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(2)

 キッチンに、焼けたベーコンの香りが広がる。少し方向を変えれば、トースターで焼けたパンの香りに変わった。そこへ、ドリップコーヒーの香りが、上書きされる。

 あれから、小一時間ほど経っていた。午前七時前だ。午前八時に家を出れば、余裕で間に合うだろうと、流は、先にシャワーを浴びてから朝食を作っている。湯上がりで着ている部屋着は、夜に着るつもりだった為、汚さないように気をつけていた。



 コーヒー四杯分のドリップが終わると、七時十分になる。流は、キッチンのテーブルに並べた朝食を食べ始めた。二枚の食パンは、バターを塗って焼く。そこへ、イチゴジャムを塗ってから食べる。綺麗に焼けたベーコンは、四枚だった。朝から太るメニューではあるが、頭を使いそうな日は、流は、このメニューを食べている。



 十五分ほどで食べ終わると、コーヒーを飲む。勿論、煙草を吸いながらであった。

 それが終わると、流は、片付けを始める。余ったコーヒーは、そのまま冷蔵庫へと入れた。このへんは、無頓着である。キッチンのテーブルは、布巾で綺麗に拭く。急いで食器を洗い終わると、七時半を過ぎていた。

 寝室で、着替えを済ませ、洗面所で色々と整えた。鏡で軽くチェックをして、持ち物を確認する。ハンカチ、財布、鍵。後は、充電中のスマートフォンを取りに行く。



 座椅子近くの充電器に繋がれたスマートフォンが、机の上にポツンと置かれている。流は、タップして充電のパーセンテージを確認した。97パーセントだった。流にとって、許容範囲内だ。充電器から抜いて、ズボンのポケットにスマートフォンを入れると、次の工程である、家のチェックをして行く。ガスは大丈夫だった。戸締りも大丈夫。流は、時計を確認した。午前八時、十分前である。

 唯一付いていた居間のライトを消すと、流は、玄関へと向かう。靴箱から、いつもは履かない靴を出すと、中をチェックしてから履いた。表に出ると、玄関に鍵をかける。カチャっと音がした後、一回だけ開くかを確かめた。流の癖である。



 雀の声が、クリアに聞こえ、朝だなと流は思った。時間帯が、少しずれているから、そう思うのも仕方がない。起きてから、四時間は経っている。

 流は、最寄りの駅まで歩き始めた。この時間帯には、近くの公園で、これ又、近くの住宅に住む老人達がゲートボールをしている。日によって競技が違い、グランドゴルフの時もあるのだろう。公園には、しっかりと用具入れがある。

 それらを見ながら、流は、少しだけ歩くスピードを上げた。



 午前八時頃、流は、最寄り駅に着く。八時十分の電車に乗れば、待ち合わせ時間の十五分前には中央駅に着けるだろう。

 地方だが、余程の事が無い限り、時間通りである。稀に、動物などが原因で、遅れる事はあった。それに、人が含まれていたかは分からない。



 予定通り電車が到着すると、流は、乗り込んだ。電車の中は空いていて、座る事が出来る。

 よそ行きの服を着て、窓の外を見ている女の子が、離れた所に居た。「ちゃんと、座りなさい」と、父親に注意されている。母親は、「お外見ているだけだもんねぇぇ」と、繋いで言う。女の子も「ねぇぇ」と、少し遅れて、母親に合わせた。

 母親の方が甘いのかと流が思っていると、父親が「じゃあ、お行儀悪くならないように、お外、見ような」と言って、立ち上がり、女の子を抱っこした。女の子は、ご満悦の様子だ。外を見ながら、指を指している。これでは、何方が甘いのか分からないなと、流は思った。




 その家族は、中央駅の二駅手前で降りて行く。女の子が、頻りに「おじちゃん、おばちゃん」と言っていたので、親戚の家にでも行くのだろう。

 流は、その家族が降りて行くのを見た後、窓の外を、盲目的に眺めた。見ていながら見ていない、よく分からない状態である。人間の見ている風景とは、きっと、こういう事なのだろう。

 車内アナウンスで、流はハッとなり、急いで降りる準備をする。電車は、中央駅のホームに、ゆっくりと雑魚寝した。扉が、独特な音を立てて開く。



 流は電車を降りると、取り敢えず、改札の外に出た。時間は、午前九時十五分だ。連絡を取ろうと、千春に電話を掛ける。三回目の呼び出し音で、千春は電話に出た。



「もしもし、ドラドラ」



「駅に着いたよ。何処に居る?」



 流は、スルーした。千春は、それを感じ取る。



「レンタカーがある方、分かるかな?」



「あぁ、分かる。行けば、居るんだろう」



「うん、分かると思うよ」



 千春は、そう言って笑った。千春が運転するのだろうかと、流は考えたが、少々恐怖を覚えた為、考えないようにした。



「じゃあ、切るわ」



 電話を切った流は、駅の駐車場側にある、レンタカー屋の方へ歩いて行く。店舗の前に、貸し出し用の車が、二台ほど止まっているのが、遠目でも分かった。その車に付いているナンバープレートの数字が、何と無く分かる距離まで歩いて行くと、此方側に気づいて、物凄く手を振ってくる人物が流の目に入ってくる。千春だった。顔は、まだはっきりとは分からないが、明らかに千春だと言える。たまに、俗に言う「おばさん」的な行動を、千春はしてしまう。その癖は抜けていないのだなと、流は、顔を柔らかくした。



「おはよう、ドラ」



 千春は、挨拶をした。流にとっての、挨拶テリトリー外からの声に、流は少し面食らったが、軽く右手を挙げる。まだ、挨拶を返すには遠い。自らの範囲内にまで来ると、「おはよう」と、流は、千春に挨拶をした。



「んで、どうなってんの?」



 流は、千春に聞いた。千春は、ショートパンツから、すらりと出ている足の右太もも裏を掻きながら、流の話に「えっと…」と答えようとしている。

 そこへ「佐藤先輩、酷いです」と言いながら、眼鏡をかけたショートカットの女性がやって来た。レンタカーの鍵だろうか。彼女の手に、揺れて光る鍵が二本、流には見えた。



「ごめん、ごめん。で、いくらだった?」



「コンパクトタイプの乗用車二台で、大体、二万円でした。私、財布の中身が飛びましたよ。やっといてって言って、出て行っちゃうんですから」



「いや、ほら、迎えに行かなきゃいけなかったから。ちゃんと、今払うよ」



 そう言って、千春は、リュック型のバックから財布を取り出すと、二万円を彼女へ渡した。彼女も、財布をバックから取り出すと、それを受け取る。代わりに、領収書を千春へ渡した。それを見ながら、「釣りは取っとけ」と千春は言っているが、「当たり前ですよ」と彼女は言い返している。良いコンビのようだ。

 流は、二人のやり取りを見て、何と無くだが、話がわかってきた。やはり、変わらないなと思い、千春へ視線を移す。千春は、それに気づいて、はいはいという様子で、紹介を始めた。



「彼女は、伊藤瑠奈ちゃん。恥じらい過ぎる二十五歳。私とは、いさかんコンビで、会社では有名なんだよ」



「先輩。紹介内容が、少し変です」



 真面目に受け答えをする瑠奈に、流は、名前からのイメージは、イメージに過ぎないなと感じた。それは、流の中で、新しい感覚だったので、今日は楽しめるなと嬉しく思う。

 千春は、瑠奈の反応に「別に良いじゃん」と返答し、瑠奈の更なる真面目さに晒されている。が、直ぐに、流の紹介へと移った。



「瑠奈りんに紹介しよう。この男は、早崎、早崎」



 途中から、何故か、小さな声になった。最終的に、千春は、瑠奈の耳元で話をしている。



「私は、ドラって呼んでいる。本当は、猫型ロボットと同じなの」



「えっ、漢字で衛門って付くんですか」



 瑠奈が、驚いた声を流へ向ける。そんな訳が無い。だが、あまりにも真面目なトーンで言われたので、流は、我慢出来ずに吹き出した。



「違うよ。よくよく考えて見て。伝統工芸品でも作ってないと、それを名乗る事は無いし、それに本名は絶対違うよね。僕の名前は、早崎流って言うんだ。だからさ、千が。いや、千春さんが、あだ名でドラって呼んでるだけだよ」



 流の説明に、瑠奈は千春を見る。またですか、というオーラが垣間見えた。千春は、それは気にせず、何故か縮こまっている。



「ドラが、千春さんなんて言うから、鳥肌が立った」



 千春が、袖をめくって、鳥肌を流に見せながら言う。誰の所為だと、流は思ったが、これ以上拗らせると、話が前に進まない。



「で、どうなっているのかな?」



 小脇で、未だに反応している千春を横目に、流は聞いた。瑠奈は、流がまともな人なのだと分かると、千春を無視して、流に説明を始める。



「ここから、レンタカー二台で、遊園地に向かいます。私と流さん、佐藤先輩と啓司けいじさんで別々の車です。その移動の間に、私と流さんは、しっかりとコミニュケーションを取り、付き合って三カ月くらいの状態にします。遊園地内では、その都度、佐藤先輩が指示を出すようになっています。現在の所、以上です」



「なるほど、わかった。的確な説明、ありがとう。それで、彼氏はいつ来るの?」



 瑠奈に礼を言うと、流は、千春の方を向いて聞いた。千春は、いつの間にか、スマートフォンで話をしている。猫撫で声の「はぁーい」で、電話を切ると、「もうすぐ、改札出て来るって」と、二人に言う。やはり、時間は、少しずらしていたかと、流は思った。



「瑠奈さん。飲み物、買いに行こうか?」



 流は、ただ待っているのもあれだと思い、瑠奈を誘う。瑠奈は、「あっ、はい」と返事をすると、千春に、飲み物の好みを聞きに行く。その様子を見て、流は、しっかりした子だなと好感を持った。

 瑠奈が、流の元へやって来ると、二人は、駅に併設してあるコンビニへと向かう。後ろで、千春は、ニヤニヤしながら手を振った。全部、上手くいけば良いのにと、千春は思う。けれど、そうはならない気が、千春にはしていた。



 コンビニの自動ドアが開くと、あの音がなって、店員の声が聞こえる。二人は、右回りに歩くと、飲み物の棚に向かった。



「ブラック一つに、カフェラテ系二つ。流さんは、何がお好きなんですか?」



 瑠奈は、店内にある籠を手に持って、流に聞いた。流は、その籠を取りに行こうと頭に浮かんでいたから、瑠奈の行動にポイントをプラスしながら、「僕もカフェラテかな」と答えた。



「そうなんですね。あっ、これ美味しいんですよ。私は、これにしよう」



 そう言いながら、瑠奈は、扉を開けて一本取る。



「そうなんだ。じゃあ、同じのを、もう一本お願い」



 流は、瑠奈に声かけた。試してみるのも、こういう日には合っている。瑠奈は、それに反応して、同じのを二本取って籠にいれた。



「後悔しないですよ。流さんも、好きになっていただければ、嬉しいです」



 瑠奈は、そう言って、雰囲気を柔らかくする。微妙な違いだが、流には、それなりにわかった。

 千春の分と、啓司の分を手に取ると、瑠奈は、レジへと向かおうとする。こういった買い物では、目的の物以外に、目を向けないタイプのようだ。

 流は、それを納得しながら着いて行く。途中で、辛めのガムを二つ手に取ると、既に一本目をレジに通している籠へと入れる。



「932円です」



 店員が言った。瑠奈が財布から出そうとするので、流は、それを止めてから、自らの財布で支払う。払うとはいえ、携帯会社のプリペイドカードでだ。店員から、カードを先に受け取り、次に、レシートを受け取る。

 流の支払いが終わり、二人で店外へ出ると、少しだけ歩いた所で、「ご馳走さまです」と瑠奈は言った。この点も、流には、良い形であった。第三者に知らせずに、二人の中だけで、やり取りをしているからである。店員には、ある程度、分かっている事ではあるが、他の客には分からないのだ。普通は、他人なんか気にしないだろうが、誰かの話のネタにされているとしたら、尾ひれが付いた数だけ嫌だろう。



「どういたしまして。千の我儘に付き合っているのだから、これくらいはしないとね」



 流は、千春の元へ歩きながら言った。買い物袋は、流が持っている。たまに、ビニールの音がした。



「二人は、どのような関係なのですか?」



 瑠奈は、流の横を歩きながら聞いた。二人のやり取りだけでは、わからなかったのだろう。もしくは、変に勘繰っていたのかもしれない。



「高校時代に、大分、仲が良かったくらいの関係だよ。友人?いや、親友に近いかもしれなかったね。今は、時間が空いているから、違うかもしれないけど」



 流は、丁寧に答えた。瑠奈は、それに納得しているような、していないような顔をしている。普通は、そうかもしれない。大抵の場合、男女の友情は、あり得ないとされているからだ。



「恋愛感情がありそうって、顔に書いてあるよ」



 流は、少しつついた。瑠奈は、実に分かり易い。真面目な人は、顔に出易いからかもしれないが。



「やっぱり、顔に出るんですよね。そこだけは、どうしても治らないんです」



 瑠奈は、困り顔で言った。流は、つつき過ぎたようだと反省する。直ぐに、「ごめん、ごめん」と繋げた。瑠奈は、クスクス笑いながら言う。



「というのは、嘘です。佐藤先輩から習いました」



「変な事を教えているんだなぁ。千のやつは」



「取り引き先に行く時に、使いなさいって言われましたけどね」



「僕とは、どんな取り引きをするんですかね」



「さぁ、まだ、わかりません」



 二人して笑った。瑠奈は、流に対して、大分、慣れた顔になってきている。

 流は、これなら、車中でも楽しく過ごせると思った。煙草も、途中で吸いたくなる筈だからだ。流石に、レンタカーの中で吸うわけにはいかない。それに、言い難く無い雰囲気の方が、煙草だけではなく、トイレ休憩も取り易いだろう。遊園地までは、距離もある。



 その後、二人は、雑談しながら歩いて行った。千春の姿が見えて来る。その横には、男性の姿が見えた。



「来ているみたいですね」



 瑠奈が言った。真面目な顔になっている。



「なんとかするしか無いけど、どうなる事やらね」



 流が言うと、瑠奈が、ちらっと流の顔を見た。その後、ずっと見ている。「どうしたの?」と、流が聞いた。



「いえ、頼もしい方で良かったです」



 瑠奈は、笑顔になった。流は、良く分からず頭を掻くと、また、瑠奈に雑談を振ってみた。瑠奈は、それに反応して、笑ったり真面目になったりと、表情を変える。そんな形が、久しぶりな感覚と合わさって、流には嬉しかった。しかし、その感覚を思い出しては、思い出を上書き保存しているのに気がついて、内心では苦笑していた。









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