決意する
全部思い出して、同時に、やはり頭を抱えたくなる。あれから、どれくらいの時間が経ったのだろう。記憶が混濁していて、時間の感覚がいまいちはっきりしなかった。
記憶を封じ込められた間のレオルは、有り体に言ってクソガキだった。
母と瓜二つの容姿と、母の忘れ形見という立場。記憶を封じ込められる前の衰弱状態も相俟って、父やその周囲の大人から禄なお叱りを受けないことを良いことに、まさにやりたい放題。親の威を借る傍若無人でワガママな子供。それが現在のレオルの評価だろう。
勉強をしたくないと駄々をこね、教師にキツく当たり、騎士に無理難題を言いつけ、悪戯に侍女をいじめた。まだ誰かの命を奪ったことがないことだけが不幸中の幸いだった。どうして私が未だに生きているのか。想像でしかないが、記憶を封じられる前に上がっていた評判を徹底的に貶めるためだろう。相対的にアルベルト兄様やベルノルトの評価を上げるために生かされてきた。
兄様の成人の儀が近づいたこと、私の評判が下がりに下がったこと。推測でしかないけれど、いくつかの要因が重なり私は用済みだと判断されて、おそらく、母と同じ毒を盛られた。その毒に抵抗するため、身体のなかの魔力が活性化し、記憶を封じ込めていた魔法が解けたのだから皮肉なものだ。
思い浮かぶのは、先程まで共にいた、兄と弟の姿。
レオルがひどい態度を取るようになって、侍女や騎士、文官たちが距離を取るようになっても、あの二人だけはレオルの傍から離れようとしなかった。どんなに罵っても、物を投げつけても、懲りずにレオルの傍にいた。レオルはそんな二人の態度も気に入らなかったようだけど。
私が見たあの夢は、きっと、私がレオルのままだったら、起こり得た未来の可能性。兄を殺し、国を荒らし、弟に殺される。自分にそんな未来が待っているなんて信じたくはない。でも、今の立場ではそれがないとは言い切れなくて。そうでなくとも、王の血を引くこの身体には王位を継ぐ以外にも利用価値がある。しかしまともな後ろ盾はなく、一重に父の未練と兄弟の評価を上げるために生かされている現状、いつ切り捨てられるか分からない。死ぬのは嫌だ。だからと言って国を傾けたいとも思わない。
記憶が戻ってしまった以上、それが誰かに知られれば私の命は再び狙われることになるだろう。四六時中気を張っていなければならない環境なんて嫌すぎる。
ここから逃げなければならない。国を、――家族を、捨てて。ただの"私"として生きるために。でも、どうやって?
私には与えられた時間は、そう多くないだろう。アルベルト兄様とベルノルト、何より、眠っていた私の世話をしていた侍女から、目が覚めたことは父へ報告され、その情報は城内へと広がるはずだ。そうなる前になんとかしなければ。自分の無力さも、この世界との価値観の違いも、母を亡くして、嫌でも思い知った。私のような人間が、これから先、ここで生きていけるとはどうしても思えなかった。
一つ息を吐き出して、目を閉じる。一縷の望みをかけて口を開いた。
「……ステータス」
この世界には個人の能力を数値化した、ステータスというものが存在する。
本来であれば、ステータスは身分関係なく十歳を迎えたら教会で鑑定してもらい、その後の指針とするためのものだ。けれど、魔力が強く、また鑑定スキルを持っていれば自分や他人のステータスを見ることが出来るのだ。記憶を封じられる前、勉強している最中、なんとなく自分の力が他よりも強いのではないかと感じていた。自分が今出来ることを把握するためにも、ダメ元で可能性にかけて見たけれど、それは間違いじゃなかったらしい。
私の目の前に、まるでホログラムのようにゲームで見かけたことのあるステータス画面が浮かび上がっていた。
不思議なもので、いくつか二つの数値が並んでいる項目がある。ひとつひとつ確認していくと、それが前世の情報に紐づくものだと理解出来た。体力は少ないが魔力は規格外。全属性に加えて固有魔法まであるんだから、とんだチートだ。これなら。どうにかなるかもしれない。そんな希望を抱いた時、ふと、固有魔法の一つが光っていることに気がついた。
触れてみれば、ピコン、と分岐項目が表示される。
そこに映し出されているのは、前世でも、今世でも、見たことのない文字。初めて見るはずなのに、私はそれを読むことが出来た。
「召喚――Nyarlathotep……?」
小さく、文字をなぞった瞬間。私の視界は黒い光に包まれた。
「これ、は……」
――光が、まるで意思を持っているかのように、蠢いている。
あまりにも非現実的な現象を目の前にすると、人間は言葉を失うのだと身を持って体験するとは思わなかった。この世界に生を受けたその直後でさえ、ここまでの衝撃は受けていなかったと思う。
今まで色々な本を読んできた。流行りの恋愛小説から、それこそ古書と称される類のものまで、どんな本にも、魔法を使うことでこんな現象が起きるとは書いていなかった。固有魔法だから、だろうか。疑問は尽きないが、迂闊にそれから目を離すわけにもいかない。
どれくらいそうしていただろう。蠢いていた光が収束を始め、それがなにかの形を造り始める。
「……ねこ?」
ころん、と私がいるベッドに落ちてきたのは、一見、猫に似た見てくれの生き物だった。私が傍にいるにも関わらず、私のことなど気にした様子もなく、毛づくろいをしている。よくよく観察してみると、猫よりも四肢は太く、鬣もあり、猫というより獅子に近い姿形のようだった。
どう声をかけていいのか判断をしかねていると、猫のようなそれがようやく毛づくろいをやめ、私の方へと身体を向けた。
「え、……」
ようやく真正面からその姿を確認して、言葉を失う。
その生き物には、顔がなかった。まるでそこだけ削り取られたようにまっさらで、何もない。目も、鼻も、口も。かろうじて頭部についている獣の耳だけがその存在を主張していた。
「いかにも。我が這い寄る混沌である」
どこから発しているのだろうか。皆目見当もつかないが、その声は確かに私に語りかけているようだった。
「無貌の神、闇に棲むもの、大いなる使者、燃える三眼。あらゆる名で呼ばれ、あらゆる名を忘れ去られた。我が身の存在を紡ぐ者が途絶えて久しいが、さて……」
私は何か、とんでもないものを引き当ててしまったのかもしれない。心臓がうるさいくらい音を立てている。けれどなぜだか、どう見ても異常な生き物を前にして、驚きはしても、恐ろしいとは思わなかった。むしろ、どこか心強くさえ感じている自分がいて。
「私を救けて、ナイアーラトテップ」
「――契約は為された。その願い、叶えよう」
愉しそうに尻尾を揺らして、黒い獅子が立ち上がり、小さな身体がベッドに弧を描く。そして、暗転。
(」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!
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