ただの板、だったのに
パアッと明るく輝く笑顔。
さっきまで泣きじゃくっていたとは思えない。
『嘘泣きだったんじゃないか』とさえ思わせる、サフィの豹変振りに。
戸惑いながらもヒィは、背中に担いでいる剣を抜く。
そして両手持ちで、胴の前にチャッと構え。
正方形の黒金属板と向かい合う。
ワクワクした顔付きになっているサフィ。
少し離れて、様子を見守るドワーフ達。
その少し前からの動き。
変な金属音が、長の屋上から聞こえる。
何やら、これから始まるらしい。
そんな噂が、一遍に町中を駆け巡り。
屋上にも、他のドワーフ達が集まって来る。
入りきらない者達は、せめて立ち合い人に成りたいと。
屋敷の周りをぐるりと取り囲む。
その数、数千。
それ程の関心事。
後ろから、建物の下から。
聞こえて来る歓声に、ドキリとするヒィ。
変なプレッシャーが掛かりそうだが。
それも、サフィの怪しげな微笑みで打ち消された。
最後、念を押す様に。
ヒィがサフィへ尋ねる。
「なぞるだけで良いんだな!」
「ええ!早くやっちゃって!あんたの凄さを、『バーン!』と周りに見せつけるのよ!」
凄さなんてどうでも良い。
なぞるだけで、この場が収まるなら。
ええい、ままよ!
ヒィは剣の切っ先を、板の右上辺へと向ける。
そして『カシン!』と、縦線の始まりへと押し込み。
左斜め下へ、『シュッ!』と剣先をスライドさせた。
勢い余って、屋上の床へとぶち当たる剣先。
僅かに傷を付けてしまった。
慌ててモンジェの方を振り返るも。
『気にせんで良いよ』と言った風に、ニコッと笑うだけ。
ホッとして、背中に剣を仕舞うと。
板をジッと見るヒィ。
なぞっただけなので、何も起こる様子は感じられない。
変化は無い、当たり前だ。
どうだ、これで満足か?
サフィの顔を見ると、右手を口に添え『ふふふ』としたり顔。
まあ良いや。
これで、俺の役目も終わりだ。
とっとと、〔フキ〕へ帰ろう。
まだ、暮らしの準備が全然出来ていない。
そう思い直し、くるりと向きを変え。
板を背にする。
見物人達も、拍子抜け。
金属を擦る音しかしなかった。
板が切れた様子も無ければ、倒れる様子も無い。
詰まんないのっ。
事態も、また振り出しか……。
皆、失望の色を顔に浮かべる。
最早誰も、板に関心を示していない。
ただ、サフィだけは。
待っていた。
その時を。
そしてそれは、間も無く訪れた。
ギュンッ!
周りの光が、一斉に板の縦線へと吸い込まれた様な感覚。
一瞬、辺りが真っ暗に。
その後、縦線から。
ビカァッ!
虹色の輝きが放出され、地下空間全体に万遍無く行き渡ると。
ふわふわと、板が浮き上がる。
それは、屋上から数メートルまで上昇すると。
ビュンッ!
町を囲む土の絶壁の何処かへ、勢い良く飛び去り。
辺りに、どでかい音が轟く。
ドーーーーーーーーーンッ!
「な、何だ!? 何だ!?」
「うわああぁぁぁっ!」
「ひいいぃぃぃぃ!」
頭を抱えて蹲るドワーフ達。
物凄い地響きと共に、空間を揺さぶる強い衝撃が。
町全体を襲う。
数秒経って、それ等は収まったが。
何が起きたのか、誰も理解出来ていない。
ただ1人、ガッツポーズを取っている人間の少女を除いて。
「やったわーーっ!成功!成功よーーーっ!」
「な、何が成功なんだ?ちゃんと説明しろ!」
よろけそうになりながらも、何とか耐えたヒィ。
日頃の鍛錬の賜物だろう。
お陰で、板が何処かへ飛んで行く所までは確認した。
板が有った場所をピョンピョン跳ね回り、喜びを爆発させているサフィが。
何もかも知っている。
その思いが、確信へと変わる。
「今度こそ聞かせろ!あれは何だったんだ!俺に何をさせた!」
はしゃいでいるサフィの両肩をガシッと捕まえ、こちらへと強引に振り向かせるヒィ。
それはもう、『はっきりさせるまで、絶対に離さんぞ!』と言った剣幕で。
「いやん。痛ーい。」
てへ。
照れ顔で誤魔化そうとするサフィ。
しかし。
ヒィの背中越しに見えるドワーフ達の、怪しむ目付きに圧倒されて。
『ふぅ』と一息吐いた後、サフィは言い切った。
とんでもない事実を。
「あれはね、【ゲート】なの。あちこちを、簡単に行き来する為のね。」
「ゲート?どう言う事だ!」
サフィから発せられた、意外な単語。
ただの板が、開閉する扉だとでも?
そんな筈は無い。
一枚板で有るのを、しっかりと確かめた。
剣を差し込むだけの隙間さえ、ギリギリだった。
だから『剣では切れない』と言ったのだ。
なのにサフィは、平然とそう言う。
ヒィの質問に、サフィは或る方向を指差す。
「自分の目で確かめたら?あっちで光ってるでしょ?」
ん?
指された方向は、ヒィが板の行方を見届けた方向と一致する。
そしてそこから、虹色の光が漏れ出ている。
地下空間の明かりは、昼間並みへと戻った。
それにも係わらず、ここから確認出来ると言う事は。
かなりの光量だと言う事。
「くっ!」
結局サフィの思い通りに事が進んでいる様で、癪に障るヒィ。
しかし。
自分の成した結果は、この目できちんと見ておかないと。
それが責務。
考えを改め、屋上を後にするヒィ。
あれだけ居た見物人は、どうやら先に向かったらしい。
屋上は閑散としていた。
ヒィをここまで案内した、ナンベエ達を残して。
モンジェがナンベエに命ずる。
「儂等も向かうぞ!話が本当だとすれば、これはどえらい事じゃ……。」
「は、はい!」
困った、困った……。
ホンに、のう……。
モンジェは、ブツブツ呟きながら。
お付き2人を伴って、屋上から降りる。
流石、長だけあって。
ゲートとは何かを知っているらしい。
はあっ……。
大きくため息を漏らしながら、肩を落とし。
疲弊した様子で、屋上からの階段を降りようとするヒィ。
その右手を片手で掴み、サフィは意気揚々と声を上げる。
「さあっ!目くるめくワンダーランドの始まりよ!」
「ほんっと。前向きなアホだな、お前は。」
「なに?」
「何でも。」
「ふーん。」
『フニヤァッ』と笑うサフィは、聞こえない振りなのか。
強引にヒィを引き連れ、板が着弾したであろう現場へ向かおうとする。
ドタドタと下りる2人。
それに付き添う様に、ナンベエが続く。
パタン。
屋上への扉は閉められ、静かな空間が戻った。
もう滅多な事では、訪れられないであろう場所として。
屋上の地位は確立するだろう。
ナンベエは、そんな気がしていた。