禊(みそぎ)
〔ユキマリ〕と名乗った少女と、ヒィとのやり取りは。
取り敢えず、そこで終わった。
切っ掛けは。
プッ!
クスクスクス。
アハハハハハ!
「面白ーい!」
ヒィの隣で聞いていたサフィが、堪らず笑い転げたから。
唖然とするユキマリ。
口をあんぐり開けているヒィ。
ジーノだけは、『まだかい!まだかい!』と必死。
腹を抱えて、サフィは道を転がり続ける。
その姿に馬鹿らしくなったヒィ。
ジーノに『ご苦労さん、もう良いよ』と、優しく声を掛ける。
途端にぐったりとなって、ズルリと荷物の縁を滑り落ちるジーノ。
筋肉が完全に緩んだらしい、『ごめん、暫く動けねえ』と情けない声を上げる。
ヒィは剣を背中に仕舞うと、池の方を向き。
ユキマリに話し掛ける。
「水の中は冷たいだろう!さっさと上がったらどうだ!」
ヒィなりに気を遣ったつもりだった。
しかし、返事は。
「こっち見ないで!そのせいで上がれないんでしょうが!」
「は?」
「『見ないで』って言ってんの!分かんないの!」
気の抜けた返事を返すヒィに、イライラしているらしい。
『ヒヒヒヒ』と笑い漏らしていたサフィが、漸く落ち着いて来る。
そして正座の態勢となり、口に左手を当てて。
ユキマリに声を掛ける。
「ごめんね!こいつ、ここが【清めの池】って事を知らないのよ!その辺で勘弁してやって!」
「お前!ここを知ってるのか!」
ならしゃがんでないで、ちゃんと説明してくれよ!
そう言いた気な、ヒィのキツく睨む顔。
サフィは服をパンパンと払い、立ち上がると。
ヒィに向かって、文句を付ける。
「説明しようとする前に、剣を抜いて構えたのは?何処の誰かしら?」
「そ、それは!何者か、正体不明だったから……!」
「あたしが余裕ぶっこいている時点で、察しなさいよ!危険じゃ無い事くらい!」
「え、えぇーーーーっ……?」
そこまで要求するのかよ!
言ってくれないと、分かんないよ……。
ブツブツ言いながらも、素早く剣を抜いて説明の暇を与えなかった事に対し。
反省するヒィ。
ヒィに『壁の方を向いてなさい』と、サフィが言う。
そしてそのまま、ずり落ちたジーノを荷物の上に被せ直す。
これならジーノも、水面に背を向ける事となる。
「どうぞ!今の内よ!」
ユキマリにそう言うサフィ。
『良いって言うまで、振り返らないでよ!』と言いながら。
スイーッと池を泳いで行くユキマリ。
ヒィ達とは真反対の池岸から、ザパアッと上がると。
プルプルと体を震わせ、水を切る。
道に置いてあったタオルの様な布で、身体を拭き拭き。
そして、徐に着替え出す。
「まだかー!」
「まだよー!」
そんなやり取りが何回か有った後。
「もう良いわよーっ!」
ユキマリから声が掛かる。
やっとかよ、トホホ……。
うな垂れながら、振り向いて。
対岸を見るヒィ。
そこには、綺麗に着飾った少女が。
しかし遠くて、ぼんやりとしか確認出来無い。
やはり目立つのは、ぴょんと立ったウサ耳。
拳2つ分、それだけは分かるのだが。
いかんせん、距離が有る。
もどかしいのは、向こうも同じらしい。
「詳しく話を聞かせて貰うからね!とうっ!」
足をやや曲げて、ためを作り。
腕を後ろへ振り被る。
そう叫ぶと、腕を前にグルリと回し反動を付け。
一気に足を延ばす。
すると。
ぴょーーんっ!
「うぉっ!」
仰向けにされた途端に飛び込んで来た光景、それに対し思わず叫ぶジーノ。
ユキマリの身体が、軽く宙を舞い。
池の上空を通り過ぎると、スタッと荷物の傍へと降り立つ。
勢い余って、右手右膝を地面に付いてしまうが。
それにしても、何と言うジャンプ力。
これが、獣人の力か……。
まざまざと見せつけられる、身体能力。
目を丸くするヒィの前まで回り込むと、ジロジロと顔を眺め。
ユキマリは、ポツッと呟く。
「顔は……合格ね。悔しいけど。」
何の事か分からないが、取り敢えず話し合いの余地が出来た様だ。
ジーノが見上げ、サフィが近寄る。
取り囲まれた状態の、ユキマリ。
水の中に浸かっていたので、身体全体は把握出来なかったが。
今こうして眺めてみると。
シュッとしたシルエット、しなやかな曲線を描いている。
プロポーションは、サフィといい勝負だろう。
でもおかしな事に、頭の横にも。
人間と同じ耳が付いている。
そして、着ている衣服がちょっと変わっている。
白襟の付いた、袖無し裾無しのピチッとした黒服。
襟首には、鎖骨に掛かる程の幅の赤い蝶ネクタイ。
服の中央縦に、金色のボタンが5つ並んでいるのには。
何か、意味が有るのだろうか。
一方。
肩から手首まで、股から踝まで。
黒い網模様の、薄布に包まれ。
その先には、内側に跳ね上がった白襟がくっ付いている。
靴は真っ赤なハイヒール。
こんな森の中を歩くには、いささか不便だろう。
赤茶掛かったショートヘアは、ウサ耳を際立たせる様に艶やかだ。
さながら、カジノで働いているバニーガール。
但し、頭にリボンなど装飾品は付けられておらず。
客をもてなす格好では無い。
〔神秘性が高い〕と言うより、〔突拍子も無い場違いな〕姿。
これには本人も不満らしく、熱い目線を送るヒィに愚痴をこぼす。
「……ジロジロ見ないでよ。老師様が『着て行け』って迫るから、仕方無かったのよ。」
「老師様?」
「そう。微ウサギ族を束ねる、偉いお方よ。じゃなかったら。こんな格好、願い下げよ。」
「でしょうね。」
ヒィとユキマリの会話に、サフィも参加。
ジーノはまだ、脱力感が完全に拭えないでいる。
サフィはユキマリに言う。
「ここで水浴びしてたって事は、あんたもテトロンへ?」
「そうよ。武闘会の司会を頼まれてるの。」
「それで身を清めてた、と。」
「詳しいのね。あなたはこいつとは違って、ちゃんとした話が出来そう。」
そう言ってユキマリは、ジロッとヒィを睨む。
あーっ。
騙されてるなー、外見に。
落ち着いて話せば美人なのに、打ち解けて中身全開になると残念少女と成る。
サフィの本来の姿を知らない者は、大抵初見ではユキマリと同じ反応を見せる。
ユキマリのサフィに対する接し方を気に入ったのか、このまま暫くお姫様キャラで行くらしい。
口調がゆっくりになる。
サフィがヒィに、この池に関して説明する。
「武闘会が単なるお祭りじゃ無いのは、分かってるでしょ?神聖な儀式でも有るの。」
「だろうな。一種族の長を決めるんだもんな。」
「そこで参加する者、司会者や運営者。武闘会に携わる者は、一度身を清めて邪心を取り除く決まりになってるの。」
「その為の場所が、ここって事か。」
「そう言う事。だから……。」
フッ。
「うわぁっ!な、何を……!」
軽くサフィが息を吹きかけると。
ヒィの身体が突風で揺らぎ、池の方へよろける。
あわわわわ!
懸命に堪えるも、そっと傍まで寄っていたサフィに。
ツンと突かれる。
「あんたも関係者でしょ?身を清めないと。」
「だったら口で言え!自分から!入るからぁ!」
空中で腕をブンブン振り回すも、何の役にも立たず。
ドッポーン!
池の中へ落っこちるヒィ。
「アハハハ!ざまぁ無いわね!アハハハ!」
いい気味だわ!
私の下着姿を覗こうとした罰よ!
そう、ユキマリが池から上がれなかったのは。
禊の為に、下着だけとなっていたから。
ユキマリに嘲られながらも、懸命にもがき。
態勢を立て直すヒィ。
その横を、ジーノを引き摺って。
チャポンとサフィも、静かに入水。
一旦完全に潜った後、顔だけ出して。
冷泉に浸かるみたいな格好を取る。
背の小さいジーノを抱え、その頭を出してやりながら。
ドワーフ特有のやや短い白髪が、ベトッと寝ている。
急に体を冷やしたので、思わずブルッと成るジーノ。
『暴れるんじゃないの』と、ギュッと捕まえた後。
ゆっくりと池から上がるサフィ。
水深はサフィの肩下位だったので。
上がる時、ジーノの頭に乗っかった状態の胸が強調される。
その大きさに、少しだけ羨ましくなるユキマリ。
自分の胸と見比べるが、特に差が無いと自覚すると。
ホッとした表情に。
サフィはそれを見逃さなかったが。
続いてヒィも、ヌッと池から上がる。
何か心が、すっきりと洗われた感じ。
その分、体の疲れは増した気がするが。
サフィはまた右ポケットから、小さな棒を取り出すと。
高く掲げ、クルッと空中で円を描く。
すると、池の方から直径3メートル程の水球が浮かび上がって。
その中に、ジーノが担いで来た荷物が『ヒュンッ!』と飛び込むと。
中でグルグル回り出す。
そして空中で水球が弾けた後、荷物が飛んで戻って来る。
荷物が地面に付く寸前に、サフィ達と荷物を。
『ギュルンッ!』と、竜巻の様な風が覆う。
それは一瞬で過ぎ去ったが、包まれていたサフィ達はすっかり乾いていた。
荷物の底に付いていた泥も綺麗に落ちて、洗濯完了。
一連の技に、『おおーっ!』と感嘆の声を上げ。
パチパチと手を叩くユキマリ。
疲れた様に両手と両膝を付いているヒィは無視して、サフィの下へ寄り。
神にでも祈る様に、手を胸の前で編み。
『凄ーい!どうやったの!』と、目をキラキラ輝かせて尋ねる。
サフィは小さい棒をポケットに仕舞いながら、ユキマリに言う。
「これ位、容易いわ。何たって、女神だもの。」