価値観の違い
「は〜……」
完全にやらかした。湯船に顔を沈めながら、ゆっくりと息を吐き出す。吐いた息がぶくぶくと泡になって消えていく。
結局、私は彼らを家に連れてきてしまった。あれほど警戒していたのに。気をつけようと思っていたのに、一食共にしただけでこの有様だ。我がことながら、どうしようもないと頭を抱えたくなってしまう。
収納を終えた直後に降り出した雨はすぐに土砂降りに変わり、木の下に逃げる間もなくびしょ濡れになってしまった。食事を終えて、さぁ解散☆と出来ればどれほど楽だったか。
冒険者だから、男性だから大丈夫だと自分に言い聞かせてみても、前世で培った道徳観が、彼らを土砂降りのなかで放置することを許せるはずもなく。私は彼らに声をかけ、家まで案内してしまった。幸い、この建物はアパートで、二階の部屋は未使用状態。急遽最低限室内を整えて、土足は止めてほしいとお願いし、部屋に押し込めてきた。そうして話す間を意図的に作らず、驚く彼らから逃げるように自分の部屋に飛び込んで、今に至る。
ここは、私がいた世界とは違う世界。科学の変わりに魔法が発達した、私がいた世界とはまったくの別物。文化だって私の時代から見ればかなり昔のものばかり。私が持つ常識なんて、捨ててしまった方が楽に生きられるし、それが自分を守ることにも繋がると、頭では分かっているはずなのに。
記憶を封じられる前もそう。私が前世の価値観に囚われなければ、かつてのトラウマを喚び起こさなければ、あの人に感情移入しなければ、もっとうまくただの子供でいられれば、母はまだ生きていたかもしれない。天才だとか神童だとか持て囃されていたけれど、私の周りに兄様とベルノルト以外の子供はいなかった。裏で気味悪がられていたのかもしれない。でも。私が前世の価値観を捨てるのは、イコール、私が私でなくなる時だと思うのだ。確かに職場は黒かったけど、家族にも友人にも恵まれたあの世界で、私は確かに幸せだった。
……なんてシリアスぶってみたけれど、正直、この精神年齢になって性格や価値観を変えるのって相当難しいと思う。年齢重ねると意固地になるって言うし。本当にその通りだ。
そりゃあ私だって何も出来ない無力な子供だったらこの世界の価値観に合わせたかもしれない。けど生まれが王族だし。能力的にはチートだし。偉い人も言っていた。三十六計逃げるに如かず。逃げるが勝ち。つまり私の全勝は確定しているようなもの。
「よーっし!アイス食べよ!」
そうと決まれば行動あるのみ。開き直った人間は強いのだ。彼らとちゃんと話をしよう。ダメそうだったらさっさと逃げればいい。
いざとなったらナイアーに頼んで彼らとともに街に転移して、大衆の前で襲われたと泣き喚くことも辞さない。こちとら中身はどうあれ見た目は幼気な類まれなる顔面力を持つ子供だぞ。涙は女の武器なのだ。事案を振り撒いてくれるわ。
雨が上がったら外を確認しに行かなければ。森のみんなは大丈夫だろうか。一応、ナイアーに獣舎まで誘導するよう頼んであるけど。そちらも様子を見に行きたい。
「きちんと温まったか?」
風呂場から出て髪を乾かしていると、外に出ていたナイアーが丁度戻ってきた。
「おかえり、ナイアー」
「ぴぃ!」
「ヒイロも来てくれたの?みんな大丈夫だった?」
胸に飛び込んできた夕陽色の小鳥を受け止め、少し濡れた羽をドライヤーで一緒に乾かしながら、外の様子を確認する。
「ああ。いくらかは住処に戻ったが、ほとんど小屋にいる。大方、あの侵入者どもが気になるのだろう。あれらには釘を刺して置いた、知能があれば滅多なことはすまい」
ニタリと効果音が付きそうな悪い顔でナイアーが笑う。もとの顔が凄まじい美形だからどんな表情も絵になってしまうのがナイアーのすごいところだ。
「そっかぁ。雨が上がったらご飯持ってってあげなきゃ。ナイアーはお風呂入る?」
「いや、いい。アイスを食すのだろう。我も食べる」
「ナイアー、食べるの好きになったねぇ」
初めてこの森に来た時に比べて、明らかに食道楽になりつつあるのは気のせいではないはずだ。最初は摘む程度だったのに、段々と食べること自体に興味を持って、今では何を作っても美味しく食べてくれるから嬉しいのだけど。
時々、どこで入手したのか分からない果物やお酒、お肉なんかを持ってくる。素人目から見ても良いものだと分かるそれをどこで手に入れたのか聞いても笑って誤魔化されてしまうのだが。
自家製バニラアイスを冷凍庫から出そうとしたところで、バルコニーの方から、控えめにガラス戸を叩く音が聞こえた。
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