平和で楽しければそれでよかった
「お嬢様――。お話があります」
それは、私、リアーヌ・アンペールの十歳の誕生日会が終わったあとのことだった。
散々食べて、遊び終わった私が部屋に戻ると、侍女のサラが真剣な顔をしてそう言った。
今日の誕生日会はとても楽しかった。はしゃぎすぎて疲労感がすごい。すぐにでもベッドで眠りにつきたい。話は明日にしてくれないだろうか……と思っていると、サラはそんな私の気持ちも知らずに勝手に話始める。
「お嬢様がアンペール家に来て六年……今日まで、ずっとお世話をさせていただきました。立派に十歳の誕生日を迎えられたことを、私はとても嬉しく思っております。これからも今まで通りの日々を、お嬢様と共に過ごしていきたい……でも、その願いは叶いません。平和で楽しいだけの毎日は、今日でおしまいです」
「……急にどうしたの? サラ」
サラとは、私がこのアンペールの屋敷に来たその日から、ずっと一緒だった。
私は元々庶民の子供だ。王都からは少し離れた、森の中にある小さな木造の家でお母様とふたりで暮らしていた。そして私が四歳の頃お母様が再婚し、このアンペール家の一員となった。
庶民から急に侯爵令嬢となった私に、サラは貴族としての教育や振る舞いを熱心に指導してくれた。未だに、ちゃんとできないことはたくさんあるけれど……。それでも、私はサラがいたお陰で、アンペールの名に恥じない令嬢になろうと思えたのだ。
そんなサラが、突然わけのわからないことを言い出すものだから、私は戸惑った。
この物言い――まさか、サラは屋敷からいなくなってしまうとか!?
「そ、そんなの絶対いや――」
「私は気づいてしまったのです! お嬢様が〝悪役令嬢、リアーヌ・アンペール〟だということに!」
「は」
感情が先走り、サラとの別れを拒んだものの、サラが被せるように放った言葉はこれまたわけがわからない。
「間違いありません! ここは私が前世でやりこんだ乙女ゲーム、〝ワンステップtoラブ〟、通称〝ワンラブ〟の世界なのです!」
「わ、わんらぶ……?」
前世? 乙女ゲームってなにそれ……。
「どうやら私は、モブキャラの悪役令嬢の侍女サラに転生したようです。だからお嬢様、あなたにこれから起きることが私にはわかるのです。お嬢様は、モテモテのヒロインをいじめる悪役! それはもう、ゲーム機を投げたくなるくらいの悪女っぷりで攻略キャラ達だけでなくプレイヤーからも嫌われて――」
「ちょ、ちょっとサラ、落ち着いて」
私を置いてけぼりにして、興奮状態で話し続けるサラを宥める。
「はっ! す、すみませんお嬢様……」
「とりあえず、一回ゆっくり説明してもらえる?」
サラはこくんと頷くと、また静かに口を開いた。私は嘘のような、だけど本当らしい話にじっと耳を傾ける。
サラの話を詳しく聞くと、どうやらこういうことらしい。
私は十六歳になると、このルヴォルツ王国にある二年制の名門学校、王立レヴェリスト学園に入学することになる。そこからがサラのいう“ゲーム”のスタートらしい。
そこで私は何人かのイケメンたちと出逢い、婚約をこぎつけることに必死となる。が、完全無欠のヒロインが現れ、彼らはみな彼女に夢中になり私など眼中にない。――妬み、嫉み、あらゆるドス黒い感情に支配された私は、学園生活中、ヒロインをこれでもかというほどいじめぬく悪役令嬢と化してしまう。聞いているだけで恐ろしい話だ。
「わ、私はそのゲームで、最終的にどうなるの?」
「……それは」
緊迫した空気のなか、私はごくりと息を呑んだ。
「ヒロインの暗殺に失敗し、地下牢にブチこまれ処刑されます。断罪エンドということですね」
「ひいぃぃぃっ!?」
よくもまぁ、十歳なりたての少女にそんな残酷な未来を言えたものだ。まさか、私がそんな最期を迎えるなんて――絶対に嫌だ。
「……私、自分がいじめなんてひどいことをするとは到底思えないのだけど」
「たしかに、今のお嬢様からは想像もつかないかもしれません。お嬢様はとてもお美しい。その銀色の長い髪も、濃紺の大きな瞳も、目尻にかけて長くなる睫毛も鼻も唇もすべてが。十六歳になって、お嬢様は今よりもっと輝かれることでしょう」
「ふっふーん。今日も、お兄様から『リアーヌはどんどん綺麗になるね』って褒められたの。だから、私が誰かを妬んでいじめるだなんて……」
「いいえ! お嬢様はこれからどんどん嫉妬に狂っていくのです! お嬢様の美をもっても、ヒロインの純粋無垢で可憐な姿には敵わない!」
ビシィッ! とサラに言い放たれ、私はちょうど横に置かれてある姿見を見た。鏡に映る自分の姿は、十歳にしては高めの背丈に、猫のようなつり目。……全体的に大人びている。
ピンクか紫ならば紫が似合い、白か黒ならば黒が似合う。それが私。サラの話を聞く限り、純粋無垢で可憐なヒロインとやらはきっと私とイメージが真逆なのだろう。イケメンたちはみな、美人系よりかわいい系がお好みということなのか。
さっきまでみんなにお祝いしてもらい、楽しい気分だったのに。それは全部消え去った。サラの言っていることが冗談とも思えない。私はずっとサラと一緒にいたから、サラが嘘をつく人間ではないことをわかっている。表情も態度も、最初から今まで至って真剣だ。
「……サラ、私、どうすればいいの」
このまま、サラに言われた通りの未来を待つしかないのだろうか。すがるような目をサラに向けると、サラは私を安心させるように柔らかく微笑んだ。
「大丈夫ですお嬢様。私はお嬢様をシナリオ通りにいかせないために、この話をしたのですから」
「助かる方法はあるのね!?」
「もちろん。ゲーム通りの展開にさせなければいいのです。いいですか。お嬢様は今はこんなに明るく、誰からも愛されるような人です。いじめをするイメージはない。庶民時代も経験され、普通の貴族の方よりもより多くの人の気持ちがわかる優しい女性。しかし、これから二年後に、お嬢様の心をへし折ってしまう出来事が起こります」
「それは一体、どんな出来事なの?」
「……ヴィクター様のご婚約です」
「! お、お兄様がっ」
ヴィクター・アンペール。お父様の連れ子で、私よりひとつ年上の義理のお兄様。
頭も良くてかっこいい、自慢の兄だ。私が屋敷に来てからも、いつも優しく、なにもわからない私の手を引いてくれていた。
私をお姫様のように扱ってくれ、今日も『これからも一緒にいよう』と言ってくれた。――そんな大好きなお兄様が、婚約するなんて。
「大好きでたまらないヴィクター様をほかのご令嬢に奪われ、お嬢様とヴィクター様の時間は減るばかり。ヴィクター様は婚約者を気にしてお嬢様と距離を置きたがるようになりますが、お嬢様はめげずにしつこくつきまとう。ヴィクター様はそんなお嬢様が鬱陶しくなり、扱いがぞんざいに……。そのことが原因でお嬢様の性格はひん曲がり、自分より目立つ女性を徹底的に排除したがるようになります」
あの優しいお兄様が、私をぞんざいに!? そんなことされたら、私からお兄様を奪っただけでなく、中身まで変えてしまった相手の令嬢を恨むに決まっている。私の性格がひん曲がっても仕方がない。
「お嬢様はこれから貴族として、更なる知識と教養を身に着けご立派に成長されていきます。しかし逆に言えばそれが仇となり、嫌がらせも巧妙なものをどんどん思いつく。頭の良さを悪いところで生かしてしまうのです。そうならないために――今からいろいろと対策が必要です」
「対策?」
「私は先ほどお嬢様に言いました。〝平和で楽しいだけの毎日は、今日でおしまいです〟と――」
私はここにきてやっと、さっきの言葉の意味を理解する。
「ゲームでのお嬢様は、ヴィクター様の婚約を聞いたときショックのあまり失神したほど。まずこうならないよう、ヴィクター様離れしましょう」
「え!? 無理無理!」
「地下牢行きになってよいのですか!? 性格がひん曲がってよいのですか!?」
「う、うぅっ! それは嫌だけどっ!」
「ヴィクター様の婚約自体を回避する術はわかりません。なので、お嬢様がヴィクター様へ依存することをやめたほうが確実です。大丈夫。今ならまだ引き返せます。適度な距離をとり、ベタベタくっついたりするのをやめましょう。お茶会ではほかの殿方に目を向け、その方と遊んでみるのもいいでしょう。この世に男はヴィクター様しかいないわけではないのですから」
なるほど。たしかに今までは、招待されたお茶会に参加してもいつもお兄様と一緒にいた。もっといろんな人と交流してみるのもいいかもしれない。
「そうすれば、ヴィクター様の婚約にそこまでショックを受けることはありません。素直に祝福できれば勝ったも同然です」
なにと戦っているかはわからないが、説得力はある。
「……そうね。苦しいのは今だけで、未来が少しでも明るくなるなら、がんばってみようかしら。お兄様離れ」
「その意気です。それともうひとつ。あまりにも頭が良く完璧すぎると、先ほど言ったように陰湿で巧妙ないじめをする可能性が増します。それと同時に、カリスマ性のあるお嬢様に勝手に取り巻きが寄ってきて悪役令嬢様の完成! となる可能性もあるので、お嬢様にはもっと自由でのびのびと生活していただこうかと。女性は少しくらい、抜けているほうが愛らしいと思うので」
「自由に、のびのびと?」
「はい。お嬢様の中に残っている庶民っぽいところは、お嬢様の魅力のひとつでもあります。その魅力を消すのはもったいない。最低限のマナーや貴族としてのふるまいは今まで通りしていただきますが、やりたいこともなるべくなんでも自由にさせてあげたい。つまり、今までより甘やかさせていただきます。調子に乗ってわがままにならないよう、適度に」
甘やかせると言いながら、サラがスパルタ家庭教師のように見えてきたのだけど……。じゃあこれからは、お忍びでなく普通に庶民のお店に行ったり、裸足で外を走り回ったりすることも許してもらえるのだろうか。
「異論はございませんね? 私がやろうとしていることはすべて、お嬢様のためなのです。私はお嬢様を失いたくありません! 私はお嬢様についていく〝歩く攻略本〟となり、絶対にお嬢様を守り抜きますから!」
「よ、よろしく頼むわ……」
歩くこう……? なんて言ったのかわからない。
サラに肩を掴まれ、そのまま勢いに任せて抱き締められる。サラのぬくもりを感じながら、ふと時計を見ると、十歳の誕生日が終わろうとしていた。
――人生を大きく変えることになった今日この日のことを、私は一生忘れることはないだろう。