転生少女の事情
夢を見た。
みんなが喪服を着て私の『死』を見ている。泣いているママ。悲痛な面持ちで口をかみしめているパパ。友だちは涙に暮れて私の棺に何かを……。
ちょっ。おま。やめ。私の遺品をそんなところに。
ちょっ。親族が固まっているじゃないか。やめて。お願いだから。私の魂のライフはゼロよ。ゼロなんだから。
薄い本を――表紙を向けて入れないで――。
焼いてください。お願いします。
「――つ!!」
真っ暗な部屋の中で私は跳び起きていた。汗だくの身体。心臓がばくばくと鳴っている。窓から見える外は未だ暗い。三日月が天に輝き、星がきらきらと瞬いていた。
ほうっとひと鳴きするミミズクだろうか。それを聞きながら私は息をついていた。横で小さな寝息を立てている猫。背中をひと撫ですると、拒否するようにくるりと丸まった。
……頭痛い。
口の中で転がしてベッドをずるりと抜けた。水を取りに行くために部屋をでようとしたのだが、ふと気づく。
写し鏡。そこに映る『誰か』の姿を。赤い髪。人形のような整った顔立ち。愛らしい唇。大きな緑の両眼。何もかもが絵にかいたような姿に私は首を捻った。
「……ん?」
見たことあるような。ないような。
ないよう――な?
しばらく考えてパンっと手を叩いて見せる。ああ。そうか。私この子見たことある、ある。たしか『パーセンテージ』とかいうなんか乙女ゲーの主人公だわ。確か。私あんまり詳しくないんだけどね。うんうん。薄い同人なら語れるんだけど。あ。ちなみに私が好きな……。
あ、れ?
……。
あれ?
写し鏡を再び見る。そして頭から血が引いていくのがありありと分かった。
私、その主人公じゃん。なんで?
なんで?
いやいや。ないない。どっかの面白異世界転生みたいなこと。
……。
ちらり。鏡を見て現実逃避をするように近くにあった椅子に座って深呼吸。これはきっと夢だ。夢でしかない。
私はごく普通の高校生で――。ああ。起きないと冬コミに間に合わなくなる。ながれ先生――同人作家――の最新作も見てないし。
というか。なんで乙女ゲームなんです? どうせなら少年漫画のモブになって主人公とそのライバルの尊いところを見たかった。見てから死にたかった。
……。
「よし。引きこもろう」
言いながらペンと紙を暗闇の中で手に取った。原稿ならここでも書けるっ。現実でも夢でも私のすることは同じ。私は妄想を具現化するのみ。確かこの世界って魔法が使えたはずだから――確かRPGで剣と魔法の世界のはずだし。ちなみにこの家は大金持ちだ。普通庶民設定だろうがと突っ込んだけれどそうなのだから仕方ない。どこまで攻略したっけ。興味もなくて一人だったっけ。
……寝たら目覚めるかな。
考えながら私は窓の外に目をはせていた。
悪い夢は結局目覚めなかった。そうだよね。そう。知ってた。引きこもりこそしないものの私の世界は順調に月日を重ねていった。
冬コミいけなかったな。ぼんやり考え、窓から曇天を見上げる。
……。
というか。何も起こらない。誰も私に話しかけない。もう少しで卒業だぞ。どういうことだろう。確か卒業式の日までゲームだったよね。その間に魔物退治イベントとか、過去を明かすイベントとか体体育祭とか……。
それらしい人間とは誰一人知り合ってもいないんですが。いや、別にいいんだけど。そんなこと求めていないから。面倒だし。
言いながらくいっと眼鏡を底上げする。もともと視力はよくなかったんだけど、最近はさらに落ちてしまって。溜息一つ。
私なんでこの世界居るんだっけ?
教室の中。ぽつんと一人。そんなことを考えていると手元からノートを奪われた。それを光の速さで奪還する。いや。見られたらまずいから。まず人間性疑われるから。この世界では特に。
涙目で奪い返すとそこには少年が立っていた。幼い顔立ちで小柄。見ていると中学生だろうか。と思いたくなる――ショタだ。ふわりとした柔らかそうな白い髪。猫のような琥珀の双眸。別に攻略対象でもなんでもない近所の少年A。もとい。私の友人――というか悪魔。アマルアだ。
昔一度だけ部屋に侵入され――正確には母が招いた――たときに原稿をパラパラとめくられた。よし。こいつを殺して私も死のうと一瞬思ったくらいだ。
ちょうど『前世』を思い出して直ぐのことだったし、引きこもりかけていたころ。『学校に来ないとばらす』と笑顔で脅されたのは忘れもしない。
くそぉ。
今でもきっとそれは効いているに違いない。じりじりと間を開けようとする私に笑顔で詰め寄る。
「ルール。また何か変なの描いてる? 友達くらい作りなよ。君、この三年友達いなかったよね。僕以外」
友達だったのか。と心の声で突っ込んでみる。というか『変』じゃないもん。……変だけど。
「別に。話合わないし」
よく考えれば、私は随分『主人公』と乖離している気がする。優しく真面目。品行方正で、誰からも愛される主人公。一方で卑屈。変態趣味。暗い――それで友達ができる方がおかしい。これでも思い出す前はちらちら居たのだけれど、思い出してからは格段に減ってしまった。というよりいない。
いじめられてるんじゃないからね。ないから。
「まぁ、そうだね。――それは否めない。彼氏だってできないでしょ?」
「いいよ。別にいらないから」
前もそんな感じだったし。別に欲しいとも思わない。ここが乙女ゲーの世界でも。きっと私は『お姫様』にはなれないし、なりたいとも思わなかった。だからなのだろう。『何も起こらないのは』。それはきっと私が願っていることだから。
ただ。やっぱりここにいる意味は分からなくて。何も起こさないし、起こらない『主人公』はいていいのだろうか。
「嘘つきだなぁ」
アマルアは少しだけ面白そうに喉を鳴らして見せた。
そう言えばこのショタっ子。人気があるんだっけな。ちらちらとなんか視線を感じる。振り向いてみれば視線をさっとそらされるのはなぜだろうか。
……。
い。いじめられてなんかないもん。泣いてなんて、ない。
「――心配してくれなくて結構。私に構うとアマルアまで暗くみられるよ?」
「いいよ。見られても」
さわやかに笑う少年に本来は頬を染めるべきなのだろう。多分。けれど私には胡散臭さしか感じられない。絶対なにかある。構える私に対してアマルアは苦笑を浮かべて見せる。
「俺は友達だからね。うん。親友。友情って素晴らしいよね。だから。そうだね。デートしよう」
……。
……。
なんで。
意味不明過ぎて目が座ってしまった。言葉にときめくことももちろん、ない。
「私はいくら払うの? というか原稿は見せないからね」
「失礼な。付き合ってくれないとみんなに『恥ずかしい原稿』をばらまくよ?」
うん?
う?
その意味を理解してカタカタと歯が鳴った。平静を装いつつ、震えながらアマルアを見上げていた。満足そうに笑っているアマルア。殴っていいだろうか。
「持ってるの?」
「おばさんがくれた」
ヒッと声が小さく漏れる。ばくばくと心臓が鳴る。心で『平静』と何度も呪文のように繰り返す。
なんでだよ。あの人何してくれるの。悪魔になに渡すのというか――いつの間に。こ、こうなったらこっ、ぶっ転がして私もっ……。
いやいや。逃げるしか。に、荷物をまとめないと。
「セリフ暗唱してきたんだけど、聞く?」
……。
……。
嗜虐的な笑み。背中に悪寒が入って私は思わず立ち上がっていた。手を伸ばして必死にアマルアの口を押えるとほぼ半泣きでアマルアを見る。
「で、テートをさせていただきます。ぜ、全力を掛けて」
全力ならおしゃれもしてくれるよね。そのダサい眼鏡も外して。と釘を刺されてしまったので仕方なく少ない小遣いで服を買った。最近はジャージが楽で慣れてしまっていた所為かワンピースはなんとなく心もとなかった。
鏡に映るのは『誰これ』の主人公。昔から見ているとはいえ、まだ慣れない。『私じゃない』という思いが消えなかった。その為鏡は見ないようにしているし、なるべく顔を隠すような髪型にしていたりする。
もったいないけれど。
ともかく。いったい何のつもりなんだ。いったい。
普通に映画を見て――メガネが無いので苦痛だったけど――街並みを歩く。何気ない事を話しながら――というかほぼ私は聞いていたのだが――笑いあう。ただそれだけ。
周りから見れば姉弟に見えるらしくアマルアはかなり不満そうだった。それ以外を除けばおおむね楽しかったのではないだろうか。
ただのいつも通りだし。
「で。どうしてこんなことを言いだしたの?」
夕闇迫る路地を二人で歩きながら私は口を開いた。
「え。だって。寂しそうだったから? もうすぐ卒業だし。思い出?」
……うわ。同情されてた。そんなに『ボッチ』に見えたのだろうか。私。いや。実際ボッチだけど。
これでも昔は――思い出す前は居たんだよ。居たんだけど。思い出してからは疲れちゃって。女子の会話に付いていけないというか。今までどうしていたのかと頭が痛くなるほどだった。前は――ああ。前の世界だけど趣味が友だちと居たからボッチではなかったけど。
ここは力説しておく。
「ありがとう」
顔が引きつる。それを隠そうとして笑顔を浮かべたがうまくいかなかった。それを見てアマルアは軽く噴出した。
なんでだ。
「ほんと下手になった。嘘。昔はもっと狡猾で。いいところだけしか見せようとしなくてさ。嘘すら隠し通したのに」
「そうだっけ?」
そんな嫌な子供だったのだろうか。まぁ。確かに調子に乗って気はする。笑うとみんなが何かくれるから取りあえず笑顔振りまいとけばいい。みたいな。
……。
……昔から主人公性格じゃないじゃん。私。それはモテないわ。納得いった。うん。
「でも。今はいいところすら見せなくなったし笑わなくなったよね。聞こえるのは『ディフフフフ』とか謎の笑い声で。正直怖いんですけど」
あ。さらに主人公属性が裸足で逃げて行った感がする。気のせいだろうか。そんな現実逃避を考えつつ、もはや感情が引いてしまった顔で私はアマルアを見た。
「……あれは。ちょっと妄想で萌えまくりまして……もう。初めから読んでしまう? 一層のこと」
ふふふふ。と表情無く笑うと鞄からノートを取り出そうとした。それを慌ててアマルアは割と真面目に止める。まぁ。だよね。
「それはいい。いい。聞きたくないから。要は。俺は――」
何かを言いかけて。視線をそらされた。何か変なことでもあるのだろうか。近いことだろうけれど。うん。どこからどう見てもショタだわ。17でショタとか。本人に言ったら本気で傷付きそうなので言わないけど。絶対周りは思ってるぞ。確信する。
「ルールには笑ってほしいなって。かわいいのに」
おお。照れた。頬を染めて可愛らしい。かわいいのはどっちなんだろう――って。
「……なぜ黙ってるんだよ」
恨めし気に言われても。なぜ怒られるんだろう。私は首を捻る。
「いや。私がかわいいのは知ってるから。当たり前だよ。昔からみんなそう言うし。ただ久しぶりすぎて驚いただけ。それにそうしてこいって言ったのはアマルアだし」
呆れたように溜息一つ。
「……そういう処だぞ。友達出来ないのって」
どういうことだよ。当たり前のことを言っただけで怒られる理不尽って嫌だ。似合ってるはず。ワンピも。髪もいちいち緩くふんわりとしたカールに巻いたんだからね。
「ほしくない。それにアマルアが友達なんでしょ? だから心配してくれなくて結構です」
「……」
「……」
なぜに。なぜ渋い顔をして黙るんですか。友達と言ったのはアマルアなのに。いや。私だってアマルアのことはきっと友達だって思ってるんだけど。今更違うと言われたら傷付く。
なんとなく声を掛け辛くて黙って歩く。
ふと足を止めたアマルア。それに合わせるようにして私も足を止めた。
「どうしたの?」
「ね。ルール。……お前ほんとは『誰?』」
言われてぎくりとした。何処かで感じていた疎外感。誰かに見つかればこの世界からも消えてしまうのではないかという恐怖。私を否定される恐怖。死んでしまうのは簡単だけれど――こんなことにならない保証はない。いっそ記憶を消したいくらいだ。
もう一度人生をやり直したい。
そんな願いは隅に追いやって、にっこりと笑顔を浮かべた。悟られたくなんて、ない。
「何言ってるのさ? 私は私。それ以外にないけど?」
「……俺の知るお前は。俺のような人間とは絶対に話さなかったんだ。お高く留まってたってわけ。子供のくせに」
どんな非道な人間だよ。それは。主人公だよね。どこかの悪役令嬢とかではないよね。
でも。確かに子供のころ。アマルアと話したことはない。というか記憶の片隅に残ってもいない。モブがモブとして働いてたのだろうか。
ちょっと何言っているのか自分でも分かんないな。これ。
「いやいや。接点がなかっただけだよね。現になぜか私の家に来たし」
そしていらぬ悲劇を……。
「母さんがおばさんと同級生なんだよ。なぜかその日は二人で話したいからって部屋に通されたんだ」
「ああ。そう」
思い出したばかりで混乱していたし塞ぎこむことが多かったから、母親なりに心配してくれたのだろう。ちょうど来た同級生に何かを期待したのかもしれない。
「鼻を明かしてやろうと思ってさ。女も男も愛想笑いばっかり。人形じみた顔が嫌いだった」
けど。なんていうか。慰めとか別方向のベクトルなんですが。嫌がらせする気満々じゃないですか。
実際なんか弱み握られたけど。――で。現在に至る。
「……みんな好きって言ってくれたのに」
言うと軽くアマルアは笑った。
「今のルールは嫌いだろ?」
「? かわいいから好きだよ」
嫌いじゃない。でも――鑑賞対象としてだ。自分とは思えないし。考えていると見透かすような双眸でのぞき込まれて心臓が跳ねた。
「他人事なんだよ。今のルールは自分が好きじゃない。昔のルールは自分が大好きだった。その違いってわかってる?」
誰と問われて口を真一文字に結んだ。まるで出ていけと言われているようで、泣きそうになるのを必死にこらえる。
ぐっと掌をきつく握っていた。
「私は。私っ。それ以外何者でもないし……そ、そんなことを聞きたくて私を誘ったの?」
「え?」
「何が言いたいのか分からない」
恨めし気に睨むとアマルアは一歩下がる。その双眸は困惑したように私を見つめていた。
追いつめておいて――反撃されることは予想していなかったのだろう。
「帰る」
「まっ――」
アマルアをすり抜けるようにして駆けていく。家に。帰りたかった。そこが私の場所なのかいまだに分からない。けれそこへと帰るしかなかった。
夢を見た。
これは夢。今にしてはどっちが夢だったんだろうか。分からない。私は携帯端末を握りしめてぼんやりと立っていた。バス停の前。空に目を向ければ曇天が広がっている。
雨降らないといいけれど。
画面に目を移せば『パーセンテージ』が立ち上がっている。さすがというべきかイケメン青年たちがにこにこと笑いかけている。きっとそこに『誰か』を探すのは間違っているのだろう。すでに間違い探しを待つ蹴るような面持ちでタップするとストーリーが始まる。
笑いかけてくれるイケメンたち。剣と魔法。旅をして紡がれていく物語。明かされていく過去。楽しい思い出――そして絆と恋。
ああ。楽しかったんだな。このゲーム。素直にそう思った。
だけれど。画面のどこを探しても私の友達は出なかった。教室の場面で、道の場面で。探すのだけれどやはりいない。
「そうだよね。――モブだし」
溜息一つ付いて気づく。
あれ?
私は誰を探しているんだっけ? 思い出せない。というか怖くなって鞄の中に突っ込もうとしたのだけれど。
「ルール?」
適当につけた名前を呼ばれてぎくりとした。
いや。このゲームというか、一部のゲームを除いたどのゲームもそうなのだけれど主人公の名前は呼ばれない。大抵『君』、『あんた』、『先輩』――そんな風に呼ばれる。一瞬このゲームが『一部』に入るかと考えたのだがさっきまで『君』とか攻略対象に言われてたわ。
……気のせいだったらいいなぁ。
怖いから。
「ルール。聞いて。頼む」
懇願するような声。バスを待っていた人が不審気に私を見るんですが。私そんなDNQネームじゃないから。と心の中で突っ込みながら慌てて端末を鞄から取り出した。
おかしい。まるで私に語り掛けてるようだ。ついに私は頭がおかしくなったのかもしれない。さっきまで居ない誰かを探してたし。
「……」
恐る恐る覗き込んだ画面には見覚えのあるような少年が映し出されていた。絵柄は他のキャラと比べて荒いとしか言いようがないし、声も声優ではないようだ。幼さを色濃く――というよりショタな少年は『生きている』みたいに動いていた。
困惑したように『私』を見る。こっちも困惑していた。
「あ――ルール?」
本当に私に声を掛けているのだろうか。選択肢はないようだし、なぜか『設定』が出なくなっていた。
怖いとは思う。普通なら携帯叩きつけて逃げるところだけれどそう思えないのはなぜだろうか。
「……」
「ルール?」
いぶかし気に言う声に私は小さく声を出していた。
「私は。奏楽――あなたは、誰?」
少年は少しだけ傷付いたように目を見開いた。もしかしたら知っているのかと思ったが――二次元の知り合いはいない。というか、居る人に会ってみたい。
「アマルア」
「えっと。アマルア君? ええと――聞きづらいのだけれど」
なぜゲーム内から私は話しかけられているのだろう。と言って分かるのか疑問だ。彼らにとってはゲームとは感じていないだろうから。
いろいろある疑問をどう聞き出そうと考えあぐねていた。その前にアマルアが口を開く。
「ソラ――ソラ。あの。俺のことはいいんだ。頼むから。頼むから。目を覚ましてほしいんだ」
「何を?」
覚める。それじゃ私が眠っているみたいじゃないか。何を変なことを言っているのだろうか。と訝し気に少年を覗き込んだ。
アマルアは所在なさげに視線を逸らすと絞り出すようにして声を出す。
「あの後――俺と別れた後ルールはずっと眠ったままなんだ。だから」
「……」
もしかして。と私は考えていた。何かのウィルスが端末に入り込んだのだろうか。誰かが遠隔操作してるとか……。けれどそんなことして何になるんだろうか。女子高生はお金は持ってないぞ。推しに注ぐお金なら工面するけど。
「直接介入してる。ソラの夢に」
「あっ。はい」
どうでもいいような返事をするとアマルアの目が座った。信じないから起こったのだろう。けれど信じる要素が無いからね。
「……信じてないだろ? 信じないと原稿ばらまくぞ?」
「……」
私の趣味を知って……というか。二次元に原稿を渡した思い出はない。といった二次元に行った記憶もない。
少しだけ揺らいだがよくよく考えればそうだ。そうだと――思ったんだけど。
画面越しで私の原稿がある。あるよ。これ。見覚えが……。印刷にも出してないし、まだ仲間にも見せてないから――。
てえええええええええ。
悲鳴を上げそうになって思わず口を押えていた。不審者じゃない。不審者じゃないから。けーさつ呼ぶのは止めてください。私は逃げるように建物の影に入っていた。
それでも端末を投げない私って偉い。
「ど、どうして。そ、それを。か、間者……いや。ストーカー……け、警察」
け、警察はこれを信じるんだろうか。ああ。電話アプリが立ち上がらない。ホームが言うことを聞かないんだよ。
「間者って――落ち着け。落ち着けって。はい。深呼吸」
吐いて。吸って。吐いて――。と数回繰り返すとようやく混乱が落ち着いてきた。震える手で画面をつついても意味はないが、つつくと『やめろ』と低く声が落ちた。
「ともかく。信じてもらえた?」
にっこり笑うのが腹立たしい。
「げんこぅ」
「幽霊のようだな――分かったから。ばら撒かない。まかない。でね。ル――ソラ。さっきも言ったようにこれは夢だ」
「……夢」
でも。ここは私の世界だ。夢だと言われても信じられるはずなんてない。目覚めろと言われてもよく分からなかった。その方法も分からない。
「このままだと衰弱死してしまう。俺にできることはするから」
懇願。でも。私はこの人を知らなかった。彼を知っているのはゲームの中の主人公なのだと思う。そして『好き』だったのだろうこともなんとなく伝わってきた。
わたしではない。それがとても申し訳なかった。
「でも。私は――『ルール』じゃないし」
悲しそうに口元を結んでアマルアは視線を地面に向ける。
「――いい」
何を言ってたのか分からずに私は端末に耳を傾けた。冷たい端末。けれどその向こうから息遣いが聞こえてくるようだった。
「……俺はソラがいい」
一瞬。何を言われているのかわからない。この人は私の知らない人だ。しかも二次元で。主人公達よりもそこまで顔は――超絶イケメンと比べてだが――よくない。いや。ショタだし。守備範囲外だ。
でも。
どこか泣きそうな顔だった。伸ばした手は私に触れることなく、落ちる。
「ソラが良かったんだ。知ってる。ソラが何にも思ってないこと。友達どまりだということも。それでもいいんだ。そう思って生きてた。けれど。ダメだ。――いなくなるのは。ダメだ」
帰ってきて。待ってるから。
頼む。
ソラ。
パンっと。足元で何かが割れた。バラバラと崩れていく世界の後には何も残らない。暗闇が広がる中私は落ちているのか登っているのかそれすら分からなかった。光すら見えない。足と手をバタバタさせるけれど何も変わることは無かった。
無だ。
何もない。
私はこのままここで消えてしまうのだろうか。
嫌だな。
待ってると言ってくれたのに。主人公でなくていいと言ってくれたのに。いてもいいと言ってくれたのに。
申し訳ない。心底そう思った。自分が消えることよりも――願う。
あの子が泣かないように。幸せになるように。
きっと私の大切な友達だから。
――白い天井があった。見覚えのある古臭いシャンデリア。視線をずらせばアンティークの本棚には子供頃から集めた本がぎっしりと詰まっていた。
開け放たれた窓。柔らかな光を照り返しながら白いカーテンが揺れている。見慣れた机に目を向ければ一人の男性が眠っていた。
誰だろう。医者だろうか。服も髪も白いし。――でも医者がなぜ寝てるんだろう。
そもそも風邪引かないか?
「……あの……」
どれくらい声が発せられてなかったのだろうか。かすれた声はそれほど大きく出なかった。身を起こそうと頑張ったがうまく動かない。
なぜだ。
別に拘束されてはいない。けれど酷く重かった。
「あの」
もう一度声を掛けると男――思った以上に若い――は弾けるように顔を上げると素早く私に目を向ける。
ふわふわとした白い髪。琥珀の双眸。どこかで見たような顔は私を見るなり破綻すると、ようやく身を起こした私に抱き着いてきた。
「ルール」
低い声。震える肩。一瞬なんだと思ったが、ああ。と一つ息をついて私は彼の背中を叩いていた。あやす様に。
いったいどれくらいたったんだ。と苦笑を浮かべる。あの少年がどうしたらここまで成長できるのか分からなかった。
少しだけ恥ずかしい。けれど。待たせた分それは仕方ないのかもしれない。
「ごめんね? アマルア」
「お帰り――ソラ」
「ただいま」
そういわれると『戻ってきた』そう思える。今までここで居場所なんてないと思っていたけれど。ここにいていいんだ。そう満ち足りたものを感じていた。
それがとても不思議だったけれど。
そんなことより。
原稿を焼いた? そう問えば彼はにこりと微笑んでからはぐらかした。
大体5年程度寝ていた設定。
アマルアが住み込みで介護してた感じで