思い出す
本日2回目の投稿です。
本来の私は、生まれた時から前世の記憶を持っていた。科学が発展した現代の日本という国で生まれ、育ち、働いていた記憶。それは子供から子供らしさを奪うには十分なもので。
あえて言い訳させてもらえば、私だって子供のふりをする努力を怠ったつもりはない。誰だって気味悪がられるのは嫌だし。父のことも、母のことも、最初は大好きだった。いつだって傍にいてくれる優しい両親。でも考えてみてほしい。国を束ねる立場である国王と、それを支える役目を持つ側妃に、はたしてそんな暇はあるだろうか。私が成長するにつれ、両親が傍にいることに疑問を持つのは、おそらく自然の流れだった。
通常、高位貴族や王族の子供には乳母や侍女がつけられ、主な育児は彼女たちが中心となって行われる。けれども、男爵家出身の母は自分がそうされたように、自らの手で私を育てることにこだわった。母を溺愛する父もそれを止めることはなく。乳幼児だった私は母と父に囲まれて育った。国王であるはずの父は、必要最低限の職務のみを行い、ほとんどの時間を私と母に費やした。母もそれを疑問に思っていなかった。父の側近たちは学生時代から父と共に母の取り巻きをしていた男たちだったため、二人を止めるどころかそれを助長することさえあった。
私にかかりきりで他の子供たち――アルベルト兄様とベルノルト――からやっかまれそうなものだが、アルベルト兄様はそもそも歳が離れていて、王太子として立太子されるのも時間の問題であったし、ベルノルトは、自分の部屋を抜け出してよく私のもとへと訪れていた。私は自分より幼い子供を無為に追い返すことが出来なかったし、そうして私が受け入れてしまえば父も母もベルノルトが共にいることに対して何も言わなかった。故に兄弟間でのいさかいも起きることはなく。王宮は平穏な空気に包まれていた。そう、一見すればの話だ。
録に仕事をしていない父と母。二人の皺寄せが誰に行ったのか。それに私が気付けたのは、漸く喃語以外の意味ある言語を話すことが出来るようになった頃だった。
私の世話を焼く両親のもとに、あの人――この国の王妃、ヴィルヘルミーナ様が訪れた時のことだった。
情けなくも、一歳のお披露目以降離宮のなかでぬくぬくと周りに守られ過ごしてきた私は、その時まで、両親がまともに仕事をしていないことに気付いていなかった。四六時中二人が傍にいても、無知な私は育児とはこういうものなのかとそれを当たり前に受け止めてしまっていたのだ。その幻想は、ヴィルヘルミーナ様の姿を見てすぐに霧散した。
ヴィルヘルミーナ・フォン・アイゼンシュバルツ。
四大公爵家の一角であるアイゼンシュバルツ公爵家出身の、由緒正しい公爵令嬢。星の光を思わせる美しいプラチナブロンドの髪に、サファイアを思わせる碧眼。どんな時でも背筋をピンと伸ばし、その色彩も相俟って、氷の薔薇と呼ばれる至高の貴婦人。
知識としては知っていた。言葉を話し始めた頃から私には教育係の先生方がついていて、歴史の先生に国の歴史を習う時、今の、この国についても教わったから。私は直接顔を会わせたことはないけれど、きっと美しい人なのだろうと、そう思っていた。
けれど、私たちの前に現れたヴィルヘルミーナ様の顔色は、化粧で誤魔化しきれないほど悪く、目の下には色濃い隈が出来ていた。髪は子供の私でも分かるほどパサついていて、動きやすさを重視したであろうシンプルなドレスを身に纏う姿は、お世辞にも世間一般が考える王妃像とはかけ離れていて。
どうして、と。芽生えた疑問はヴィルヘルミーナ様と父のやりとりを見て、すぐに消えた。執務をするように説得するヴィルヘルミーナ様。それに対して煩わしそうに手を払う父。それは私の前世を想起させるには十分な光景だった。
レオルになる前の私は、所謂、社畜という人種だった。私が卒業した頃は、ちょうど就職氷河期と呼ばれる年で、何十社と受けて合格した会社が、ブラック企業だったのだ。休みもなく、長時間勤務は当たり前。だからと言って給料が特別いいわけでもなく。
特に最悪だったのは、直属の上司だった男。パワハラとモラハラ、セクハラを詰め込んだような性格をした男で、ハッキリ言って縁故入社の何も出来ない無能な男だった。そのくせ、お世辞とごますり、隠蔽だけは得意な、最低最悪の人種だ。どんなに頑張って成果を上げても、その成績は横から男に掠め取られる。それを訴えようとすれば、血縁だけは立派な男が、お前らみたいな平社員、すぐにクビにしてやると嗤う。実際、男と揉めた翌日、その社員が会社に来なくなることはざらにあった。辞めさせられたのか、辞めたのか。明確には分からない。ただ、会社に来れなくなるという事実だけが降り積もって、私たちに圧力をかけていた。
あの頃は、とにかく疲れ果てていた。生きる希望もなく、死ねないから生きているというような状態だった。ヴィルヘルミーナ様の姿が、その頃の自分と重なって。
どうしようもなくゾッとした。背筋が粟立つ。私が今まで享受してきた幸せは、この人の犠牲の上にあったのだと、嫌でも自覚してしまう。まるで、今の自分の姿と、あの男の姿が重なっているような錯覚。込み上げてくる言葉にならない感情に耐えきれず、情けなくも私はその場で意識を失った。
目を覚まして、最初に飛び込んできたのは心配そうな父と母、それに私を兄と慕ってくれる異母弟の姿。私を心配して、色々と声をかけてくれる二人に、私はたまらず、疑問を口にした。
「おとうさま、おかあさま。おしごとは……?」
恐る恐るそう問いかけた私の頭を、父の大きな手が撫でる。まるで私を安心させるように笑みを浮かべて、父は口を開いた。
「そのような些末事、お前が気にするまでもない。正妃に任せておけばいい。すべては正妃が望んだことだ」
それを聞いたら、もうダメだった。今まで抱いていた父と母への親しみが、どうしようもない嫌悪感へと変わっていく。ハラスメントの加害者が、決まって口にする言葉がある。それは被害者を糾弾する言葉だ。
まるで自分は悪くないとばかりに、被害者を罵り、声高に周囲へ無実を訴える。父と母がヴィルヘルミーナ様について語る顔は、私を蔑むあの男の顔に、よく似ていた。そう認識してしまったら、もう、どうしようもなくて。
体調が悪いので眠ります、と断りを入れて、ベッドのなかに潜り込んだ。
私を心配する声も、気を引こうとする言葉も、何もかもが煩わしく感じて、今までそれを甘受してきた私にそんな資格はないと分かっていても、気を抜けば、ひどい言葉を投げてしまいそうで。
その日から、自然と両親を避けて過ごすようになった。お茶会に誘われても、本が読みたいからと言って断った。両親の視察という名の外遊にもついて行かず、王城にある書庫にこもった。
膨大な資料が納められている書庫には、時折、若い文官たちが資料を探しにやってくる。子供の小さな身体は容易く本棚の影に埋もれて、彼らは私の存在に気付かない。静かな書庫で彼らの会話はよく響いた。
私は彼らの話を聞いて、ヴィルヘルミーナ様が内政から外交、果ては軍部の統括まで一手に引き受けていることを知った。そして、彼らが抱える国王と側妃に対する不満の声。当然と言えばそうだ。きっと、私だって第三者であれば多忙を極めるヴィルヘルミーナ様より、何もしていない二人に不満を持つ。あの人の状態を間近で見ていれば、尚更。王政へ不満が募ればどうなるか。私はよく知っていた。元いた世界の歴史でも実際に起きていたそれが、この世界で起きないとは言い切れない。
なんとか二人に仕事をしてもらおうと、幼いなりに手を尽くしたつもりだ。けれど幼い私の言葉に、説得力などあるはずもなく。
母がにこにこと笑うばかりなのは仕方がないにしても、肝心の父ですら、今この国で王たる資格を持つ人間が自分と、アルベルト兄様、ベルノルトだけだということに、慢心しているようだった。ベルノルトは私よりも年下だし、アルベルト兄様も、私と歳が離れているとはいえ、まだ子供から抜けきれていない年頃だった。先王陛下は男児に恵まれず、父の代の王家の男児は父一人。三人の姉は、他国へ嫁入りしていて、近くにいない。
表向き、この国に異変はない。父は母を溺愛しているが、それ以外の大きな問題は起こしていないし、母は男爵家から側妃とは言え王室入りしたことで、その美貌と愛想の良さもあり、市井の民には人気がある。けれどそれは、見えない部分をヴィルヘルミーナ様が支えているからにほかならない。一人の犠牲で成り立つ不特定多数の幸福。でも、きっと、そんなものは長く続かない。何より、それを良しとしてしまったら、私はあのクソ上司と同じ人種の人間になってしまう。それだけは嫌だった。
この小さな身体で出来ることを必死に考えた結果。私は勉強時間を増やすことにした。
父と母には、早く大人になってお父様のお手伝いをしたいと、母と同じ顔であざとく強請ればイチコロだった。時にはアルベルト兄様とベルノルトも巻き込んで、一緒に勉強した。ベルノルトにはまだ早かったかもしれないが、アルベルト兄様は良い復習になると嫌な顔一つせず付き合ってくれた。本当に出来た兄だ。
先生に引率されて職場見学に行った時、私が見ても問題ないような書類を何枚か見せてもらったことがある。内容はどちらも経費申請のようだったが、どうにも書き方がバラバラで、読みにくい。これを一枚一枚チェックして、許可を出していくと考れば、忙しさの原因の一部は間違いなくこのバラバラの書式のせいだろう。
一緒に書類を見ていた兄に、雛型はないのですかと聞けば、雛型?と不思議そうな顔で聞き返された。
どういうものなのか尋ねられたから、いらない紙をもらって、それに見本を書いてみせた。日付と、記入者名、申請理由、金額を記入する場所に空白をつくり、それらしい文章で繋げる。所謂、書式テンプレートだった。前世ではすべてパソコンのなかにデータがあったけど、このくらいならアナログでも出来る。各部署に見本用紙を置いてもいいし、この雛型を作る専門の人員を雇うか、手の空いている文官に一日何枚と決めて雛型用紙を量産させてもいい。こういう雛型があれば経費申請以外の報告書にも転用出来る。書式が統一していれば確認作業も楽になるし。これで少しでも負担が減ればいい。そう思って。
雛型を書き上げて兄に見せると、兄はいくつか私に質問をして、それをこともあろうかヴィルヘルミーナ様のところに持っていってしまった。二人の間にどんなやりとりがあったのか分からないが、数日後、その雛型が正式に採用されたことを先生経由で知った。
私に部署を案内してくれた若い文官が、仕事が楽になったとわざわざお礼を言いに来てくれて。久しぶりに家族とゆっくり出来ましたとか。苦手な書類仕事が苦でなくなりましたとか。色んな人に喜ばれたことが嬉しくて。
私は足繁く各部署を回り、文官たちと交流を持つようになった。前世で働いていた時の記憶をもとに、ここでも出来ることを探して提案したり、時には彼らと一緒になって議論したりもした。最初の雛型の件があったからか、まだ幼い私の拙い説明にも彼らはきちんと耳を傾けてくれたから、それもまた、嬉しくて。
私は考えるべきだったのだ。第二王子という立場で、側妃腹から生まれた子供がそんなことをすればどんな影響を周りに与えるのか。身分制度のない自由と平等が謳われた平和な現代社会と、王侯貴族が存在し魑魅魍魎が蔓延るこの世界の違いを、もっと、知るべきだったのだ。
ヴィルヘルミーナ様の姿にかつての自分を重ね、感情移入してしまったことなんて、私以外には分かるはずもない。
そうして気づいたときには、下位貴族や新興貴族が集まった、私を王位に推す派閥が兄の派閥の規模を超えてしまっていた。
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