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 駐車場にあった車の中は、昼間の温かさを吸い込んで、夏が乗り込んだ後のように暑かった。

 乗り込んでも、我慢が出来なかった二人は、車の窓を開けて車外に居る。お風呂の温度を測るみたいな行動だった。それに類するような時間の過ごし方が、優しい形であれば、人は幸せかもしれない。



「用事があるって、何だったの?」



「スーパーで買い物です」



「あぁ、料理係とかかな」



「まぁ、そうですね。今度、食べてみますか?」



「機会があれば、是非。料理、上手そうだからね」



 瑠奈は、嬉しそうに笑い返したが、どことなく、顔が引きつっている。流は、それが少し気になったが、話として口に出す事は無かった。



「そろそろ、乗ろうか?」



 流に促されると、瑠奈は返事をしながら、助手席側へと回って、ドアを開けた。流も、運転席へと乗り込むと、手早くエンジンをかけて、後部座席の窓を閉める。左後方の窓と、運転席の窓を、三分の一開けた。風が車内に吹き抜けるようにと、流なりの思い込みからくる行動である。



「どうやって、駅まで行くかな。来た道を戻るで良い?」



 車を走らせる前に、流が聞いた。



「煙草は大丈夫ですか?」



「うん?あぁ、一山越えたから、大丈夫だよ」



「そうですか」



 瑠奈の声色は、少しだけ青かった。だが、続けてナビゲートを始めた為、流は、その反応に、心を近づけない。そのナビゲートの声を、必死に頭の中で巡らせて行くのに集中し、瑠奈の顔を見る事は無かった。



 駐車場を出た車は、右へと曲がる。来た道を戻って、あの交差点を左折した。左折した方が、駅へと直進できる道へと出るからである。流の事を考えた、瑠奈の配慮であった。

 瑠奈は、遊園地の駐車場で、「少し遠廻りになりますが」と前置きをしたが、流は、それをすんなりと受け入れた。特に、何もする事が無いからである。明日も明後日も休みだ。その遠廻りを受け入れたとて、何も変わらない。瑠奈だけは、少し晴れやかになったのだった。



「あの二人は、大丈夫でしょうか?」



 助手席で、流を見ながら、瑠奈が言った。みんなで食事が出来ないとなり、遊園地で四人は分かれたから、瑠奈としては、千春の事が心配だった。流が、何も話してこないから、それも気になっている。仕掛け役が、何も言わないというのは、何かあったとしか思えない。



「明日の正午に、千春へメールするよ。完全なる黒だったから」



 流は、さらっと言った。緩やかにハンドルを握って、運転を楽しんでいる風である。先程、開けていた窓も閉めた。そういう運転上の余裕が、流には出てきている。

 瑠奈は、その話に驚きながら、言葉を探していた。目を見開いていて、口を少しだけ開いている。白い歯が見えていた。



「直ぐに、それを言わなくて良かったんですか?」



「思い出って必要じゃない?今日は、何も無かったで良いと思う。明日からは違うのだからね」



 流の答えに、瑠奈は唸っている。その反応は、効率と非効率の使い方であると同時に、使われ方の違いなのだろう。

 瑠奈の反応に、流は、啓司の印象を述べた。悪い人では無い、ただ一部分だけが歪んでいるだけだと、言葉を選びながら伝える。



「それは、わかりますけど。うーん。最悪は、避けられたと思う事にします」



「そこが重要だったからね。啓司さんにだって、与えられる時間がある方がフェアだろうと思うし。仕掛けているのは、此方側だったのだから、そこに更にストレスを与えれば、ストーカー化するかもしれない。まぁ、ならないと言い切れるけどね。啓司さんは、なるタイプじゃないから」



「ちゃんと考えて出した結論なんですね。やっぱり、考え方に差がある物なんでしょう。男性と女性は」



「僕は、あんまり性別は考え無いよ。よく恋愛の話とかあるけど、片側ばかりだからおかしな話になるんだと思う。その片側が、正義みたいに見えたり、聞こえたりするからね。想いは、何方にもある。考えや行動が歪とかも理由にはあるけど、想いを蔑ろにしたら、小さかったモンスターに餌を与えるような物だとも思うからね」



「でも、優しさって、そういう時には要らないのではないですか?不必要な気がしますけど」



「ケースバイケースだとは思うよ。身の危険を感じる事に対しては、瞬発力が必要だからね。でも、良く考えてみなよ。ストーカーみたいな彼氏と、浮気をした彼氏。二人共、結論が同じっておかしいでしょう。後は、彼女が嫌いだと感じる行動を、一回でも取ると、同じ扱いだったりする事もある。更に、おかしいでしょう。まぁ、その不利益みたいな物を、お互いにやり取りして、納得できる相手と付き合うのが、ベストなんだろうけどね」



 流の話を聞き終わると、瑠奈は笑う。そんなに面白かったかな、と流は思った。



「よく喋りますよね。よく喋ってくれる人って、やっぱり、良いですね」



 柔らかい瑠奈の答えが来たので、話の内容ではなくて、そちら側だったか、と流は面白く感じた。男性に、その視点は少ない。

 女性の明後日から来る返答は、男性にとって、機械の無い説明書を貰うような物である。人によっては、嫌いな部分に当たるだろうか。大抵は、意味をよく分かっていないからだろう。



「喋り過ぎだったかな?」



「いえ、聞いていたいから良いんです。もっと、色々な話を聞きたいんですが、最後は、私が話しますね」



「良いよ。何かしらの考えを聞く事は、理解する上で必要だし。許容する、という形にも影響するからね」



 流が、そう言うと、瑠奈はニヤリとした。何か、聞きたい事があるようだ。その空気を受け取った流は、どんな問いが来るのだろうと、心内が動いている。



「あの、今日の晩御飯、何が良いと思いますか?」



 赤信号で止まった車内に、瑠奈の問いが浮かんだ。たまに、浮かべてみるのが好きなのかもしれない。

 流は、返答に困った。一家庭の献立を、自分のような単身者が決めて良いのか、という意味合いではなく、ただのセンスを要求されているからだ。

 献立を考えるのは大変だ、とテレビで言っていたという記憶を掘り起こし、流は、真面目に答える事にした。頭に様々な料理を浮かべたが、データが足りない気がしてきている。悩む真似も、そろそろ限界であった。



「何人家族かな?年齢層が分からないから、絞り込み難いんだけど」



 流は、聞いた。瑠奈は、「そうですね」と言いながら、何かを考えている。



「私の他に、おとうさんが、一人です。結構、パワフルな人だから、何でも食べてくれますよ」



 瑠奈は、考えが終わると、直ぐに、そう答えた。どんな答えになるか、楽しみだという表情付きである。

 瑠奈の母親について、流は気になってしまったが、このご時世では変な絡まりもある為、頭を回して耳から流した。会話が終わる答えは、重力を持つ事がある。



「そうなんだね。だとしたら、肉系が良いかもしれない。手羽元の照り焼きとかは、どうだろうか。フライパンでも、オーブンでも作れるから」



「あぁ、良いと思います。今日は、そうしますね。照り焼きのタレに、ニンニクを混ぜても良さそうです」



「そっか。なら良かった」



 瑠奈の顔に、流は安堵しながら、会話を続けた。瑠奈は、楽しそうに笑いながら喋っている。



 二人の乗った車は、駅まで十分くらいの所で、左側のガソリンスタンドに寄った。給油をする為である。

 レンタカー屋に勧められたガソリンスタンドも考慮に入れて、瑠奈は道案内をしてくれていたのかと、流は驚いたが、瑠奈は当然という風だった。サポート力がしっかりしている人は、全体が見えている事の方が多いからか、単純に頼もしい存在である。

 ガソリンスタンドの店員に、窓を開けて話をした後、流は、瑠奈をもう一度褒めた。瑠奈は笑いながら、「何も出ませんよ」と答える。その様子を見ながら、千春は仕事が楽だろうなと、流は思った。



 ガソリン代は、感心した流が、支払いをすると瑠奈に伝え、財布を取り出した。それを見ていた瑠奈は、「私も払います」と、最後まで抵抗していたのだが、店員が来ると声のトーンが低くなる。

 流は何事も無かったかのように、店員に代金を渡して、もう一度やって来た店員から、領収書とお釣りを貰った。燃費の良い車だからか、流の予想以上に高くはなかった。



「すみません。何から何まで」



 ガソリンスタンドから出た車の中で、瑠奈が、申し訳なさそうに言った。左手で、髪を触っている。



「僕の友人を手伝ったのだから、その手間賃だと思えば良いよ。せっかくの休日だったんだからね」



 瑠奈の顔を見て、流は軽く微笑んだ。それに対して「はい」という、納得したのか、していないのか、よく分からない瑠奈の声色が、周りの風景に溶け込んでいった。



 苦労せずに、車は中央駅へと戻って来た。一方通行を気にしながら、流は、レンタカー屋の看板があるスペースへと車を止める。道を二本挟んだ反対側には、灯りが付いたレンタカー屋の看板が見えた。

 瑠奈が「お疲れ様でした」と、流を労う。流は、それに反応しながら、車の窓が閉まっているかを確認した。窓の付近から、少しだけ音がする。これで良しと流は思った。



 二人は、忘れ物が無いかを確認してから、車を降りる。流は車に鍵を掛けて、待っていた瑠奈と一緒に、歩道橋へと歩いた。車を借りた人には、少し遠く感じるだろうか。流は、運動不足を感じながら、瑠奈と会話しつつ歩いて行く。

 レンタカー屋の中に二人で入ると、「いらっしゃいませ」の掛け声に、視線が合わさった物を浴びせられた。瑠奈は、堂々としているが、流は、慣れない感じがして視線を泳がせる。



「返却です」



 窓口で、瑠奈が言うと、店員が対応を始めた。男性店員が、外へ飛び出して行く。手には、鍵を持っていた。ガソリンのチェックへ行ったのだと、流は推測する。

 流が、店内の様子を観察していると、瑠奈に、座るよう促された。店員も席へと案内する。



「コーヒーなどございますので、ご自由にお飲み下さい」



 店員は一礼して、元の場所へと戻って行った。瑠奈は、紙コップにコーヒーを準備している。

 待つ為に用意されていた席は、ソファ席とテーブル席に分かれていた。瑠奈が表情で聞いてきたから、流は、行動で示すようにソファ席に座った。自宅で座る事が無いからである。

 瑠奈が、ソファ席にコーヒーを運んで来ると、ローテーブルに置いて、流の隣に座った。背もたれに、身体が沈む。予想以上に沈んだのか、顔が少し驚いていた。

 二人で一分ほど、沈む状態を楽しんだが、慣れない事であった為、座面の半分前に座り直した。沈むソファに座った二人の距離感に、何処と無く、エロティシズムを感じたからでもある。

 どぎまぎする二人は、落ち着く為に、目の前にあるコーヒーを飲んだ。熱さに反応する。それを見て、お互いに笑った。



「慣れませんね。家のソファは硬めですから」



「僕の家は、ソファすら無いけどね」



「そうなんですか?アパート?」



「借家だよ。狭いけど、庭もあるんだ」



「あぁ、何か似合いますね。夏には、甚平とか着てそうです」



「正解だよ。そろそろ、季節ではあるね」



 正解に対する瑠奈の反応が、今日で一番、柔らかくて愛しい形であった。だが、流には、他人のいつもを変えてしまうほどの元気は無い。時間のズレと運転で、エネルギー消費量が、今日は多かったからだ。膝が少し打つかり、その戻り方が後ろ髪を引かれるようであっても、流は特に何もする気が起きないくらいな状態だった。



 店員が、瑠奈を呼びに来て、二人は、ゆっくりと立ち上がった。瑠奈は、流に目配せをした後、窓口の席へと座る。流は、立ちながら、二人分のコーヒーを少し急いで飲むと、紙コップを備え付けのゴミ箱へ捨てた。

 瑠奈は、店員に「また、ご利用ください」と言われながら、窓口の席を立つ。流の位置を見つけると、行きますよという顔を、流へ向けた。

 二人で自動ドアまで行くと「ありがとうございました」という店員の声が、二人の背中に打つけられて、押し出されるようにレンタカー屋を後にした。これで漸く、今日の仕事は終わりだと、流は思った。



「私は、スーパーに寄って帰ります。今日は、とても楽しかったです」



 朝、四人で喋って居た場所で、二人は、改まって挨拶をした。夕方の風は、少し肌寒い温度である。



「僕も楽しかったよ。今日は、ありがとう。後で、連絡を入れても良いのかな?」



「うーん、私から連絡しても良いですか?必ず、連絡しますから」



 瑠奈が、流の目をジッと見ながら、お願いするように言ったので、流は「分かった」と優しく答えるしかなかった。主導権を握っているようで握れていないのが、はっきりと分かるからか、流には、深入りしない方が良いのではという考えが浮かんだ。顔には出さないように、必死でそれを隠している。きっと、バレてはいないだろう。

 二人は、少し喋った後、惜しむ様にゆっくりと分かれた。子供みたいな行動だったが、タイミング良く、その糸は切れる。お互いに振り返らず、流は、電車の改札口へと向かい、瑠奈は、近くのスーパーへと歩いて行った。



 駅の中、時計を見ると、ちょうど乗りたい電車があった為、流は足早にホームへと向かった。階段で、少し心拍数が上がったが、目の前には電車があり、ドアが音を出して開いている所であった。呼吸を整えながら、流は、電車へと乗り込む。

 電車の中は、少し混んでいた。所定の場所が空いているか見ると、そこには、数人の女性達が喋りながら乗っている。

 仕方がないと、流は、近からず遠からずの場所で手摺りを握ると、発車した電車の窓を見続けた。自宅近くの駅まで、千春へ送るメールの文をどうするかを考えている。



 電車は、出し入れをしながら進み、流は、やっとそれから解放された。同時に、千春へのメール文も決まる。

 駅の外へ出ると、街灯がチカチカし始めており、すっかり夜の装いが出来ていた。一番星が見えているが、辺りはまだ明るい。

 流は、駅から歩き始めると、行きとは違う道順で歩いて行く。弁当屋で、買い物をする為であった。



 流には、馴染みの店である。最初、弁当屋の大将とは、見知った顔であり、たまに話しをする関係だった。それは客と店員の繋がりであったが、いつの間にか、立ち入れる他人でもあり、立ち入られても良い他人にもなった。その弁当屋の娘と流には、深いエピソードがあるからである。何故か、そうなったが、流にとっては、嫌いな物では無かった。



 弁当屋の娘に、今では凄く好かれている流は、弁当屋の大将に、結婚の話を振られてしばしば揶揄われていた。その話になる度に、弁当屋の娘は、流へ、自らを勧めてくるからだ。

 まだ中学生だから、流としては、返答に困ってしまうのだった。世間体を考えれば、非常にまずい状況である。

 だが、弁当屋の他の客は、皆、弁当屋の娘に味方をしていた。先物買いだ、何だと、流に迫るのである。流としても、悩んでいる振りをするしかなかった。

 ある日、流は、弁当屋の外で煙草を吸いながら、いつも会うお爺さんと話をした。「初恋は大事だからな」と言うお爺さんは、美味しそうに煙りを吐いていた。そして、柔らかに笑っていた。

 まさか、自分がその対象になるとは、流は思っていなかったから、その話を聞いて気づいた時には、とても新鮮な感覚だった。だから、流は、今でも、その感覚を覚えている。



 弁当屋の灯りは、変わらない温かさを持って、流を待っていた。暖簾を下げている昔ながらの佇まいは、綺麗とは言えないが、存在として有益である事を称えているようだった。

 流が中を覗くと、弁当屋の娘が、店の手伝いをしていた。休日だろうにと、流は思ったが、休日だから、出来る事をしているのだろうとも思う。

 流は、彼女へ対して、単純に、偉いとは思わない。簡単に、仕方ないとも思わない。俗に言うスマートだと思う形は、外側の人間が作り出している、勝手で卑怯なドラマである。彼女の感覚や感性は、そんな物では無いし、そんな物では語れない。



 流は、ドアを開けようと、横スライドするドアに手を掛けた。カタッと音がする。

 その音に反応して、彼女の真面目な凛とした顔から、流を見つけた、ふわっとする柔らかな顔が現れた。流へ手を振っている。手で挨拶をしながら、流は、弁当屋の中へと入って行った。

 元気な「いらっしゃいませ」の声が、店の中から外へと靡く。一つの目的が達成したかのようであった。









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