名前
「ん〜……っ!」
朝日と共に意識が浮上する。久しぶりに感じるすっきりとした目覚めに、つい頬が緩む。改めて室内を見回して、昨日の出来事が夢ではなく現実なのだと実感する。
自分の身体を確認すると、新しい寝間着に着替えさせられていた。今私が着用しているのはレースやリボンを最低限に抑えたシンプルなもの。フリフリがきつい精神年齢でも、そこまで抵抗なく着れそうなデザインだった。
どうやって着替えたのかとか、自分はこんな服を持っていたかとか、気になることはいくつかあったが、たぶん彼が魔法で何かしてくれたのだろうと自己完結。それなりに勉強してきたつもりだけど、城では習わない生活魔法もあったから、私が知らないだけだろう。
起き上がると、すぐ傍で黒い毛玉が丸くなっていることに気づく。それを一撫でしてベッドから降りた。しまってあった踏み台を引っ張り出して洗面台で顔を洗う。前世の私はあまり背が高い方ではなかった。高い場所のものを取るために購入してあった踏み台がこんなところで役に立つなんて、人生何が起きるか分からないものだ。
しっかり顔を洗ってから、昨日眠る前に見て回れなかった場所を確認することにした。
家具や細かい生活雑貨に家電。動力が必要なものはすべて電力から魔石に切り替わっているらしかった。少し触ってみたが問題なく動く。これなら生活していけそうだ。カーテンを開けてバルコニーに出ると、きらきらと眩しい太陽の下で、プランターの植物たちが青々と輝いていた。
日当たりの良い南向きの、少し広めのバルコニーで前世の私は家庭菜園のようなものをしていた。かつての私は肌が弱く、既製の化粧品で合うものがなかなか見つからなかったため、化粧品を手作りし始めたのがきっかけだった。
化粧品に使うハーブを育て始め、次に料理にも使えるハーブ、店員さんからおすすめされたプチトマトやラディッシュと次第に種類が増えて。最初は小さなプランターだったものが、ひとつふたつと増え、場所が足りなくなってラックを買い……と拡張し続けた結果、バルコニーはちょっとした植物園の様相を呈している。
学生時代から続けていたこれは、社会人として働くなかで数少ない癒やしでもあった。
ジョウロで水を撒きながら植物の状態を確認していると、不意に頭上からチチチ、と可愛らしい鳴き声が聞こえた。顔を上げると雀に似た丸っこい形の、夕陽色をした小鳥が、翡翠色のつぶらな瞳で私の方を伺っている。
小鳥の視線の先には赤く熟れたプチトマト。ひとつ摘んで、手摺の上に乗せてみる。小鳥は何度か私とプチトマトを見比べて、嘴で器用にプチトマトのヘタを咥えると、飛んで行ってしまった。それを少し残念に思ってると、足元に温もりを感じて視線を落とす。
「目が覚めたのか」
「うん。おはよう、ナイアー」
何気なくそう呼ぶと、彼はぴたりと動きを止めた。
「それは」
「え、あ。その、ないあーらとてっぷ?は長いから……その、あだ名、みたいな?……だめだった、かな?ごめんなさい……」
私よりずっと長生きをしている彼を呼ぶにしては、やはり馴れ馴れしかったかもしれない。反省していると、突然彼が笑い出した。
「ククク……あだ名。我にあだ名と来たか。よい。好きに呼ぶことを赦す」
「ん?うん?……いいの?」
恐る恐る様子を伺うと、怒っている様子ではなかった。どちらかと言えば、面白がっている、という表現が近いかもしれない。
「構わぬ。で、あれば。おぬしも新たな名を得るべきであろうな」
「新しい名前?」
「どこかのギルドに登録するにしても、ほとんどの場合鑑定を受けることになる。その時、ただ取ってつけただけの偽名では、それが偽名であると露見する可能性が高い」
言われて気づく。確かにそうだ。正直、自分ではそこまで頭が回っていなかった。とは言え、急に新しい名前と言われても、なかなか思いつかない。
「……あ、ねえ、ナイアー。これ、表示を逆に出来ないかな」
自分のステータス画面を開いて、ナイアーを呼ぶ。私のステータス画面は、いくつかの項目に、二つ並んで表記されたものがある。名前もその一つだ。今の名前の横に、()に囲まれて前世の名前が記されている。それを説明すると、ナイアーはすぐに私が言いたいことを汲み取ってくれた。
「ふむ?ああ、なるほど。これならば新たに付けるより、隠蔽してしまう方が早いな」
やり方を教わりながら名前を入れ替え、他の項目もナイアーの言葉に従って、本来の数値を隠し、平均より少し強いくらいの数値に調整していく。
基本的に自分より力の弱い鑑定は自動的に弾かれるが、自分より強い相手だとか、弱くても項目を絞られると鑑定が通ってしまうことがあるそうだ。だから見られても怪しまれない程度のものにした方がいいらしい。強すぎると出自を探られたり、利用しようとする輩が群れてくるから面倒なのだとナイアーは言う。探られて面倒ごとに巻き込まれるのは御免だった。
「初めてにしては上出来だ。リオ」
「ありがとう。ナイアーの教え方がいいからだよ」
そうして私達は、新しい、否、馴染み深い名前を手に入れたのだった。
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