、黒い小さなドラゴンに跨り私と文二や大福も一緒に乗せた。私達の今の状態はドラゴンの首の付け根辺りに文二、私と大福、後ろから覆うようにしてリュカさんが跨って乗っている。
人の体では空は寒すぎるのでリュカさんに防寒魔法をかけてもらい、彼の合図でドラゴンが翼をはためかせた。初めてのドラゴンの乗り心地は最高で、私が落ちない様にしっかりと後ろからリュカさんが支えてくれている。いくつもの国や村を越え、どんどんドラゴンは空を自由に飛んで行く。
飛んでいる最中、リュカさんは龍語でドラゴンに話しかけた。
『彼女はコハル。私はリュシアン。君は?』
『なまえない。こはるといっしょにいたい』
『今は無理だ。君が襲われてしまう可能性がある。私達は今ルシェールに向かっているから君もそこに行くと良い。またコハルに会えるよ』
『わかった。こはるになまえつけてほしい』
『従属するのか?』
『うん。だってこはるはもうおてつきされてる』
『…分かった。伝えておこう』
黒いドラゴンとリュカさんが何を話しているのか全く分からない。数時間飛んでいると前方に大きな国が見えてきた。ドラゴンは飛ぶのを止め、ゆっくりと近くの平原に降りる。このままルシェールに行くと思っていた私はリュカさんに理由を尋ねた。
返ってきた答えはヴァンプールに無理をさせたくない、というものだった。いくら今元気だとはいえ、先ほどまでぐったりしていたドラゴンなのでリュカさんは頃合いを見て自分たちを降ろす様に伝えていたらしい。紳士。紛うことなき紳士。圧倒的紳士だ。
私の勤めていた職場にもこういう人を気遣えるような人が欲しかった。台風が来ようが雪で電車が止まろうが必ず出社して来いというブラック企業だった。頑張って働いていたのに給料が少なすぎて私の通帳はホワイトだった。そんな苦い思い出を思い出し私はブルーになった。
地上に降りて別れの挨拶をするとヴァンプールは空高く飛び、私の肉眼では捉えきれないほどの高さまで飛んで行った。一足お先にルシェールに行くらしい。
「コハルに名前を付けて欲しいと頼まれたよ」
「良いんですか?私あんまりセンスないですよ」
「知っている。あまりにも可笑しかったら私が止める」
「言っておきますけどリュカさんもセンスないですからね」
「コハルよりはあるだろう」
「ないですよ」
「勝負と行くか」
「え、タイマンですか?それならUNOを希望します」
「違う。タイマンじゃない。しかも何だそれは」
次の国に着くまでにUNOの遊び方を説明しながら野営の準備をする。ダンジョンに飲み込まれませんようにと祈りながら二匹と二人で楽しく夕飯の棒棒鶏を食べ、今日もリュカさんに抱きしめられながら眠りについた。
評価が増えている!?凄い!嬉しいですありがとうございます!!ブクマして下さった方もありがとうございます!!
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【本編とは全然一ミリも関係ありません↓↓】
私はたけのこの里ときのこの山、どちら派かと聞かれたら必ずたけのこ派と答えています。ですが実際にはきのこの山を食べている回数が多く、知らぬ間に隠密活動みたいな事をしています。里の文化を山に持ち帰り文明を築き上げ和平条約を結びたい。真の敵はきこりの切り株。奴は他所ぞ。皆の者、馬をもてぇえええ!!出合え!出合え!
だけど、きこりの切り株も旨いんじゃぁ~




