メイドはモフモフを欲している
その後、私は陛下の魔法でルヴォルツに手紙を送った。シャルムの存在をバラすことはできないので、なんとも曖昧な文章にはなってしまったが。
私がいなくなって、実質もう二日は経っている。手紙を送る前に捜索が開始され、かなりの心配や労力をかけていることだろう。無事に、どうにかなってるといいのだけど。……まぁ、サラがいるから大丈夫よね!
いろいろ話を聞くと、陛下はこの国のどの魔法使いよりも魔力が高いらしい。それは、建国者であるクラウス・ダールベルクの血を引いているから。もともとクラウスは王族であり、魔法使いとしても世界でトップレベルの魔力を持っていた。その才能は今でも、血を巡り代々受け継がれているようだ。
ついでに陛下の年齢が二十歳と聞いて、私はかなり驚いた。見た目通りの年齢ではあるが――本当に、魔法で若返っているとかじゃなかったんだ……。それを言うと、またフェリクスに笑われた。
陛下の母親は元々体が弱く、陛下を産んですぐに亡くなってしまったらしい。そして父親は一昨年急に倒れ、そのまま体調が回復せず亡くなった。それにより、陛下は二十歳という若さでシャルムの王子から国王となったみたい。
それからいろいろたいへんで、やっと落ち着いてきたというときに私が現れ……陛下はだいぶ参っているようだ。
そして、私が城で使用人として働き出してから、一週間が発った。
〝シャルムにルヴォルツ出身の人間がやって来た〟。
このことはシャルムで大ニュースになり、私は瞬く間に時の人となった。
私がやって来たということを隠すのではなく、公表することを提案したのはフェリクスだった。なにかの拍子でバレてしまうより、さっさと公表するほうがいいと。毎日平和に、変化もないまま時が流れゆくシャルムにとって、私の存在は魔法使いにとってもいい刺激になるだろうと笑っていた。
陛下も隠すとしても私のことをどう説明したらいいかわからないし、後々バレて面倒ごとになるより、ありのままを国民に伝えることが最善と判断した。
こうして、私は結界のひずみから偶然シャルムに入り込んだ人間として、シャルムで有名人になったのだ。
「本当の本当に、ひとつも魔法が使えないの!?」
「外の世界にいる人間は、普段どんな生活をしているんだ!?」
ただ魔法が使えない。それ以外は同じなのに、シャルムで暮らす人たちは私に興味津々だ。城の使用人からも毎日のように質問攻めにあっている。私が書物でしか魔法使いという存在を知らず、魔法に衝撃を受けたように、彼らもまた、書物でしか読んだことのない人間という存在が現れ衝撃を受けているのだろう。
特別なスキルもなにも持っていない私は、掃除や庭の手入れや買い出しなど、とにかく簡単な仕事を任された。空き時間はメイドたちとおしゃべりしたり、紅茶の淹れ方を教わったり……私にとっても、ずいぶん刺激的で楽しい毎日だった。今まで経験してないことばかりだったから。なにより、かわいいメイド服を毎日着られてテンションが上がる。高価なワンピースやドレスもいいが、こっちのほうが動きやすいし、汚しても怒られないし。ルヴォルツに戻れば着る機会はないだろうから、今のうちにたくさん着ておこう。
「リアーヌ、ここにいたのか」
今日はあまりやることがなく、廊下で何度も同じ窓を拭いていると、フェリクスが話しかけてきた。
「フェリクス! おつかれさま。どこにいたの?」
「ギルと雑談していた。お前もたまにはギルの相手をしてやってくれ。きっと喜ぶ」
「えぇ……そうとは思えないけど。ギルバート様ったら、私が話しかけるといつも〝勝手なことするなよ〟って睨みきかせてくるんだもの」
「あいつはあれだ。ツンデレというやつだ。城で積極的に話しかけてくる使用人など、俺以外に今までいなかったから、内心喜んでいると思うぞ」
「そうなんだ……。じゃ、これからも話しかけてあげよっと!」
「そうしてやってくれ」
フェリクスとはこの一週間でだいぶ仲良くなった。様をつけて喋っていたのが、もう遠い日のことに思えるくらい。陛下のことも、ちゃんと名前で呼ぶようになった。さすがにフェリクスのように愛称では呼べないけれど。
ついでにニーナの言っていた〝陛下の専属執事〟というのは、フェリクスのことだった。執事というより仲の良い友達のようにしかみえないが……。専属執事といいながらも、ほかの仕事もいろいろこなしているようで、本当に頼りがいのある人だ。優しいし、一緒にいてとても落ち着く。
「そうだリアーヌ。今日は特に仕事もないし、好きなところに行って来てもいいぞ。少しはシャルムにも慣れてきたんじゃないか?」
「え! 本当に!? だったら私、ニーナのところに行きたいわ! 私が最初に会った魔法使いの子なの!」
「ああ。オルシーニ家の薬屋の娘か」
「知ってるの!?」
「あそこの薬はすごい効力だからな。城にも置いてある。行くならついでに頭痛薬と……在庫が少なくなっていたし、熱さましも買っておいてくれ。最近ギルが文字を読み過ぎて頭が痛いとうるさくてな」
……魔法使いも現実的な薬を使うのね。なんでも魔法で治せてしまえるなんて虫のいい話はないらしい。
「戻って来たら、俺とゆっくりお茶でも飲まないか。お前は俺の淹れる紅茶が好きだと言っていただろう」
「! 大好き! 大好物! でもいいの? 働かないと怒られちゃうわ」
「使用人にも休みは必要だ。俺が特別に許可しよう。それに、薬屋へ行くのはたった今おつかいに変わったからな。お前の私情ではない」
にやりと笑うフェリクス。優しくてかっこいいだけじゃなく、気遣いもできるなんて……フェリクスにだめなところなんてあるのかしら。
「ありがとうフェリクス! それじゃあ、薬屋へ行ってくるわ! 戻って来たらお茶を淹れてね。約束よ!」
「ああ。俺も楽しみにしている。気を付けて行ってこい」
私の頭を軽く撫で、フェリクスは去って行く。
私はスキップしながら城を出て街へと向かった。ニーナの家までの道のりは簡単だったので、ちゃんと覚えている。ニーナに会うのは、城に案内してもらって以来だ。
「あらリアーヌ、今日はひとりなの?」
「はい! 薬を買いに!」
「そうなのね。気を付けるのよ。今度は別の魔法を見せてあげるわ」
「本当に? 楽しみだわ!」
街に出ると、こうやって声をかけてもらえるようにもなった。
完全に部外者の私を、シャルムの人たちは警戒することもなく親し気に接してくれる。これも、国王であるギルバート様が私を受け入れてくれたからこそだろう。
薬屋に着くと、ちょうど店番をしているニーナの姿が目に入った。どうやら、今はお客さんはいないようだ。私はすぐに店内に入り、ニーナに声をかける。
「ニーナ! やっと会えた!」
「……リアーヌ!?」
「そうよ! この前は本当にありがとう! ニーナのお陰で、シャルムでもうまくやっていけそうよ!」
「よかった! 噂でリアーヌの話は聞いていたのよ。どう? 城での生活はやっていけそうなの? まさかリアーヌが使用人として働くことになるなんて思わなかったわ。あ、それに、ルヴォルツに帰る方法はわかったの?」
私との再会に興奮したのか、ニーナは私の両肩を掴んでまくし立てる。私はニーナを落ち着かせてから、ひとつずつきちんとニーナに説明をした。
「じゃあ、しばらくはシャルムにいるのね!」
「ええ。だからこれからもよろしくね。たまに遊びに来てもいい?」
「大歓迎よ! 今はいないけど、お父さんもお母さんもまたリアーヌに会いたがっていたから喜ぶわ」
私もおばさんとおじさんにはぜひ会いたい。近々絶対にまた、ニーナの家に来る時間を作ろうと心に決めた。
「あ! そうそう。私、フェリクスにおつかいを頼まれてたんだわ。薬、買って帰っていい?」
「え? それはもちろんだけど……待って。リアーヌ、フェリクス様と仲良くなったの? 呼び捨てで呼んでいるなんて……」
「ええ。フェリクスにはよくしてもらってるわ。ニーナが言っていたかっこいい執事ってフェリクスのことよね! たしかに、大人で独特のオーラがあって素敵な人ね」
「でしょう!? フェリクス様、国中の女性から人気があるのよ」
「ニーナはフェリクスのことが好きなの?」
「えっ!? それはないわ! 私は憧れというか、見てるだけでいいの。恋愛感情ではなくて、ファンみたいな感じね」
そういうものなのか。と、私はひとり心の中で勝手に納得する。
「それより、薬はなにを頼まれたの?」
「えっと、熱さましと……あと……なんだったっけ」
「えぇ? リアーヌ、まさか忘れたの?」
考えても思い出せない私を見て、呆れたようにため息をつくニーナ。
「ど、どうしようニーナ。フェリクスがよく買ってるものがなにか覚えてない?」
「フェリクス様は何度か来店されたことはあるのだけど、いつも買うものがバラバラなの。この前は……胃薬だったかしら」
「あ、それだったかも! 熱さましと胃薬をちょうだい!」
「そんな適当で大丈夫なの……? もしちがったらお店に連絡して。こっちから届けに行くから」
「ありがとう。助かるわ」
ニーナに薬を包んでもらい、私は『またね』と告げお店をあとにした。
城に戻り、薬が入った紙袋をフェリクスに渡す。フェリクスはギルバート様の執務室にそれを置くと、私と一緒にテラスに移動し、そこで紅茶を淹れてくれた。
綺麗に咲いた花たちを眺めながら、私はフェリクスとのまったりとした時間を楽しむ。
「リアーヌ、シャルムはどうだ?」
「すっごくいい場所よ。それはもう!」
私の返事を聞いて、フェリクスは満足そうに微笑みカップに口をつけた。
シャルムは国というより、ひとつの都市のようだ。
ここにはわずらわしい貴族階級もないし、みんなのびのびとしている。魔力が極めて高い人や、城の人たちはもちろん偉いとされてはいるけれど、その権力を振りかざし、威張っているようには見えない。
「まだ見たことない魔法もたくさんあるし、毎日が新発見で、すごく楽しいの」
「ギルに頼めば、ほとんどの魔法を見ることができるぞ。魔法は人によってできるものやできないもの、得意不得意がある。ひとつの属性の魔力しか持たないものも大勢いる。だけど、あいつはあらゆる魔法を使いこなせるんだ。ま、ギルにもできないことや、苦手なものもあるけどな」
「さすが、やっぱりギルバート様はすごいのね……」
「ひとつの魔力を極め、その属性でトップになれば称号を与えられるんだ。そういう魔法使いはレベルがちがう。こっちにいる間に、たくさんのすごい魔法が見られたらいいな」
魔法使いの世界も、いろいろと奥が深いのね……。
やっぱりどこの世界も、なにかしら力を持つものが上に立ち、評価されるということだ。
フェリクスに魔法について教わっているうちに、私の中にひとつの疑問が浮かんだ。
「そういえば……フェリクスは、どんな魔法を使うの?」
城に来て一週間。私は一度もフェリクスが魔法を使っているところを見たことがない。
「俺か? 俺はちょっと特殊なんだ。ほかとちがってな」
「特殊?」
「ああ。……近いうちに見せてやろう」
そう言って、フェリクスは妖しげな笑みを浮かべた。
◇◇◇
フェリクスとティータイムを楽しんだあと、私は仕事がないから休んでていいと言われ、用意してもらった自分の部屋に戻っていた。
使用人部屋なので、屋敷より広くはないが、ひとりで過ごすならむしろこのくらいで十分だ。ふかふかしたベッドもあるし。
ごろんとベッドに寝転ぶと、いつの間にか私はそのまま眠りについてしまった。
「……ん」
眠ってしまい、どれくらい経っただろうか。
くすぐったい感覚がして、私は目を覚ました。
――なんだろう。この感覚、なにかに舐められているような。
目を開けた私の視界に飛び込んできたのは……大きな黒い犬だった。
鼻先で、私の頬をつついてくる。
「……か、かわいいーーっ!」
私の目は一瞬にしてハートになる。
モッフモフの毛並みをおもわず撫でると、犬……いや、ワンちゃんは気持ちよさそうに目を細めた。……やばい、キュン死にしそうだわ。城でこんなかわいいペットを飼っていたなんて、教えてくれてもいいじゃない!
でも、どうやって私の部屋に入ったんだろう。私、扉をちゃんと閉め切れていなかったのかしら。……今はそんなことどうでもいいか。とにかく、目の前のワンちゃんのモフモフに埋もれたい。
ルヴォルツにいるときも、何度か犬を飼いたいとおねだりをしたことがあった。でも、お父様がアレルギーでその願いは叶わなかったのよね。
「シャルムでこんな素敵な出会いがあるなんてっ! 今日は最高の一日よ!」
ワンちゃんを抱き締め、頬をすりよせる。すると、ワンちゃんがぺろぺろと優しく私の頬や鼻先を舐めてきた。
「ひゃっ……もう、くすぐったいってば……ふふっ!」
そんな感じでしばらく犬とじゃれ合っていると――
「おいリアーヌ! お前、これ頭痛薬じゃなくて胃薬じゃねぇか!」
バンッ! と部屋の扉が開いた。そして、薬を片手にご立腹のギルバート様があった――が、すぐにギルバート様は驚きの顔を見せる。
「……お前、なにやってんだ?」
「なにって……昼寝からの起床?」
「それはわかってる。……いや、つーか、お前に言ったんじゃない」
「ん? ……どういうことですか?」
「なにやってんだよ、フェリクス」
「……はい!?」
ギルバート様がそう言うと、目の前がぼんっと白い煙に包まれる。そして――ワンちゃんは、フェリクスに姿を変えた。しかも、服をなにも纏っていない姿だ。
「……いいところだったんだがな。フッ。残念だ」
「きゃ、きゃああああっ!」
私の絶叫が、屋敷中に響いた。
――ギルバート様がフェリクスをつまみ出し、フェリクスがきちんといつものスーツに着替え終えると、ギルバート陛下とフェリクス様がまた私の部屋に集まった。
「すまない。驚かせたようだな」
「……驚いたわよ。まさか、フェリクスだったなんて……そ、それに、はだ、裸だしっ……」
思い出すだけで顔が赤くなる。
「おいフェリクス、今回のはお前が悪い」
「俺は獣化がとける前に戻るつもりだった。ギルが勝手にネタバラししたのが悪い」
「はぁっ!? 俺のせいかよ……」
「どっちも悪いです! 認めてください!」
「俺は悪くないだろ! 大体な、お前も買い出しもろくにできない挙げ句昼寝なんかしやがって――」
「まぁまぁ落ち着け。ギル、リアーヌ」
「なんでお前は部外者みたいなツラしてんだよ!」
ツッコミどころがありすぎるのか、ギルバート様は叫びすぎてゼェハァしている。
「バレてしまったからには仕方ない。しばらく隠して楽しもうと思ったんだがな」
そして、フェリクスが改めて、自分のことについて話し始めた。
フェリクスは、魔法使いよりももっと前に絶滅したといわれていた魔族と魔法使いのハーフらしい。魔法使いといえば魔法が使える人間のことたが、魔族は少しちがい、妖怪や、異形の形をした怪物もおり、邪悪なものが多かったという。
人々や魔法使いから嫌われ、退治されてきたが、ある日狼に獣化する能力を持つ人型の魔族が、魔法使いと恋に落ちた。その魔族は悪さもせず、獣化ができること以外は普通の人間と変わらなかったという。
ふたりは事情を知っている魔法使いたちに匿われながら、魔族は周りにバレないよう人間として生きていたとか。
魔法使いと魔族の間に生まれる子供は魔族の血が濃く、魔法は使えないが、狼に獣化する力を持って生まれる。
その後も、魔族の血を引く子供は、その力を受け継ぐようになっていた。
邪悪さを持っていないことが判断され、魔法使いがシャルムに移住したときに、魔族の生き残りもシャルムに来ることを許可されたという。……ワンちゃんじゃなくて、狼だったのか。
「俺の父親が魔族の血を引いていてな。俺も、獣化の能力を得たということだ。ちなみにギルとの関係は幼い頃からの親友みたいなものだ」
「……だからさっき、特殊っていっていたのね」
たしかに、だいぶ特殊だったわ。魔法だけじゃなく獣化できる人までいるなんて。シャルムでは私の想像を超えることばかりだけど、今回のは不意打ちに大きな爆弾を落とされたような気分。もっとふつうに教えてくれたらよかったのに、フェリクスったら……。
「フェリクス、人間をからかって遊ぶな」
「そんなつもりはない。しかし、さすが人間だ。なかなかのたらしこみっぷりだったぞ」
「た、たらしこみって、私、なにもしてないじゃない!」
フェリクスが突然誤解されるようなことを言い出すから、私は慌てて言い返す。
しかしフェリクスは、そんな私をおもしろがるように笑い、私に近づくと耳元に唇を寄せた。
「――お前に撫でられるのは、とても気持ちがいい」
フェリクス特有の色気のある低い声でそう囁かれ、私は顔から火が出そうなほど赤くなる。
――フェリクスは人間に色仕掛けする魔族だわ! 気を付けないと……!
私の中で、優しく頼れるフェリクスは要注意人物になった。そしてその後、私はギルバート様から薬のことでお叱りを受け、ニーナに泣きついて城まで頭痛薬を持って来てもらったのだった。