新たな長の誕生、なのか?
結局、アーシェが目を付けた者の内。
参加者の方の4人は、いずれも敗れ去り。
イヌ族乗っ取りの首謀者とは、認められなかった。
しかしまだ、立会人の方の4人は。
嫌疑が晴れず、そのまま。
〔ヒィの予想〕と、〔サフィの告げた言葉〕が当たっているなら。
寧ろここからが、警戒するべき時。
アーシェは、嫌な感じの胸騒ぎを押さえるのに必死だった。
まだ観客席がざわつく中、無理やり壁の上から飛び降りたネコ族が。
意識を失ったままのウォーゲンを、吊り上げて運び出す。
その後、破壊された入場口に積み上がった瓦礫が取り除かれ。
長の任命式の準備が、素早く進められる。
運営長達は役目を終え、今度は〔新しい長誕生の見届け人〕へと変わる。
闘技場の中心には、簡易的な祭壇が設けられ。
一番高い三段目の所には、長が座る椅子と共に。
イヌ族を表す紋章が染め上げられた、赤茶色の大旗が。
椅子の両側へ、一棹ずつ掲げられる。
椅子からは、鮮やかな赤に染め上げられた絨毯が伸び。
真っ直ぐ入場口まで続いている。
そこからまずは、受付嬢を先頭に優勝者のラモーと。
立会人達が入って来る。
堂々としたラモーの姿に、輝かしいイヌ族の未来を重ねたのか。
歓声が一段と大きくなる。
絨毯の両側に、立会人が20人ずつ並び。
椅子の真正面、段の一番低い場所でラモーがひざまづく。
続いて。
神輿の様な物を担いだ、テトロンの男衆が入って来る。
その上には、椅子が据え付けられて。
弱々しい姿の、現長が座っている。
彼の名は、【バウジェ】。
耳と鼻、口と。
顔や身体全体に有る、弛みによるシワから。
〔ブルドッグ〕を想起させる。
勿論、この世界にはその呼称は無く。
ただの〔小型シワくちゃ犬〕と言う認識。
しかしそれは、長本来の姿では無い。
それ程、身体が弱ってしまったと言う事だろう。
男衆が神輿を下ろし、横に車椅子の様な物が運ばれて来ると。
そこへバウジェの身が移される。
ゆっくりと車椅子を押し、段の一番下まで来ると。
男が抱え上げ、大事そうに長の椅子へと座らせる。
長へ一礼した後、ススッと男は下がる。
これで、長任命の儀式の準備が整った。
細い声で、バウジェがラモーに伝える。
「逞しき勇者よ。我の地位を受け継ぐに相応しい者よ。立ち上がり、我の前まで進み出よ。」
「ははーっ。」
ラモーはスッと、バウジェの前まで進み出る。
次に受付嬢が、ラモーとバウジェの間へと上がって行く。
何やらメダルの様な物が入った、小さい箱を持って。
どうやらそれが、優勝者の証らしい。
これを首から下げる事で、ラモーの勝利が最終的に確定する。
受付嬢が箱を開け、バウジェの方へ差し出す。
バウジェはそれを取り出すと、ラモーはやや屈んで頭を下げる。
金色に輝くメダル部分は、直径5センチ程と小振りでは有るが。
キラキラと光を反射するので、思ったより大きく見える。
それから伸びる、リボンの様な紐を。
ラモーの頭から通し。
メダルが正に、首から下へと掛からんとする時。
「ストーーーーーーーップ!」
ここで『待った』を掛ける者が。
立会人も、観客も。
ラモーも、バウジェも。
声のした方を向く。
それはヒィには、分かり切っていた事だが。
当然の様に止める権利を行使する、サフィだった。
サフィは、ラモーとバウジェの居る方向へ言い放つ。
「壇上の者共、【覚悟】はお有り?」
「今更、何を言い出すのです?」
ラモーが疑問を投げ掛ける。
サフィが答える。
「これから何が起こっても、文句を言わない覚悟よ。どう?」
「是非も無し。」
そう答えるラモー。
長としての地位は、大変な物。
それを守って行く覚悟を問うている、と。
ラモーは捉え、サフィに返答した。
バウジェは黙って頷くだけ。
それ等を見て、ニヤリと笑うサフィ。
あっさりと引き下がる。
「だったら良いわ。さっさとやって頂戴。」
観客は、訳の分からないやり取りを見せられて。
ブーイングでも垂れ流したい気分。
しかし今はめでたい席、その雰囲気を台無しにしたくは無い。
だから一層、静まり返る。
緊張の走る、武闘会会場内部。
『パサッ』とラモーの頭を通り抜け、メダルの下がった紐が首に掛かる。
椅子へと下がる、バウジェ。
屈んでいた身体を伸ばし、キリッとした姿勢になるラモー。
心臓辺りに有る、メダルを握り締め。
ラモーが会場全体に向け、叫ぶ。
「新たなる長が、今ここに誕生せり!それは……!」
そこまで言った後、ラモーはサフィの言葉の真の意味を理解した。
その後続いて自身の口から出た、疑わしき言葉によって。
「ここに御座せられる、【クーシャ】様だ!」
えっ!
びっくりして、言葉を失う観衆。
武闘会が終わり、儀式の様子を見守っていたネコ族達も。
声が出ない。
ラモーが困惑の表情を浮かべながら、右手で指したのは。
あの、受付嬢だった。
突然の指名に、オロオロするクーシャ。
「わ、私は参加者では有りませんし。それに、イヌ族のしきたりを無視するのは……。」
そう言いながら、俯くクーシャ。
その目の前で右膝を付き、困惑の表情のままラモーが言う。
「あなた程、相応しい方は居りません。是非とも、イヌ族の長としてお導き下さい。」
「そこまで仰るのでしたら……。」
顔を上げるクーシャ。
『どけっ!』とラモーに掴まれ、バウジェが最下段まで放り投げられる。
慌てて落下地点でその身を抱きかかえ、バウジェの安全を確保するヒィ。
『さあ、お座り下さい』と、長の椅子へクーシャを誘導するラモー。
そして自身は、その右隣へと立つ。
おかしな展開、それは到底受け入れられない物。
『裏切者ーっ!』『ふざけるなーっ!』と言った罵声が飛び交い。
抗議の意思を示す様に、観客席から。
闘技場へ次々と、物が投げ入れられる。
それを守る様に、立会人達がズラリと祭壇を囲む。
クーシャが新しい長、受け入れよ。
そう言わんばかりに。
それぞれが武器を持ち、観客を威嚇する。
その立会人達も、眉を顰め何かを言おうとする。
しかし口を突いて出るのは、クーシャの長就任を容認する言葉ばかり。
ち、違う!
断じて認めてはいない!
心の中でそう叫んではいるが、口から出る時に変換されてしまう。
『混乱を加速させるだけだ』と考えた立会人達は、皆無口になる。
まるでラモーのした事に対して、追随する様に。
しおらしく座っているクーシャ。
周りを囲んだまま、観客席へ威嚇を続ける立会人達。
その中には。
アーシェが怪しんでいた、ベッシードとメランダの姿も有った。
彼等も、この行動は不本意の様だ。
何とかして見えない呪縛を解こうと、もがいている様子。
なるほど、ここまではヒィの言う通りだ。
ならば、サフィの言った事も……。
アーシェは、サフィの方を見やる。
珍妙な立会人達の行動、その中に加わっていなかったのは。
ヒィ、サフィ、アーシェと。
意外にもレッダロン、そしてドギン。
ヒィ達3人は冷静、ドギンは戸惑い。
レッダロンは無表情を貫く。
ヒィに抱えられていたバウジェは、アーシェの背中に背負われる。
サフィがバウジェにそっと囁く。
『もう直ぐの辛抱よ。あんたを呪縛から解放してあげる。』
その後、壇上のラモー達にサフィが叫ぶ。
「さあ、覚悟をし!イヌ族乗っ取りの【張本人】!」