(3)
二人は、千春達と合流した。流は、軽く啓司に会釈をする。そして、自己紹介が始まった。さっきの自己紹介は練習で、今回の自己紹介が本番であるかのように、三人は普通になる。
「山口、啓司と言います。この中じゃ、一番歳上かなぁ。あっ、伊藤さんとは、面識あるよね」
最後に回って来た自己紹介で、啓司は言った。歳上であるのは確かだが、流には、まだ子供っぽい感じがした。
「そうですね。外で会うと、山口さんは、イメージが大分違いますよね。格好良いですよ」
瑠奈は、少し微笑んで返した。好感の得方を体得しているような瑠奈の行動は、普通の事を嫌味無く言っている。普通の男性であれば、誰もが、比較的簡単に引っかかるだろう。真面目さと緩むという優しさを、タイミング良く使い分ける事は、社会的にも有益である。何方か一つだけではいけないからだ。
「じゃあ、行こっか」
千春が、号令をかけた。流は、ボトル缶コーヒーとガムを取り出すと、それを二人に渡した。
啓司は、「ありがとう」と言いながら、それを受け取る。千春は、流と瑠奈が、同じコーヒーを持っているのに気がついた。ニヤニヤしている。すると、啓司も気がつき「仲が良いね」と、瑠奈へ言った。
困った顔というよりも、照れた顔を見せる瑠奈。流は、女優になれるなと思った。女性は、その感覚を自然に持っている。というよりは、家の中であれ、外であれ、男性側の感覚自体が、頗る低いと言った方が良いだろう。
一連の事柄が終わると、二人づつ、止まっているレンタカーに乗り込んだ。心配だったのか、レンタカー屋の店員が、こちら側を覗いているのが、流には見えた。ゴタゴタしてすみませんと内心思いながら、車を発進させる。
遊園地までは、自由に運転して行く事になった。時間は、大幅にずれない程度であれば良い。目的の場所までは、一時間のドライブで着くが、無理して一緒に行こうとすれば、交通事故にも繋がるからだ。
駅前でのやり取りの際に、瑠奈が注意として、それらを進言し、二人はそれを納得した。流は、元よりそのつもりだったから、二人がなるべく一緒に移動しようとしていた事に、頭の中で驚いた。イベント事で、子供のように居る事は構わないが、中身まで子供になる必要は無い。
「開けましょうか?」
助手席の瑠奈が、流に言った。車が、駅から出た後、国道へ入り、五分くらい走行した所でだった。
「お願いします」
赤信号で止まると、流は運転席のドリンクホルダーから、ボトル缶コーヒーを瑠奈に渡した。それを受け取ると、瑠奈は、カチリと開ける。その音が、静かな車内で、大きめの音になって聞こえた。流は、返って来たコーヒーを、急いで二口ほど飲んだ。急ブレーキで溢れないように、少し中身を減らした方が良い。
前の信号が青になり、車の音が少しだけして、ゆっくりと車体が動いて行く。瑠奈は、開けた蓋を持った状態で、少し困っていた。
「あっ、空になるまで閉めないから、フロントテーブルに置いといて良いよ」
「そうですか、わかりました」
瑠奈は、そう言って、行動に移した。その後、自分の分のボトル缶コーヒーも開ける。二口飲むと、助手席のドリンクホルダーへ置いた。
「どんなルートで?」
流は、聞いた。休日の為か、国道は、いつもより車が多い。
「少し遠回りになりますが、海側を走りますか?」
「そうだね。このままよりは、爽快感がありそう」
「じゃあ、二つ先の交差点を右折して下さい。大丈夫ですよ。補助信号がありますから」
「あっ、ホリデードライバーなのバレてるのか」
瑠奈は、そこで、柔らかく笑った。「顔付きでわかりますよ」と言いながら、「ここで、右の車線に入っておきましょう」と続ける。流は、その指示に従いながら、右車線、右車線と車線を変え、右折ラインに車を動かして行く。赤信号で止まると、ふぅと息を吐いた。
「大丈夫ですか?」
瑠奈が、覗き込んだ形で聞いた。その顔には、不安は無い。車の運転として、ちゃんとしているからである。
「うん、大丈夫だよ。でも、誰かを載せるって、精神を擦り減らすね。タクシーの運転手さんは偉い」
流が率直に言うと、瑠奈は笑った。「良くわかります」と続ける。
「仕事では、いつも私が運転ですからね」
「あれっ、千はしないの?」
「佐藤先輩の時は、私が、運転したいですね」
「そんなに酷いの?」
「路側帯って何?とか、高校生の原付に、歩道を走れって言ってました」
「それは、僕の地元にある自動車学校の教官が、泣いてしまうだろうなぁ」
丁度、信号が青になり、右折の車線にある車が少し進んだ。流は、瑠奈と雑談しながらも、注意を払いながらハンドルを握る。
補助信号機に、右の矢印が出ると、前の三台が右折して行き、流達の車もそれに続いて右折した。二車線になっている。一番左側の車線に、そのまま入った。「後は、真っ直ぐです」と、瑠奈がナビゲートする。
「突き当たりになったら左に曲がれば良いのかな?」
「そうですね。海沿いの道ですが、左側にはコンビニもありましたし、休憩が出来ると思いますよ」
「そっか、ありがとう。やっぱり、いつも電車ばかりじゃ駄目だね」
「うーん。 自由な感じで遠出するなら、車ですけど、維持費は馬鹿になりませんから。個々人の趣味によると思いますよ」
「そんな物かな。まぁ、そうだね。それにしても、向こうは大丈夫かな?」
「山口さんがいらっしゃるので、何とかすると思いますよ」
瑠奈は、そう言ってコーヒーを飲んだ。流も、漸くちょこちょこと、飲める感じになってきている。
車は、突き当たりを左折すると、海沿いの道に出た。窓を開けると、軽く潮風が入ってくる。あの香りと合わせて、海での思い出話や、趣味や興味、好物の話などで、車内の二人は盛り上がった。
四十分後、緑色の看板があるコンビニに寄る。車が走行し始めて、五十分は経っていた。遊園地までは、このコンビニから十五分くらいだろう。
「私は、トイレに行って来ますね」
「じゃあ、煙草吸っとくよ」
目の前に見える、コンビニの灰皿を見ながら、流は答えた。瑠奈は、「はい」に笑顔という返事をすると、空になった自分のボトル缶を持って、車を降りる。視線の先には、外に置いてある空き缶用のゴミ箱があった。
このコンビニは、大型車両もとめられるくらいに、駐車場が広い。利用者側の利便性を考えての事だろうし、店内には無いゴミ箱も同じ理由だろう。変な輩が居ない事も、大きな理由かもしれない。
助手席側のドアが閉まると、流も、後に続いて運転席から降りた。流の手にあるボトル缶には、まだコーヒーが入っているが、煙草を吸いながら飲み上げる事が出来るだろう。
ドアを閉めると、流は、車の鍵にあるボタンで、車にロックを掛けた。ピッという反応と、ちょっとした点滅がある。少し身体を伸ばした後、直線的に、設置されている灰皿へと向かった。コンビニ店内の様子が、歩きながら窺える。一番右側にあるトイレには、三人ほど並んでいて、その一番後ろに瑠奈が並んでいた。丁度、灰皿の場所と重なる位置である。
流は、灰皿の前まで来ると、胸ポケットから煙草を取り出して、口に咥えた。ズボンのポケットから、オイルライターを出すと火を付ける。一息吐くと、いつもよりスッキリしていくのが分かった。やはり、ストレスを感じていたらしかった。慣れない物事は、煙草の立ち位置で何と無く分かる。だからか、煙草とは一心同体だと、流は強く思えた。持ち物では無く、自分自身なのである。
三口目を、流が吸っていると、店内に居る瑠奈と目が合った。手で合図をされ、流も煙草を持っている手をあげる。照れ臭いなと流は思って、手に持っているボトル缶コーヒーを一口飲んだ。
流が一本、煙草を吸い終わると、トイレから二人、女性が出て来て人が入れ替わる。それを見ながら、流はもう一本、煙草に火を付けた。それを、ふぅっと吐いた時だ。「トイレ、トイレ」と男の子の半べそな声が聞こえる。いつの間にかとまっていたワゴンから、降りて来た子供の声だった。一緒に車を降りた母親が、その子に付き添って店内へと入って行く。
親子は、一直線にトイレへと向かうと、トイレ待ちをしていた二人に、何やら話をして順番を譲って貰っているようだった。瑠奈は、当然のように譲っているのだが、その前の女性も、同じように笑顔で譲っている。すると、トイレに入っていた男性が早々と出て来た。母親は、二人に頭を下げながら、先に男の子とトイレに入って行く。
瑠奈は、前の女性と、ちょっとしたやり取りが出来た為か、二人で話しをしているようだった。
三本目に、流が火を付けた頃、親子が先に出て来た。男の子が、お礼を言っているのだろう。二人は、何やら、朗らかな笑顔になって、男の子の母親と話をしている。その様子を見ながら、流は、このやり取りが見れている内は、色々と頑張るべきだろうなと思った。人間の下手くそな言い訳ではあるが、言い訳している内が花でもあるからだ。
煙草の火を消すと、飲み上げたボトル缶コーヒーに蓋をして、流は、ゴミ箱に捨てに行った。すぐに、灰皿の位置へと戻る。店内には、トイレ待ちの列が無くなっているのが、横目に分かった。もう一本いけるかなと思い、流は煙草を咥えて火を付けた。煙が潮風に揺らいで、暫く、遠くを見つめる。海のラメが、今日はお喋りだった。
煙草が、吸い終わりの長さになった所へ、瑠奈が、ペットボトルを二つ持って店外に出て来た。コンビニのあのテープが、商品バーコードの上に貼ってある。「わぁお」の後に、「はい、どうぞ」と瑠奈は、流にペットボトルを渡した。グレープ味の炭酸飲料だった。
「ありがとう。それで、何が、わぁおだったの?」
流には、瑠奈の反応が分からなかった。何かを見たのだとは、推測する事は出来るのだが、明確では無い。
「いや、アレを見てしまったので」
瑠奈は、もう一度同じ物を見ている。煙草の火を消すと、流も、瑠奈が見ている方向を見てみる。人の往来が多い所で指差しなどは出来ないから、流は発見出来るか分からなかったが、意外にも、それは簡単だった。
真昼間、コンビニ駐車場のど真ん中にとめた車の中で、濃厚なキスをしている恋人同士が居たからだ。人類の一コマに出て来そうな、フルスイングした光景である。
「わぁお」
流は、瑠奈の反応を反芻する。その横で、流を見ながら、瑠奈は楽しくて笑った。
その後、二人は特に何も言わずに、すぐに車へ乗り込んだ。いや、何かに、乗り込めと言われたのかもしれない。
「どう思います?」
ペットボトルの蓋に苦戦しながら、瑠奈が聞く。流は、顔で合図を送りながら、瑠奈からペットボトルを受け取って開けた。それを渡しながら答える。
「と、言いますと?」
「なかなかだとは思いませんか?普通はしないですよね」
言い終わると、瑠奈は、炭酸飲料を少し鳴らしながら飲んだ。遅れて、林檎の香りが流の鼻に届く。
流は、自分のペットボトルを開けると、それを飲んだ。グレープの炭酸飲料は、流にとって、久しぶりの感触だ。美味しいと思いながら答える。
「異世界ですからね。あそこは」
「二人だけの世界って事ですか?」
「うーん、少しだけ、違うかもしれないけどね。あそこまで出来るって事は、お互いに何かの相乗効果を発揮している筈だし」
そう言いながら、流は、エンジンを掛けて「発車します」と付け加えた。瑠奈は、シートベルトを確認してから、「どうぞ」と答える。
車は、バックで左に曲がり、県道への出入り口へと向かう。左にウィンカーを出すと、丁度空いた所で、県道へと上手く入る事が出来た。流の運転は、スムーズになっている。
「でも、私達とか、他の人も居ますよね」
さっきの続きを、瑠奈は話したいようだった。流は、それに付き合う事にする。
「あぁ、なっているとね。周りは、野生動物か、何かになっていると思うよ。見た物が、自分とは違う生き物でも、特に危害を加えて来ないなら、無視するのと同じだから」
「うーん、感覚として、持って無いんですけど。私は」
「普通はそうだよ。片方だけでも、あぁはならないからね。どちらかが、自分の現状を俯瞰で見てしまうから。あの二人は、どちらも、それをしない。いや、出来ないと言った方が良いのかな」
「出来ないんですか?それって、困る気がするんですけど。自分の現状を分かっているから、色々と対応が出来るのに」
「でも、色々と対応しちゃうから、裏目に出たりもするよ。冷静って事は、我武者羅な一歩を踏み出せません、って事でもあるからね」
いつの間にか、観覧車が大きくなっているのに、流は気づいた。それくらい、話に夢中になっていたようだ。今日会った人に、恋愛観を語るなんて、と流は思う。恥ずかしい事では無いが、広げる物でも無い。
「我武者羅って必要ですか?」
暫く考えてから、瑠奈が言った。実に、今らしい考え方である。流は、丁寧に、答えようと思う。こんな話は、なかなかする事は無いから、流にとっては、面白い事なのである。
「関係を続けるなら、必要だね。一人分の困難に立ち向かえる人が一人居たとして、そういう人達が、カップルやパートナーとして二人で居るんなら、必要は無いかもしれないけど。でも、必ずそうだとは言えないからね。それに、お互いがお互いを、補おうとするのが正しいとされているから、両方に困難が来た場合、一人分の困難を持った状態で、相手の分の困難も考えなきゃいけないし、行動しなきゃいけなくなる。その状態は、誰であっても我武者羅だと思うよ」
「あぁ、そうですね。ずっと一緒に居るって、そういう事ですもんね」
瑠奈は、深い納得をしている。過去に何かあったのか、うんうんと、首を縦に動かしていた。
「あれをね、バカップルなんて言うのも、いただけないかな。好きな相手に対して、お互いが我武者羅に出来るから、作り出せる空間というか、世界だしね。だから、あぁいうのに対して馬鹿にしてしまうって事は、それが出来ない自分に対して、自らの整合性と正常さを言いたいだけだし。単なる言い訳だよね」
「なるほど。流さんは、しっかりと考えていますね。つまり、流さんには、出来ないって事ですね」
「うん、その通り。残念ながらね」
流は、軽く笑った。瑠奈も、軽く笑う。話の流れと時間が、穏やかに意味合いを共有できている。
「それは、冷静に分析しているからですよね。流石、先輩のご友人です」
「この程度の話しか出来ないからね、申し訳ないけど」
「いえ、充分、楽しいです」
車は、左折のラインへと入って行った。遊園地は、走行中の県道を左折して、国道とぶつかる交差点を直進し、その先の左手にある。流は、ウィンカーを付けて、左折をした。後は、道なりである。
瑠奈は「もう着いているかな」と、始めてスマートフォンを取り出した。が、連絡が来ていない事を確認すると、直ぐにバックへと戻した。
「何もなかったの?」
「そうですね。取り敢えず、駐車場に入っておきましょうか」
流は、「うん、そうだね」と返事をする。
遊園地の大きな看板が、二人の目に入ってくると、周りは、その雰囲気に変わった。車は、案内標識に従って、第一駐車場と書かれた駐車場の出入り口へ入って行く。駐車場内は、休日の効果で空きが無いらしく、警備員に第二駐車場を勧められた。一旦、元の道に戻ると、第二駐車場の看板を探して走行する。
一キロほど移動して、「あっ、あそこですね」と、瑠奈が反応した。流は、ウィンカーを出して、その看板のある出入り口へと入って行く。第二駐車場も、満車では無いにしろ、空きが少なかった。流は、駐車場内をぐるりと回って、漸く見つけた場所に車をとめる。
「お疲れ様でした」
瑠奈が、柔らかに言った。これから疲れるかもしれないが、区切りとしては丁度良い。流も「お疲れ様でした」と言い、シートベルトを外した。
二人は、車内から辺りを見渡して、大体の方向を掴んだ。それから、連絡を取ってみる事にした。
「あれ?佐藤先輩、出ないなぁ」
言いながら、瑠奈は、流の顔を見る。やっぱり、何かあったのかと、流は溜め息を出して見せた。
「仕方ないね。じゃあ、番号を交換してから、降りようか。探さなきゃいけなくなったら、不自然じゃない様にしなきゃいけないし」
「さっきのコンビニで、交換していれば良かったですね」
「あれはあれで、面白いイベント事だったからね」
二人は、スマートフォンを取り出すと、番号とアドレスを交換した。瑠奈が、少しだけ嬉しそうな様子だったから、流は良い関係になる事を、頭の隅で少しだけ期待をした。ミラー効果を、こうやって使えたら、どれだけ良い事になるだろう。時として、人は大袈裟である。
ペットボトルを空にすると、二本のペットボトルの空を流が持ち、二人は車から降りた。忘れ物が無いかを流が聞く。瑠奈は、直ぐに大丈夫ですと返したから、流は車の鍵を閉めた。
遊園地の駐車場は、春とは思えないほど、温かだった。暑い寄りの温かさだ。レンタカーのフロント側で、二人は、一緒になって歩こうとする。だが、その進行方向に目をやると、大の大人が、車の周りを追いかけっこしているのが分かった。誰かも、同時に分かる。
「私、遊園地のチケットすら買って無いのに、既に遊園地の中に居る気分です」
「あぁ、その感覚は、間違って無いよ。取り敢えず、無料のアトラクションに乗りに行こうか」
瑠奈は、無料のアトラクションに笑う。そして、空いている流の左手に、軽く腕を組んだ。流は、その行動に少し驚いたが、もう始まっています、という感覚を瑠奈と共有する。二人は、その状態で、大きな子供である二人の元へ、歩いて行った。