めでたい門出、の筈が……
これから始まる物語の主人公、16才になる少年の〔ハイエルト=アジカ〕。
彼は。
百数十人から成る放浪の旅団、【フロウズ】において。
跡取りと目されていたが。
テントの様な家を建てては泊まり、翌日また畳んで旅を続ける。
そんな旅団の普段の暮らしに、物凄くうんざりしていた。
旅団の他の者は、そんな事を。
疑問に思っても、口には出さない。
グループを離れる事は、この世界では〔死〕を意味していたから。
しかし、首長の息子である彼は違った。
何処かに定住すれば、きっと違った人生を。
平穏な人生を送れる筈、そう信じて疑わなかった。
当然、周りの大人は彼を引き留めた。
『碌な目に会わないよ』と。
しかし。
彼が持ち合わせている、純粋で真っ直ぐな眼差しに。
父である首長は根負けした。
『彼を自由にさせよう』、そう決めた。
但し、条件が1つ。
向こう3年間は、『戻りたい』と言っても旅団には帰らせない。
そこまでの覚悟が有るなら、行くが良い。
父にそう言われ、彼は承諾。
名残惜しそうに見つめる、曽ての仲間に見送られながら。
彼は旅団を離れ、一人旅を始めた。
彼は、自暴自棄になって。
一人旅を始めたのでは無い。
当然、当てが有った。
この世界、通称【ゼアズ・ワールド】には。
【コミュニティ】と呼ばれる生息域が存在する。
〔コミュ〕と略される、それぞれには。
色々な種族が、独特の文化を育んでいる。
獣人、妖精、神族、魔族、等々。
通常、コミュは。
独立を貫き、他のコミュに干渉する事は無いが。
人間族だけは例外。
コミュを跨いで、それぞれを繋ぐ役割を果たしている。
つまり。
厚かましくもズカズカと、多種族のコミュへと入り込んでいるのだ。
そうやって保護して貰い、代わりに多種族の情報を届ける連絡役と成る。
人間族にも事情が有り、フロウズの様に流浪の身となっているタイプも存在するのだが。
彼は余程、自分を〔特別だ〕と思いたく無かったらしい。
他の人間と同じ様に、種族の垣根を越えて交流を図りたい。
そうすれば。
変化に富みながらも結局、何事も無く過ごせる。
以上の様な思いから、彼は。
フロウズを離れ独立した、先人の下へ行こうと考えた。
先人の今の暮らしを見学させて貰えば、『自分の考えが正しい』と納得出来るだろう。
根拠の無いそんな自信が、彼には在った。
目指すは、人間のみで構成された町〔フキ〕。
周りを多様な種族コミュに囲まれている、稀有な土地。
ワクワクしながら、彼は道なりに進んで行く。
そこに、平穏とは程遠い〔非日常〕が待ち受けているとも知らずに。
「【ヒィ】! ヒィか! 久し振りだな!」
「お世話になります、叔父さん。」
彼を〔ヒィ〕と愛称で呼ぶ、その先人とは。
叔父の【ロイエンス=アジカ】だった。
ロイエンスもヒィと同様、旅から旅への暮らしに疑問を持ち。
止めるのも聞かずに、飛び出して行った。
そのまま、音信不通になるかと思いきや。
近況の便りだけは、まめに送って来るので。
ヒィは、子供ながらに。
叔父を〔開拓者〕として尊敬し、手紙が届くのを心待ちにしていた。
その影響も有ったのだろう、父は息子の事を。
『ロイエンスの住む町を、真っ先に訪れる』と思っていた。
だから、離れる事を許したのだ。
ロイエンスには予め、知らせておいた。
『息子がそちらに出向いた際は、宜しく頼む』と。
大事な甥だ、丁重に出迎えてやろう。
ロイエンスも、そう考えていたのだが……。
「どうかしましたか?」
初めこそは満面の笑みだった、ロイエンス。
しかし、少し表情に影が有る。
ヒィには、そう思えた。
ロイエンスが、申し訳無さそうに。
ヒィへ、裏事情を話し始める。
「盛大に歓迎したかったんだが、ちと〔問題〕が起きているんだ。」
「はあ……。」
そんなの、この世界では良く有る話。
大なり小なり、問題は起こる。
ここは大きくない町、左程面倒な事でも無いだろう。
ヒィはそう、軽く考えていた。
ところがロイエンスが、渋い表情で言うには。
「この町にも空き家が幾つか有るから、どれかに住んで貰おうと思ってたのさ。でも最近、おかしな事が起こるらしくてな。」
「おかしな事、ですか?」
「ああ。誰も何も居ないのに、ガタガタッと突然物音がするらしいんだ。」
『家主も相当困ってるんだよ』と、苦い顔。
『ならば』と、ヒィが切り出す。
「これからお世話になる身ですし、俺が調査をお手伝いしましょう。」
『鍛えて来たんですよ』と、背中に担ぐ立派な剣を指差すヒィ。
鞘が無く刃をむき出しにしている、【不殺の剣】と言う名の武器。
腕の長さ程有る、刀身の中央は。
やや出っ張っていて。
刃の先端も、若干丸みを帯びている。
良く有る〔切れ味の良い武器〕では無く、〔効率良くダメージを与える、全く切れ味の無い武器〕。
相手を殺す事無く屈服させる事から、その名が付いた。
本当の名は、別に有るらしいのだが。
フロウズの間では長年、そう呼ばれていたので。
今となっては、もう分からない。
とにかく、首長と成る証として受け継いで来たこの剣は。
『何時かきっと戻って来る』との、父の淡い期待から。
ヒィに預ける事となった。
腕に自信有り、と言う気持ちも有るが。
叔父に、立派になった自分を見て貰いたい。
そんな欲を、ヒィは抱いていた。
彼の思いを察したロイエンスは、野郎何人かに声を掛け。
即席の調査隊が結成された。
町のあちこちに在る空き家。
その一軒一軒を、家主の立会いの下に巡る。
野郎が突然、玄関の前で大声を上げ。
家の中を威嚇しながら、2・3人が玄関から奥へと上がり。
隅々を見て回る。
しかし家の中は静寂に包まれ、異常の痕跡すら見つからない。
首を捻りながら、家主は安全を確かめると。
納得し難い顔付きのまま、調査隊へ謝意を示す。
こうして、不審な物件は。
調査隊によって、真面な物件へと置き換えられて行った。
そうやって繰り返す事、何回か。
とうとう、1軒を残すのみ。
これで、何も無ければ。
問題とやらは取り敢えず、解決と言う事になる。
何も無いのは良い事だが、ヒィにとっては拍子抜け。
最後の1軒は。
町の中心から見て南西部に当たる区画の、町外れ辺りの地域に建っていた。
木造平屋建て、でも居住空間は広く。
部屋も、矢鱈と多かった。
〔屋敷〕より〔御殿〕の方が、表現として適切だろうか。
ここなら、あちこちに隠れる場所が在る。
何かが出るかも……。
調査隊に緊張が走る。
ヒィが玄関の前で剣を構え、サイドから野郎共が一斉に扉を開ける。
すると。
「おっそーい! やっと来たの? 麗しき乙女を待たせんじゃないわよ!」
目が点になる一同。
玄関を入った先には。
木製の一人掛け椅子にゆったりと腰を下ろした、長く艶やかな濃紺の髪を湛えた少女が。
脚を組んで、ふんぞり返っている。
まるで自分が、この御殿の主であるかの様に。
「だ、誰だ!お前は!」
玄関にしれっと椅子を置き、図々しくも座る少女へ。
扉を開けた野郎共が、怒鳴り声を上げる。
誰とは何よ。
少女はボソッと一言、そう呟くと。
その場へスッと立ち上がり、声高らかに名乗りを上げる。
「あたしは〔サファイア〕。これでも一応、女神なのよ。」
あ、【サフィ】って呼んで。
その方が、気が楽だから。
コツコツと、ヒールの音を立てながら。
木製の床の上を、グルグルと歩き回る少女。
何だ、こいつ?
野郎共は皆、そう考えているのだが。
彼等がドン引きする位に自信満々の表情で、彼女は存在感を示している。
膝が覗き出る位に短い、漆黒のスカートを。
ひらひらと靡かせ。
目にした者が凍りそうな程に真っ白な、長袖のYシャツを。
胸を張って、周りに見せつける。
そのシルエットから。
艶やかな腰の括れと、やや大きな胸も見て取れる。
端の方がややウェーブ掛かった髪、それを何気無くサラッと掻き上げる仕草。
自他共に美少女と認める外見、本人はそう思っているのだろう。
『どうだ!』と言わんばかりの、堂々とした態度に。
惹き付けられながらも、呆れる一同。
それを尻目に。
尚も少女は、話を続ける。
「それにしてもやっぱり、辺ぴな所ねー。あたしに相応しい屋敷も、この1軒位だし。」
「ま、まさか……物音の正体は……!」
両手を前に伸ばし、わなわなと震えながら。
この屋敷の家主が、少女へ向け言葉を投げ掛ける。
まるで偶然盗人を見つけ、咄嗟に捕らえようとせんが如く。
対して少女は、あっけらかんと答える。
「住む前に物件を確認するのは、一般常識でしょ? 何言ってんの?」
「何様だ! 勝手に上がり込んで、物色してたってのか!」
怒りに任せ、今までの鬱憤を少女にぶつける家主。
今回の騒動に、相当悩んでいたのだろう。
何せ『ここを借り受けたい』と言う客は皆、他所へ取られてしまったのだから。
どれだけ商機を逃して来た事やら。
悔しさを滲ませる家主の気持ちを見透かしてか、少女はつかつかとヒィの左隣まで来て。
ガバッと肩を組むと、右手人差し指でヒィの顔を指し示し。
家主に向かって、こう言った。
「今日からここで暮らすから。こいつと。」