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とあるレッドムーンの別れの夜


 私とギルバート様とフェリクスは、三人で神秘の森へとやって来た。道中は誰も言葉を発することなく、ただ赤い月明かりに照らされた道を静かに歩くだけ。


 私をルヴォルツに戻すためにわざわざ神秘の森まで行かなくてはならないものか疑問に思ったが、そんなことを聞くのは野暮だと思い、私は何も言わずにいた。

 「ギルバート様なら私を結界の外に出す魔法くらい、どこでも使えるでしょう?」なんて言うと、まるで早く帰りたがってるみたいだし。


 私としては、一秒でも長くまだここにいたい。だから、こうやって最後にシャルムの街並みをゆっくり堪能できていることは有り難い。こんな夜更けに街に出ることはほぼなかったから、見る景色すべてが新鮮だ。


 シャルムは広い国ではないので、神秘の森にもあっという間に到着してしまった。

 夜の森というのは不気味だが、幼い頃森に住んでいたからか、そこまで恐ろしいとは思ったことがない。


 今私が最も恐ろしいと思っていることは、自分が記憶をなくすことをまったく実感できていないこと。

 記憶のことは受け入れている。でも、この期に及んでなお、私は本当にシャルムのことを忘れるのか? という疑問が浮かんでいる。


 明日になれば――いや、数十分後にはもう覚えていないなんて、いくら魔法といってもそんなことがありえるのか。……目が覚めればありえたかどうかすら、私は覚えられていないのが現実なのだろうけど。


 そんなことを考えてしまうくらい、今の私はまだ、鮮明に今日までの日々を覚えていた。


「そろそろ始めるか」

「……名残惜しいな」

「そう、だね……」


 ギルバート様、フェリクス、そして私の順で、それぞれぽつりと呟いた。

 フェリクスは私の肩に腕を回すと、落ち着かせるようにぽんぽんと優しく叩きながら口を開いた。


「リアーヌ。俺はお前に言いたかったことは昨日言った。今日はただ、別れを惜しみつつもお前を最後まで見届けにここまでついて来ただけだ。後のことはギルに任せて、俺は少し離れたところで見守っている」

「フェリクス……そんな、離れる必要なんてないじゃない。もっとギリギリまで一緒にいたいわ」

「ダメだ。俺がいたらギルが素直になれない。それに、これ以上一緒にいると別れがつらくなる。俺と話す時間はギルに使ってやってくれ。……リアーヌ、元気でな」


 肩にあった手は後頭部へと移り、フェリクスは私の髪を撫でた。

 そして、すぐに私とギルバート様から離れた方向へ歩いて行ってしまった。


 いつも多くを語ろうとはしないフェリクスの背中を見ながら、私は思う。


 ――フェリクスは気づいていたんだろうか。私がギルバート様のことを好き、というか、気になっているってことに。だから、今もこうしてふたりきりにしようとしたのかしら。


「フェリクスのやつ……俺にいらない気を遣いやがって」


 後ろから、ギルバート様の大きなため息が聞こえた。


 ……ん? フェリクスは私ではなく、ギルバート様に気を遣ってどこかへ行ったということ? 


 たしかに自分がいるとギルバート様が素直になれない、みたいなことを言っていた。私からすれば、ギルバート様はフェリクスの前がいちばん素直な気がするけれど……。


 ひとりでフェリクスの〝気遣いの理由〟を考えていると、いつの間にかギルバート様が私の目の前に立っていた。


「わあっ! 驚かさないでくださいよギルバート様!」

「うわっ! お前こそ急にでかい声出すな! びっくりするだろ! ……はぁ。お前ってこんな時でも緊張感ないんだな」


 こんな時で〝も〟って、いつも緊張感がないような言い方だ。

 失礼な。私だってこれでも緊張ならしている。だって、これから自分の身に起こることがあまりにも未知すぎるんだもの。


「おい、リアーヌ」

「なんですか」

「……あー……えーっと……その」


 自分から呼んでおいて、歯切れの悪い返事を繰り返すギルバート様に、私はひとり首を傾げる。


「今日……楽しかった、か?」


 ギルバート様からやっと出てきたのはそんな言葉で私はなんだか拍子抜けした。だが、真剣な眼差しで聞いてくるギルバート様がかわいくて、自然と笑顔になってしまった。


「ふふっ。はい。とっても楽しかったです」

「ならよかった。城のやつらもみんなアホみたいに張り切ってたよな。お前も馬鹿笑いしてたし!」

「アホと馬鹿は余計ですけど、たしかにみんな楽しそうでしたね。もちろんギルバート様も!」


 笑いながら言うと、ギルバート様はいつもよりはしゃいでいた自分のことを思い出したのか、恥ずかしそうに私から目線を逸らす。


「ギルバート様、すっかり城のみんなからも国民からも人気者でしたね。最初に来た時とは大違い!」

「……うるせーな。あの時は、父親の影を追いすぎてたんだよ」


 初めてギルバート様とふたりきりで長い時間話した、あの日のことを思い出した。まだギルバート様がかっこつけで、私の前でも無理してブラックコーヒーを飲んでいた時のことだ。懐かしいな。


「そういえば、そんな話もしましたね。……あの時は偉そうなこと言っちゃいましたが、結果的に言ってよかったと思ってます。私は、今のギルバート様が好きですよ」

「……! そ、そうか。好き、か」

「はい! あ、フェリクスもニーナも、魔法長さんたちも城のみんなも大好きです!」

「……だろうな」

 

 こんなにシャルムを大好きだと言っているのに、何故か肩を落とすギルバート様だったが、その後すぐに、あきれたようにふっと笑った。


「……俺、お前に会えてよかった」

「……ギルバート様」


 そして、今度は私をまっすぐ見つめ、呟くようにそう言った。

 向けられる柔らかな眼差しに、私の鼓動は一瞬にして早まり、贈られた言葉はうれしすぎて、うまく返事ができない。


 私は、ギルバート様のこの顔が好きだ。

 困ったような、あきれたような、でも優しい目をして笑う、この表情が。


「いつか絶対なってやる。お前が言った、誰からも愛される国王ってやつに」

「……はい。ギルバート様なら必ずなれます」

「リアーヌ、俺が今より立派になったら、その時は――俺とお前の夢を、一緒に叶えような」


 私とギルバート様の夢。

 それは、また人間と魔法使いが共存する世界を作ること。

 私たちがここで出会ったことにより、生まれた夢だ。


 最初は私だけが勝手に思い描いていた幻想を、いつしかギルバート様がふたりの夢に変えてくれた。

 一緒に、と言ってもらえたことが幸せな反面、迫りくる別れが寂しい。私はいろんな意味で泣きそうになった。


 でも、もう泣き顔は見せたくない。こみ上げるものをぐっと堪え、自分の胸に手を当てる。

 すぅっと小さく深呼吸をして、私も最後にきちんと胸の内をギルバート様に伝えることにした。


「叶えたいです。一緒に。……ギルバート様、私もあなたに会えてよかったです。最初は目つきも口も態度も悪くて、正直いい印象なかったけど……。一緒にいて話をするうちに、どんどん惹かれていきました。私はギルバート様に、今まで感じたことのない初めての感情を教えてもらった気がします」


 この感情を忘れてしまうのは、やっぱりあまりにも酷で、どうしようもなく苦しいけれど。

 ギルバート様が、また私に思い出させてくれると信じている。


「もっと一緒にいたいけど、私はルヴォルツ帰ります。だけどいつかまた、シャルムに来たいです。その時はまた……私にいろんなことを教えてくださいね。今までありがとうございました。ギルバートさ――」


 ま。残りたった一文字を言い終わるより先に、私の体はギルバート様の腕の中にすっぽりと収まっていた。

 ギルバート様の心臓の音が聞こえる。その音は、たしかに今ここで一緒に生きていることを私に教えてくれるようだった。

 いつのまにか無意識に自分の腕をギルバート様の背中に回し、ギルバート様に負けないくらい強く抱きしめ返す。

 

 ギルバート様が私のことをどう思ってるかはわからない。でも、今はこうしてるだけで私は十分幸せだ。


 どれだけの時間抱きしめ合っていたのだろう。詳しい時間はわからないが、私にはとても刹那的に思えた。

 気づけば私は、いくつもの色をした綺麗な光に包まれていた。心地よい感覚に、緊張などどこかへ消えていく。

 同時に、ついに魔法が発動されたことに気づいた私は、そっと目を閉じた。

 

 すると、ギルバート様が私の前髪にそっと触れる感覚。

 そのまま髪を上げると、額にちゅっというリップ音と共に、柔らかな唇の感触がした。


「っ⁉︎」


 驚いておもわず目を開ける。

 声にならない声を上げ、何度も瞬きをする私を見て、ギルバート様は無邪気な子供のような笑顔を見せた。……ずるい。最後に見せるのが、そんな素敵な笑顔だなんて。


「これは一種のまじないだ。――またな、リアーヌ」


 ギルバート様が耳元で囁く。

 その瞬間、目の前が大きな光に包まれた。



◇◇◇



「ん……うーん……」


 眩しくて目を覚ますと、目の前には青い空が広がっていた。


「えっ⁉︎ ここどこ⁉︎」


 がばっと起き上がると、そこは私が庶民時代にお母様とふたりで暮らしていた森の中だった。


 ――あれ。私どうしてこんなところにいるんだっけ。


 そうだ。ゲームの展開を変えるためサラに一緒に逃げようとかなんとか言われて、私はそんなサラの話を聞くために夜にわざわざ馬車で森まで来て、道に迷って……。


 そこから覚えていない。私ったら、疲れて知らないうちに外で眠りについてしまったのだろうか。


 近くにサラがいるかもしれない。とりあえず、前住んでた家まで行ってみよう。

 そう思い、座ったまま目を擦っていると――。


「リアーヌ⁉︎」


 聞き慣れた声が私の名前を呼んだ。声がしたほうを見れば、馬車に乗ったお兄様が目をまんまるにして私のことを凝視している。


「ヴィクターお兄様? どうしてここに?」

「リアーヌ……ああ、リアーヌなんだな⁉︎」


 お兄様は馬車から降りると、私の質問を無視してすぐさま駆け寄ってくる。


「……無事でよかった。本当によかった……っ! 僕のかわいいリアーヌ!」

「ちょ、ちょっとお兄様! 苦しいぃぃ」


 涙声で言うお兄様からのあまりに力強い抱擁に、私は悶えることしかできなかった。




次回からレヴェリスト学園編。乙女ゲームのスタートとなります。

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