森の動物たち
ステータスを調整して一息つくと、ぐぅ、と腹部から空腹を知らせる音が鳴る。自分ではあまり意識していなかったが、思えば目が覚めた時からずっと緊張したままで、今になってようやく気が抜けたのかもしれない。自覚してしまうと途端に空腹感に襲われた。
「腹が減ったのか」
「うん。そうみたい。ナイアーは食事ってどうするの?」
恥ずかしさを誤魔化すように笑って、顔のない頭部へと目を向ける。何度も見ているうちに目も鼻も口もないこの顔が可愛らしく見えてきたのだから、人間は慣れる生き物だなぁとしみじみ思う。手を伸ばして頭を撫でる。ふわふわした毛並みが気持ちいい。
「我らのようなものにとって、食事は嗜好品だ。魔素さえあれば事欠かぬ」
「そっか、一応食べられるんだね。一人だと寂しいから、嫌じゃなければ一緒に食べてくれる?」
「構わんぞ」
喉の下を指でくすぐると、ごろごろと喉が鳴った。こうしていると可愛い子獅子のようだ。
「どうしよっかな……ん?」
バルコニーからなにか取って来ようか。冷蔵庫の中のものは何か食べられるだろうか。そんなことを考えていると、コツコツとなにかを叩く音がした。音がした方に目を向けると、さきほどプチトマトをあげた小鳥がこれまた器用にガラスの縁に止まっていた。
「さっきバルコニーに来てた子、かな?」
開けてほしいのだろうか。ナイアーに視線を向けてみても、特に何かを言う様子はない。ガラス戸を引き開けると、小鳥はチュンと一鳴きして私の肩に止まる。ちょんと指先でつつくと、すりすりと頬に擦り寄ってきた。可愛い仕草に頬が緩む。
「どうしたの?何かあった?」
問いかけると、小鳥が小さな嘴で私の髪を一房噛んだ。咥えたと言った方が正しいかもしれない。くいくいと引っ張られ、促されるまま立ち上がる。バルコニーに出ると、外にはたくさんの動物が集まっていた。
「ぴぃ」
驚いて二の句を紡げずにいると、肩の子と別の鳴き声が聞こえて顔を上げる。一羽の鳥が、葡萄らしき果物を咥えて降りてきた。
「……もしかして、くれるの?」
「ぴぃ!ぴぃ!」
手を伸ばせばその上に葡萄が乗せられる。瑞々しく、爽やかな甘さを含んだ匂いは、私が知っている果物によく似ていた。
「ありがとう……?」
葡萄に似た果実をラックに置いてそっと鳥の背を撫でてやると、鳥は嬉しそうに一鳴きして、目下にいる動物たちのもとへと飛んでいく。よく見れば、彼らもまた何かを持ってきたらしかった。
「悪意はない、貢物だろう。もらってやれば良い」
一体何ごとかと首を捻る。野生のはずの動物たち。動物にとって、それを狩る人間は天敵のはずだ。だと言うのに彼らからは微塵も敵意を感じない。それはナイアーも同じらしく、面白そうに笑って私を動物たちのもとへ促した。外に繋がる戸の鍵を外して階段を降りると、あっという間に動物たちに囲まれた。
最初に私のもとへ来た小鳥に、葡萄をくれた鷹に似た鳥。前世の図鑑でしか見たことのなかった狼のような獣と猪。猿っぽい動物もいる。小さな羽の生えた兎に、髭の長い山羊もいた。
誰も彼も人懐っこく、私の前に次々果物や茸を置いていく。そっと手を伸ばすと自分から擦り寄ってくるものだから、可愛くて撫でる手に熱が入る。のしのしという重たい足音と共に私の倍はありそうな熊が来た時には流石に身構えたが、私の身の丈ほどもありそうな魚を置いて、ちょこんと座ってみせるものだから、つい吹き出してしまった。
手を伸ばしても頭には届かなくて首元をそっと撫でると、自ら頭を差し出してくる。人馴れという一言では片付かないような懐かれぶりだけど、元から動物が好きだから、悪い気はしない。彼らがその気になれば私なんて一飲みだろうから、本当にその気がないんだろう。
「よし!ごはん、つくろう」
せっかくだから、外で調理してみよう。大きな魚はこのままだと私が運ぶのは難しい。幸い前世で魚を捌いたことはある。なんとかなるはずだ。たぶん、おそらく、きっと。構造に違いはない、と思いたい。
「ならば、魔法を使ってやってみよ」
「魔法で?え、なにを?」
「料理を、だ。なに、勉強の一環だと思えばいい。他はともかく、それを運ぶのは難しかろう?」
魚を指してそう言われれば否定も出来ない。料理に使うくらいなら、失敗しても死にはしないはずだ。
「ええと、それじゃあ、ご指導よろしくお願いします!」
「うむ」
魔法には、大きく分けていくつかの系統がある。魔力の消費が大きい順に、回復>攻撃≧補助>生活魔法という分類になっている。そこに当てはまらないものを特殊というが、ここでは割愛する。
この世界のほとんどの種族は少なからず魔力を持っていて、市井の民も生活魔法を使って日々を過ごしている。ほとんどと言うのは、魔力の干渉を受けない種族も存在するらしいのだ。魔法を使えない代わりに、魔法の影響を受けない物理に特化した種族。文献上の情報だから、真偽のほどは分からない。
料理に使うのは生活魔法らしい。と言うのも、私は生活魔法を使ったことがない。一応知識としては知っているが、城にいる間は基本的にかけてもらう側だったし、魔力の強い王侯貴族は基本的に主要都市の結界や魔獣討伐、魔道具造りに魔力を割くため、身分が上がれば上がるほど、生活魔法は使用人に使わせるのが常なのだ。少なくとも、私がいた連合王国ではそうだった。
「魔法に必要なのは知識と想像力だ。どちらか片方だけでは不完全なものになる。そうだな、まずは調理台を作ってみよ。昨日、この家を建てたのと同じ要領だ。魔力の流し方は分かるな?」
ナイアーの言葉で思い浮かべるのは、前世のアウトドアで使ったウッドテーブル。外で調理するならグリルも必要だろう。魚を捌くためのまな板、包丁、それから。頭の中にそれらを思い浮かべて、手の平を掲げると、そこに熱が集まってくるような感覚。
「創造」
何を意識するでもなく、自然と唇から言葉が溢れた。手の平に集まっていた熱が弾けて、空気が揺れる。目を開ければ、目の前に見覚えのある道具が並んでいた。その傍で、動物たちがなんだかうっとりしているように見えるのは、私の気のせいだろうか。
「上出来だ」
機嫌が良さそうなナイアーの声を聞きながら、ステータス画面を開く。魔力が1000弱減っているが、自分の最大値を考えると大した影響もなさそうで少し安心する。
「では、次の工程に移る」
「うん」
次々と飛ばされる指示に従いながら、今自分のいる世界が本当に異世界なのだなと改めて自覚した。正直に言おう。生活魔法が便利すぎる。ただ魔法をかけただけじゃ安心できなくて、バルコニーのすぐ傍に水場を作ってしまったのは前世の価値観が残っているからだろう。記憶を取り戻す前からお風呂が好きだったから、日本人の血も侮れない。
結局、この日はまる一日かけて屋外の調理場整備と、この身体に慣れるため、料理の練習に没頭した。
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