住処を得る
チートが本領発揮します。
人間という生き物は、驚きすぎると言葉を失うらしい。なんで、どうして、と疑問は浮かぶのに、それは言葉にならず、唇からはただただ空気が溢れていく。
目の前にある、レンガ調のアパートは間違いなく私が住んでいた家だった。傍に寄ると、エントランスへ通じるガラス扉の前には、やはり覚えのある数字盤が設置されている。ただ、呼び出しボタンがあったはずの部分には、黒い石が嵌め込まれていた。指でなぞるとひんやりとした硬質な感触が伝わってくる。
「魔石だな」
「魔石……って、強い魔物にあるっていう、あの?」
「うむ。魔石とは即ち、魔力が結晶化されたもの。魔物であれば等しく持っている。強ければ強いほど大きなものであるがな。弱い魔物だと狩られる前に砕かれるため、人間には見つからないだけだ」
「そうだったんだ。でも、どうしてそんなものがここに?」
「この建物はお主の魔力で生み出されたものだ。触れてみるが良い」
進められるまま魔石に触れると、それまで黒かった石が淡い緑色に光り始めた。驚いたが、腕の中にいる彼は納得したように一つ頷く。
「これは動力源だな。お主に馴染み深い言葉で言うなら、スイッチだとか、起動ボタンと言ったところか」
「どうして……」
まるで、私に前世があることを、私が別の世界で生きていたことを知っているような口ぶりに、それまでくすぶっていた疑問が、つい、唇から溢れてしまった。
「我はあらゆる場所に呼ばれ、あらゆる名前で呼ばれてきた。それはこの世界だけに留まらない。――我が恐ろしいか」
「……ううん。嬉しい」
少し考えて首を横に振る。嘘偽りなく本心だった。不思議に思うことはあっても、腕の中にいるこの存在を恐ろしいとは感じない。むしろ、私の記憶が頭のおかしな妄想でないことが証明されたようで、喜びのほうが勝っている。
「おかしなやつだ」
「そうかな?」
「だが、そのくらいが丁度良い。中に入るぞ。隅々まで再現されているのか確認せねば」
黒い毛玉がクツクツと可笑しそうに笑っている。ひどく人間じみた笑い方だった。暗におバカだと言われた気がしなくもないが、深くは聞かないことにした。促されるまま一歩踏み出すと、ガラス扉が開いた。見覚えのある銀色のポストが6つ並んでいる。丁寧に部屋の番号も振ってあった。
私の部屋は101号室。ポストを覗いても中身は空っぽだ。当然だが、少しだけ寂しい。廊下を歩いて部屋に向かう。南側の角部屋。そう大きくないアパートだから、すぐ部屋の前に辿り着いた。ドアノブを捻って押し開く。鉄製のドアは、子供の身体には少し重い。鈍い音を立ててドアが開き、記憶のなかにあった光景がそのまま目の前に広がっていた。
「私の部屋だ……」
靴箱の上に銀色の鍵が置いてあった。いつも家にいる時、鍵を置いていた場所だ。腕の中から彼が飛び出して床へと降りる。恐る恐る靴箱の中を覗くと、かつての私が使っていた靴がそこに仕舞われていた。当然、今の私が使うには大きいものばかり。それでも感じる懐かしさに目が潤む。
靴を脱いで家に上がる。フローリングの床がほんのりと冷たい。浴室も、トイレも、私の記憶にあるままだった。お気に入りの日当たりのいいキッチン。こだわって買った大きめの冷蔵庫とオーブンレンジ。引っ越しの時に四苦八苦しながら組み立てた食器棚。木目のテーブルも、全部覚えている。
リビングから部屋に繋がるドアを開く。社会人になって初めてのボーナスで奮発して購入したセミダブルベッド。布団に触れれば干し立てのようにふかふかで。
そうだ。あの日は休出で。その代わりに翌日の業務時間を短くするからと言われて、久しぶりの半休に柄にもなく浮かれてしまっていた。どうせゆっくり寝るなら綺麗な状態の布団で気持ちよく寝たいとわざわざ車を出してコインランドリーで布団を洗濯したんだ。
どうしてだか、頭が少しぼうっとする。身体に力が入らず、そのままベッドへと倒れ込んだ。起き上がろうとしても腕や足に力が入らない。
「初めてこの規模の魔法を使ったのだ。無理もない」
傍にいるはずの彼の声が、なんだか遠く感じる。視界がだんだんと暗くなって。そのままぷつりと意識が途切れた。
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