(5)
「ようやく、終わったよ」
啓司が席まで辿り着くと、開口一番、そう言った。そして、千春と瑠奈の間に座る。千春が、啓司の前に飲み物のカップを置くと、「ありがとう」と言って、カバーとストローを外して一気に飲んだ。なんとも、豪快な飲みっぷりである。
「それで、何に乗るか決まった?」
先程の事は、三人には関係無いという形で、啓司が会話を進めて行く。大人らしい形の進め方である。千春は、瑠奈と話していたジェットコースターを指差して、「これが良い」と言った。啓司は、パンフレットを見ると、「これは凄そう」と笑い、流と目を合わせる。
「流君は、何が良いの?」
啓司は、全体に話しを振りながら、仕事もこなしているのだろう。年季の入った聞き方とリズムだった。
聞かれた流は、ここのタイミングだろうと思った。なかなか言い出せずにいたが、高所恐怖症なのである。千春は知っているのだが、忘れているのかもしれない。
このまま、何も言わずにジェットコースターに乗ってしまうと、残りの寿命が無くなってしまうほど、酷い状態になるのだ。話題に出せば、考慮してくれる人達ではあるから、言っておくべき事だった。
「僕は、コーヒーカップか、メリーゴーランド。後、ゴーカートも良いですね」
流が言うと、千春はハッとなり、瑠奈は把握し、啓司は笑った。瑠奈とは、アイコンタクトも、直ぐに済んだ。
「ごめん、忘れてた。ドラは、高所恐怖症だった」
「それは、酷い。千は知っていると思っていたよ」
「流君、それ、いつから?」
「気づいたのは、小学校より前からですかね」
「そうか。じゃあ、筋金入りだな」
「ごめんなさい、私も忘れていました」
「瑠奈は、合わせてただけでしょう。それは、大丈夫だよ」
突然、呼び捨てにされた名前に、彼女達は眉が動いたり、髪をかき揚げたりしていた。流としては、仕返しである。主に千春に対してだ。
啓司は、それに気づかず「じゃあ、どうするかぁ」と言いながら、腕組みをして悩んでいる。皆で行動しようと考えるあたり、年齢が出ているのだが、それが大切なのだと信じて疑わない行動でもある。
面倒見の良さが垣間見え、千春が好きになった理由だなと、流は思った。そのウザったさが、心地良い場合もあるのだ。
「四人で、コーヒーカップにでも乗って、その後は、別々に行動したら良いと思いますよ。二時間か、二時間半後に、ここで待ち合わせをするなら、その後も行動し易いと思いますが」
流の提案を聞きながら、啓司は頷き「じゃあ、そうしよう」と、コーヒーカップの場所をパンフレットで見ている。彼女達は、流の顔を見ていたが、流は知らない顔をした。
「よし、行こうか」
啓司が立つと、二人とも立ち上がった。流は、一番最後に立ち上がる。四人は、広場のゴミ箱に、ドリンクのカップを分解して捨てた。何処のテーマパークであれ、エコを気にしている。人間の時間軸内に存在するエコではあるが、やらないよりマシな行為である。ゴミ箱への音が終わり、啓司の後を付いて三人は歩いた。
屋根が見えてくると、コーヒーカップらしき乗り物へ、四人は徐々に近づいて行く。その間、家族連れや、恋人同士とすれ違いながら、遊園地の空気感を、一番後ろから流は楽しんだ。千春と瑠奈は、何やら話をしていたが、その二人以外、内容は預かり知らない。
辿り着いたコーヒーカップの入口に、人の列は少なかった。小さな子供連れの家族が多い。これならば、直ぐに乗る事が出来る。
四人は列に並んぶと、券を取りに来た係員にフリーパスを提示した。首にかけるタイプであるから、出し入れなどは必要無い。それを確認して貰うと、コーヒーカップの一つへ、四人は案内された。係員が、忙しなく動いて、自らの仕事を全うしている。
その光景を見ながら、コーヒーカップに着席をすると、啓司が流と目を合わせ、ニヤリとした。流は、それに納得して頷く。それぞれの隣に座った千春と瑠奈は、なんだか嫌な予感がした。千春が、「ちょっと」と、何やら注意をしようとした時に、ベルが鳴る。係員の動きは早かった。マイクでスタートの音頭も取る。
遊具全体が、ゆっくりと回転し始めた。それぞれのコーヒーカップも、ゆったりと公転しながら自転する。子供が「ぐるぐるする」と、楽しげな声を上げて、一緒に乗った家族と笑い合っていた。外側から、家族が乗ったコーヒーカップを見て、カメラを向けている人も居る。
そんな中の一角。自転が物凄く早い、一つのコーヒーカップがあった。四人が乗ったコーヒーカップである。流と啓司が、カヌー競技のように息を合わせて、回転させているのだ。瑠奈と千春には、横線を多く描いた風景が見えているに違いない。遊星歯車機構を、遊具に用いた場合の楽しみ方ではある。必死に回転させる彼等の横で、彼女達は、「あぁぁ」という声を頻りに出していた。合わせて、音楽も鳴っている。四人には、何の曲か分からない。そもそも、気にしていない。
音楽が終わると、彼等の回転させていたテーブルが重くなる。二人は、終わりなのだと分かり、手を離して緩く腰掛けた。終わりが分からないほど、彼等は、夢中で回していたようだった。
コーヒーカップは、ゆっくりと動きを止める。家族連れのガヤガヤした声と、たまにある甲高い声が聞こえてくる。
「やってくれたな。初っ端から」
千春の低い声がすると、流と啓司は笑う。瑠奈は、息を吐きながら、流を見る。少し涙目だった。コーヒーカップは、その可愛さで目眩しになっているのだが、人体にかかる負担が、なかなか大きい乗り物なのである。
「流さん。さっきのバニラシェイクを、もう一度、味わう事になるとは思いませんでしたよ」
また息を吐きながら、瑠奈は流に言った。そんなにかなと流は思ったが、瑠奈の身体を把握できる程、一緒には居ない。
「ごめん、ごめん。次は、ミラーハウスかお化け屋敷にしよう」
そう言って、流は立ち上がる。啓司と千春は、もうコーヒーカップから降りていた。
瑠奈も立ち上がると、少しよろめいたから、流が手を取りながら、コーヒーカップから降りる。出口へ向かいながら、二人は、まだ手を繋いだままだった。
流が手を離そうとした時、一瞬だけ、瑠奈に力を入れられたからである。流は、離すに離せなかった。それが、少しおかしくて、離すタイミングを先延ばしにした。
四人は、コーヒーカップの出口から遊具の外へ出る。邪魔にならない所に集まると、時計を見た。時計は、十三時四十五分を指していた。
千春は、手を繋いでいる二人を見ながら、複雑な気持ちになる。綿飴に、パチパチする飴が入っているような、よくわからない気持ちだった。目の前に、それがあるという時の感じ方は、これがあるから勉強になるのかもしれない。
旧友だからという形で理由を作って、千春は、その気持ちを直ぐに有耶無耶にした。対外的には明るいと受け取られるタイプだが、明確な気持ちを作れないタイプの人間でもあるからだ。何処かへ流されてしまうから、よく分からない形と添い寝する。結果が悪かろうと、ポジティブに受け取りながら、本心は後悔しているのだ。誰にも見えないから、それを繰り返しているのが、千春という人間だった。
「じゃあ、四時に、さっきの休憩所に集まろう」
啓司は千春の手を取った。瑠奈と流は、啓司の言葉に返事をして、パンフレットを片手に、地べたを這いずる遊具へと歩いて行った。
それを見て、啓司と千春も、空が近い遊具へと歩く。千春は、一瞬、振り返ったが、振り返った理由が分からず、啓司に笑顔を向けた。さっき作った気分に、嘘は無い。二人が歩いて行く先には、バイキングが近づいてくる。一緒に、それに乗るつもりなのだ。バイキングは、振り子運動の遊具である。青い空を見上げるには、丁度良いかもしれなかった。
流と瑠奈の向かった、パンフレットに書いてあるミラーハウスの建物は、園内の左隅っこの方にあった。ここまで歩いて来る人は、なかなか居ないのだろう。辿り着くと、直ぐに中に入る事が出来た。
係員に注意事項を聞き、「どうぞ」と手も交え、スタート地点へ通される。二人は、そんな物静かなミラーハウス内を、手を繋いでスタートした。
「ジェットコースターに乗りたいみたいだったけど、僕に付き合って良かったの?」
取り敢えず、流は聞いた。仕向けたのは流自身だが、何も言わずに、そのままにしておくのは、卑怯な形であったからだ。
「いえ、これはこれで、ドキドキするので良いです」
鏡には、手を繋いだ二人の姿が、柔らかく映っている。そして、ここはミラーハウスだ。殆んどの鏡に映り込み、数ある事実のように、それは瑠奈に届いていた。
「それなら、良かった」
微笑みながら、淡々と、流は歩き進める。流にとっては、ただの現象だったからだ。何故、ドキドキしているのかも把握できているのだが、感覚として、特に興味が無かった。あるとするなら、繋いだ手の感触の方である。
だが、瑠奈は、流の反応には、気づいていないようだった。普段の状況なら気づいただろうが、心情の表面張力が無くなっている。自分の感じている事を楽しむのに、夢中になっているのだ。それを、誰にも伝えないようにするだけで、手一杯でもある。
そうやって、楽しむ方向が違う二人は、お互いに干渉し過ぎずに、ミラーハウスの真ん中辺りまで歩いてきた。ゆっくりと、目が慣れてきて、区別がつかなくなり始めている。改善の慣れと、改悪の慣れが、世の中にはあるものだ。
「こっちは、行き止まりだよ」
「じゃあ、こちらですね」
当たりをつけた瑠奈は、勢い良く、一歩を踏み出した。右足の踵が、床に着こうとする。
違う。
一瞬の反応。
流は、自らの判断を信じて、瑠奈と繋いでいる手を引っ張った。瑠奈の身体は、その力の方向へと軌道が変わると、半周回って、流の身体に収まる。
瑠奈は、「えっ」と微かに声をあげた。背中に、手が添えられている感触もある。そして、それが映っている鏡を、一瞬だけ目にしてもいた。ちょっと良いかもと、瑠奈は思った。こういう物を、ラッキーと呼ぶのだろう。
「そっちは、違うよ」
瑠奈の上から優しく流が言うと、背中に添えていた手も、繋いでいた手も離して、瑠奈の行こうとしていた方を確認した。瑠奈の手は、少し寂しくなる。
「うん、やっぱり違う。じゃあ、こっちだね」
「そうですね、危なかったですよね」
「手から歩いた方が良いよ」
両手を前に出しながら、流は、歩いて見せる。瑠奈は笑うと、「ゴールまで、それで行きますか?」と言った。良いよという表情で、流は瑠奈を見る。
「ミラーハウスには、ゾンビが居るんですね」
「成らざるを得ない」
二人してクスクス笑うと、ミラーハウスの残りの道のりを、ゾンビのように歩き廻った。三回ほど、行き止まりを引き返しながら、何とかゴールを迎えて外に出る。ミラーハウスの中が明るかった所為か、外に出ても、太陽の明るさとの違いは、さほど大きく無かった。温度差の方が、大きかったくらいだ。
「次は、何処に行く?」
「お化け屋敷で、お願いします」
「お化け屋敷、嫌いって言わなかった?」
「克服できそうな気がするので」
二人は歩きながら話をした。途中で、園の反対側にお化け屋敷がある事に気付いて、ゴーカートを間に挟む事にする。身体は、即かず離れずの距離で、会話は弾んだ。瑠奈の語尾は、たまに変わりながら、流を楽しませた。開いたり、閉まったりする扉みたいに、それは可愛らしい。
流は、その扉の開け閉めが気に入った。何だか、子供の頃を思い出すからである。その柔らかい雰囲気が、不思議と、好きになれそうだった。
赤いゴーカートが、爽快に走り抜ける。春の風と共に、二人の目に入ってくる。
ゴーカートも、家族連れが多かった。瑠奈は、五歳くらいの子供を、一人連れた家族ばかり、じぃっと見ている。流は、女の子だからなと思いながら、ゴーカートの列に並んでいる。
「可愛いですよね。私も欲しいな」
「まずは、相手からじゃないの?」
「あぁ、そうですよね」
瑠奈の返事は、少し間があった。何かあるのかもしれないと、流は、それに触れないように、違う話題を持ち出す。流の甥っ子の話だ。つまり、子供の話題である。瑠奈は、新しい話題に、綺麗に乗っかった。係員が、チケット確認に来るまで、その話題と周りの子供達で話をした。
余程、子供が好きなのだろうと、係員にフリーパスを見せながら、流は思う。そして、その思いを靡かせながら、ゴーカートの運転席に座った。
後ろから、「ぶつけたら、すみません」という瑠奈の声がする。なかなか、走り屋なようだった。
振り返って、流は返事をすると、衝撃に備えながら、細身のハンドルを握った。そして、スタートの合図を待つ。モンシロチョウが、目の前をヒラヒラと飛んだ。春は、陽気な形で、色々な物を目覚めさせて行く。