歩く攻略本サラの憂鬱
私の名前はサラ・ディール。かつてはアンペール家に仕えるメイドのひとりにすぎなかった。
私が十四歳の頃、旦那様が再婚することになった。お相手はまさかの庶民の女性で、しかも娘がいるという。あまり喜ばれる再婚とはいえなかったが、旦那様は周りの声も無視し、話が決まるとあっという間に再婚してしまった。
私はお相手である奥様のひとり娘であるリアーヌお嬢様の侍女に任命され、まだ四歳のお嬢様が立派になるまで、一生懸命仕えることを決めた。
「サラ、よろしくおねがいします」
屋敷に来たお嬢様を見た瞬間、私の頭に衝撃が走った。文字通りひどい頭痛が私を襲い、いろんな記憶が一気に脳内に吸い込まれて行くような気持ち悪い感覚がした。
――次にお嬢様の顔を見たとき、私は前世の記憶を思い出していた。そして気づいた。
ここは、私が前世でプレイした乙女ゲーム〝ワンステップtoラブ〟、通称〝ワンラブ〟の世界だということに。
私は前世では日本人で、いわゆる〝オタク〟というものだった。あらゆる漫画やアニメ、ゲームに手を出したが、いちばん私を虜にしたのは乙女ゲームだ。乙女ゲームというのは、女主人公を操作してイケメンたちを攻略して恋に落ちていくというもの。現実ではありえない世界観や設定、現実ではどこを探しても見つかりそうにないほど顔も中身もイケメンなキャラクターたち。乙女ゲームをやっているときだけは、モテない独り身人生を送っていたつらい現実を忘れることができたのだ。
私は、死ぬときも立派にオタクとして散っていった。ワンラブのイベントに行った帰り、友人と遅くまで感想を言い合いながら居酒屋で飲み明かし、べろべろの状態で帰路に就く。そこで私の記憶は途切れている。きっと酔っぱらって、歩道橋から落ちたりしたのかもしれない。とにかく、死んだということだ。大事そうに、ワンラブのグッズが入った紙袋を抱えたまま……。
そんな私が、まさか本当に乙女ゲームの世界の住人に転生してしまうなんて。しかも、名前だけが出てきたモブキャラのサラ。そして目の前で無邪気な笑顔を見せるのは――ワンラブ人気投票最下位、悪役令嬢リアーヌ・アンペール。
なんてこと! 私が今から人生を共にする大事なお嬢様がリアーヌなんて! ていうか、リアーヌの幼少期かわいすぎじゃないかしら!?
「……サラ? どうかした?」
「あっ! 申し訳ございません。サラ・ディールと申します。お嬢様、本日からどうぞよろしくお願いいたします」
「うん、よろしくね、サラ!」
その日から私は、どうやったらお嬢様の愛くるしい笑顔と未来を守れるかで、頭がいっぱいになった。
リアーヌは重度のブラコンで、義理の兄であるヴィクターが婚約したことを機に闇落ちしたかと思うほど性格が悪くなる(と、ファンブックに書いてあった)。ゲームの舞台である王立レヴェリスト学園では、男女問わず生徒から人気があるワンラブのヒロイン、アイリスに自身の取り巻きとともに陰湿な嫌がらせを繰り返し、最後には殺人未遂を起こして地下牢にブチこまれ処刑される。どのルートでも、リアーヌの結末だけは変わらない。制作陣の意図としては、〝リアーヌはゲーム中プレイヤーにとってかなりのストレスになったと思うので、最後にスカッとできるように〟ということで、こういった救われない結末のみを用意したらしい。自分たちが悪役として生み出しておいて、なんとも勝手な話である。
実際、リアーヌはプレイヤーからもかなり嫌われていた。見た目は綺麗だが、男にだけ媚びるその態度と、ヒロインの恋路を執念深く邪魔するしつこさ。しかし、彼女の妨害があってこそ、ヒロインと攻略キャラたちの恋は燃え上がっていく。悪役令嬢という彼女のこのゲームでの立ち位置は、物語に刺激を与えるスパイス的な役割だった。
このように、嫌われ役としての役目を全うしていったリアーヌだが、私はリアーヌのことが好きだった。それも、ヒロインよりも。
まず見た目が好きだ。銀色の長い髪は美しく、猫のような瞳は綺麗の中にかわいらしさもある。なにより、自分の幸せのために貪欲なところは、ほかの誰よりも人間くさかった。ゲームでは元庶民だったことにコンプレックスを感じ、周りにバレないよう必死に上流貴族の振る舞いを覚え、気丈に振舞っていたところも健気で好感が持てる。
なによりファンブックに書いてあった〝元は素直で明るい、お兄様が大好きないい子だった〟という設定を知って、リアーヌも普通の女の子だったんだなと思い、好感度が爆上がりした。
リアーヌにどうか救済を。リアーヌにどうか幸せを。どうしたらリアーヌを助けられる? いや、私がリアーヌを助けてあげたい! ゲームをやりながら、何度もそう思った。
――そうか、だからか。
だから私は、サラとして転生したのか。
そう思ったとき、ずっと背負っていた荷物が急になくなったように体が軽くなった。
「私が、お嬢様を守り抜かないと……!」
そう心に誓い、私は、お嬢様が十歳になったらすべてを話すことを決意した。お嬢様が幸せになるためには、お嬢様の協力は必要不可欠。お嬢様なら、私の話をきっと信じてくれる。ふたりで手を取り合って、お嬢様の運命を変えるんだ!
予定通り、お嬢様が十歳の誕生日を迎えた日、私はすべてを話した。
お嬢様がゲームの世界の悪役令嬢であること。このままでは断罪エンドを迎えてしまうこと。どうやったら回避すればいいかのアドバイスも。
お嬢様は自分に待ち受ける過酷な未来に怯えながらも、立ち向かっていく決意をしてくれた。さすがお嬢様だ。私はこの日、お嬢様にとっての〝歩く攻略本〟になることを決めた。
私のアドバイス通りに動いたからか、お嬢様はゲームのときとは全然ちがう性格に育っていった。兄離れの効果は絶大で、ヴィクター様の婚約をきっかえに性格が歪まなかったことがいちばんの要因といえる。
逆に変わってしまったのはヴィクター様のほうだ。本来であれば、兄妹以上の執着心をみせてくるお嬢様を鬱陶しく思い、関係は悪くなるはずだった。しかし、あっさりと自分のそばから離れていったお嬢様に、今度はヴィクター様のほうが兄妹以上の執着心を抱くようになっていた。……まだお嬢様には言っていないが、実はヴィクター様はゲームの攻略キャラのひとり。そう、ヒロインと結ばれる可能性のある人物なのだ。ヴィクター様が超絶シスコンになってしまったことが、今後どういう影響を与えてくるかは、まだわからない……。
お嬢様はどんどん成長していき、あっという間に十六歳を迎えた。ゲームでよく見た姿になったお嬢様は、画面越しで見るよりも遥かに美しい。
――もうすぐ、お嬢様はゲームの舞台であるレヴェリストに入学してしまう。
ここからの二年間が、私とお嬢様にとっての本番というわけだ。
絶対に、私の愛するリアーヌをゲーム通りの悪役令嬢にさせてたまるか。そう強く思うたび、私の不安やプレッシャーは大きくなっていった。なにしろお嬢様の未来は、私にかかっているのだから。
「奥様、可能でしたら、本日午後から少しひとりで外出する時間をいただけませんでしょうか」
入学が近づいたある日のこと。その日はお嬢様の予定が特になかったので、私は奥様にそう申し出た。
「あら。サラがそんなこと言うなんてめずらしいわね。全然大丈夫よ。リアーヌになにかあったら、別のメイドをつけておくわ」
「ありがとうございます。すぐに戻りますので……」
「どこか行きたい場所でもあったの?」
「……はい。そうなんです。では、お言葉に甘えて、少しの間留守にさせていただきます」
「いってらっしゃい。気を付けてね。馬車が必要なら、使用人に声をかけて」
「お気遣いありがとうございます。いって参ります」
外出の許可が出たので、私はひとりで目的の場所へと向かった。そして着いた先は――王立レヴェリスト学園。
どうしても、ゲームの舞台をこの目で先に見ておきたかった。ひとりでじっくりと。
周りには入学が決まっているであろうご令嬢やご令息、その両親や使用人などが数名見受けられた。きっと私のように、下見にでもきたのだろう。
予想より遥かに大きな立派な学園だ。どーんと構える校舎に、私は勝手にただならぬ圧を感じていた。
そういえば、ゲーム開始もこの景色だったわね。何度もやったから忘れもしない。学園を見上げ、これからの生活に胸を弾ませるあのシーンを。……あれ、そういえば、あのシーンってヒロインが初めてルヴォルツにやって来て、入学前に学園を見に来たときのシーンじゃなかったっけ。
「……すごい。立派な学園だわ」
そのことに気づいたとき、私の隣から声がした。
ドクン、と心臓が大きく脈打つ。
私は、この声の主が誰か気づいていた。
恐る恐る首を横に向けると――思った通り、そこにはゲームのヒロインであるアイリスが立っていた。期待に満ちた眼差しで、学園を見上げているその姿に、私はおもわず吸い込まれそうになる。
透き通るような白い肌。ほのかに朱色に染まる頬。ぱっちりとした大きな瞳にくるんとした長い睫毛。風は立ち尽くすだけの彼女に演出を加えるように、ゆっくりと薄桃色のセミロングの髪を揺らした。
そこにいるだけなのに、立っているだけなのに。こんなにも存在感を放てるなんて。
――これが、乙女ゲームのヒロインなのかっ……!
さすが、数々のイケメン攻略キャラクターたちを落とせるだけはあって、アイリスの美しさは今まで見た女性のなかでも群を抜いていた。圧倒的にオーラがちがう。彼女を前に、リアーヌ――お嬢様が嫉妬の渦に飲み込まれてしまうのも、仕方がない気がした。
「……あら、あなたは、ここに通っているご令嬢かご令息のメイドさん?」
「えっ……」
私の視線に気づいたのか、アイリスが私に話しかけてきた。声までもかわいらしいなんて、反則じゃないか。
「い、いえ。私のお仕えさせていただいているお嬢様は、今度ご入学するご予定でして……」
「あら! そうなのですね。でしたら、私と同じだわ。ぜひそのご令嬢と、お友達になれることを楽しみにしていますわ」
「……そう言っていただけて光栄です。お嬢様は、とても素敵なお方ですので」
にこりと微笑むアイリスを前に声が震える。これ以上アイリスと話していると、あまりのヒロイン力の高さに私が自信を喪失してしまいそうだ。
「では、失礼させていただきます」
私は逃げるようにその場を去り、アンペールの屋敷へと帰ることにした。本当は、攻略キャラのひとりでも会えたら儲けものだなと思っていたけれど、まさかアイリスに会ってしまうとは……。
このアイリス遭遇事件をきっかけに、私の不安はピークにまで達していた。
あの絶対的ヒロインを前に、果たして私はお嬢様を守り切れるのだろうか。お嬢様が、今のような笑顔で学園生活を送ることができるのだろうか。いつしか、ネガティブなことしか考えられなくなっていき、私はどんどん自分の方向性を見失っていた。
お嬢様が変わってしまうところを見たくない。不幸になるところも見たくない。……絶対に。
でも時間は決して私を待ってはくれなくて、ゲーム開始は刻一刻と迫ってきている。
学園に入学させなければ、お嬢様は絶対に助かるのに……しかし、私にそんなことをできる権限はない。
「お嬢様、しばらくの間、私と一緒にどこか別の場所で生活しませんか?」
このときの私は、とにかく追い詰められていた。
とにかく少しでも安全で安心な方法をとらないと、不安を拭い去ることができなかったのだ。
「――任せるよ。サラの判断に」
お嬢様は私を信頼し、最終的にこういった答えを出してくれたのだろう。
だから私もきちんと考えて、悩んで、私なりの答えを出した。そしてそれをお嬢様に話して、お互い納得いけば、私の作戦通りに物事を進めていこうと決めた。
なので、その旨を書いた手紙をお嬢様の部屋に置き、私はお嬢様とゆっくりふたりで会話ができるよういろいろと根回しをし、先に約束の場所として指定しておいたお嬢様が以前住んでいた家へ向かった。
私が考えた作戦はこうだ。
まず、お嬢様の学園入学を遅らせること。これにより、ゲームとは絶対ちがう展開になるようにする。
ゲームでは、アイリスは入学してすぐにかわいくて頭も良いと騒がれ学園中であこがれの的となる。しかし、高嶺の花すぎたせいか、なかなか友達ができずにいた。アイリスはルヴォルツに知り合いがおらず、孤立することに悩み始める。
そこへ友達になるふりをして近づいたのが、悪役令嬢リアーヌだ。これが、アイリスとリアーヌの最初の接触。お目当てのイケメンたちからの関心を独り占めする恐れのあるアイリスをよく思っていなかったリアーヌは、純粋に友達ができたと喜んでいたアイリスをすぐに裏切り、取り巻きを従え嫌がらせを始める。知らない土地で寂しさを抱えながら、いじめにも耐え懸命に頑張るアイリス。そんな健気な彼女を支えるのが、言わずもがなイケメン攻略キャラたちである。
お嬢様がアイリスと関わらなければいい話だが――絶対に関わらないという保証はない。注意しても、今のお嬢様はひとりぼっちのアイリスを放っておくようなことはしなそうだ。裏切ることもしなさそうだけれど……どんな形にしろ関わりを持ってしまえば、どうなるかわからない。
入学を遅らせればその間にアイリスに別の友達ができるのを待つこともできるし、私は密かに学園の様子を伺い現状を把握しつつ対策を練ることもできる。攻略キャラたちの動きも一応確認しておきたいし……まぁ、こんなにたくさん語っているが、とどのつまりゲームとは異なる動きをし、それによって生まれる変化を見たいのだ。行動すればゲームの物語に影響を与えられるということを、最初に確認して安心したい。もしゲーム開始からシナリオの強制力なんてものが働き出してしまえば、今までの私たちの奮闘も水の泡となる。
問題はここから。お嬢様はこう話せば納得してくれるだろうけど、事情を知らない奥様と旦那様が入学を遅らせてくれるはずがない。ヴィクター様に至っては、お嬢様と並んで制服で登校することが楽しみすぎて毎日上機嫌だ。……この時点で既にゲームとはちがうのだが、ヴィクター様ひとりが大きく変化したくらいでは私は安心できない。ヴィクター様は攻略キャラのひとりだし、学園でアイリスに出会うことでお嬢様からアイリスに乗り換える可能性だって大いにある。
遅らせることが許されないのなら、私はお嬢様とふたりでしばらくの間どこかへ消えることを考えた。詳しくは、消えた〝ふり〟。
どうやって周りに突然消えたことを納得させるか――そこで、レッドムーンにまつわるある怖い噂を使うことを思いついた。
『赤い月が照らす夜、深い森の中に入ると、王国に戻って来られない』
だから、私はレッドムーンの日にお嬢様を森の中に呼び出したのだ。
こんなのただの迷信で、実際にはありえない。でも、みんなありえないと思いながら、ありえる可能性も捨てきってはいない。噂とは、そういうものだから。
実際は、王都から少し離れた村でお嬢様としばしのスローライフを満喫したら、きちんと屋敷に戻り、学園にも通う予定だった。森の中を探索されても困るので、家に置手紙で無事を伝えておけばいいだろう。
〝ふたりは預かった。しばらくしたら王国にちゃんと戻すので、ぎゃーぎゃー騒がないように。レッドムーンの森の妖精より〟とでも書いておけばいい。ヴィクター様はこの噂を知っているから、察することができるはず。
――冷静になって考えると、いくらお嬢様を救いたいからといって、こんな迷信に頼ろうとしていた私は完全に頭がおかしくなっていたんだと思う。レッドムーンの妖精っていうのもなめている。知的なヴィクター様がこんな適当な手紙に騙されるわけないし、決行したとしても、すぐに見つかってバレていたと今なら思う。
その前に、お嬢様がそのことに気づき、私の作戦に乗ることはしなかっただろう。結局すべて、私が焦って空回りをしていただけだった。
そんなことにも気づかないで、私はのんきに森にある家でお嬢様を待っていた。
だけど、いつまで経ってもお嬢様はやってこない。
馬車が事故にでも遭ったのだろうか。……嫌な予感がして、私は懐中電灯を片手に暗くなった森の中へ飛び出した。
「お嬢様! リアーヌお嬢様!」
名前をいくら叫んでも、お嬢様からの返事はない。
不気味な赤い光が森を照らす。空を見れば、真っ赤な月が嘲笑うかのように私を見下している。
――恐怖を感じた。急に、森が不気味に思えた。本当に、森の中に飲み込まれる気がした。
「まさか、お嬢様……」
ただの噂だ。迷信だ。そう思いながら、私は今なにを考えている?
「いや、まさか……ね」
その後必死で捜索をしても、お嬢様に会うことは出来ず。
お嬢様は、きっとここに来ること自体を拒んだんだ。そう思って心を落ち着かせ、一晩を過ごした。
朝になっても、心の中のざわつきは収まることはなく、私はいてもたってもいられずにまた森の中を捜しまわった。お嬢様が屋敷にいるなら、さすがに私に迎えの馬車をよこすはず。本来の予定ならば、馬車は今日の夜来ることになっている。未だに馬車が来ないということは、お嬢様は予定通り昨夜屋敷を出発した可能性が高い。
もし私のせいで、お嬢様が死んでしまったりしたら……。
守るどころか、危険な目に遭わせるなんて、私はお嬢様の侍女失格だ。
いや、でもそれは最悪の事態。あのお嬢様が、そんな簡単に命を落とすはずがない。
木々をくぐり抜け、道が開けたところに出ると、見覚えのある帽子が落ちていた。
あれは、私がお嬢様の誕生日プレゼントであげた帽子だ。
やはり、お嬢様はこの森に来ていた。
すぐに帽子を拾い上げる。周りを見渡しても、お嬢様の姿はない。
もう、どうしたらいいかがわからず膝をついてしまいそうになった。でも、私がここで止まったところで、お嬢様のほうから来てくれることはない。
夜まで馬車を待つことができず、私は自分の足で屋敷まで戻ることにした。馬車では一時間程度で来れる場所だ。帰り道は下りだし、ぬかるみは一晩でだいぶマシになり、足場は安定している。
足がパンパンになり、呼吸も乱れる。それでも、私は必死に足を動かして森を抜け、屋敷まで戻った。すっかり日は落ちている。
ちょうど迎えの馬車を出そうとしていたのか、門の前で馬車の準備をしている使用人仲間のヤンを見つけた。ヤンは私に気づくと、ぎょっとした顔をして駆け寄って来る。
「サラさん! どうしたんですか!?」
「……お嬢様は、リアーヌお嬢様は、屋敷に戻って来てる?」
「いえ。リアーヌ様は、昨夜自分が森まで馬車でお送りしました。……まさか、リアーヌ様になにかあったんですか!?」
「……どこにもいないの。昨日、森にある家にお嬢様は来なかった。必死に捜したけど、この帽子しか見つけられなくてっ……!」
「そんな――! ああ、私が最後までお送りしなかったせいだ」
その場で泣き崩れるヤン。話を聞くと、不安定な地面を馬車で走らせることを懸念したお嬢様が歩くと言い、途中で馬車から降りることを許可してしまったと言う。ヤンの過失ではあるが、たしかに昨日のぬかるみでは細い道を馬車で通るよりは歩いたほうがマシだっただろう。それに、降ろした場所も家からすぐ近いところだった。
自分を責めるヤンを見て、胸が締め付けられる。もとはと言えば、すべて私が原因だ。ヤンも、私に巻き込まれたひとりに過ぎない。
騒ぎを聞きつけたのか、屋敷から奥様と旦那様、ヴィクター様も出て来る。お嬢様がいなくなったことを伝えると、奥様と旦那様は青ざめ言葉を失くした。ヴィクター様は血相を変え、すぐに森へ向かおうとするが、旦那様に押さえつけられている。
「離してください父様! リアーヌが、リアーヌがっ!」
「落ち着けヴィクター! 気持ちはわかるが、暗いなか闇雲に捜すのが得策だといえるのか!? サラが何時間捜してもいなかったと言っている。ちゃんと捜索願を出して、明るくなってから捜すほうがいい」
「そんなのんきなことしていられません! その間にも、もしかしたらリアーヌはひとりで助けを待っているかもしれない。……サラ、君はなにをしているんだ! リアーヌがいないとわかった時点ですぐに、救援を頼むべきだっただろう!」
「……仰る通りです。本当に、申し訳ございません……!」
ぐうの音もでない正論だ。これ以上ないくらい、私は深々と頭を下げ続けることしかできない。
もっと私がしっかりしていれば。混乱して、冷静さを失っていた。……もう、何日も前から。
「サラ、よく自分で戻ってきたわね。とりあえず一回休みなさい。また明日みんなで捜しましょう。大丈夫。あの子は仮にもあの森で暮らしていた子よ。きっと無事でいるわ」
「……奥様」
「ほら、ヤンも頭を上げて。ヴィクターも、痛いほど気持ちは伝わったから、今晩はおとなしくしていなさい」
お嬢様の生みの親である奥様に言われ、ヴィクター様も口をつぐむ。
「……っ! もしリアーヌになにかあったら、僕は君たちを許さない」
ヴィクター様はそう言うと、納得していない表情で屋敷に戻って行った。
私も奥様に支えられながら、お嬢様のいない屋敷で一晩を過ごした。
◇◇◇
夜が明けた。
旦那様はすぐに王都の自警団に連絡し、お嬢様が行方不明なことを伝える。しかし自警団の半数以上が、現在王都のはずれで起きた火事の救援に向かっているようで、本格的に動けるのは午後過ぎと言われてしまった。素人が勝手に動くのは危ないと言われ、私たちは屋敷での待機を言い渡される。
動きたいのに動けない。その気持ちが苛立ちを募らせ、ヴィクター様は限界が近いように見えた。
「――もう我慢できない! 僕だけでも先に森へ向かう! 今すぐ馬車を出せ!」
「ヴィ、ヴィクター様っ……」
メイドが立ち上がり歩き出すヴィクター様を止めようとするが、それを奥様が制止した。
「……そうね。私ももう待てないわ。ヴィクターの意見に賛成よ」
奥様も、限界だったようだ。
こうなるともう誰にも止めることはできない。旦那様も納得し、自警団の忠告を無視して私たちが森へ行こうとした――そのときだった。
屋敷の外に出た私のもとに、ひらひらと一通の手紙が飛んでくる。まるで、風が私に手紙を運んできたように。
「これは……!」
手紙に書いてある文字を見て、私は驚きの声を上げた。
〝アンペール家のみんなへ〟
そこには、お嬢様の字でそう書いてあったのだ。
「貸せ!」
すぐにヴィクター様に手紙を奪われ、普段のヴィクター様とは思えないほど荒々しく封を開けると、中には小さなメッセージカードが入っていた。
〝お兄様、あの言い伝えは、半分本当だったようです。私は無事です。なので安心してください。平和で楽しそうなところにいます。次のレッドムーンまでに、必ず戻ります。心配無用です。〟
〝P.S サラへ。私が帰るまでの間、よろしく頼むわね〟
〝リアーヌより〟
すぐに理解できる内容ではなかったが、何度見返してもそれはお嬢様の字だった。
見慣れたお嬢様の字で書かれたその手紙を、そこにいる誰もが偽物だと思うことができず、ただ呆然と立ち尽くす。というか、どこからこの手紙を飛ばしてきたのだろうか。
「――レッドムーンの日、森がリアーヌをどこかへ連れて行ったとでもいうのか?」
「深い森の中に入ると、王国に戻って来れない、という噂のことですよね」
ヴィクター様のひとりごとのような呟きに、私は食いつく。
「そうだ。でもそんなことが実際に起きるなんて……」
「でもこれは間違いなくリアーヌの字よ。……あの子ったら、勝手にどこかへ行くなんて」
そのとき、私はとあることを思い出した。
ワンラブには、〝隠しルート〟が存在するということを。
残念ながら、隠しルートの追加は後に出る予定のリメイク版からだったので、私はプレイすることができなかった。なぜならその前に死んだからだ。
しかし、死ぬ間際に行ったワンラブのイベントで、隠しルートの内容が少しだけ公開されたのだ。私はその隠しルートの内容を思い出した。
それは――レッドムーンと呼ばれる夜に森へ行く選択肢を選ぶと、今までのワンラブとはまったく違う世界観のルートに突入できるということ。新たな攻略対象と、新たな物語を体験できる、と大きく宣伝していた。たしか……魔法がテーマになっていたような。
今までのワンラブは魔法とは無縁で、ただただ青春学園生活を送るだけのストーリーだった。
しかし、この世界には以前魔法使いが存在している。その設定はリメイク前からあったので、もしかするとワンラブの制作陣は最初からリメイク版を作ることを視野に入れていたのかもしれない。
それに今思えば、通常版のワンラブの世界にレッドムーンなんてものは存在していなかった。だとすると……この世界は、リメイク版のワンラブの世界なのではないだろうか。どうして私は今まで、こんな重要なことに気がつかなかったのか。
私が森にお嬢様を誘ったのはただの偶然に過ぎない。でも、偶然に偶然が重なったのだとしたら。
「お嬢様は、もしかして――」
アイリスではなく、お嬢様がその隠しルートとやらに突入してしまったのではないか。だとしたら、少しだが納得できる。レッドムーンの夜、森でいきなり消えたことも、こうしてどこかわからない場所から、不思議な力を使い手紙を送ってきたことも。
「サラ、リアーヌの居場所になにか思い当たるところがあるの!?」
私の呟きに、奥様が反応する。
「い、いえ。詳しくはわかりませんが――。ひとつ言えるとしたら、お嬢様は別の世界のような場所にいるのかもしれません」
「……サラ、君はなにを言っているんだ。そんな非現実なことを言って、頭がおかしくなったんじゃないか?」
大真面目に言う私を、ヴィクター 様が一蹴りした。
……そりゃあそうか。こんなこと、誰も信じるわけがない。
結局その後、何日か捜索をしたが、お嬢様はどこにもいなかった。
途方にくれた私たちはお嬢様からの手紙を信じ、次のレッドームーンの日を待つことにした。現状、それがいちばんの得策だと判断したのだ。
結果――幸か不幸か、お嬢様の学園への入学は遅れることとなった。
最後の追伸。これはきっと、お嬢様は自分が学園に入学するのが遅れることをわかったうえで、私がやろうとしていたことをやれと言っているんだろう。
予定とはちがう展開だけど、お嬢様が与えてくれた機会を、私は絶対に無駄にしない。お嬢様が帰って来るまでの間に、必ずお嬢様を救うためになる情報をひとつでも多く得てみせる。
「それにしても……お嬢様は本当に、森に攫われてしまったのですか? それとも――そこが、隠しルートなのですか?」
お嬢様の部屋で帽子と手紙を胸に抱えながら、私はひとり呟いた。
お嬢様、どうかご無事でいてください。そして戻ってきたら、私にそちらの世界の話を聞かせてください。