二人の母
父に釘を刺されて、やりすぎたのだと自覚した私は、職務に関わることをやめた。子供なんて気まぐれなものだから、他に調べたいことが出来たと言い訳をして、書庫にこもるようになった。
朝起きて、母と食事をして、護衛を伴い書庫へ行き、本を読み耽って一日を過ごす。父に呼び出されて以来、ベルノルトやアルベルト兄様と顔を合わせる機会はあからさまに減っていた。寂しくないと言えば嘘になる。けれど、それが誰の仕業かなんてすぐに見当がついて、私が隔離されることで二人の安全が保障されるなら、仕方のないことだと諦めた。
良いこともあった。私が行動を起こしたことで、父も思うことがあったのか、執務を行うようになったのだ。父と母と私、三人で過ごす時間は減ったけれど、本来であればこれが普通なのだ。過ごし方を変えてしばらく経った頃、いつものように書庫にいると、廊下が少しざわついた。
本を読んでいた私の頭上に影がかかり、顔を上げれば、私のすぐ傍に、ヴィルヘルミーナ様が立っていた。
慌てて頭を下げる。いくら王の子と言っても、正妃であるヴィルヘルミーナ様と側妃腹の私では立場が違いすぎる。どうして気付かなかったのだろう。いくら本に集中していたとはいえ、正妃様が来たともなればその集団の気配で気付けるはずだ。浮かんだ疑問への答えはすぐに出た。周囲に、私とヴィルヘルミーナ様以外の気配がないのだ。まるで、ヴィルヘルミーナ様が一人でここに来たとでも言うように。
『……あなたが』
許しもなければ顔を上げることも出来ない。どれくらいそうしていただろう。ヴィルヘルミーナ様の声が、ぽつりと頭上から落ちてきた。
『あなたが望まずとも、あなたを望むものがいる。その身の一挙一動、全て見られているものと心得なさい。でなければ――』
それは、おそらく、私への忠告だった。けれどその言葉は不自然に途切れて。目の前にあったはずの気配が消えて、冷たい空気が頬を撫でる。顔を上げれば、そこにヴィルヘルミーナ様の姿はなく、彼女がいた場所には、傍の花瓶から溢れたのか、小さな水溜まりが出来ていた。
侍女を呼んで掃除を頼むのと同時に、書庫の前にいた騎士に、ここを訪ねた人間がいるかと問えば、二人の答えは「いいえ」。
白昼夢でも見ていたのだろうか。まるで狐にでも抓まれたような心地で、その時の私は、ヴィルヘルミーナ様から告げられた言葉の意味を、きちんと理解出来ていなかった。
それからしばらくが経った頃。――母が、亡くなった。
少し前から体調の悪さを訴えていて、王城に務める医者や、魔術師にも診てもらった。けれどその結果は芳しいものではなく。早朝、眠るように息を引き取った、らしい。そしてその母の胎には、私の弟妹がいたのだと、葬儀の最中、騎士たちが話しているのを聞いてしまって。
思えば、私は前世と今世を合わせても、誰かを喪うという経験をするのは、これが初めてのことで。
――いつも笑ってばかりで、悩みなんてなさそうな母が苦手だった。
――仕事という義務も果たさず、それなのに父や側近たちから愛され、いっそ過保護なまでに守られている母を苦々しく思っていた。
それが母なりの戦いだったということに、母が亡くなってから気づくなんて、皮肉なものだ。
書庫で告げられた、ヴィルヘルミーナ様の声が脳裏を過る。
私が望まなくても、周りが望むもの。私が王位を望まなくても、私を王位につけようと動く者たちの存在。
母が亡くなったのは、他の誰でもなく私のせいだと、嫌でも理解してしまった。
身体は子供でも、心は大人だから。社会人経験があるから。二度目の人生だから。どんな相手にだって遅れは取らないはずだと、慢心していた。
中世ヨーロッパを思わせる建造物に、魔法やスキルなんてものがあるこの世界は日本とはまったくの別物で、いつだって夢を見ているような心地だった。記憶を持って生まれたからには私にもなにか出来ることがあるはずだ。自分と似たような境遇の人を放っておけない、そんな正義感にかられて。
なにもかもぜんぶ、私の思い上がりでしかなかった。良かれと思ってしたことが、母を死に至らしめた。その事実に、私は打ちのめされた。
食事が喉を通らなくなり、人と接することが恐ろしくなり、私を心配するアルベルト兄様のことも、ベルノルトのことも拒絶して。衰弱していく私を見かねた父が、私の記憶を封じ込めたのだ。
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