三白眼と糸目と猫目
次の日。
お世話になったニーナの家族(今日も朝食と昼食までいただいてしまった……)に挨拶を済ませると、私は予定通りニーナに連れられ王城へ行くこととなった。
シャルムは狭い国なのか、大抵の人が顔見知りらしい。街を歩いているだけで、ニーナはいろんな人から声をかけられている。
「ニーナちゃん! 綺麗な子連れてるね! どなた?」
「あ、えっと、昨日神秘の森で友達になったリアーヌよ」
「リアーヌちゃん……? 聞いたことない名前ねぇ」
「そ、そう? それじゃあ、私たち急いでるから! この辺で失礼するわ!」
私のことを聞かれるたびに、ニーナはその場をなんとか誤魔化し私の手を引いてササーっと早歩きをする。私が人間だということをここで言ってしまうと、街がパニックになるので、城に着くまではこうやってやり過ごすしかない。
「ニーナ、ごめんね。迷惑かけて」
「リアーヌは気にしないで。私にはこんなことしかしてあげられないし……陛下に会えば、きっとなにか道筋が見えるはずよ」
「ありがとう。家族も心配してると思うし、帰る方法がわかればいいんだけど……というか、私みたいなどこの馬の骨ともわからないやつが、簡単に陛下に会わせてもらえるかしら」
「大丈夫よ。ほら、理由が理由だから……かなり驚かれるだろうし、本当に魔法が使えないかどうかの確認とか、いろいろ面倒なことはあるかもだけど……。でも、リアーヌが魔法を見たときの反応を見れば、魔法使いじゃないってこと、案外すぐに信じてもらえると思うわ」
〝私がそうだったし〟とニーナは微笑む。
「そうね。不安はあるけど、すんなりとうまくいくことを願っておくわ」
「うんうん。陛下はちょっと怖いけど……リアーヌなら、うまくやれると思うわ。あ、陛下はたまに専属の執事を連れて街に出て来たりするんだけど、その執事がすっごくかっこいいの!」
うっとりとしながら話すニーナ。おばさんは陛下がイケメンって言ってたけど、ニーナはその執事派なのね。なんだか、早くどんな人たちなのか見てみたくなったわ。
そんな話をしていると、城の門が目に入った。門の向こうには、キラキラと輝く城がそびえたっている。この煌めきも、魔法の力なのだろうか。とても綺麗だ。
「ニーナ。案内ありがとう。ここまででいいわ。あとは自分でなんとかする」
「えっ……平気?」
「平気よ。これ以上迷惑かけられないわ」
ニーナは平気だと言っていたけど、私がシャルムに住む魔法使いじゃないと知って、捕らえられる可能性もゼロではない。
そうなったとき、私と一緒にいたニーナやニーナの家族にまで矛先が向いてしまうかもしれない。万が一のことを考えて、私はここからはひとりで進むことにした。
「ニーナ、本当にありがとう。また必ず会いましょう」
「……うん」
「じゃあ、行くわね」
ニーナと握手を交わし、私は別れを告げ門へと歩き始める。
「リアーヌ! あ、あのっ!」
すると、後ろからニーナが私を呼び止めた。私が振り返ると、ニーナは顔を赤らめながら、必死な顔をして私に言う。
「もし帰るところがなかったら、いつでも私の家に来ていいからね!」
言い終わると、ニーナはまっすぐな瞳で私を見つめた。……昨日会ったばかりだというのに、こんな言葉をかけてもらえるとは思わなかった。帰る場所があるというのは、すごく安心できることなんだと私は思い知る。
「ありがとう、ニーナ!」
ニーナの優しさに、私は全力の笑顔で答える。大きく手を振ると、ニーナもまた同じように振り返してくれた。
そうして、私は門の前までやって来た。門の両端には、門番が立っている。私はなんの躊躇もなく、近くにいたほうの門番へ駆け寄り声をかけた。
「すみません。私、リアーヌ・アンペールと申します。国王陛下にお会いしたいのですが」
「……初めて聞く名前だな。一体陛下になんの用だ」
私を見て、怪訝そうな顔をして門番は言う。
「あの、私、ルヴォツルに住んでいる人間なんです。目が覚めるとなぜかこの国にいたので、不法侵入として裁かれる前に自らやって来ました。陛下なら帰る方法を知っているかもと聞いたので、会わせてください」
ありのままを伝えると、門番の動きがぴたりと止まる。しばらくの間、石化したように動かなくなっていた門番は、多少の時差があったあとに目を見開き驚きの声を上げた。
「ル、ルヴォルツから来た人間だと!? 大人をからかうな!」
「からかってないです。魔法は昨日初めて見たし、私は魔法を使えません」
「そ、そんなわけっ! 大体、人間がシャルムに入ることなど――」
「どうかしたか?」
大声を聞きつけたのか、黒いスーツを着たひとりの男性が姿を現した。
「フェリクス様! いえ、この者が、急に訪ねてきてわけのわからないことを言い出すものですから……」
「私は事実しか述べてないわ! 私を陛下に会わせてください! ルヴォルツへの帰り方が知りたいの!」
「帰り方? どういうことだ」
男性は私の言葉が気になったようで、そう聞き返してきた。
「私、ただの人間なんです」
あと何回このセリフを言わなくてはいけないのだろうと思いながら、私はまた同じことを言った。
男性は一瞬驚きを見せたものの、今までの人たちのように大きな反応をすることはなかった。
「ほう。おもしろいことを言う。俺が陛下のところまで連れて行こう」
「本当ですか!? ありがとうございますっ!」
「構わない。さあ、門を通してやれ」
「で、ですが……よいのですか!?」
「問題ない。彼女から、怪しさはまったく感じられないしな。なにかあったときの責任はすべて俺がとろう」
「……わかりました。フェリクス様がそうおっしゃるのなら」
私を城へ入れることを門番は躊躇していたが、男性の一言によって渋々言うことを聞くことにしたようだ。
私は門の中に通され、フェリクス様と呼ばれている男性について行くことになった。
この男性は、いったい何者なのだろう。
前髪長めの黒髪テクノカット。開いてるか開いてないかよくわからない糸目。背がとても高く、スラッとしており知的なオーラをプンプンと醸し出している。……声も低くて、どこか色気があり、きっとすごくモテるだろうなぁと思いながら、私はただただ一歩後ろを歩いていた。
城の中に入ると、執務室へと案内される。扉の向こうには、豪華な椅子に座る若い紫の髪をした男性がひとり。――この人は、陛下の息子、いわゆるこの国の王子だろうか? 私が会いたいのは王子でなく、国王陛下なのだけど。
「ギル、お前に客だ」
「……あ?」
フェリクス様(勝手にそう呼ぶ)が、書類に目を通していた王子と思わしき人に声をかけると、王子は不機嫌そうな声とともに顔を上げると、ジロリとこちらに睨みをきかせた。
「あの、私が会いたいのは国王陛下なんですけど――」
「俺になんの用だ?」
「……え」
「俺がシャルム魔法国の国王、ギルバート・ノア・ダールベルクだ」
「……えぇ!? う、うそ! シャルムの国王はこんなに若いの!? あ、もしかして、魔法で若返ってるんですか!?」
「……なんだこいつは」
「プッ!」
眉間に皺を寄せ、鋭さを増した視線で私を見る陛下と、私の隣で噴き出し肩を震わせながら笑うフェリクス様。
「おいフェリクス! 笑ってないでちゃんと説明しろ! こいつはお前の知り合いなのか!?」
「いや、俺も先ほど門の前で出会ったばかりだ。おもしろいことを言うやつでな。ほら、用件を言ってみるといい」
フェリクス様に背中を押され、私は一歩前に出る。未だに私を睨みつける陛下の瞳と、私の瞳ががっつりとぶつかった。
「私はリアーヌ・アンペール。ルヴォルツからこのシャルムにやって来た人間です。陛下、ルヴォルツへの帰り方を教えてください!」
「……は?」
陛下は口をぽかんとさせ、首を傾げて私を見る。完全に、〝なに言ってんだこいつ〟という反応だ。私の話を冗談と思っているのだろうか。
「だ、そうだ。教えてやったらどうだ? 結界の管理をしているのはお前だろう」
「待てフェリクス。お前はどうしてこいつの話を信じてんだ。人間がシャルムに来るなんてことは過去に一度もなかった。くだらない冗談に決まってる」
「お前には、彼女が冗談を言っているように見えるのか。だったら、今までシャルムで彼女の姿を見たことはあるか? アンペールという名の魔法族はいたか?」
フェリクス様に問い詰められ、陛下はバツの悪そうな顔をし小さく舌打ちをしたあと、また口を開いた。
「……お前、本当に人間なのか?」
「はい。というか、さっきからそう言ってますけど」
「だったらどうやってこの国に入って来た! 結界は完璧のはずだ!」
「だから私もそれが知りたいんですけど!?」
「あーっ! どうなってんだ! ……人間がシャルムに来るなんて……マジかよ……ありえないだろ……」
陛下は大声を出したあと、髪の毛をぐしゃぐしゃと掻きむしり、頭を抱えたままなにかぶつぶつと言っている。
「ギル、落ち着け。リアーヌといったな。ここへ来るまでの経緯を、覚えている範囲でいいから教えてくれないか?」
「ええと、一昨日の夜、私はルヴォルツの王都にある大きな森に行って……森の上のほうで足を踏み外して、落っこちている最中に意識をなくしたんです。それで目覚めたら……神秘の森にいて……」
「……一昨日の夜、だと?」
唸ったりひとりごとを言っていた陛下が、なにか引っかかることがあったのか私に聞き返してくる。
「はい……あ、そういえば、レッドムーンの日でしたね」
意識を手放す前に最後に目にした、赤い月のことを思い出す。
「それだ」
「え?」
「レッドムーンの日、魔法使いは魔力が落ちる。そのせいか、結界が弱まりわずかなひずみができてしまう」
陛下の言葉に、フェリクス様は納得したように顎に手を当てて頷き、陛下に向けて言う。
「そのわずかなひずみに、偶然彼女が落下してきたと。なるほど。それなら理解できる。だとしても、そこへ落ちるなんてものすごい確率だがな」
「その通りだ。ひずみができるのは大きく張り巡らされた結界のほんの一部分。偶然そこを当てるなんてとんでない確率になる。つーか、ほぼありえねぇ。だからこそ、200年間で一度も人間が入って来るなんて事態は起きなかったんだ。……でも、それしか考えられない。お前が嘘をついていないならな」
「ついてないですってば! 命にかけても言い切るわ! 私は偶然ここに来たんです!」
「……まぁ、とりあえず今は信じてやる。嘘だとしたら、すぐバレる嘘だしな」
陛下はどかっと椅子に座り直すと、背もたれに思い切りもたれかかりながら私に言った。よかった。一応信じてもらえたみたい。
ひずみに落ちていなかったら、私はどうなっていたんだろう。もしかしたら頭を打って死んでいたかもしれない。だとしたら、私ってかなり強運というか、ラッキーだったのね。
「つーか、なんでレッドムーンの夜なんかに森の中をうろつくんだ! 万が一のことを考えて、人間が結界に近づかないように、〝森で迷うと王国に戻れない〟なんて迷信を流したってのに」
「え!? あれは陛下が考えた迷信なんですか!?」
「いや、俺じゃなくて……考えたのは、俺の先祖にあたるクラウス・ノア・ダールベルクだ。シャルムに移住する前に、ルヴォルツにそういう噂を流したと歴史の本に書いてあった」
「あー、じゃあずいぶん前に流行った迷信なんでしょうね。私がルヴォルツに戻ったら、もう一度ちゃんと流行らせておきますね。ほら、〝万が一〟、起きてしまいましたし」
「……今回が最初で最後になることを願うばかりだ。だいたい、人間というのは俺たち魔法使いを絶滅まで追い込んだ存在。相当人をたらしこむのがうまいんだろ。よって、お前が得体のしれぬ危険人物であることには代わりない!」
「そ、そんな陛下ってば! 私が人たらしだなんてっ!」
「喜ぶな!」
陛下がそう叫び机を叩くと、ダンッ! と大きな音が執務室に響いた。フェリクス様は私たちのやりとりを聞いて、今度は下を向いて密かに笑っている。
「……お前はさっさとルヴォルツに帰れ。一刻も早く。シャルムは人間が暮らす国じゃない」
「! 帰る方法はあるんですか!?」
「ある。結界の管理は王家の血を引く俺のみができること。俺の魔力で、今すぐにでもお前を結界の外へ出してやる」
なんだ。戻れなかったらどうしようなんて思ってたけど、こんなあっさり帰れるなんて。
――ん? でも、戻ったら私どうなるんだろう。きっと、私がこうなった時点でサラの考えていた作戦とやらは失敗に終わってそうだし、普通に学園に入学することになるのかしら。
そもそも、サラの作戦がどんなものだったかも気になる。サラは私の入学を遅らせたがっていた。まだ、時間が足りないからと。しばらく様子見して、完璧な対策を練ってからゲームに挑みたいという旨が手紙に綴られていた。
だったら、私はむしろ少しの間ここにいたらいいんじゃないのか。そうすれば、入学も必然的に遅れることになるし。その間にサラが対策を――練る余裕がこんな状況であるかはわからないが、サラならなんとかしてくれるだろう。
それに――魔法使いのことも、シャルムのことも、もっと知りたいという欲が出てきている。
「――あ、そうだ。陛下! 私を結界の外に出せるなら、私が書いた手紙を外に飛ばすことも可能だったりしますか?」
「あ? 誰に言ってる。やったことはないが、俺の手にかかれば可能だろうな」
「本当ですか!? それなら、私が無事だということを知らせる手紙を外に飛ばしてほしいです!」
これで、家族やサラに無事を知らせることができる。大掛かりな捜索が始まってしまう前に、さっさと手紙を飛ばしてもらおう。
「そんなことしなくても、お前が出て行けばいいだけだろ」
「そのことなんですが……事情がありまして」
「事情だと?」
「はい。私、未来のためにもしばらくはルヴォルツに戻らないほうがいいので、少しの間でいいからシャルムに置いてくださいませんか?」
「はぁ!? なに言ってやがる。却下だ!」
「いいじゃないかギル。おもしろそうだ。ただの人間なら、別に害はないだろう」
断固お断りといった陛下の態度とは反対に、フェリクス様は友好的だ。今もそう言って、後ろから私の肩をポンッと叩き、微笑んでくれている。
「なんでお前はそいつの肩を持つんだよっ!」
「彼女は人間だぞ? 生まれてから魔法使いにしか会ったことがないんだ。興味があるに決まっている。彼女がここに来たことで、シャルムはもしかしたら新たな発展を遂げるかもしれない。少しだけでも、過去魔法使いがしていた人間との暮らしというものを体験してみる価値はあるんじゃないか?」
私が来たことでシャルムが? それはいくらなんでも買いかぶりすぎだとは思うけど、言われて悪い気はしない。
「……少しの間ってのは、どれくらいだ」
陛下がフェリクス様に弱いのか、うまい具合に言いくるめられている。フェリクス様がこの場にいて、本当に助かったわ。
「うーん。どうしようかな……」
「次のレッドムーンの日までというのはどうだ?」
私が悩んでいると、フェリクス様が横から提案してくれる。
「それいいですね! 三ヶ月!」
「三ヶ月は少しじゃないだろ!」
「えぇ? じゃあ訂正します。しばらくの間置いてください。陛下」
笑顔でけろっとそう言ってのける私を見て、陛下は言い返すのをあきらめたみたいだ。
「……はあ。レッドムーンの日に魔力をたくさん使うと疲れるから、レッドムーンの前日までに必ず出ていけよ」
「やった! ありがとうございます陛下! フェリクス様も!」
「よかったな。リアーヌ」
喜んで飛び跳ねる私を見て、小さく拍手を送ってくれるフェリクス様。
「それじゃあ早速、手紙を書かせていただきたいのですが――」
「その前に、いいか人間! 変な行動を起こすなよ。お前は魔法が使えないんだから、むやみに動き回るな。危険な目に遭っても助けてやらないからな。それと、ぜっってぇ魔法使いに色仕掛けをするな! 問題を起こしたらすぐ外に放り出してやる」
「わ、わかりました」
色仕掛けって……。ルヴォルツでもしたことないのに。
「ならば、勝手なことができないように、管理下に置いておくというのはどうだろうか、ギル」
「……まぁ、それもそうだな。よし、決めた」
陛下は立ち上がり、私の前までじりじりと距離を詰めてくる。一歩、また一歩と陛下が近づいてくるたびに、なぜか私の鼓動が速くなっていった。
「改めて自己紹介してやろう。俺の名前はギルバート・ノア・ダールベルク。シャルム魔法王国の国王だ」
目の前まできた陛下を見上げる。
後ろで束ねられた紫の長い髪。三白眼の銀色の瞳が私を捉えて離さない。俺様な態度、男らしさの中に少年ぽさも残ったイケメンボイス。お世辞でも良いとは言えない目つきは、私とどこか似ている。
「リアーヌ・アンペール。お前は今日から城の使用人として働いてもらう」
「城の、使用人……?」
「そうだ。見たところ、お前はそこそこいい生地の服を着ているな。どこかのご令嬢様か知らないが、この国でのお前の身分は俺が決める。城に置いてもらうからには、きっちり働け」
腕を組みふんぞり返る陛下。私のことを、なにもできないお嬢様とでも思っているのだろうか。これでも私は元庶民。それに私はずっと憧れがあったのだ。そう、サラがいつも着ていたメイド服に!
「わかりました。今日からお世話になります。ギルバート陛下」
私はスカートの裾を持ち上げ、丁寧にお辞儀をしてみせる。
こうして、シャルムの王城で過ごす日々が幕を開けた――。